shin-1さんの日記

○「絆」という素晴らしい本が贈られてきました

 今年の2月22日、真冬の北海道美幌町へ講演で出かけました。大荒れの天気で交通機関がマヒし、一日東京に足止めされての北海道入りでしたが、網走の海岸で生まれて始めて流氷を見て感激した記憶は、今も鮮明に心に残っていますし、その写真を一日三枚のハガキにプリントして全国の仲間に出したりもしました。

 あれから3ヶ月余りがあっという間に過ぎ去りました。こちら四国では連日30度近くの夏日が続き、水不足が心配されているというのに、美幌町では10度近くの低温が続き農作物への被害が心配だそうで、改めて狭いながら東西に長い日本を垣間見るのです。

 そんな美幌町から「絆」という本が送られてきました。美幌に行ったとき知り合った美幌町マナビてぃセンターの松本雄慈さんから一号の「絆」をいただき、北海道から帰る飛行機の中で読みながらすっかりうなずいていましたが、今回届いた「絆」は第二号なのです。

 骨太の筆文字で書かれた表紙の「絆」という字を見ながら、絆とは糸と半と書いて何故絆と呼ぶのだろうと思いつつ、表紙をめくり編集員会委員長早田眞二さんのプロローグを読みました。


 高校の卒業式、教室に戻ってきた生徒たちの机の上には、「絆」の作品集がそっと置かれていた。先生の粋なはからい。清とは目を丸くしたり、はにかんだり、照れたり、心のこもった温かな贈り物。人生において絆の大切さや絆の弱さ、絆の強さを忘れないで欲しい。

 一年前「絆」の作品集を発行させていただきました。小さな一歩ではありましたが、多くのお褒めの言葉や反響をいただき感謝しております。ありがとうございます。

 二回目も投稿していただけるかと心配していましたが、予想をはるかに超える四百人以上の皆さまから応募があり、全て掲載させていただきました。多くの皆様が、絆に深い関心があることに嬉しく思い、そして感動しています。この「絆」~三行の詩~が、多くの方の心に響き、繋がり、また新たな絆が芽生えて下さらんことを願っています。それぞれ、大切な人々のことを考えながら「心温かな絆」の心を分けてくださった皆様に感謝申し上げ、発刊にあたってのご挨拶とさせていただきます。


若松進一ブログ

 文集はめくると、妻へ夫へ、母へ父へ、きょうだいへ、ありがとう、友へ、想い、家族、子へ、きずな、作品応募者名簿の順に続く、170ページもの分厚い大作でした。しかも六・七歳から九十六歳まで、焦点が絞りにくい反面逆に面白さや人生の機微が随所に見られ、素人ゆえの普段着の感性に心をグサリとえぐられるような深い感動を覚えました。

 第一号をいただいたとき松本さんに、「これからはタダで配るのはよくないね。ワンコインだったらみんな協力してくれるし、それを資金にしていいものを出したら次に続くと思うよ」と愚言を呈したことを思い出しました。私の意見でそうなったとは思いませんが、今回の第二号には「定価500円」と書かれていて、とても嬉しく思いました。

 平居エミ子さんの題字も西野奈美さんのカットも、心なごませるものでした。

 もう10数年も前に福井県丸岡町の友人大廻さんから「日本一短い愛の手紙」という本をいただいたことを思い出しました。ご存じ「おせん泣かすな馬肥やせ」という徳川家康の家臣本多重次が戦場から妻に宛てた手紙にヒントを得た、手紙コンテストの秀作を本にしたものでしたが、このことがきっかけで丸岡町は全国にその名を知らしめ、手紙やはがきコンテストというブームを起こしたのです。ふとそのことをもい出しながら短文に秘められた人それぞれの絆の大切さを思い知らされました。

 願わくば高望みの無理をせず、これからも長続きさせてほしいと願っています。松本雄慈さんいい贈り物をありがとうございました。


  「読むほどに 心動かす ことばかり 自分に重ね うなずきながら」

  「そういえば 十年も前 友人に 貰いし本の 姿に似てて」

  「何故絆 糸に半書く 広辞苑 引いて納得 つなぎとめるか

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shin-1さんの日記

○ほたるを見に行きました

 わが町のほたる祭りが終わって丁度一週間になります。水不足の騒動も先日のお湿りで少し治まり、田植えも一段落といったところで、あちらこちらの田んぼには綺麗に水が張られ、西空の茜色が少しほんのり残る田んぼの原風景は、どこかからハーモニカの音色でも聞こえてきそうな雰囲気です。

 昨日週末なので娘の家族が、看護師をしている二男とともにやって来て賑やかな夕餉の膳を囲みました。食事が終って腹減らしにと上灘中学校まで散歩に出かけました。小学校一年生と二歳になったばかりの孫は盛んに走って、私たち夫婦はついて行くのがやっとで、車の交通量の少ない上灘川沿いの道を遊びながら散歩しました。娘の家族は一週間前にほたる祭りに来ていて、綺麗なほたるを見ているものの、沢山の参加者でごった返していてじっくりほたるを見ていなかったというので、急いで家へ引き返し、車で翠小学校近くまでほたるを見に行くことにしました。私自身も今年は忙しくてほたる祭りに出かけていないし、今日雑誌を読んでいたらほたるの記事が出ていて、今晩あたり見に行こうかと思っていた矢先だったので、嬉しい誘いでした。

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(私のカメラではほたるを写すことができませんが、この写真は何年か前保存会から頂いた写真です)

 孫たちにとって光を発しながら飛び交うほたるは不思議な世界で、特に小学校一年生になった孫朋樹は、ほたるが飛ぶ姿は見ても、どんな姿をしているのか、暗闇なので見たことがなく、触ったこともないのです。たまたまヨシの葉に止まっている目の前にほたるを見つけました。そっと手ですくい、そっと孫の手の平に乗せてやりました。最初は怖がっていましたが慣れてくると、その不思議さに感激しながら疎っと空中に放してやると、川沿いの方へ飛んで行きました。二歳の孫は私の背中におんぶして、片言の日本語で「いっぱい」「すごい」を連発して騒いでいました。気がつくとあちらこちらに車が止まりほたるを見る人がいっぱいいました。家族連れや恋人どうし、中には行きずりの人もいて、唐子橋付近は暗闇で人数は数えられませんでしたが、結構の人だかりでした。


 自宅に帰ってからも孫たちの興奮は収まらず、ほたるの話で持ちきりでした。「ほたるはどうして光の?」「ほたるはどんな形をしているの?」と相変わらずの質問攻めです。私はほたるの載った本を書斎の書棚から出してきて見せながら話してやりました。イラストを見せて説明してやりました。そして本物のほたるを写した写真を見せましたが、ひょうきんな孫は「ゴキブリみたい」てな調子で笑いを誘いました。

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 ほたるを説明するのに妻の知識では中々喋れず、「ほたるのことはお父さん」と振られて、得意げになってほたるのあれこれを話してやりました。そして孫たちと一緒に布団に入り、ほたるの話やほたるの歌を歌いながら夢の世界へ誘ってやりました。


  「ほたる見て どうして光る? 教えてと 孫にせがまれ 妻はタジタジ」

  「ほたる飛ぶ こんな身近に 見えるとは 孫を背負って 光見つめる」

  「片言の 日本語話す 孫を背に いっぱいすごい 同じ言葉で」

  「ほたる来い 歌を歌いつ 孫ともに 布団の中で 夢の世界へ」

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