shin-1さんの日記

○真っ直ぐなキウリと曲がったキウリはどこが違う

 梅雨に入って一週間が経つというのに、また関東では土砂降りの雨が降ったというのに、奄美地方を除いた九州や四国では全く雨が降らず、いよいよ水不足が心配になってきました。わが家の家庭菜園も毎夕親父が井戸の水を1時間もかけて散水していますが、里芋などは芽さえ出ない状態で土は固く乾いたままなのです。雨が降らない分雑草は例年より伸びが悪いのは助かりますが、それでも植物の成長にとって天から降ってくる雨の満遍なく大地や植物を濡らすことの恵みは、散水など遠く及ばないのです。雨が降らないため毎年悩ませる病害虫は少なく今のところ順調なようですが、そのうち虫も生きているので雨が降ると何処からともなく出てきて、せっかく出来た野菜を食い荒らすのです。

若松進一ブログ

 ところでいつも不思議に思うのですが、お店の店頭で販売しているキウリは真っ直ぐないい形をしているのに、家庭菜園で作ったキウリはどうして曲がったものばかりしかできないのでしょう。今朝も家庭菜園に行ってキウリを6本(1本は親父に差し上げました)収穫しましたが、いずれも私の根性と同じでカタカナの「ノ」の字型に曲がっているのです。ひどいものは裏返しするとひらがなの「し」の字のように曲がったものも珍しくないのです。

 先日「曲がったキウリと真っ直ぐなキウリの味は違うのか」という話に花が咲き、輪切りにして食べたり目隠しテストをして食べてみましたが、当てた人もなくまっすぐなキウリも曲がったキウリもまったく変わりませんでした。

 

 いつぞや農家の方にこのことを質問してみましたが、①農家が作っても曲ったキウリは採れる、②曲がると商品価値が落ちるので真っ直ぐな性格の品種を選ぶ、③消毒や施肥など肥培管理に勉める、④多少曲がっていても少し工夫をすれば真っ直ぐに直せる、⑤出来るだけ早採り(花柄がついたもの)するなどの努力をしているようでした。その話を聞いて気になったのは③の「消毒や・・・」という言葉でした。真っ直ぐなキウリを作るのに消毒をするということは、まっすぐなキウリは安全でないという裏返しの意味もあるのです。せっかく丹精込めて作ったキウリを少しでも高く売りたいと思うのは生産者の本音でしょうが、安全なはずの曲がったキウリが一山百円なのに、農薬のかかったまっすぐなキウリは一本百円で売られているのです。

 私はそのからくりを知っているので、余程のことがない限り一本百円のキウリは買わず、むしろ一山百円の安全なキウリを買うのです。食の安全や安心と口々に言いながら、あえて真っ直ぐな高いキウリを「見てくれがよい」だけで買い求める消費者の心理は理解に苦しむのです。今朝採れたばかりのキウリは瑞々しくキウリ独特の青臭い臭いがしますが、これこそ本物のキウリの味と味噌をつけ、シャキシャキ感を味わいながら食べました。

 トレーサビリティなどという言葉もあるくらい今や食の安心や安全、それに地産地消が常識な時代になってきました。喜ばしいことですが、私たち消費者はもっと賢くならなければいけないと思うのです。


  「真っ直ぐと 曲がったキウリ 食べ比べ 味などどこも 違わないのに」

  「腰曲がる 爺や婆は 安物か 一山百円 俺は憤慨」

  「真っ直ぐな キウリを作る 暇あれば 別の努力を させてあげたい」

  「曲がっては いるが美味しい わがキウリ 今朝も臭いを 嗅ぎつつ食べる」 

 

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shin-1さんの日記

○私のパートナーである車の不具合

 最近自分の乗っている車の調子が、どこか違和感があっておかしいと感じるようになっていました。ブレーキを踏む度に足元の左側で異音がするのです。やがてその音は次第に大きくなり、信号で止まるときなど隣に止まった車が振り向きはしないかと、少し恥ずかしいほどの大きさになっていました。他の部位ならいざ知らずブレーキの異音ですから、もしこのまま「ブレーキが効かなくなったらどうしよう」と、松山往復の間不安に駆られました。

 早速近所の馴染のモータースへ行き看てもらいました。私の話を聞くなり大将は「ああブレーキのパットがちびたんでしょう」と言い、「直しますか」「部品を取り寄せなければいけないので二、日ほどかかりますが」と念入りな話をし、私が納得したのを見て車検証の写し車内ボックスら取り出しコピーして、早速電話注文しました。概算見積もり1万円余りだと聞いてホッとしましたが、10年も乗っていると色々とガタが来るものだと、64歳になった自分の体と比較しながら思わず苦笑いしたのです。(1週間前、修理完了、費用は1万6百円でした)。

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(10年間乗り続けた愛車プラッツ)
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 私がトヨタのプラッツを買ったのは10年前の、役場に勤めていた頃です。私は余り車にはこだわらずむしろ軽四でもいいと思っていましたが、遠出をする私の体を気遣った妻は、私のようなドケチ人間にしては飛びきり上等の車を買ってくれたのです。「あなたは遠出をするので小さい車は疲れたり危ないから」が一番の理由でしたが、最も大きな理由は「もうあなたの人生で車を買うのはこの次2回くらいだから」というのです。私はその時始めて自分の寿命のはかなさを知りました。54歳の時でした。そういえば妻の言うとおり「これから新車を購入して10年乗れば俺は64歳か、64歳で車を購入すると10年乗って74歳、その頃はもみじマークを付けて軽四で十分だから・・・」と、遠い先の10年後20年後に思いを巡らせて車を購入したのです。

 しかし時の流れは早いもので、早くもその10年目があっという間にやってきたのです。その間自動車産業は大きな発展を遂げ、世界同時不況まではトヨタ自動車などは年間2兆円の利益を上げて、世界第1位の会社になっていました。しかし最近の不況で特にアメリカの自動車産業は、ビッグ3までもが経営危機に陥っているのですから、全く先の読めない時代なのです。自動車に使っている部品の再生利用や排ガス規制の環境問題にも消極的だった自動車業界はこの不況で、一転してエコカーを売り出し、「世界を見つめる」から「お客様を見つめる」に大転換し始め、政府の不況対策減税やエコ支援もあって、プリウスなどは注文しても納車は来年という注目度なのです。

 最近は連日のように、自動車各社はこの時とばかりエコカーの宣伝をテレビやチラシでやっています。私の車の買い替え時期も9月なので、ひょっとしたらエコカーの恩恵にあずかりそうな雲行きを肌で感じながら、妻も息子も私の車のことを心配してくれていて、「あれがいいこれがいい」と他人事ながらパンフレットを集めてくれているようですが、私は余り関心がないのです。

 私は今のプラッツを10年間で21万キロ近く乗っています。車庫に吊していたインディアンカヌーが突然車めがけて落下し、ボンネットにはその時の傷やへこみが残っていますが、私にとっては中国・四国・九州各地を巡った思い出多き車のです。最近は車を洗ったりワックスをかけたるする回数も少なくなりましたが、10年乗った車にしては綺麗に手入れをして乗った方だと自己満足もしているのです。車とともに歩んだこの10年間を振り返りながら、これから始まるであろう10年間、車で行く先々でどんな人生のドラマが待っているのでしょうか、車も自分の体も健康で10年を過ごしたいものだと、10年後と10年前を比較しながら思いました。


  「俺に似て そろそろ寿命 来たのかな? 十年乗った 車愛着」

  「エコカーを 買えと言うよに パンフ置く 私の書斎 マニアのようだ」

  「十年は やはり区切りと 思いつつ 十年前と 十年後を」

  「この傷も あそこであんな ことあった 思い出しつつ 車を洗う」 


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