shin-1さんの日記

○私はエンドウ豆のご飯が大好きです

 一昨日私は人間牧場の草刈りをしました。一番草は既に刈り、二番草も年輪塾のメンバーが奉仕作業と称して刈ってくれたため、早い所は三番草の刈り込みかも知れませんが、水平線の家には人が度々訪れるので、綺麗にしておかないと見苦しい気持ちになるのです。人間牧場の整備が始まったとき妻が買ってくれた地下足袋と麦わら帽子の、まるでお百姓さんのようなで立ちで草刈りに挑むのですが、5年目の夏を迎えたこの日、大切に使ってきた麦藁帽子がついに藪けてしまいました。太陽の光から、あるいは木々の枝から私の頭や顔を守ってくれてきた熱戦の雄姿もついにお払い箱になりそうなのです。

 草刈りが一段落したところで、梅林に入り残った梅の収穫をしましたが、これが何と25キロくらいあって、思わず量に喜びつつも時間を使ってしまいました。「今日は早く帰るから」と妻に告げ弁当も持たずに出てきていたので、妻はかなり心配して携帯電話を入れたようでしたが、作業に夢中になっていた私はそのことにも気が付きませんでした。

 帰り際、砥部の親友稲葉さんに貸すことになった農地を見に立ち寄りましたが、先々週と先週の日曜日にしていた作業も随分はかどって、いよいよ植え付けが始まるようで、少しだけ安心をして帰ろうとすると、近所に住む梶野のおばさんに出会いました。「まあ若松の進ちゃん、お珍しい」と話が弾み、能作業していた手を休めながら話に花を咲かせました。そしてせっかくとりいれしようとしているエンドウ豆をツル毎いただくことになったのです。

 じつは私、エンドウ豆のグリンピースを入れて炊いたご飯が大好きなのです。私はカレーや炊き込みごはんなどのような混ぜ飯は嫌いなのに何故かエンドウ豆のご飯は大好きなのです。

 ツルにエンドウ豆をつけたまま軽四トラックの荷台に乗せて家まで持ち帰り、早速サヤをもぎ、仲野エンドウ豆を殻を破って取り出したのです。網ボ-ルに入れるとかなりな量でした。

若松進一ブログ

 仕事から帰った妻は、私の作業に満足しそのグリンピースを入れたご飯を夕食に炊いてくれました。いやあ実に美味でした。この分だと二回分あるのでもう一日遠藤ご飯が食べれそうなのです。

 私にとってエンドウ豆のご飯は亡き母の思い出であり、妻の味でもあるのです。毎年このころになると母はエンドウを自家菜園に作ってエンドウ豆ごはんを作ってくれました。また妻も私がエンドウ豆ご飯が好物であることを承知していて、エンドウ豆を買い求めて炊いてくれるのです。

 もうそろそろ今年の冬には遠藤の種をし入れて自家菜園に播いて栽培したいと思っていますが、毎年のことながら忙しくてなかなかそこまで手が回りませんでした。それにしてもいくら顔馴染だからと言ってエンドウ豆をツルのままいただくなんて、やはり田舎の人情とは嬉しいものです。私も自分の家で採れた甘夏蜜柑や、昨日は青い梅を漁協女性部の皆さんに少しですがおすそ分けさせてもらい喜んでいただきました。


  「まあお食べ いきなりエンドウ 豆くれる 農家おばちゃん 気前よくって」

  「好物の 豆入りご飯 食べながら 夫婦二人で 四方山話」

  「さや割ると 中から緑 飛び出して ダダっ子ように あちらこちらに」

  「さやは親 まるで子どもを 抱くように 見習いたいな 親子関係」 

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shin-1さんの日記

○兵庫県姫路市へ行ってきます。

 今日は早朝の旅立ちである団体の50周年記念事業に招かれ、姫路市へ行ってきます。日帰りですが帰宅は夜遅くになる予定です。

 このように書いて朝早く出かけ、夕方9時前に帰ってきました。特急しおかぜに乗り、岡山から新幹線のぞみに乗り継いで出かけましたが、しおかぜものぞみも平日とあって営業のサラリーマン風の人が停車駅毎に乗り込み、眠ったり一人本や資料をめくりながら物静かに過ごしていました。そんな人に交じって元気のよいおばちゃん風の集団が松山から乗り込みました。どうやら私と同じ姫路を目指す友達集団のようでした。聞く気もなかったのですが大声で話すので、まあ凄いです。行き先も集団の素状も筒抜けで、時にはひきつけでも起こしたのかと見まがうほどに大きな声で笑っていました。さらにはまだ朝が早いというのに弁当を広げ、朝食と称して食べ始めました。その食欲たるや相当なもので、「私ダイエットしているから」と前置きしつつ、「まあいいか、今日は特別な日だから」と言いながら一人2個程度のおにぎりをパクついていました。見るからにふくよかで、着飾ったお光物や洋服が○○に真珠」って感じがして、思わず噴き出してしまいました。

 その集団に私の顔を覚えている人がいて、ヒソヒソ話をするのです。「ねねあの人双海町の若松さんじゃあない。私あの人の話を生涯学習センターで聞いたけど面白かったわよ」なんて調子です。そして本を読んでいる私の所へその人はやってきて、「失礼ですが双海町の若松さんではありませんか」と尋ねられました。「どちらまで」「何をしに」「いつ帰るのですか」。聞きもしないのに「私たちは世界遺産を訪ねる旅に出ました」「今日は姫路城を見まして、それから・・・・」と、お菓子はいただくは、お茶はいただくはで、結局岡山についても新幹線まで、姫路に着いてからも姫路城までと、まるで金魚のフンのようについてくるのです。「私は旅行会社の添乗員でもないのになんでこうなるの」と思いましたが、やっと別れたのは昼過ぎでした。「お礼に昼食を」と誘われましたが、「急ぎますので」と断り雨の中を講演会場へ向かいました。お陰でこの日は昼食を食いぱくれてしまいました。


 その日の帰りの列車でまた別のおばちゃんたちに出会いました。岡山から特急しおかぜだと3時間弱かかりますが、その間行きのおばちゃん集団と同じようにしゃべくりまくっていました。このおばちゃんたちは岡山で駅弁を買って乗ったらしく、観音寺を過ぎたところから弁当を食べ始めました。私は注意深くこのおばちゃんたちの食べ具合を見ていました。どのおばちゃんも弁当を開けて蓋を取るとまず蓋についたご飯粒から食べ始めるのです。今の若い人はこんなことしないのです。このおばちゃんたちはご飯粒を粗末にしたら罰が当たる、目が不自由になると教え込まれて育った人たちなのです。弁当一つの食べ方を見ても時代が分かるのですから、私も相当な洞察力だと思うのです。

 それにしてもおばちゃんが3人集まると旅の恥はかき捨てです。金はある、暇もある、体力もあるこのおばちゃんたちは今度は何処へ行くのでしょうか。

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