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〇今日は11月23日「い・い・ふ・た・み・の日」です
語呂合わせで今日はいい双海に日です。早速朝早くに教育委員会の赤石さんがやって来て、「この度学生ボランティア団体である双海ジュニアリー会が内閣総理大臣賞を受賞したので、これを祝って。懸垂幕を有志で作成することにしたので、皆さんのご厚意で寄付を募ることとなり、賛同いただく方は1口千円のご協力をお願いすることにしました。善は急げなのでよろしくとのことでした。一も二もなく引き受けとりあえず了解しました。さていくらするかですが、金額は内緒にして早速寄付を行うことにしました。若者はやることが早く立派な懸垂幕が伊予市役所に掲げられました。

 

 

 

 

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〇明日から少し小さな旅に出ます
心の洗濯がしたくて、朝から妻と2人で小さな旅に出ます。これまで超多忙で、考える暇もないほどでしたが、218体の人形も無事完成してやっと一段落ついたので小さな旅に出ます。ゆえにこれまで20年に渡って殆ど毎日休むことなく書き綴っていたFaceBookもブログも、そして毎日乱筆乱文ながら3枚のハガキ書きもお休みとさせていただきます。悪しからずご了承ください。

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〇子ども体験塾のハイキング事前踏査
今日は1午後2時から10月16日に予定しているハイキングの事前踏査に行きました。今回は下灘地区ながら初めての場所なので、どうしても事前調査が必要なことから、みんなで一度車で距離呈を図りながら走ってみました。

 かつては主要道路でしたが、その後の急激な社会の変化によって、通る人もまばらで、どうしたものかと思いましたが、故なるか価値があると思い決断することにしました。予定ではまず下灘コミセン前を出発して、一路国道を歩き喜多灘駅を目指します。

 郡境の駅を見学した後満野のお寺や公民館で途中休憩し、満野の金毘羅山を巡り一路富貴小学校を跡地を目指します。富貴公民館で昼食を取り、ゆるやかな横道をひたすら本村の丸山公園を目指します。本村公民館やお寺さんで休憩した後旧道を通って下灘コミセンへ辿り着く難コースです。

 恐らく、誰も歩いたことのない山道ですが、しっかり歩いて約20㎞の山道を歩きたいと思います。なお道沿いには野の花も咲いていて眼下には雄大な瀬戸の島々の眺望が開け楽しめる場所も沢山あるようです。

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〇おふくろの夢を見ました
 昨日の夜母ちゃんと呼んでいたおふくろの夢を見ました。母ちゃんは働き者で病気ひとつせず、特に当時は女は乗せないという漁船に乗って親父とともに県外出漁までした頑張るかあちゃんでした。

親父が病気で目を悪くしたため、当時は珍しい小型船舶操縦士の免許をとり、表向きは母親が船長でした。当時の漁村は半農半漁だったため漁の合間に山畑に出て暇さえあれば働きました。その他漁協婦人部の部長として活動し、日掛貯金や日常の活動を発表した成果が認められ、東京まで発表に行くほどでした。

 私が人の前でたどたどしい日本語で話したりすることができたのは、ひょっとしたら母ちゃんの影響があったからかも知れません。その母ちゃんは病気知らずでしたが肺がんにかかりその生涯を閉じた時は、余りにも早い旅立ちに驚きましたが、これも天命と受け止めました。ガンで寿命が短いと思っていた父ちゃんが残され、17年間も長生きできたのですから世の中は分からないものです。

 父親の武勇伝や、陸に上がってからの活躍の様子は、海舟館に沢山残っていますが、母親の姿は意外と残っていないことに気がつきました。そうだ母親の足跡も書いて残さないとと思った矢先、パッと目が覚めました。「母ちゃんごめん」でした。少し母ちゃんの思い出も書いてみたいと思っています。

 

 

 

 

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〇停電って本当?
 昨晩ちょっとした騒動がありました。LINE仲間から停電の一報が寄せられました。幸いわが町は停電しませんでしたが、何が原因か分からぬ停電に不安になりました

 ふと無人島キャンプをしていた時の事を思い出しました。無人島では勿論電気がつきません。非常用の発電機や懐中電灯は持っていても、そんな灯りで活動をする訳に行かず、日が暮れると基本的にはどうすることも出来ず,夜が明けるのを待つしかありませんでした。

 ある時台風が来ました。私たちは身に危険を感じて、隣の二神島に避難しました。避難所となった集会所の畳をなでながら「畳って温かい」。「スイッチをひねれば電気がつく。蛇口をひねれば水が出る。私たちは大切なことを学んだ」と語っていました。参加した少年たちは語っていました。

 電気のスイッチをひねれば電気がつく、蛇口をひねれば水が出る、こんな当たり前の暮らしに慣れていると、当たり前につく電気も水も、当たり前にあることに気がつかないものです。私たちは幸せだと思いました。この当たり前が文明ですから、節電・節水に気をつけて電気や水を大切に使って暮らしたいと思いました。

幸いわが町では電気が消えることはありませんでしたが、ふと昔のことを思い出しました。(四国では一時39万個が停電しました。周波数リレーで停電したそうですが、2時間ほどで復旧しました)

 

 

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〇枝豆の収穫
 「えっ、こんな時期に」と思いながら枝豆を取りに来ないかと誘いを受けたので取りに行きました。行ってみると広い畑家の隅に沢山の枝豆があり、しかも枝豆としては珍しい丹波の黒豆の枝豆でした。

 水口種苗店のお店で、専用の道具を貸してもらい、案内人のお母さんが同乗し直ぐ近くの畑に出かけました。「手あたり次第どれでも」というので、どれでも手あたり次第鋏で切りました。「もう十分です」と言って大目にいただきました。

 それからお礼を言って持ち帰りました。さあそれからが大変です。茎のついた枝豆の茎や葉っぱを取り始めましたが追いつかず、結局は2~3個づつくばりはじめました。「まあ珍しいこの時期に」と大いに感謝されました。

 わが家でも、私が配りに出かけている間に塩ゆでして、夕餉の膳の食卓に出してくれました。時ならぬ時の珍しい枝豆の登場に妻も私も満腹の手合いでした。実は裏話があって、昨日大きな戻りカツオをいただいて食べきれず、半分を日頃お世話になっている水口さんにお裾分けしたのです。

 まるでわらしべ長者のようなお話で,最近よくある話です。田舎に住んでいると貰ったり差し上げたりすることが多いので、いつも美味しいものにありつけて幸せです。

 

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〇キウイフルーツが届きました
 双海町はキウイフルーツの産地でもあります。キウイフルーツは飼う者ではなく貰うものなのです。キウイフルーツが日本に入ったころはまだ食べ方が分からない果物でした。見た目は少しグロテスクなためためらいましたが、食べてみるとその瑞々しさに驚きました。

その後急傾斜地でも出来ることからあっという間にひろがりました。ところが病気が入りその病気にかかると園地全体がダメになるほどに広がるため、断腸の思いで伐採せざるを得なくなりました。最初は病気の心配もなく消毒もせずに済むことから手間と言えば、剪定や受粉時期に雄花を取って受粉の手助けをする程度だったようです。

 それが重荷になって辞めた人もいますが、何をやっても中々のようです。キウイにはヘイワードと言う緑がかった品種とゴールドと言う2種の品種があるようですが、後発のゴールドは甘みもあって美味しさも格別ながら、基本的には農家に自家消費程度でゴールドは手に入らないようです。リンゴを入れて追熟させると、美味しいキウイフルーツがたべられるようです。さじで掬って食べる方法もあり、今から楽しみです。

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〇歩くの止めようか?
 夜が明けるのが随分遅くなりました。私がウォーキングに出掛ける午前6時はまだ外は暗く、「何も懐中電灯を持ってまで」とは思いましたが、習慣とは恐ろしいもので、「よし歩こう」と決意し歩き始めました。外の寒さも今朝は一段と増していましたが、暫くするとその内周りが明るくなりました。

「今日の予定は・・・・・」「12時過ぎに友人を迎えに行き・・・・・」「高速道路を通って四国中央市まで走り・・・・・」「今夜は四国中央市で泊り・・・・・」「明日は午前中愛媛県公民館県研究大会に出席して・・・・・」「鼎談の司会をして‥…」などなど、忙しい日程を思い出しました。

 それならもう少しと、歩く予定を変更して、帰って歩数計を見ると1万歩を越えていました。よしよしこれで今日明日のノルマは達成です。こうして何気ない日々は何気なく続きます。「段取り8分仕事2分」は整いました。さあ出掛けよう、四国中央市に向けていざ出発です。

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〇腰の調子がイマイチです
 一昨日はジュニアリーダー会の皆さんにつき合って朝か7臼もダイガラ餅つきの手臼をしました。途中で腰に具合がイマイチなので津田のみどりさんが手伝ってくれ大助かりでした。中学生は何だかんだといえばやってくれるのですが、まだまだまだ子どもの域を脱しておらず、正直役に立つのには2年はかかるとおみましたがそれは禁句で、「みんながいるから餅つきが出来た」とよろこんでいます。

 そこへ行くと大学生3人はいっぱしの大人で、あれこれ気心が読めるようで、手薄になる場所を選んで八面六臂の大活躍でした。さりとて手臼だけは誰も手を出さないため、結局もち米の仕掛けは赤石さん、餅つきは大森さんに任せ手臼に専念することになりました。私にはもう一つやらなければならない仕事があって、200体の人形が語る漁村の暮らし展も気になってとき時覗いてみました。

 結局餅つきの終いは赤石さんに任せ私は午後2時30分から人形展の終いに回らせてもらい、200体もの人形をただ黙々と元の場所へしまう作林さんさんとしました。幸いなことにコミセンさんのご厚意で展示した人形を一週間だけ置かせてもらうことになりました。追い打ちをかけるようにあれやこれや終いが続きますが「腰の具合は悪くなるばかりでしたが、ケアーが良かったため大事には至らずでした。

 

 

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〇おい進ちゃん元気かい
久しぶりに下灘公民館祭りに参加しました。公民館祭りは今や唯一の社交の場なので、沢山の人が集まっていました。懐かしい顔々もいればマスクをしているものだから「あの人誰だったっけ」ととっさには思い出せない人もいて、「わしよ、わしよ」言いながらマスクを外し、やっと思い出して会話が弾む有様でした。

 そういえば公民館を辞めてもう20年も経つと、覚えていないのが当然の感じもしますが、そこは適当に話を合わせ必死に勘ピューターを働かせ急いで記憶の糸を手繰り寄せるのです。そんな中同級生のSさんにお会いしました。Sさんとは、中学校卒業以来一度も顔を合わせたことがなく、何せ60年ぶりの再会とあって、「失礼ですが誰でしたっけ」でした。

 かすかに思かげは残るものの、同級生の顔さえも忘れる程でした。聞けば「あなたのことはよく覚えています。水産高校へ行ったそうで」と矢継ぎ早に話が進み、双海町役場でまちづくりを担当されていたようですが」「見違えるようになったふるさとの姿に驚いています」とむしろ故郷の姿を望郷の念で見ているようでした。

 いやはや驚きました。あれから60年があっという間に過ぎ去りました。恐らくもう2度と会うこともあるまいと思いましたが、「お手紙を差し上げたいと思いますのでよろしかったらお名刺を」と言うことになり名刺を一枚お渡ししました。さあ来るでしょうか?」お手紙が・・・・・。一日千秋の思いで待ち続けたいと思いました。

 

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