shin-1さんの日記

○世界文化遺産の姫路城を訪ねる(その②)

 屋根の鬼瓦や軒丸瓦には築城した城主の家紋や修理した城主の家紋、それには門の上の櫓には十字(クロス)の門瓦、扇勾配の石垣、それに油壁や塩櫓、百軒廊下、華灯窓などの建造物の話は、これだけの規模ですから枚挙にいとまがないほど物語が秘められていて、ガイドさんの説明にも力が入っていました。私もカメラを向けながら、石垣の中に姥が石という老婆が寄付したと伝えられている引き臼を見つけたり、はの門右側の礎石に灯篭の石台座を転用したものを発見したりしながら、楽しく場内を散策して歩きました。

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(天守閣への入口)

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 直径1メートルという天守閣の2本の心柱の太さにも度肝を抜かれました。天守閣は外観5層、内部は地上6階、地下1階ですが、どれほどの木材を使い、その調達をどんなに誰がしたのか、まるでミステリーのようです。

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 姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに城を築き、その子貞範が正平元年に城を構えたことに始まります。その後小寺氏、黒田氏と続き、黒田官兵衛孝高の時羽柴秀吉が西国攻略の根拠地として入城し、翌年三層の天守閣を完成させました。その後羽柴秀長、木下家定、池田輝政、池田三代、本多忠政、松平氏、榊原氏、酒井氏と続いて明治維新を迎えたのです。

 大天守閣と3つの小天守閣、これらを結ぶ渡櫓など櫓27棟、門15棟、土塀約1000㎡、内濠、中濠以内は特別史跡に指定されているのです。

 黒田孝高はご存じ「水五則」の作者といわれている人物だけに、興味をもって歴史年表を読みました。

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 天守閣には最上階に長壁神社が祀られていました。この天守の丘にあった地主神で、築城の際外に移されていましたが、神のたたりがあると元に戻されたそうです。宮本武蔵の妖怪退治の伝説も有名だそうです。

 天守閣からの眺望も素晴らしく、屋根の勾配の向こうにお城の全容や外濠が見え、晴れた日には瀬戸内海の島々も遠望できるそうです。
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  「今度来る 時は愛妻 連れて来て 色々知った かぶり説明」

  「納得の 世界遺産に 胸を張る 外人どうだ 日本凄い」

  「ワンダフル モアビウティフル 連発し 外人みんな 汗を拭きつつ」

  「ああ今日も いいもの見たと 感激し 振り返りつつ お城を後に」

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shin-1さんの日記

○世界文化遺産姫路城を訪ねる(その①)

 私にとって今年はラッキーな年になりました。というのも中国地方にある世界遺産に登録されている広島原爆ドーム、広島安芸の宮島、島根石見銀山に続いて4つ目の姫路城を見学できたからです。前3つは4月に21世紀えひめニューフロンティアグループの仲間とともに訪ねましたが、今回は偶然にも姫路市で講演が予定され、一便早い特急しおかぜに乗ったために予定もしてなかった姫路城見学が小走りながら実現したのです。

 私はこれまで何度か姫路を通り、また姫路を訪ねましたが、どういう訳かいつも時間的な制約で素通りして姫路城を見る機会を逸していました。姫路城といえば1993年に法隆寺地域の仏教建築物とともにユネスコの世界遺産委員会で、わが国では初めて世界文化遺産に登録され話題を集めたお城です。

 私も仕事がら全国のお城はこれまで沢山見てきましたが、江戸時代初期の荘厳な連立式の天守閣群をはじめとして数多くの建物が築城当時のままの美しい姿で今日まで残る唯一の城として、その普遍的価値が認められたものですが、姫路城が長い歴史の中で一度も戦や災害に遭うことなく奇跡的に生き残っていることは大きな驚きとしか言いようがないのです。

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 この日はあいにくの雨模様の天気の中傘を差しての見学となりましたが、橋を渡って城内に入る前から威風堂々とした天守閣や白漆喰と瓦、それに石垣が、幾重にも重なり、歩を進めるたびに構図が違って、デジカメはレンズを出したままで雨に濡らしてしまいました。

 この日は雨模様のせいか湿度が高く、私は午後に予定されている講演のためスーツ姿で木になるカバンを提げ傘をさしたままの一風変わった出で立ちだったため、外国人観光客から奇異に感じられたのか声をかけられる始末で、起伏に富んだ場内の石段を長々と歩いたため汗びっしょりとなってしまいました。

 偶然にも外国人客を案内していた観光ボランティアガイドの説明が遠く近くで聞こえたため、ラッキーな見学となったのです。

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(菱の門と呼ばれる場内で最も大きな門は立派でした)
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 見え隠れする天守閣を目当てにい・ろ・は・にと書かれた門をくぐって進むのですが、城郭の広さは予想以上で西の丸・二の丸・三の丸などを巡りながら、天守閣が目の前に近づいてからもまだ敵を欺くための守りでしょうか、入り組んだ迷路のような道が長々と続いていました。


  「戦災や 災害合わず この日まで よくぞ往時の 姿とどめて」

  「この城が 世界一だと 胸を張る ガイドの自慢 殿様気分」

  「表では 殿が造った 城なれど 多くの人が 裏で働く」

  「そこここに 可憐な五月 花咲きて 心なごませ 坂を上りぬ」

   

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