shin-1さんの日記

○くちなしの白い花

 今朝庭に出ると、どこからともなく甘い香りが漂ってきました。辺りを見渡すといつの間にか、庭の隅にくちなしの白い花がいっぱい咲いているのです。「ああくちなしの花が今年も咲いたな」と思いつつ、傍に寄って花に鼻を塚づけて見ました。最近はこの匂いに良く似た芳香剤が売られていて、トイレなどの消臭剤に使われているため勘違いしそうですが、紛れもなくくちなしの白い花の香りでした。

 花芽が次々と出ているため剪定ばさみを取り出し、一輪二輪まだ蕾の枝を切って一輪刺しに差し台所に飾りました。こうすれば明日の朝には香りを楽しむことができるのです。季節の移ろいの中で植物は自分の存在を知らせるように咲くのですが、愚かな私は忙しさにかまけて花を愛でることも殆どなく時は過ぎて行くのです。

若松進一ブログ
(庭の隅でひっそりと咲くくちなしの花)
若松進一ブログ

花は普通五弁が多いのですが、くちなしの花は六弁であることも今朝初めて見つけ知りました。

 「くちなしの花」という歌が大ヒットしたのは昭和48年です。作詞水木かおる、作曲遠藤実のコンビで作られたこの曲は渡哲也が歌っています。歌手でもない歌手が歌った歌はどこかぎこちないもののとても新鮮で、当時教育委員会に勤めていましたが、会合の後の呑み会にはカラオケでよくこの歌を歌いました。しかし作詞家はくちなしの白い花を見てこのような素晴らしい歌詞を作り、その歌詞に曲を付けるのですから凄いとかいいようがありません。私などはくちなしの白い花を見てトイレの芳香剤を思い出すのですから、いい加減も甚だしいのです。

 ギターとハーモニカを取り出し、そっと弾きながら吹きながら一人口ずさみ感傷にふけりました。

 

    くちなしの花

(歌詞掲載不可のため割愛)

  「くちなしの 花を見ていて 懐かしき あの頃思い 口ずさみつつ」

  「くちなしの 花を見ながら 歌詞にする 俺は凡人 トイレの香り」

  「梅雨晴れ間 六弁白き クチナシの 花にミツバチ 戯れて遊ぶや」

  「窓開け くちなし香り 取りこんで ただぼんやりと ハーモニカ吹く」

    

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○騒々しくて煩わしくも楽しい一日

 妻と私、それに親父の3人で比較的静かな暮らしを毎日していると、このところ土曜日になると決まったようにやって来る孫たちが、どことなく騒々しくて煩わしいのです。寝ても起きてもご飯を食べても遊んでも、鳴き声と笑い声に満ち溢れ、すっかり忘れかけていたわが家の子供4人時代が懐かしく思い出されるのです。

 小学校1年生になった孫朋樹は悪ガキ真っ最中で、家に来るなり虫籠と網を持って家庭菜園付近に出かけます。昨日はカエル、モンシロチョウ、バッタなどを捕まえ得意げにみんな自慢しています。虫が好きなくせに虫に触れませんでしたが、最近はカエルも平気で手で触れるようになって成長の跡がうかがえます。しかし少し社会性ができたのか汚い言葉を使うようになりました。「うざい」とか「チョーラッキー」とか、また下品な下ネタまで使って、その都度注意をしますが一向に直す気配はないのです。一番困るのは2歳になる弟尚樹の持っているものを平気で取り上げたりして弱いいじめをするのです。これも私が中に入って仲裁しますが、訳の分からない尚樹は大泣きして私に助けを求めるのです。自分の子どもも成長の過程でそんなレールを走ってきたのでしょうが、すっかり忘れて、今では孫とおじいちゃんの関係で二人の行動を見ているのです。

 2歳になった孫尚樹は成長著しく、来る度に言葉を覚えて脱皮の後が見えて楽しいです。単語の数も増え、単語と単語が少しだけ言葉としてつながるようになってきました。尚樹のもっぱらの得意は誕生日に買ってやったアンパンマンのサッカーボールでボールけりをすることです。室内のどこででも蹴るので、部屋の中に置いている様々な小道具に当たって無残にも落下しているのです。昨日は写真立てに立ててテレビの上に置いていた家族の写真に見事命中し、全て落下してしまいました。その度に頭をちょこんと下げて習い覚えた「ごめんなさい」をやるのですが、その後また直ぐに同じような過ちを繰り返しています。

 昨日は日曜日ということもあって天気も良いので、私と妻と二人で孫二人を連れ出してシーサイド公園へピクニックに出かけました。朝食を終えて8時に着いたのですが、朝早いため来客も少なく砂浜でボールを蹴ったり遊具で遊んだりと、楽しいひと時でした。

若松進一ブログ

(遊具で楽しく遊びました)
若松進一ブログ

(お気に入りの滑り台で遊ぶ尚樹)
若松進一ブログ

(前歯の抜けたひょうきんな一年生の朋樹)
若松進一ブログ

(庭石の上に登って得意げな孫二人、こんな仲のいい時もあります)
若松進一ブログ

(恋人の聖地記念モニュメントにはまだ背伸びしても~)
若松進一ブログ

(私の肩車に乗って恋人岬のモニュメントで顔をのぞかせ記念写真です)
若松進一ブログ

(次郎岬の突端まで散歩しました)
若松進一ブログ

(木陰のベンチでソフトクリームを食べました)

 昨日の夕方24時間の長い逗留を終えて娘の家族は帰って行きました。妻「来週もおいで」、孫朋樹「うんまた来る」、私「来週は忙しいから来るな」、孫朋樹「おじいちゃんが寂しいきん来週もまた来る」、私「・・・・・・・・」、てな調子です。昨日は下灘の親戚から魚をいただきました。大きな鯛とカナガシラやトラハゼなどを私も下ごしらえを手伝い、午後8時ころ遅い夕食となりました。さっきまでの騒々しさが嘘のように、静かな夕食となりました。妻は少し疲れ気味、私も多疲れでした。それでも来週やって来る孫たちとの再会が楽しみです。


  「疲れたが 二人で食べる 夕食は 何処か寂しく 少し不味くて」

  「こんなにも 近くゆっくり できる場所 孫は首輪を 外したように」

  「来週も またこんなにも 騒々し 思うだけでも うんざりしそう」

  「孫はいい 眼尻下げつつ 金魚糞 ついて行くのが やっとの私」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○「絆」という素晴らしい本が贈られてきました

 今年の2月22日、真冬の北海道美幌町へ講演で出かけました。大荒れの天気で交通機関がマヒし、一日東京に足止めされての北海道入りでしたが、網走の海岸で生まれて始めて流氷を見て感激した記憶は、今も鮮明に心に残っていますし、その写真を一日三枚のハガキにプリントして全国の仲間に出したりもしました。

 あれから3ヶ月余りがあっという間に過ぎ去りました。こちら四国では連日30度近くの夏日が続き、水不足が心配されているというのに、美幌町では10度近くの低温が続き農作物への被害が心配だそうで、改めて狭いながら東西に長い日本を垣間見るのです。

 そんな美幌町から「絆」という本が送られてきました。美幌に行ったとき知り合った美幌町マナビてぃセンターの松本雄慈さんから一号の「絆」をいただき、北海道から帰る飛行機の中で読みながらすっかりうなずいていましたが、今回届いた「絆」は第二号なのです。

 骨太の筆文字で書かれた表紙の「絆」という字を見ながら、絆とは糸と半と書いて何故絆と呼ぶのだろうと思いつつ、表紙をめくり編集員会委員長早田眞二さんのプロローグを読みました。


 高校の卒業式、教室に戻ってきた生徒たちの机の上には、「絆」の作品集がそっと置かれていた。先生の粋なはからい。清とは目を丸くしたり、はにかんだり、照れたり、心のこもった温かな贈り物。人生において絆の大切さや絆の弱さ、絆の強さを忘れないで欲しい。

 一年前「絆」の作品集を発行させていただきました。小さな一歩ではありましたが、多くのお褒めの言葉や反響をいただき感謝しております。ありがとうございます。

 二回目も投稿していただけるかと心配していましたが、予想をはるかに超える四百人以上の皆さまから応募があり、全て掲載させていただきました。多くの皆様が、絆に深い関心があることに嬉しく思い、そして感動しています。この「絆」~三行の詩~が、多くの方の心に響き、繋がり、また新たな絆が芽生えて下さらんことを願っています。それぞれ、大切な人々のことを考えながら「心温かな絆」の心を分けてくださった皆様に感謝申し上げ、発刊にあたってのご挨拶とさせていただきます。


若松進一ブログ

 文集はめくると、妻へ夫へ、母へ父へ、きょうだいへ、ありがとう、友へ、想い、家族、子へ、きずな、作品応募者名簿の順に続く、170ページもの分厚い大作でした。しかも六・七歳から九十六歳まで、焦点が絞りにくい反面逆に面白さや人生の機微が随所に見られ、素人ゆえの普段着の感性に心をグサリとえぐられるような深い感動を覚えました。

 第一号をいただいたとき松本さんに、「これからはタダで配るのはよくないね。ワンコインだったらみんな協力してくれるし、それを資金にしていいものを出したら次に続くと思うよ」と愚言を呈したことを思い出しました。私の意見でそうなったとは思いませんが、今回の第二号には「定価500円」と書かれていて、とても嬉しく思いました。

 平居エミ子さんの題字も西野奈美さんのカットも、心なごませるものでした。

 もう10数年も前に福井県丸岡町の友人大廻さんから「日本一短い愛の手紙」という本をいただいたことを思い出しました。ご存じ「おせん泣かすな馬肥やせ」という徳川家康の家臣本多重次が戦場から妻に宛てた手紙にヒントを得た、手紙コンテストの秀作を本にしたものでしたが、このことがきっかけで丸岡町は全国にその名を知らしめ、手紙やはがきコンテストというブームを起こしたのです。ふとそのことをもい出しながら短文に秘められた人それぞれの絆の大切さを思い知らされました。

 願わくば高望みの無理をせず、これからも長続きさせてほしいと願っています。松本雄慈さんいい贈り物をありがとうございました。


  「読むほどに 心動かす ことばかり 自分に重ね うなずきながら」

  「そういえば 十年も前 友人に 貰いし本の 姿に似てて」

  「何故絆 糸に半書く 広辞苑 引いて納得 つなぎとめるか

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ほたるを見に行きました

 わが町のほたる祭りが終わって丁度一週間になります。水不足の騒動も先日のお湿りで少し治まり、田植えも一段落といったところで、あちらこちらの田んぼには綺麗に水が張られ、西空の茜色が少しほんのり残る田んぼの原風景は、どこかからハーモニカの音色でも聞こえてきそうな雰囲気です。

 昨日週末なので娘の家族が、看護師をしている二男とともにやって来て賑やかな夕餉の膳を囲みました。食事が終って腹減らしにと上灘中学校まで散歩に出かけました。小学校一年生と二歳になったばかりの孫は盛んに走って、私たち夫婦はついて行くのがやっとで、車の交通量の少ない上灘川沿いの道を遊びながら散歩しました。娘の家族は一週間前にほたる祭りに来ていて、綺麗なほたるを見ているものの、沢山の参加者でごった返していてじっくりほたるを見ていなかったというので、急いで家へ引き返し、車で翠小学校近くまでほたるを見に行くことにしました。私自身も今年は忙しくてほたる祭りに出かけていないし、今日雑誌を読んでいたらほたるの記事が出ていて、今晩あたり見に行こうかと思っていた矢先だったので、嬉しい誘いでした。

若松進一ブログ

(私のカメラではほたるを写すことができませんが、この写真は何年か前保存会から頂いた写真です)

 孫たちにとって光を発しながら飛び交うほたるは不思議な世界で、特に小学校一年生になった孫朋樹は、ほたるが飛ぶ姿は見ても、どんな姿をしているのか、暗闇なので見たことがなく、触ったこともないのです。たまたまヨシの葉に止まっている目の前にほたるを見つけました。そっと手ですくい、そっと孫の手の平に乗せてやりました。最初は怖がっていましたが慣れてくると、その不思議さに感激しながら疎っと空中に放してやると、川沿いの方へ飛んで行きました。二歳の孫は私の背中におんぶして、片言の日本語で「いっぱい」「すごい」を連発して騒いでいました。気がつくとあちらこちらに車が止まりほたるを見る人がいっぱいいました。家族連れや恋人どうし、中には行きずりの人もいて、唐子橋付近は暗闇で人数は数えられませんでしたが、結構の人だかりでした。


 自宅に帰ってからも孫たちの興奮は収まらず、ほたるの話で持ちきりでした。「ほたるはどうして光の?」「ほたるはどんな形をしているの?」と相変わらずの質問攻めです。私はほたるの載った本を書斎の書棚から出してきて見せながら話してやりました。イラストを見せて説明してやりました。そして本物のほたるを写した写真を見せましたが、ひょうきんな孫は「ゴキブリみたい」てな調子で笑いを誘いました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 ほたるを説明するのに妻の知識では中々喋れず、「ほたるのことはお父さん」と振られて、得意げになってほたるのあれこれを話してやりました。そして孫たちと一緒に布団に入り、ほたるの話やほたるの歌を歌いながら夢の世界へ誘ってやりました。


  「ほたる見て どうして光る? 教えてと 孫にせがまれ 妻はタジタジ」

  「ほたる飛ぶ こんな身近に 見えるとは 孫を背負って 光見つめる」

  「片言の 日本語話す 孫を背に いっぱいすごい 同じ言葉で」

  「ほたる来い 歌を歌いつ 孫ともに 布団の中で 夢の世界へ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ブルーベリーが熟し始めました

 リタイアしてから4年があっという間に過ぎました。その間それまでやりたくても忙しくてできなかったことを少しずつ始めていますが、まだ意思半ばといったところです。やりたかったことの一つにブルーベリーの栽培がありました。しかし残念かなその栽培方法も分からずさてどうすると思案していましたが、元役場に勤めていた友人がブルーベリー園を開園したのを見聞きし、頼んで鉢植えで栽培する指導を受けました。指導といっても友人に苗も鉢植えもやってもらい、わが家へ持ってきてもらっただけのことなのです。それでも春先から施肥や水やりなど友人の言うがままにやったお陰で、芽吹き、花を咲かせ、実がなりました。そして季節の巡りの中でその実が熟し始めたのです。

若松進一ブログ

若松進一ブログ

 わが家に嫁いできた時のブルーベリーの木はこんな殺風景なものでした。ところが春の芽吹きの早いブルーべりー緑の葉っぱをいっぱい茂らせ、まるでドウダンツツジのような可憐な釣鐘状の花をいっぱい咲かせました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 ブルーベリーにはハイブッシュ系、ラビットアイ系、ローブッシュ系があるそうですが、どれがどれだか素人の私には知る由もないのです。

若松進一ブログ

 花は散り実を付けましたが、鈴なりの木もあればまばらな木もあってオンリーワンを貫いているようです。ブルーベリーは極端な酸性土壌と水はけが良くなければ育たないため、二日に一回の水やりは、忙しさとズボラな私には大変ですが、それでも水不足な今年も庭の井戸のお陰で枯らすこともなく順調に成長してきました。

若松進一ブログ

 近頃そのブルーベリーが色づき始めました。これを目ざとく見つけたのは私だけではありません。野鳥たちも一斉に注目するようになったので鳥除けにテグスを張ったりして大慌てしました。「鳥目」を直すための行動だと思うのですが、アントシアニンやポリフェノール、それにビタミンA、ビタミンEを含んでいるので、10粒ほど食べた私でも、目がよく見えるようになった錯覚にとらわれるのですから不思議です。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 熟したブルーべりーの実は丁寧に手で摘み取り水洗いをしてタッパーに入れて冷蔵庫で追熟させ、週末にやってくる孫たちに食べさせたりしています。

若松進一ブログ

 

 人間牧場の露地に植えたブルーベリーは実をつけているものの草に埋もれてまだ収穫はゼロです。当分は自宅の庭のブルーベリーに水やりと収穫を繰り返して楽しみながら暮らしたいと思っています。


  「念願の ブルーべりー 食べ頃に アントシアニン 本当にあるの?」

  「三粒四つ 食べた途端に 目が見える そんな錯覚 テレビ影響」

  「目が薄く なると薬に 頼る人 サプリメントは 本当に効くの?」

  「水不足 井戸のお陰で ブルーベリー 枯れることなく たわわ実をつけ」

  

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○子供をどう育てたらよいのやら

 最近子育てに悩みを持ったお母さんが増えているという話をよく聞きますが、一番の原因は私たち親が子どもたちに「明日の親になるための教育」をせず、上手に育てなかったことだと思っています。私の母親や祖母といった昔の親と、私たちのような今の親、それに今やこれから親になろうとする親は、貧しさや豊かさという点では時代背景が根本的に違っているので一概には言えませんが、何時の時代も人間が人間として生きてゆく基本は不易であり、その不易を変えてきた結果だと思うのです。

 私たちが目指した子育ての方向は全てではありませんが概して、「楽をして飯が食える」でした。その当時は貧しさから解放され腹いっぱいご飯が食べれることが幸せの価値判断だったのです。そして勉強をして学校へ行き「学歴」があれば、それなりの地位について一生楽ができると信じ込んだのです。日本中の親はそう信じ込み、経済の発展という上昇気流に乗って勉強第一の道をまっしぐらに突き進みました。人間の本当の価値である「心の優しい子」など何の役にも立たないと思っていました。

 みんながみんな、ナンバーワンやベストワンを目指し競争して都会を目指しました。社会も親も落ちこぼれた子どもは諦めて置いて行くといった感じです。そんな子どもたちは親や社会に背を向けつつも、存在感を誇示しようとあらん限りのあがきを見せましたが、それも踏みつぶされるように無視され、何かあれば少し振り向く程度で流されてきたのです。「子どもはいずれ親になるということも知らずに・・・・。

 その子どもたちがいま親になったりなろうとしてしています。親に反感反目した親は今悩みながらも子育てし、やがて大きくなると反感反目されて方向を見失しなおうとしているのです。

 それでもつい最近の若い親を見ていると、子育てを目いっぱい楽しんでいるような姿もあちこちで見られます。子どもを育てる同じ世代が知り合って交流したり、子育てに必要な衣類やおもちゃを交換したりしながら、教育ならぬ共育している姿には頼もしさすら感じるのです。

 今朝島根県のあるお母さんから嬉しいメールが届きました。8年間で4人の子どもを産み育てているというのです。自慢ではありませんが私も7年間で4人の子どもを産み育て(産み育てたのは妻ですが)ました。子どもが自立した今にして思えば、4人は決して多くはないのです。少なく産んで大きく育てるといった英才教育よりも、子どもは家族という集団の中で育てることが一番のような気がするのです。

 優秀な子どもに英才教育をして都会に送り込み、今では年老いた親が田舎でひっそりと寂しく暮らす人たちを沢山見てきましたが、何が幸せなのかは人それぞれなのです。

 私は自分の子どもたちをできれば県内に住まわせ、できれば長男夫婦と同居したいという夢を持ち、そのように育ててきました。結果は4人の子どもがみんな県内に住み、間もなく長男家族が同居する計画です。これは私の生き方なので、人のことをとやかく言うつもりはありませんが、私と妻が結婚して4人の子どもが産まれ、その子どもが二人結婚して4人の孫が生まれました。つまり1+1=4+2=4+?=わが家族と次第に増えて行く私の家族と、孫育てを共有しながら楽しく生きて行きたいと思っています。

  「子育てに 悩む人あり 時々に 相談応え 優しさ一番」

  「ベストワン ナンバーワンは窮屈だ オンリーワンなら 誰でもなれる」

  「落ち穂でも 必ず芽を出す 水と土 太陽あれば 大きく育つ」

  「悩むより 相談する人 探すこと そうすりゃ悩み 直ぐに解決」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○儲けなくてもいい農業は楽しいが・・・・

 最近世の中が不景気なったせいか、農業を志す人が急に増えてきました。まだ6月も11日しか経っていないのに、私の元へは「人間牧場」という名前に憧れて既に6人もの若者が人間牧場にやって来ました。若者たちは都会の窮屈な暮らしや勤めに嫌気がさしたり、自然の中で自由な田舎暮らしがしたいというのですが、「じゃあ農業は楽しいか」というと、そんな柔いことで素人が飯が食えるほど甘いものではないのです。ましてや他の仕事が上手くいかないから農業でもなんて甘い考えを聞くたびに、「お前たちは農業をなめとるのか」と激怒したい気持になるのです。

 私は人間牧場を訪ねて来る若者に必ず、「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食わなければならない農業は厳しい」と言ってやります。それでしっぽを巻いて帰る人は所詮遊びであり、それでもその厳しさに挑戦しようとする人は、農業への道を極めた人が私の周りには沢山いるので紹介しているのです。

若松進一ブログ
(ビフォー・3日前まではこんなに立派に成育していました)

 一昨日、私の町では夏に向かう洗礼とでもいうのでしょうか、前線を伴った低気圧が通って海の水を噴き上げるようなヤマゼと呼ぶ南風が吹き荒れました。家の横の家庭菜園ではせっかく順調に育っていたカボチャが根元から吹き飛ばされ、トウモロコシも根こそぎ横倒しになってしまったのです。訪ねてきた若者に私設公民館煙会所でひとしきり話をした後、その光景を見せました。「自然は大きなホスピタリティ」だというけれど、悪さをして立ち去る意地の悪い自然だってあるというほんの一例でしたが、彼はその光景を眺めながら何を感じたのでしょうか。

 昨日は私が大学の講義日で留守だったため、親父はたった一人で一日かけてそのトウモロコシの畑に出て、倒れたトウモロコシを一畝一畝起こすために、支柱を立ててたっぷり汗をかいたようです。

若松進一ブログ
(アフター・突風で横倒しとなったトウモロコシ畑も親父の苦労で修復しました)

若松進一ブログ

(トウモロコシの修復作業をする親父)
若松進一ブログ

(一畝ごとに支柱を立てて竹の横棒を入れて起こしました)

 お陰さまでトウモロコシは何とか修復できたように見えますが、風で受けたダメージは今後の作柄に影響が出ないかと心配するのです。それでもこのトウモロコシで飯を食っている訳でもないので、例え作柄は半減して収穫量が少なくても、食べたりおすそ分けする量が減るだけだからいいのですが、これを金にするとなると大変で、自然の猛威の前に立ち尽くすことでしょう。

 農業で飯を喰っている人であれば、当然予測された今回のヤマゼ風のため事前対策として根寄せをしたり、暴風垣をして予防するのでしょうが、飯を食っていない私は荒れるにまかせて風を悪者にして言い訳をする程度なのです。野菜ができたら儲けもの、できなければ運が悪かったで済む世界はいいですが、苦労が水の泡となった農業は立ち上がれないのです。

 今は農家の人も高齢化して農業で飯を食う人が減ってきました。雨が降らなくて田植えができないと嘆いている話を何人もから聞きましたが、田植えができなければ共済で何がしかの保証してくれる今の制度や、年金をもらって暮らす人々には、昔のような切実感がないことも事実で、遊び半分の私たちと似通っていますが、子どもを育てて農業で暮らしを立てる人のことを思うと、厳しさを感じるのです。


  「根こそぎに トウモロコシを 倒し去る 風のいたずら 何と見るらん」

  「一日を かけてせっせと 修復す 親父の姿 骨折り損か」

  「農業に 救い求める 人あるが そんなに柔い ものではないと」

  「病と虫 野獣までもが 狙ってる トウモロコシの 出来る心配」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○同郷のよしみ

 「あなたのふるさとはどこですか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるでしょう。私は一も二もなく「愛媛県双海町」と答えますが、人にはそれぞれ過去の事情があって、自分のふるさとを中々言えない人もいるようです。先日親友でも先輩でもある考える村村長を自称する玉井さんのブログを読んでいたら、そのことが克明に描かれていて納得しながら読みました。

 私たちが育った時代は田舎の暮らしが貧乏だったため、都会に出て一旗揚げたいという向都離村の志向が強く、多くの人が一獲千金の夢を持って都会を目指したのです。夢をつかんだ成金の人はふるさとに錦を飾りましたが、それはほんの一握りの人で、殆どの人は慣れない都会の複雑な社会に翻弄されながら生きてきたに違いないのです。中には夢破れて素性を隠して生きてきた人もいるようです。

 いわゆる成功した人にも色々な人がいて、ふるのために役に立ちたいという愛郷心の強い人は「ふるさと納税」など何かにつけてふるさとを支援してくれますが、逆に「自分のふるさとなんか糞くらえ」とばかりに、無視する人も沢山いるのです。

 一昨日私の所へ一本の電話がかかってきました。今治市菊間町にある日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の取締役事業所長の佐々木克敏さんからでした。佐々木さんはお父さんが旧国鉄の保線区に勤務していたこともあって、お父さんの転勤で双海町上灘で過ごしたのです。双海町で生まれた訳でもないのですからそんなに双海町への愛郷心も義理立てをする必要もないのですが、同郷というだけでひょんなことから私と知り合い、太陽石油に勤務していた頃には講演を依頼されたり、石油関係の全国大会が本町会館であった折にも、並いる石油関係の著名人の前で記念講演までさせてもらいました。

 そんな間柄ですから、石油備蓄の事業所長になってからも何かと交流し、政府のお役人を人間牧場まで案内して交友を温めていたものですから、今治や尾道へ行く道すがら備蓄基地の看板を見る度に佐々木さんのことを思い出して通過していました。

若松進一ブログ
(間もなく退任される予定の日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の佐々木所長さん)

 佐々木さんは少し体調を崩したため、今月でその大任を勇退されるそうで、その挨拶方々の出会いとなったのです。昨日は愛媛大学法文学部の授業が入っていたため、授業の終わった12時過ぎに大学の正面玄関で落ち合い、全日空ホテルで昼食をご一緒しました。ふるさと双海町を離れて40数年間石油関係一筋に生きてこられた仕事人としてのご努力を讃えながら色々なお話をしました。

 下野してもいつまでも付き合いたい人だと思っていますが、私の自著本を3セットもお買い上げいただき、お礼の言葉もありません。この上は早く体調を回復して、余生を趣味の釣りでも楽しみながらのんびりと健康に過ごしてほしいと願っています。そして願わくば人間牧場へもお越しいただいて色々な話がしたいと思いました。

 「同郷」という素敵な響きを持ったこの言葉は、私と佐々木さんをつなぐ赤い糸かも知れないのです。


  「同郷の よしみ甘えて お付き合い これから先も 同郷変わらず」

  「それぞれの 人にそれぞれ 苦労あり だから人生 楽しからずや」

  「そういえば 臆目もなしに 頼まれて 並いる著名 前に大ぼら」

  「今月で 退任終わり 野に下る 体調整え 余生楽しく」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○伸びゆく社会と縮みゆく社会

 私たちの日常の暮らしはインターネットの普及で格段に便利になりました。私の意志は瞬時にして遠い街だと思われていた北海道まで届くのです。また私の書いて配信したブログ「shin-1さんの日記」はこれまた瞬時にして不特定多数の人に配信され、見ようと思えば同時に複数の人が私のブログを読み、ある人は丁寧にもコメントを返してくるのです。

 私の身の回りの暮らしで何か調べようとすると、図書館へ行ったり、高いお金を出して書籍を買ったりして調べていました。ところが最近はインターネットにアクセスして、知りたい項目を入力し検索キーを押すと、いくつかの項目がこれまた瞬時に表示され、選択能力さえあれば正しい答えが返ってくるのです。

 例えばヤフーのトップ画面から「若松進一」という項目を入力して検索キーを押すと、今朝時点で35,100件という項目が出てきて、自分自身驚いてしまうのです。この数字は半端ではなくとても全てを見る時間も余裕もなく、知られないままインターネットの記憶の中で生き続けているのです。鯉した情報化の流れは「伸びゆく社会」として今後も発展し、消費者の買い物が店頭販売とネット販売が逆転したような社会になるのです。

 一方「縮む社会」もあります。昨日愛媛県町村会の招きで職員研修に講師として旧県立中央青年の家へ出かけました。行政改革の一環として今年からこの施設も伊予鉄ケーターサービスという会社に民間委託され、名前もふれあいセンターと改称していました。青年団在籍時代からこれまで、長年にわたって私たちと深く関わった青年の家は、まるで見知らぬ人に占拠されたようで、僅かに青年団事務局を担当していた柴田さんがこの会社に配置替えとなっている程度なのです。

 施設は残り何の不自由もなく、別会社の人がマニュアルに沿ってしっかりと管理しているので何の問題もないのですが、残念ながら青年の家の命である指導という点では100がゼロになったような縮む社会を垣間見ました。と同じように町村会もかつては70市町村の大半を占めいていた町村が4年前の平成の大合併で再編され、20になり、町村が対等合併と言いながら市に編入されたため町が8つなり村はなくなりました。したがって町村会という名前は使っていますが、今は正式には町会かも知れないのです。

 もう10年以上にわたって町村会の新任職員の研修や経験者研修に出ていますが、あれほど溢れ返っていた参加者も数が少なくなって少し寂しい感じは否めません。でも昨日の研修会に参加した人たちは民さん熱心に私の話に耳を傾けてくれました。

 今後も一年以内に合併が行われる予定の松野町が鬼北町と一緒になり縮む社会は一応終息するものの、合併した旧町村では役場だった所が支所になって残ったものの周辺への影響は甚大で、これまで使ってきた役場周辺の公共施設は空き家が目立ち、行政サービスも遠のいてどこか寂しい感じがするのです。

 でもこれからは後戻りできないことを考えてみんなで助け合って合併によって誕生した新しいまちを盛り上げながらしっかりとした足取りで縮む社会を食い止めなければなりません。行政に頼る時代は終わりました。こrからは市民一人ひとりが縮まず生きて行かなければなりません。そのためにもしっかりと社会の動きを見据えながら努力して行きたいと思っています。


 「町村の 数が激減 どことなく 縮む社会を 連想しつつ」

 「わが暮らし インターネットで 随分と 便利になって 伸びつつ生きる」

 「気がつけば 私も今年 高齢者 伸びる寿命を どこまで伸ばす」

 「今書いた ブログの記事に 今メール 遠く住む人 素早反応」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○大きな音のしない落し物

 私たちが毎日の暮らしで使っている物には、食べ物や水、空気などの様々な物がありますが、その殆どは何の意識もなく使っています。空気はその最たるもので、起きて活動したり寝ている間も、生きるために無意識に生まれてからこの方、吸ったり吐いたりし続けているのです。「ああ今日の空気は美味しい」とたまに訪ねた旅先で深呼吸したり、起きて朝一番戸外に出て、朝日に向って思いきり空気を吸いながら体操をした時も、空気の存在に気づかされたりはしますが、殆ど毎日は味わうこともなく吸っているのです。

 水も同じで、野菜や果物に含まれた水分を体内に取り込みながら、水やお茶を特段飲まなくても水分が補給されて生きています。しかし梅雨に入って明くる日に多少のお湿りがあっても、「雨不足、水不足で断水間近」とか、「ダムの貯水率低下」という話を聞く度に水の存在を意識し始めるのです。人間は勝手なもので毎日何のためらいもなく水を無造作に使っているのに、断水の話が出れば自衛手段として貯水タンクを買い求め、まず自分の暮らしを守ろうと、ホームセンターに行って貯水タンクを買い求め、水の備蓄に走るのです。ホームセンターではその影響がもろに出てぽ良木の売り場は品薄となっています。売り手もこの時とばかりに大量に品揃えして、「市民の暮らしをサポートします」とまことしやかな理由をあげて儲け話に一口乗るのです。昨日新型インフルエンザが初めて確認された広島では、下火になっていたマスクがたちまちドラッグストアーや薬屋の店頭から姿を消したというからうなずけます。

 私たちが意識はしていてもまるで無意識のように使っているものにお金があります。電気代やガス代や電話代などは殆どが自動引き落としになり、給料や年金までも自動振り込みとなりました。気をつければ通帳管理でお金の出しれが、まるで家計簿的に確認できるようになりましたし、現金を持ち歩くてもカードがあれば用がすませるキャッシュレス時代なので、昔ほど実感は少なくなりましたが、それでも世の中は経済で動いているのでお金の話は何かと多いのです。

 私は自称貧乏人ながら金融広報委員会から移植を受け金融広報アドバイザーを長い間しています。時折私のような者に研修会でお話をするよう頼まれますが、先日ある研修会で「大きな音のしない落し物」という話をしました。特に子どたちへの金銭・金融教育で大切なのは親の金銭感覚と暮らし方です。子どもにとって親の生き方や暮らし方は見本だからです。金銭感覚の鈍い親からは金銭感覚の鈍い子どもしか育たないのです。そういう意味ではもう一度親は尾け根の大切な存在に気づき、しっかりとした気持ちでお金の使い方を考えてみる必要があるのです。

 お金には一円はアルミ硬貨、五円銅貨、五十円・百円・五百円銀貨、千円・二千円・五千円・一万円札(百円や五百円札はまれに出回る程度)などがありますが、五百円までの硬貨を落とすと一円玉を除いて殆どの硬貨は「チャリン」と音がします。多分草むら以外に落とせば殆どの人は落としたことに気づき振り返ります。ところが千円札や一万円札を落としても音がしないため落ちたことに気がつかないのです。

 「大きな音のしない落し物」というのは、比較的小さく安価なものの存在には目配り気配りできても、大きな公かなものの存在を忘れている例えなのですが、拳拳服膺してその意味を考えてみたいものです。

 子どもの存在もそれに良く似ています。毎日の暮らしや学校の宿題など小さなことには案外気づくのですが、その子どもの将来を考えてどう育てるのかといった視点は中々分かりにくいもので、気がついた時には後戻りできない所に子どもがいたりするのです。鳥の目と虫の目の複眼で見れるように、日頃から気お付けてほしいと願っています。


  「五円玉 落としチャリンと 振り返る うっかり一万 落とし気づかず」

  「声もなく 気づかぬことは 多々あるが 声なき声に 気づくかどうか」

  「貯金箱 何時の間にやら 重たくて 小さき物も 溜まれば重く」

  「一円も 一万円も お金なり どちらも大事 どちらも大事」

 

[ この記事をシェアする ]