shin-1さんの日記

○早くも記事を88本書きました

 愛媛新聞社がシニア世代を対象に「自悠くらぶ」というサイトを立ち上げ、ゆとりを楽しむシニア世代の素晴らしき人生を応援しようと二年前に始めた企画に、最初から参画して請われるまま「感性を磨く」というコーナーに、「人間牧場だより」というエッセー風の記事を書き始めて足かけ三年になりました。50回とか100回とか、何を持って区切りと考えるかは分かりませんが、バックナンバーで調べ数えててみると今回の記事が88回目のようで、四国遍路流に考えれば一つの区切りとも思えるのです。

 「感性を磨く」というコーナーには私の推薦した清水さん、西川さん、真鍋さんなど個性的な生き方と考え方を持った執筆陣が、違った切り口で毎回楽しい話題を提供してくれていて、私の記事など赤面のそしりを免れないものと多少反省しつつ毎回記事を送っているのです。

 他の3人は一ヵ月に2本のペース、つまり2週間に1本の約束で書いていますが、私は折角だったらと毎週1本のペースで書いているため、他の人の倍の記事量なのです。

若松進一ブログ
(シニアサイト自悠クラブのトップページ)

 自悠くらぶの記事を書き締切日までに送る作業は、この2年近くの間すっかり私の暮らしに慣れ溶け込んで、今のところ何の苦労もなく、時折送ったはずの添付写真が届いていなかったりのハプニングはありますが、まあ何とか88回まで続けてこられました。記事を見ながら人間は一日、一週間、一ヵ月、一年という周期を繰り返して生きているものだと実感せざるを得ないのです。というのも無造作に書くと慣れというのでしょうか、去年書いたと同じようなテーマや筆タッチになってしまうのです。まあ人間ですからそれもある部分は仕方がないのでしょうが、読む人が前年のことをいくら忘れていると思っても、バックナンバーから検索すると、過去の記録が引き戻されるだけに、少し視点を変えなければと思うようになっているのです。お陰さまで記事の視点が少し広がったような気もするのです。

 私は毎回記事を送るのですが、受け手たる新聞社の担当者の顔はまったく見えず、「原稿が届いた」とか、「ここはどうでしょう」と問い合わせが来るのも全てメールのため声さえも聞こえない世界なのです。これこそがデジタル世界なのでしょうが、アナログな私はそのことがいつも不安で、少々戸惑いながら記事を送っているところです。

若松進一ブログ
(感・人間牧場だよりのコーナー)

 それでも「塵も積もれば山となる」の例え通り、アップされた記事をプリントアウトして綴っていますが、1冊目は分厚くなって2冊目になっているのです。最近は読み手たるシニア世代を意識して極力写真を載せるようにしていますが、デジカメで撮影した写真を取り込んで相手に送る手法も実は「自悠くらぶ」に写真を送るために息子に教えてもらってマスターしたのです。

 シニア世代が今どんな状況に置かれ、どんな情報を求めているのか、そのことを理解しなければ送り手と受け手のコミュニケーションは成立せず、「自悠くらぶ」の存在意義もないのです。そのためにはもっと聞きたい、欲しい情報を探がさなさなければなりません。シニア世代真っただ中の私故に考えることをもう少し書いてみようと、88回という区切りに考えてみました。

 私の「shin-1さんの日記」というブログを読んでいる皆さん、一度「自悠くらぶ」というサイトを開いてみてください。

  「八八を 一つ区切りと 考えた さてこれからは 何を書こうか」

  「塵積もる 同じようだと 綴り見て 八十八本 よくも書いたり」

  「当面は 百を目標 しようかと バックナンバー 数え逆算」

  「頼まれて 自悠くらぶの 記事を書く これを自由と いうのでしょうか」

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shin-1さんの日記

○再生は可能なのでしょうか

 私の書斎でこの2~3年間、まったく使われなくなったものにラジカセ用のテープとVTR用テープがあります。いずれもデジタル時代になるとアナログ的な性格が強いため廃棄される運命にあるのでしょうが、かつてはラジカセもVTRも全盛を築いた時代があったものだけに、どこかさびしい感じがするのです。

 先日息子がやってきて、私の机の上にデジタルな小道具を並べて回線で結び、何やら作業を始めていました。私の持っているVTRのテープをデジタル化しようと試み始めたのです。私の書斎や倉庫にはとてつもなほど多くのVTR用テープが眠っています。それらには双海町という合併前の町に関するテレビ放送がダビングされていて、私のボランティア活動に関するテレビ放送のダビング記録が残っているのです。

 これらを何とかデジタル化してCDに保存できないか相談したところ、やってみようということになったのです。今はそういうソフトや道具が開発されていて、一般人の息子でも手引書を読めばそれなりにできるのです。

 しかしやり始めて思わぬアクシデントに見舞われました。カセットになっているので汚れないだろうと思っていましたが、長年の保存でカセットの中はカビが生えているようで、画像がうまく取り込めないのです。何度か挑戦しましたが比較的新しいテープは可能なのに10年も前のものはクリーニングしても画像が乱れてしまうのです。息子は何度かチャレンジしていましたが何本かのテープは再生したものの、クリーニング専門の業者に出さないと不可能という結論に達しました。早速インターネットでそれらを行う会社を見つけましたが、洋服のクリーニング屋さんならいざ知らず、テープのクリーニング屋さんがあるとは知りませんでした。その会社ではテープのクリーニングだけでなくテープをデジタル化する作業も行っていますが、私のように量が多いと金額的に折り合わないので、とりあえずテープのクリーニングを試験的にしようという結論に達したのです。これも予算的な面もあるのでどうしても残したいテープだけをセレクトしてとりあえずクリーニングしようと思っていますが、はてさて書斎や倉庫から引っ張り出して選ぶにはかなり時間的余裕が必要なので、もう少し先に延びそうなのです。

 アメリカでは対応の遅れから一度延期した経緯がありますが、日本より早く今月でアナログ放送からデジタル放送に切り替わるらしく、まだその対応ができていない5パーセント余りの国民に対しオバマ大統領がデジタル化を促す声明を直接出しているようです。

 私の沢山のVTRテープの中でどうしてもデジタル化したいテープが数本あります。中でもNHKが全国放送してくれた人間マップ「夕日を売り出せ」です。またラジカセではこれもNHKがラジオ深夜便心の時代で2夜連続2時間にわたって放送したものです。今見ても、今聞いても、若いころの映像や声の語り口はスピード感抜群で、どうしても記録にとどめておきたいと思っているのです。しかしよくよく考えてみれば記録に残したところで、所詮それは若松進一というワールドだけに限定され、多分私の葬式にでも使って周りの家族が一時懐かしむだけではないのかと思うと、少しばかばかしい気もするのです。

 アナログとデジタルという激しい時代の流れに翻弄されながら生きてる、デジタル時代の古いタイプの私のような人間は、川島英吾が歌って大ヒットした歌の題名と同じく「時代遅れ」なのです。

 フーテンの寅さんの名セリフ、「それを言っちゃあお終いよ」ではありませんが、VTRテープやラジカセテープさえ古くなった時代の中で、私という古い人間はどう生きたらよいのでしょうか

  「過去記録 所詮私の ワールドと 冷めてしまえば 生きる価値なし」

  「Vテープ ラジカセテープも 古くなり ゴミに出す日が 間近に迫る」

  「俺もゴミ ならぬようにと 思うけど どこか古くて ため息出ちゃう」

  「親父見りゃ 俺はまだまだ 最先端 車乗れるし パソコンだって」 

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