shin-1さんの日記

○ブルーベリーが熟し始めました

 リタイアしてから4年があっという間に過ぎました。その間それまでやりたくても忙しくてできなかったことを少しずつ始めていますが、まだ意思半ばといったところです。やりたかったことの一つにブルーベリーの栽培がありました。しかし残念かなその栽培方法も分からずさてどうすると思案していましたが、元役場に勤めていた友人がブルーベリー園を開園したのを見聞きし、頼んで鉢植えで栽培する指導を受けました。指導といっても友人に苗も鉢植えもやってもらい、わが家へ持ってきてもらっただけのことなのです。それでも春先から施肥や水やりなど友人の言うがままにやったお陰で、芽吹き、花を咲かせ、実がなりました。そして季節の巡りの中でその実が熟し始めたのです。

若松進一ブログ

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 わが家に嫁いできた時のブルーベリーの木はこんな殺風景なものでした。ところが春の芽吹きの早いブルーべりー緑の葉っぱをいっぱい茂らせ、まるでドウダンツツジのような可憐な釣鐘状の花をいっぱい咲かせました。

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 ブルーベリーにはハイブッシュ系、ラビットアイ系、ローブッシュ系があるそうですが、どれがどれだか素人の私には知る由もないのです。

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 花は散り実を付けましたが、鈴なりの木もあればまばらな木もあってオンリーワンを貫いているようです。ブルーベリーは極端な酸性土壌と水はけが良くなければ育たないため、二日に一回の水やりは、忙しさとズボラな私には大変ですが、それでも水不足な今年も庭の井戸のお陰で枯らすこともなく順調に成長してきました。

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 近頃そのブルーベリーが色づき始めました。これを目ざとく見つけたのは私だけではありません。野鳥たちも一斉に注目するようになったので鳥除けにテグスを張ったりして大慌てしました。「鳥目」を直すための行動だと思うのですが、アントシアニンやポリフェノール、それにビタミンA、ビタミンEを含んでいるので、10粒ほど食べた私でも、目がよく見えるようになった錯覚にとらわれるのですから不思議です。

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 熟したブルーべりーの実は丁寧に手で摘み取り水洗いをしてタッパーに入れて冷蔵庫で追熟させ、週末にやってくる孫たちに食べさせたりしています。

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 人間牧場の露地に植えたブルーベリーは実をつけているものの草に埋もれてまだ収穫はゼロです。当分は自宅の庭のブルーベリーに水やりと収穫を繰り返して楽しみながら暮らしたいと思っています。


  「念願の ブルーべりー 食べ頃に アントシアニン 本当にあるの?」

  「三粒四つ 食べた途端に 目が見える そんな錯覚 テレビ影響」

  「目が薄く なると薬に 頼る人 サプリメントは 本当に効くの?」

  「水不足 井戸のお陰で ブルーベリー 枯れることなく たわわ実をつけ」

  

 

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shin-1さんの日記

○子供をどう育てたらよいのやら

 最近子育てに悩みを持ったお母さんが増えているという話をよく聞きますが、一番の原因は私たち親が子どもたちに「明日の親になるための教育」をせず、上手に育てなかったことだと思っています。私の母親や祖母といった昔の親と、私たちのような今の親、それに今やこれから親になろうとする親は、貧しさや豊かさという点では時代背景が根本的に違っているので一概には言えませんが、何時の時代も人間が人間として生きてゆく基本は不易であり、その不易を変えてきた結果だと思うのです。

 私たちが目指した子育ての方向は全てではありませんが概して、「楽をして飯が食える」でした。その当時は貧しさから解放され腹いっぱいご飯が食べれることが幸せの価値判断だったのです。そして勉強をして学校へ行き「学歴」があれば、それなりの地位について一生楽ができると信じ込んだのです。日本中の親はそう信じ込み、経済の発展という上昇気流に乗って勉強第一の道をまっしぐらに突き進みました。人間の本当の価値である「心の優しい子」など何の役にも立たないと思っていました。

 みんながみんな、ナンバーワンやベストワンを目指し競争して都会を目指しました。社会も親も落ちこぼれた子どもは諦めて置いて行くといった感じです。そんな子どもたちは親や社会に背を向けつつも、存在感を誇示しようとあらん限りのあがきを見せましたが、それも踏みつぶされるように無視され、何かあれば少し振り向く程度で流されてきたのです。「子どもはいずれ親になるということも知らずに・・・・。

 その子どもたちがいま親になったりなろうとしてしています。親に反感反目した親は今悩みながらも子育てし、やがて大きくなると反感反目されて方向を見失しなおうとしているのです。

 それでもつい最近の若い親を見ていると、子育てを目いっぱい楽しんでいるような姿もあちこちで見られます。子どもを育てる同じ世代が知り合って交流したり、子育てに必要な衣類やおもちゃを交換したりしながら、教育ならぬ共育している姿には頼もしさすら感じるのです。

 今朝島根県のあるお母さんから嬉しいメールが届きました。8年間で4人の子どもを産み育てているというのです。自慢ではありませんが私も7年間で4人の子どもを産み育て(産み育てたのは妻ですが)ました。子どもが自立した今にして思えば、4人は決して多くはないのです。少なく産んで大きく育てるといった英才教育よりも、子どもは家族という集団の中で育てることが一番のような気がするのです。

 優秀な子どもに英才教育をして都会に送り込み、今では年老いた親が田舎でひっそりと寂しく暮らす人たちを沢山見てきましたが、何が幸せなのかは人それぞれなのです。

 私は自分の子どもたちをできれば県内に住まわせ、できれば長男夫婦と同居したいという夢を持ち、そのように育ててきました。結果は4人の子どもがみんな県内に住み、間もなく長男家族が同居する計画です。これは私の生き方なので、人のことをとやかく言うつもりはありませんが、私と妻が結婚して4人の子どもが産まれ、その子どもが二人結婚して4人の孫が生まれました。つまり1+1=4+2=4+?=わが家族と次第に増えて行く私の家族と、孫育てを共有しながら楽しく生きて行きたいと思っています。

  「子育てに 悩む人あり 時々に 相談応え 優しさ一番」

  「ベストワン ナンバーワンは窮屈だ オンリーワンなら 誰でもなれる」

  「落ち穂でも 必ず芽を出す 水と土 太陽あれば 大きく育つ」

  「悩むより 相談する人 探すこと そうすりゃ悩み 直ぐに解決」 

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