shin-1さんの日記

○若者は何を目指すのか

 昨日えひめ地域づくり研究会議の事務局長を務める宇和島市津島町の森田さんから電話が入り、「会わせたい若い人が来ているので明日時間を取ってほしい」とのことでした。私は今日の予定を頭に浮かべながら、「朝早くて、短い時間だったら可能」と返答し、彼もそのことを了承して「朝7時、時間は1時間」で約束しました。聞けば車で一夜を過ごすらしく、安上がりの旅とはいいながら泊めてやりたいという自責の念にかられましたが、朝7時に身支度を整え待っていました。約束の時間になったころ教えていた私の携帯電話が鳴り、少し遅れるとのこと、「時間を守れないような人間はつまらん」と常々言っているものの、不案内な場所なのでやむを得ないかと思いながら待っていると、再び携帯電話が鳴り、役場前、宮田歯科医院前、レディー美容室前と目の前の目印を足掛かりに彼はやってきました。

 友廣さんという一見華奢な若者を私設公民館煙会所に案内し、囲炉裏を囲んで面対し色々な話をさせてもらいました。時間が遅れたため話は一時間弱となりましたが、¥東京からヒッチハイクなどで全国の限界集落を訪ねる日本一周の旅をしている友廣さん」と毎日新聞県民福井の朝刊で紹介されている新聞の切り抜きコピーを名刺代わりに渡されました。

若松進一ブログ

 妻の入れてくれた温かいお茶を飲みながら聞かれるままに約一時間、地域づくりについてお話をしました。そういえば最近、私の元へ毎日のように若者たちが訪ねて来るのです。歳の差有に40歳というのにです。ある若者はわが家を訪ね、ある若者は人間牧場を訪ねるのです。2~3日前に大阪からやってきた和食調理師上田さんや食育ステーションまきのの卯生さんも若者でした。彼や彼女らと話をすると希望に燃えていたかつての私のように、夢や理想をどんどん喋ります。夢や希望がしぼみつつある私などは、その言葉が羨ましい気もしますが、確かに若者を取り巻く現代社会は地滑り現象を起こしているように思いました。学歴がものをいう時代が終わっていること、夢や希望を持って仕事がしたいこと、地域や人様のお役に立ちたいこと等など、現実離れしていて実現は不可能に近いものの、社会のひずみに果敢に挑戦し何かをやりたいというエネルギーは強く感じるのです。

 「若いなあ、若さっていいなあ」と思いつつ、意見を求められるままに話をしてやりました。名刺も持たない彼や彼女の飾らない態度に随分癒されながら、逆に若いエネルギーを今朝も存分に味わうことができました。

 

 今朝はあいにく雨でした。あいにくというより恵みの雨です。九州・四国が昨日、例年より遅れて梅雨入りしました。水を差すどころか水を得た魚のように今朝は友廣さんにパワーをいただき、再会と人間牧場への再来を約束して見送りましたが、彼が帰って外出の準備をしながらメールを見ると、今朝のメールで大学生と高校生からそれぞれメールが入っていました。「今週の予定で会える日があったら時間を合わせるので会って欲しい」というお願いメールでした。縁もゆかりもない若者が私の門を何故叩くのか、「叩けよ、さらば開かれん」とはけだし名言ですが、私の門は果たして何を意味する門なのでしょう。そこが問題なのです。

 35年間勤めた役場をリタイアしてから既に4年余りが過ぎました。大学の講義もそうですが、本来なら遠ざかるはずの若者との距離が凄く縮まって、私の周りで若者がうろちょろしています。それは迷える子羊かも知れないと思うと無性に愛おしく、それできて今の社会が迷える子羊に何の手だてもしない姿に多少の憤りを感じつつ、私は若者たちのメールに返信を打ち出かけました。


  「この歳に なっても会おうと 人が来る 幸せなのか 訳も分からず」

  「今の世は 若者たちが 叫べども われ関せずと 無視して終わり」

  「何故なのか 妻が不思議に 思うほど 若者多く 俺の周りに」

  「若者と 囲炉裏囲んで 座布団に 座りとにかく 意見聞きつつ」 

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shin-1さんの日記

○妻の体を揉んでやりました

 昨晩、少し疲れたという妻の体の指圧をしてやりました

 指圧といっても何の知識もなく、ただ揉んだり手で力を入れたりするだけのサービスです

 このところ遠のいているぎっくり腰の時、2~3日続けて通った整体院で整体師が

 うつ伏せになった私の体を、まるで実験台のような細長い台の上に乗せ

 右手の肩口から背中、腰、足、腰、背中、左手の肩口と順番に巡り

 痛い腰を我慢して仰向けにさせられて再び今度は左手の肩口から

 同じような順番を辿り揉みほぐして行くのです

 一定のリズムで最初は優しくしかしだんだんと強くなる整体師の力を

 体中に感じながらツボに入ると、時には気持ちよく

 時には苦痛で体全身に衝撃が走り、苦痛で冷や汗をかきながらも

 整体師の軽快な世間話にうなずきつつ「どうですか」の問いかけに

 「気持ちいいです」とか、「少し痛いです」と言葉で反応し

 それでも手を緩めない時は体を硬直させて反応し

 約20分の揉みほぐしを経て、最後はボキボキと荒治療で終わるのです

 私はまるで整体師になったような錯覚で

 整体師が私にやったと同じような真似ごとで、妻の体を手と肘で

 うつ伏せにさせた右肩口から背中、腰、足と揉みほぐして行きました

 妻はその都度、「気持ちいい」とか「痛い」とか文句を言いながら反応し

 お互い目線はテレビのドラマを見ながら進むのです

 15分余りを長く感じる私と、短く感じる妻との会話のやり取りが続き

 「はい千円」と冗談を言いながら終わるのです

 「ああ気持ち良かった」と首を回して感謝する妻に

 「ああ疲れた」と恩着せがましい言葉をかけて指圧は無事終わりました

 昔なら妻も私も体を触れば「こそばゆい」かったり「ムラムラ」したでしょうが

 お互いその敏感さも失せて、今は肩こりや体のだるさからの解放のみで

 加齢とともにお互いがいたわり合う老夫婦へと変身しているのです

 そういえば妻には苦労をかけたと、手や肘から伝わる妻の体の

 硬さを感じながら懺悔するような気持になるのです

 結婚して40年、思えば縁もゆかりもないこの女性と

 ほんとに長い間苦労を共にしてきました

 時は喧嘩をしたり、時には同調したりしながらとにかく二人三脚で

 歩いたり立ち止まったり、時には走っありしながらここまで

 どうにかたどり着いたのです

 ふと気がつくと4人の子どもは古巣を去って

 いつの間にか私たち夫婦と歳老いた親父の三人だけとなりました

 もう若くはないし少し楽をしようとお互い言いつつも

 それでも根っからの貧乏性は直らず

 やれ節約第一、やれ健康第一、やれ勿体ないと言葉を交わして生きてます

 ああ人生とは一体何ぞやと、先に逝った友の死の度に

 自分たちの暮らしを反省して生きているのです

 これから先も、とにかく健康第一と確認しながら

 更けゆく夜を過ごしている月並みな夫婦です


  「疲れたと 言う妻寝かせ 整体師 真似しつ体 揉みほぐしやる」

  「手と肘を 通し伝わる 妻苦労 感謝しつつも 目はテレビ向き」

  「昔なら 変な気起こす ことあった 今は鈍感 何の変化も」

  「気がつけば 腰痛体操 お陰かな ぎっくり腰に しばらくならず」 

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