shin-1さんの日記

○粗大ゴミにならないために

 わが家には失礼な言い方で表現は悪いのですが、91歳の親父と63歳の妻と64歳の私を含めた三人は粗大ごみになりつつあるようです。というのも昨日近所のおばさんたちがやって来て、「歳をとると何かにつけて居場所がなく私たち年寄りはまるで粗大ゴミみたい」と愚痴をこぼしているのを聞いたからです。あるおばさんは息子の家族と同居していますが、「台所が一緒で食べるものも同じもを食べていて、少し油濃いものが多いのでコレステロールールや血圧が気になる」とぼやいていました。またあるおばさんは「脛が悪くて病院へ行くにも交通が不便で、伊予市の整形へ行くのに一日がかりになってしまい、病院から帰ると病院へ行ったはずなのに半病人になったようで帰り、明くる日は頭がボーとして一日寝込む」などと、話は留まるところを知らない愚痴話なのです。その話を相槌を打ちながら聞いていて気がついたのですが、こうして縁側に腰掛けお話をしている人が殆ど近所のおばさん、つまり女性でおじさん、つまり男性の姿は殆ど皆無なのです。高齢で長生きは女性の特権でしょうが、それにしても歳をとると男性たちは一体どんな暮らしをしているのでしょう。


 91歳の親父を例にとると、まず朝早起きです。5時前には起きて身支度を整えて往復2キロの散歩を楽しみます。朝や夜は車がスピードを出すので危ないからと注意をするのですが一向に耳を貸さないのです。帰ってから鉄棒にすがったりラジオ体操をし、その後ゆっくりと食事を楽しみます。私が親父の隠居へ行く6時には食事の後片付けも終わって、私にサロンパスを背中に貼ってもらうことを待っているのです。その後ニュースを見て7時には家の横の畑に出て野良仕事を始めるのです。10時になったらお茶、11時半になったら昼食、軽めの午睡をして午後1時30分から4時まで趣味の日曜大工や庭木の手入れなどをしますが、その後は水戸黄門等の時代劇をテレビ視聴して過ごします。午後5時半に妻の作った夕食を食べながら過ごし、午後7時には風呂に入って早々と床に入るのです。まあこんな具合で太陽が昇ると起きて太陽が沈むと眠るといった、自然派生活をしているのです。加齢によって多少は衰えを口にするものの、電動自転車に乗って片道7キロを診療所まで往復する元気さです。一日10時間も寝ているのに、「寝れない」とぼやいているようです。


 今日は不燃物回収の日です。空き缶や空き瓶などを分別して収集場所へ持って行きましたが、その折立ち番に立っていた区長さんから粗大ゴミの話を聞きました。親父が長年愛用した自転車が代替え用を購入したため要らなくなったのです。親父に告げてその自転車をトラックに積み込み支所裏の集積場へ運びました。親父の名前の書いている愛用の自転車を粗大ごみに出す姿を見ながら、「わしも乗って行く」とトラックに乗り込み同行しましたが、「わしもこの自転車とと同じで粗大ゴミだな」と、ポツリ寂しい言葉を吐きました。心許せる息子だから言えた言葉かも知れませんが、その言葉には心なしか力がありませんでした。「そんなことはない。もっと長生きをしないと」と精一杯の激励の言葉をかけました。

 親父を自分たち夫婦が粗大ゴミと思わないことは、即私たち夫婦を息子たち夫婦が粗大ゴミと思わないという連鎖につながります。してあげることはしてもらいたいこと、思うことは思われること、まさに連鎖です。老いた人を大切にすることを家訓のように受け継ぐなら、私たちも大事にしてもらうかも知れません。親父を大事にしたいものです。


  「親しんだ 自転車粗大 ゴミになる 自分を重ね ポツリ一言」

  「人間は 不安不満の 多いもの いかに満足 しつつ生きるか」

  「幸せは 皆身にあると 人が言う 南ではなく 全て自分だ」

  「ここだけの 話といって 大声で 話すばあさん 呆れて口が」 

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shin-1さんの日記

○家を出る時必ず確認する持ち物

 家を出かけるとき必ず確認する持参品の順番が随分様変わりしてきました。今は何と言っても携帯電話です。自由人になって誰からも束縛されない生活が4年半も続いているのに、役場に勤めていたころの癖は直らず、携帯電話を持っていないと何かソワソワするのです。確かに昔と比べ携帯電話に依存する回数は徐々に増え、私のように余程のことがない限り携帯電話でメールを発信しなくても、また携帯についている様々な機能を使わなくても、「まさかの時」の連絡用として今や携帯電話は必需品ナンバーワンなのです。毎月一回携帯電話の利用料が銀行で自動引き落としされ、NTTから請求書・領収書として送られきますが、それを詳しく見るでもなくたとえ間違って請求されても、余程のことがない限りそのまま無視されやり過ごされてしまうのです。

 妻が管理する銀行口座の預金通帳を見ながら、まあ自動引き落とし金額の多いこと、電気代、電話代、水道代、税金、○○、××と無造作に銀行口座から引き落とされ、カードやインターネット購入などを使わずキャッシュで暮らしている私たちでも、暮らしにお金がいる時代だということをしみじみ思うのです。

 まあそれはさておいて、携帯電話は便利な道具であることは間違いありませんが、現代人は少し携帯依存し過ぎのようで、携帯を使い過ぎて腕が痛くなったりしびれたりする、携帯電話側腕症なる病名がお目見えしているようです。先日も携帯電話でメールををしながら踏切に侵入し特急しおかぜに跳ねられ大怪我をした高校生の事故が新聞に載っていました。

 携帯電話とともに必需品は運転免許証と名刺入れです。どんなに近くでも今は車で移動するので、免許証は必ず携行しなければなりません。私は余程のことがに限り小物を入れるセカンドバックは持ち歩きません。私的な外出以外はご存じ木になるカバンを提げていますが、運転免許証はいつも背広の内ポケットに名刺入れとともに入れて持ち歩きます。最近になってやっと名刺入れの役割が少し落ちてきましたが、それでも名刺入れも私にとっては重要な持ち物なのです。私の似顔絵入りの名刺は今も人気で年間千枚をこえますが、もうそろそろ名刺への依存を辞めたいような心境です。でも去年一年間にいただいた名刺は相当数にのぼり書棚の一角にうず高く積まれているのです。

 財布はハンケチ、腕時計と同じくらいの必要度です。コーヒーを飲まない私は喫茶店や外食店に入ることは殆どなく、買い物も殆どしないため財布は旅に出る時以外は必要頻度が低いのです。財布のチェックは妻がしてくれ、私の財布には講演などで遠方へ行く時を除けば三万円が常備金額です。この歳になると若い人たちとたまにお昼御飯を共にした時くらいはええ格好をしたいし、若い人たちもそれを期待しているようなので小盤振る舞い程度の気を付けるよう妻から言われているのです。

 まあこんな具合ですが、そうそう大事な持ちものを忘れていました。デジカメです。これは毎日ブログを書くことを日課にしている私には必需品で、その重要度は携帯電話をしのぐ勢いです。お陰さまでこの4年間、自分の暮らしを写真と文章で記録することができているのです。これからもデジカメは私の大切な友達なのです。

  「胸ズボン、あちらこちらを 触りつつ 持った持ったと 確認外へ」

  「携帯と デジカメそれに 免許証 財布二の次 時々忘れ」

  「持ち物を 忘れることより 大切な 記憶を忘れ これはいかんなー」 

  「携帯を 無造作入れた ポケットで バイブ振動 驚き我に」

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