shin-1さんの日記

○稲葉さんに借地してもらった放任園が蘇りつつあります

 人間牧場の近くの私の家の放任園と呼ばれる畑を、友人の稲葉さんに課してかrヶ月余りが経ちました。私の日常が予想以上に忙しく、体力の衰えるこれから先もこの放任園を耕作することがおそらく無理だろうという判断のもとに、それならいっそ使ってもらったらどうかという結論に達したのです。砥部町で車の塗装業を営む稲葉さんとは個人的な付き合いが長く、彼の心の清らかさにはいつも感心しているので、安心して任せられそうだと思いました。稲葉さんは50歳そこそこですが、将来的には農業に魅力を感じて、農地を探していました。適当な農地が見つかったので見てほしいと見に行ったことも、また別の土地の相談も何度か受けましたが、結局は相手との話の折り合いがつかず、断念していました。


 人間牧場へ行った帰りにふと私の放任園と稲葉さんのことをダブって思い出し、稲葉さんに連絡したところ、直ぐにでも土地をみたいということで話がトントン拍子に進んだのです。元よりこの場所は母が存命中にはかなり収穫量のあるミカン園でしたが、収穫したミカンを運搬する手だてがかなりきついために、母亡き後は手を付けることもなく放任園となっていましたが、人間牧場と原風景の眺望が同じ方向のために下灘豊田漁港が一望できるのです。小さい頃から母に連れられ何度この段々畑に足を運び、重い荷物を背負って登り降りしたことでしょう。この畑を訪ねる度に亡き母のことを思うのです。

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(活着したサツマイモの苗)

 稲葉さんは仕事の合間を縫って毎週日曜日に朝早くから畑にやってきて、せっせと耕しています。最初の日に半日草刈り機で草刈りをするのを手伝いましたが、後は自分の仕事が忙しくそれどころではなかったのでどの程度作業が進んでいるのか知る由もありませんでした。

 先日人間牧場の水平線の家へゴキブリ退治のため出かけた折、帰り際に立ち寄りましたが、既に開墾が随分進んでいて、畑のあちこちには彼のアイディアが随所に生かされ、トマトもスイカもこの日照りだというのにしっかりと息づいていました。また先日植えたサツマイモも順調に活着していて他人事ながら安心しました。

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(畑の要所にサークルを作り元気で伸びているスイカ)

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(トマトも元気に育っていました)

 この上は順調に育っているこれらの作物がイノシシやカラスやハクビシンの被害に遭わないよう祈るだけです。


  「耕作を 放棄した土地 人の手で 見事な姿 蘇りつつあり」

  「さて伸びる 野菜は今後 どうなるか 有害鳥獣 狙っているよ」

  「十年も 入らずの畑 無農薬 故に新鮮 野菜が育つ」

  「時ならぬ 蕨芽が出て 驚きぬ ここは自然に 近い畑に」

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shin-1さんの日記

○あっ、タヌキだ!。それともハクビシン?

 夏の太陽が西に落ち、少し外が暗くなった昨日の夕方7時半過ぎです。書斎で原稿を書いていた自分の目の前の庭を、悠然と歩く一匹の動物が窓越しに目に止まりました。この一週間朝な夕な、時には昼間も何の警戒心もなく自分の目の前を通り過ぎるのです。その都度カメラを用意するのですが、カメラの準備ができた時には時すでに遅しで、シャッターチャンスを逃していました。今回も急いでカメラを用意したものの諦め半分でしたが、今回は何の変哲もない写真ながら、何とか後ろ姿と振り返りざまの2枚の写真の撮影に成功したのです。

 写真を写しながらタヌキの姿を妻にも見せようと、夕食準備で忙しそうな妻を大きな声で呼び寄せました。妻には最近タヌキがうろちょろしている話をしていたので、興味があるのか急いで書斎にやってきて、二人で窓越しながらタヌキの姿をしばらくの間見ていましたが、やがてタヌキも私たちのことを察知して水場の傍で振り返り、少しの間私たちを見ていましたが、やがてタヌキは裏の林の中へ消えて行きました。

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 一昨年もわが家では同じようにタヌキ騒動がありました。毎夜出没するその時のタヌキはやんちゃで、私の書斎の前の窓越しにさも「今晩は」と言わんばかりに近づいて盛んに愛嬌を振りまいて、すっかりわが家の話題を独占し、孫たちはわざわざタヌキを見にやってきて、夜遅くまで大騒ぎをした経験があるのです。

 その時は写真もバッチリ撮れてブログでも紹介したため各方面からメールが届きました。ある人は「自然が身の周りにいっぱいあって羨ましい」とか、「お孫さんと一緒で野生のタヌキを見れるなんて幸せですね」といった言葉が寄せられましたが、意地の悪い仲間からは「タヌキが出るなんて相当田舎だねえ」などとふざけられました。

 その後もタヌキは何度となく出没しましたが、いつの頃からか姿を見せなくなり、ある日のこと近くで死んでいるのを発見しましたが、畑の隅に懇ろに弔いかまぼこの板に墓標を書いた記憶があるのです。


 わが家は田舎だし家の裏山が家に迫っているため、イタチなども平気でうろちょろするし、時には目の覚めるような瑠璃色をしたオスのキジが歩いたりします。その度に自然がいっぱいのいい所に住んでいると一人ほくそ笑むのです。

 私たちの身の回りは、高齢化と第一次産業の不振で、里山が荒れだしました。高度成長期には耕して天に至ると形容されたみかん畑も耕作放棄地が目立つようになって、入らずの森のように野生化した所も増えてきました。杉やヒノキを植林した所さえもその世話が人手不足や高い労賃で投資効果がないと判断されままならないのです。今後もその傾向は進むものと思われますが、動物にとっては住みかが増えたことになるようです。でも人間と野生動物の距離は食べ物という点では近づきつつあります。今回のタヌキ騒動も多分タヌキは人間様の食べ物をあさりに人里へ下りてきたのかも知れません。いずれにしても少しずつ環境が変化していることは間違いないようです。

 はてさてわが家に出没する動物はタヌキでしょうか?、それともハクビシンでしょうか?。


  「わが庭に タヌキ一匹 出没す だます意図なし 仲間と思い」

  「田舎だね そんな言葉が 聞かれそう いいとこだよと 自慢してやる」

  「おじいちゃん タヌキ見学 行くからね 孫の弾んだ 電話の向こう」

  「動物は 足が速くて カメラなど 用意する間に 山の中入る」

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shin-1さんの日記

○真っ直ぐなキウリと曲がったキウリはどこが違う

 梅雨に入って一週間が経つというのに、また関東では土砂降りの雨が降ったというのに、奄美地方を除いた九州や四国では全く雨が降らず、いよいよ水不足が心配になってきました。わが家の家庭菜園も毎夕親父が井戸の水を1時間もかけて散水していますが、里芋などは芽さえ出ない状態で土は固く乾いたままなのです。雨が降らない分雑草は例年より伸びが悪いのは助かりますが、それでも植物の成長にとって天から降ってくる雨の満遍なく大地や植物を濡らすことの恵みは、散水など遠く及ばないのです。雨が降らないため毎年悩ませる病害虫は少なく今のところ順調なようですが、そのうち虫も生きているので雨が降ると何処からともなく出てきて、せっかく出来た野菜を食い荒らすのです。

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 ところでいつも不思議に思うのですが、お店の店頭で販売しているキウリは真っ直ぐないい形をしているのに、家庭菜園で作ったキウリはどうして曲がったものばかりしかできないのでしょう。今朝も家庭菜園に行ってキウリを6本(1本は親父に差し上げました)収穫しましたが、いずれも私の根性と同じでカタカナの「ノ」の字型に曲がっているのです。ひどいものは裏返しするとひらがなの「し」の字のように曲がったものも珍しくないのです。

 先日「曲がったキウリと真っ直ぐなキウリの味は違うのか」という話に花が咲き、輪切りにして食べたり目隠しテストをして食べてみましたが、当てた人もなくまっすぐなキウリも曲がったキウリもまったく変わりませんでした。

 

 いつぞや農家の方にこのことを質問してみましたが、①農家が作っても曲ったキウリは採れる、②曲がると商品価値が落ちるので真っ直ぐな性格の品種を選ぶ、③消毒や施肥など肥培管理に勉める、④多少曲がっていても少し工夫をすれば真っ直ぐに直せる、⑤出来るだけ早採り(花柄がついたもの)するなどの努力をしているようでした。その話を聞いて気になったのは③の「消毒や・・・」という言葉でした。真っ直ぐなキウリを作るのに消毒をするということは、まっすぐなキウリは安全でないという裏返しの意味もあるのです。せっかく丹精込めて作ったキウリを少しでも高く売りたいと思うのは生産者の本音でしょうが、安全なはずの曲がったキウリが一山百円なのに、農薬のかかったまっすぐなキウリは一本百円で売られているのです。

 私はそのからくりを知っているので、余程のことがない限り一本百円のキウリは買わず、むしろ一山百円の安全なキウリを買うのです。食の安全や安心と口々に言いながら、あえて真っ直ぐな高いキウリを「見てくれがよい」だけで買い求める消費者の心理は理解に苦しむのです。今朝採れたばかりのキウリは瑞々しくキウリ独特の青臭い臭いがしますが、これこそ本物のキウリの味と味噌をつけ、シャキシャキ感を味わいながら食べました。

 トレーサビリティなどという言葉もあるくらい今や食の安心や安全、それに地産地消が常識な時代になってきました。喜ばしいことですが、私たち消費者はもっと賢くならなければいけないと思うのです。


  「真っ直ぐと 曲がったキウリ 食べ比べ 味などどこも 違わないのに」

  「腰曲がる 爺や婆は 安物か 一山百円 俺は憤慨」

  「真っ直ぐな キウリを作る 暇あれば 別の努力を させてあげたい」

  「曲がっては いるが美味しい わがキウリ 今朝も臭いを 嗅ぎつつ食べる」 

 

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shin-1さんの日記

○私のパートナーである車の不具合

 最近自分の乗っている車の調子が、どこか違和感があっておかしいと感じるようになっていました。ブレーキを踏む度に足元の左側で異音がするのです。やがてその音は次第に大きくなり、信号で止まるときなど隣に止まった車が振り向きはしないかと、少し恥ずかしいほどの大きさになっていました。他の部位ならいざ知らずブレーキの異音ですから、もしこのまま「ブレーキが効かなくなったらどうしよう」と、松山往復の間不安に駆られました。

 早速近所の馴染のモータースへ行き看てもらいました。私の話を聞くなり大将は「ああブレーキのパットがちびたんでしょう」と言い、「直しますか」「部品を取り寄せなければいけないので二、日ほどかかりますが」と念入りな話をし、私が納得したのを見て車検証の写し車内ボックスら取り出しコピーして、早速電話注文しました。概算見積もり1万円余りだと聞いてホッとしましたが、10年も乗っていると色々とガタが来るものだと、64歳になった自分の体と比較しながら思わず苦笑いしたのです。(1週間前、修理完了、費用は1万6百円でした)。

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(10年間乗り続けた愛車プラッツ)
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 私がトヨタのプラッツを買ったのは10年前の、役場に勤めていた頃です。私は余り車にはこだわらずむしろ軽四でもいいと思っていましたが、遠出をする私の体を気遣った妻は、私のようなドケチ人間にしては飛びきり上等の車を買ってくれたのです。「あなたは遠出をするので小さい車は疲れたり危ないから」が一番の理由でしたが、最も大きな理由は「もうあなたの人生で車を買うのはこの次2回くらいだから」というのです。私はその時始めて自分の寿命のはかなさを知りました。54歳の時でした。そういえば妻の言うとおり「これから新車を購入して10年乗れば俺は64歳か、64歳で車を購入すると10年乗って74歳、その頃はもみじマークを付けて軽四で十分だから・・・」と、遠い先の10年後20年後に思いを巡らせて車を購入したのです。

 しかし時の流れは早いもので、早くもその10年目があっという間にやってきたのです。その間自動車産業は大きな発展を遂げ、世界同時不況まではトヨタ自動車などは年間2兆円の利益を上げて、世界第1位の会社になっていました。しかし最近の不況で特にアメリカの自動車産業は、ビッグ3までもが経営危機に陥っているのですから、全く先の読めない時代なのです。自動車に使っている部品の再生利用や排ガス規制の環境問題にも消極的だった自動車業界はこの不況で、一転してエコカーを売り出し、「世界を見つめる」から「お客様を見つめる」に大転換し始め、政府の不況対策減税やエコ支援もあって、プリウスなどは注文しても納車は来年という注目度なのです。

 最近は連日のように、自動車各社はこの時とばかりエコカーの宣伝をテレビやチラシでやっています。私の車の買い替え時期も9月なので、ひょっとしたらエコカーの恩恵にあずかりそうな雲行きを肌で感じながら、妻も息子も私の車のことを心配してくれていて、「あれがいいこれがいい」と他人事ながらパンフレットを集めてくれているようですが、私は余り関心がないのです。

 私は今のプラッツを10年間で21万キロ近く乗っています。車庫に吊していたインディアンカヌーが突然車めがけて落下し、ボンネットにはその時の傷やへこみが残っていますが、私にとっては中国・四国・九州各地を巡った思い出多き車のです。最近は車を洗ったりワックスをかけたるする回数も少なくなりましたが、10年乗った車にしては綺麗に手入れをして乗った方だと自己満足もしているのです。車とともに歩んだこの10年間を振り返りながら、これから始まるであろう10年間、車で行く先々でどんな人生のドラマが待っているのでしょうか、車も自分の体も健康で10年を過ごしたいものだと、10年後と10年前を比較しながら思いました。


  「俺に似て そろそろ寿命 来たのかな? 十年乗った 車愛着」

  「エコカーを 買えと言うよに パンフ置く 私の書斎 マニアのようだ」

  「十年は やはり区切りと 思いつつ 十年前と 十年後を」

  「この傷も あそこであんな ことあった 思い出しつつ 車を洗う」 


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shin-1さんの日記

○愛媛大学法文学部の授業も順調に進んでいます

 毎週木曜日の2時限目にセットされている、愛媛大学法文学部の私のクラスの授業も順調に進んで、まちづくり入門編といわれる講義に一応の区切りが付き、いよいよ今日から応用編と呼べるグループによる討議が行われ始めました。今年の学生もそうですが、私の教室は地域づくりに関心のある真面目な学生が揃っていて、眠る学生も私語をする学生も、携帯メールをする学生もなくて、熱心にメモを取るなどいい雰囲気が漂い、早くも今回が7回目の授業となりました。学生の顔と名前はまだ一致しませんが、学生たちとのコミュニケーションも良く、それなりに楽しくやっています。

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 私は人の前で話すときレジュメを使うことを殆どしませんが、大学の授業ではそうも言っておれず、毎回調べ物をしたりしながらレジュメを作らなければなりません。これらは全て教員に任されていて、コピー印刷も全て一人でやらなければなりません。まあその手間のかかることは承知の上でやっているのですが、自由な時間の少ない私には少し苦痛のようです。

 大学の授業も7年目になると慣れてきて、昨年と同じパターンを繰り返す、ずるがしこいことを考えるものですが、大学の授業だけは清新な気持ちで手を抜くことなく取り組みたいと、色々な工夫を凝らしているのですが、はてさて学生たちの目と耳にはどう響いているのでしょうか。


 最近は学生の中で女子の占める割合が年々多くなって、今年は女性の方が多い逆転現象です。したがって今日のようなグループ討議も、むしろリードするのは女性の方で、男性は追随型のようです。そのため活気という点では今一ですが、授業に対する取り組みは申し分がないのです。

 今日は「住みたい町の条件」で4テーマ、40項目の抽出作業をやりました。来週は「訪ねたい町の条件で4テーマ、40項目の抽出作業をします。そして松山市堀江町、伊予市中山町、内子町立川町、伊予市双海町をそれぞれ訪れ、自分たちの考えたテーマと項目でチェックして行くのです。受け入れ先への連絡も終わり、夏休みまでの前期に3か所、後期に入って1か所へ出かけ視察研修する予定です。

 学生たちが社会人になったとき、まちづくりに役立つような授業を今後もしっかりと教え、しっかりと学んでほしいと願っています。


  「九十分 毎回講義 学生に 六十時間も 教える苦労」

  「大学も すっかり活気 姿消し 真面目でいいが ちょっと気がかり」

  「先生と 言われ自分と 気がつかず 再び先生 俺のことだと」

  「小中高 掃除したのに 大学は どうして掃除 させないのだろう?」 

 

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shin-1さんの日記

○ミツバチの2号巣箱が空になって落胆しました

 人間牧場でミツバチを飼い始めて5ヶ月が経ちました。最初のきっかけは高知県馬路村へ講演に行った際、ある農家へ木下課長さんに連れて行ってもらった折、見ず知らずの私に2つもミツバチの巣箱を無償でいただいたからです。人間牧場を設計した息子が「お父さんミツバチを飼おう」とそれまでにも勧めてくれていましたが、飼い方も分からないため、その巣箱は人間牧場の倉庫の隅で1年間埃をかぶって眠っていました。

 そんな折、野村町山奥組の井上登さんと研修会で知り合い、ミツバチの話で盛りあがり、「じゃあ手助けしましょう」とトントン拍子に話が進んで、井上さんを師匠と仰ぎながら様々なご指導を受けてきました。何せやることなすこと未知の分野で、「ミツバチが刺したら痛い」くらいしか認識のない私は、ミツバチを買っているというだけで殆ど井上さんに任せているのです。しかし巣箱が風で転げたり分封騒動がある度に井上さんのお出ましを願うこともできず、見よう見真似で少しだけ自律の道を進んでいるのです。

 ミツバチを飼うということは蜂蜜を採取しなければなりません。飼い始めてから5ヶ月が経ったのを機に蜂蜜採取の準備を始めています。幸い井上さんの他に馬路村の木下課長さんの親父さんがミツバチを飼っているのを、馬路村に行った折目ざとく見つけていたので、木下課長さんを介してインターネットで写真付きのご指導を受け、気を伺っているところです。

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(6月16日の巣の消滅状態)
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(5月23日にはこんなに巣が成長していました)

 先日井上さんが遠路ミツバチの様子をうかがいにやって来てくれました。井上さんは優しい師匠で、鍛冶屋に頼んでいた道具類も持参して、4つの巣箱を私の立ち会いのもとそれぞれ点検です。残念ながら一号巣箱から最初に分封したと思っていた転げ癖のある2号巣箱はミツバチの出入りも悪く、点検の結果ス虫の被害にあって消滅していました。これまでは順調に分封したと思いルンルン気分だっただけに私の落胆は大きかったのですが、井上さんの「こんなこともよくある話」と軽くいなされ、ネガティブに考えるのは止めようと思いながらも少しだけ落ち込んでいるところです。

 それでも1号、3号、4号の巣箱は今のところ健在で、場所を移し替えた2号にも新たな分封を期待したいと思っています。

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(成長著しい3号巣箱)
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(4号巣箱も順調です)

 蜂蜜を採る準備は木下課長さんと井上さんのお陰で順調に進んでいます。採取した巣を太陽光線で自然流化させるポリ容器や道具類も揃い、木下課長さんから手紙で届いた虎の巻極意書も味方にして、7月には何としても蜂蜜採取に漕ぎ着けたいと思っています。今年の目標は4つの巣箱で4升を当て込んでいますが、井上さんは笑って私の話を柳のごとく流しています。

 「道具から始めよ」ということばがあるように、素人の私は道具から始めています。木下課長さんや井上さんから見れば、素人の私の奇妙とも思える行動は思わず噴き出したくなるようでしょうが、それでも真面目に向かい合ってお付き合いしてくれるのは嬉しい限りです。

 今年は命のリレープロジェクトと称して子どもたちを巻き込んでいるので、せめて子どもたちに美味しい蜂蜜を食べさせてやりたい目標だけはクリアーしたいと思っています。

 デジカメを忘れて撮影しなかった巣箱の中の様子を、井上さんは今朝インターネットで届けてくれました。有難やお師匠さんです。


  「期待して 巣箱点検 一つだけ ス虫の被害 蜂の巣消えて?」

  「落胆の 色を隠せぬ 私見て こんなことある 涼しげ師匠」

  「もう一度 浮かれた心 締め直し 努力惜しまず 成果挙げねば」

  「そういえば ミツバチたちは 飼い主の 心見抜くと 師匠言ってた」

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shin-1さんの日記

○粗大ゴミにならないために

 わが家には失礼な言い方で表現は悪いのですが、91歳の親父と63歳の妻と64歳の私を含めた三人は粗大ごみになりつつあるようです。というのも昨日近所のおばさんたちがやって来て、「歳をとると何かにつけて居場所がなく私たち年寄りはまるで粗大ゴミみたい」と愚痴をこぼしているのを聞いたからです。あるおばさんは息子の家族と同居していますが、「台所が一緒で食べるものも同じもを食べていて、少し油濃いものが多いのでコレステロールールや血圧が気になる」とぼやいていました。またあるおばさんは「脛が悪くて病院へ行くにも交通が不便で、伊予市の整形へ行くのに一日がかりになってしまい、病院から帰ると病院へ行ったはずなのに半病人になったようで帰り、明くる日は頭がボーとして一日寝込む」などと、話は留まるところを知らない愚痴話なのです。その話を相槌を打ちながら聞いていて気がついたのですが、こうして縁側に腰掛けお話をしている人が殆ど近所のおばさん、つまり女性でおじさん、つまり男性の姿は殆ど皆無なのです。高齢で長生きは女性の特権でしょうが、それにしても歳をとると男性たちは一体どんな暮らしをしているのでしょう。


 91歳の親父を例にとると、まず朝早起きです。5時前には起きて身支度を整えて往復2キロの散歩を楽しみます。朝や夜は車がスピードを出すので危ないからと注意をするのですが一向に耳を貸さないのです。帰ってから鉄棒にすがったりラジオ体操をし、その後ゆっくりと食事を楽しみます。私が親父の隠居へ行く6時には食事の後片付けも終わって、私にサロンパスを背中に貼ってもらうことを待っているのです。その後ニュースを見て7時には家の横の畑に出て野良仕事を始めるのです。10時になったらお茶、11時半になったら昼食、軽めの午睡をして午後1時30分から4時まで趣味の日曜大工や庭木の手入れなどをしますが、その後は水戸黄門等の時代劇をテレビ視聴して過ごします。午後5時半に妻の作った夕食を食べながら過ごし、午後7時には風呂に入って早々と床に入るのです。まあこんな具合で太陽が昇ると起きて太陽が沈むと眠るといった、自然派生活をしているのです。加齢によって多少は衰えを口にするものの、電動自転車に乗って片道7キロを診療所まで往復する元気さです。一日10時間も寝ているのに、「寝れない」とぼやいているようです。


 今日は不燃物回収の日です。空き缶や空き瓶などを分別して収集場所へ持って行きましたが、その折立ち番に立っていた区長さんから粗大ゴミの話を聞きました。親父が長年愛用した自転車が代替え用を購入したため要らなくなったのです。親父に告げてその自転車をトラックに積み込み支所裏の集積場へ運びました。親父の名前の書いている愛用の自転車を粗大ごみに出す姿を見ながら、「わしも乗って行く」とトラックに乗り込み同行しましたが、「わしもこの自転車とと同じで粗大ゴミだな」と、ポツリ寂しい言葉を吐きました。心許せる息子だから言えた言葉かも知れませんが、その言葉には心なしか力がありませんでした。「そんなことはない。もっと長生きをしないと」と精一杯の激励の言葉をかけました。

 親父を自分たち夫婦が粗大ゴミと思わないことは、即私たち夫婦を息子たち夫婦が粗大ゴミと思わないという連鎖につながります。してあげることはしてもらいたいこと、思うことは思われること、まさに連鎖です。老いた人を大切にすることを家訓のように受け継ぐなら、私たちも大事にしてもらうかも知れません。親父を大事にしたいものです。


  「親しんだ 自転車粗大 ゴミになる 自分を重ね ポツリ一言」

  「人間は 不安不満の 多いもの いかに満足 しつつ生きるか」

  「幸せは 皆身にあると 人が言う 南ではなく 全て自分だ」

  「ここだけの 話といって 大声で 話すばあさん 呆れて口が」 

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shin-1さんの日記

○家を出る時必ず確認する持ち物

 家を出かけるとき必ず確認する持参品の順番が随分様変わりしてきました。今は何と言っても携帯電話です。自由人になって誰からも束縛されない生活が4年半も続いているのに、役場に勤めていたころの癖は直らず、携帯電話を持っていないと何かソワソワするのです。確かに昔と比べ携帯電話に依存する回数は徐々に増え、私のように余程のことがない限り携帯電話でメールを発信しなくても、また携帯についている様々な機能を使わなくても、「まさかの時」の連絡用として今や携帯電話は必需品ナンバーワンなのです。毎月一回携帯電話の利用料が銀行で自動引き落としされ、NTTから請求書・領収書として送られきますが、それを詳しく見るでもなくたとえ間違って請求されても、余程のことがない限りそのまま無視されやり過ごされてしまうのです。

 妻が管理する銀行口座の預金通帳を見ながら、まあ自動引き落とし金額の多いこと、電気代、電話代、水道代、税金、○○、××と無造作に銀行口座から引き落とされ、カードやインターネット購入などを使わずキャッシュで暮らしている私たちでも、暮らしにお金がいる時代だということをしみじみ思うのです。

 まあそれはさておいて、携帯電話は便利な道具であることは間違いありませんが、現代人は少し携帯依存し過ぎのようで、携帯を使い過ぎて腕が痛くなったりしびれたりする、携帯電話側腕症なる病名がお目見えしているようです。先日も携帯電話でメールををしながら踏切に侵入し特急しおかぜに跳ねられ大怪我をした高校生の事故が新聞に載っていました。

 携帯電話とともに必需品は運転免許証と名刺入れです。どんなに近くでも今は車で移動するので、免許証は必ず携行しなければなりません。私は余程のことがに限り小物を入れるセカンドバックは持ち歩きません。私的な外出以外はご存じ木になるカバンを提げていますが、運転免許証はいつも背広の内ポケットに名刺入れとともに入れて持ち歩きます。最近になってやっと名刺入れの役割が少し落ちてきましたが、それでも名刺入れも私にとっては重要な持ち物なのです。私の似顔絵入りの名刺は今も人気で年間千枚をこえますが、もうそろそろ名刺への依存を辞めたいような心境です。でも去年一年間にいただいた名刺は相当数にのぼり書棚の一角にうず高く積まれているのです。

 財布はハンケチ、腕時計と同じくらいの必要度です。コーヒーを飲まない私は喫茶店や外食店に入ることは殆どなく、買い物も殆どしないため財布は旅に出る時以外は必要頻度が低いのです。財布のチェックは妻がしてくれ、私の財布には講演などで遠方へ行く時を除けば三万円が常備金額です。この歳になると若い人たちとたまにお昼御飯を共にした時くらいはええ格好をしたいし、若い人たちもそれを期待しているようなので小盤振る舞い程度の気を付けるよう妻から言われているのです。

 まあこんな具合ですが、そうそう大事な持ちものを忘れていました。デジカメです。これは毎日ブログを書くことを日課にしている私には必需品で、その重要度は携帯電話をしのぐ勢いです。お陰さまでこの4年間、自分の暮らしを写真と文章で記録することができているのです。これからもデジカメは私の大切な友達なのです。

  「胸ズボン、あちらこちらを 触りつつ 持った持ったと 確認外へ」

  「携帯と デジカメそれに 免許証 財布二の次 時々忘れ」

  「持ち物を 忘れることより 大切な 記憶を忘れ これはいかんなー」 

  「携帯を 無造作入れた ポケットで バイブ振動 驚き我に」

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○私は調理人になれるか?

 「男子厨房に入らず」なん言葉の生きている古い時代に育った私は、時代遅れと自分で自任しつつもこれまで、殆どその言葉通りの人生を過ごしてきました。無人島へ子どもたちを連れて行った頃は、野外で子どもたちとご飯を炊くこともできたのに、家ではご飯を炊いたこともないのです。このままだと親父のように一人身(そんなことはないと思うが)になったとき、暮らしてゆけないと妻からも子どもたちからも言われていますが、当の本人はいたって平気な顔をしているのです。

 それでも海外派遣でニュージーランドを訪れホームスティをした際、ニュージーランドの男性が食事の後の片付けをしている姿を見て、肩づけだけでも(本当に片付けだけで自分の食べたお皿や茶碗を流し台まで運ぶだけで洗いものはしない)と思ってあれ以来実行していますが、それでも偉い進歩だと妻も子どもたちも心境の変化に驚いたり感心したりしています。

 私の町は漁師町なので、親類や友人から時々魚をいただきます。仕事に出ている妻の手助けを少しくらいはしようと、殊勝にも最近は魚の下ごしらえなど男の力が欲しい作業は時々ですが私がしているのです。

 今日は人間牧場へ山奥組の井上登さんがやってきて、養蜂箱の点検をしてもらうというので出かけました。行くとき金時豆が沢山出来たので叔母の家に届けました。叔母は大層喜んでくれて帰りに立ち寄るよう言われました。立ち寄ったところ南蛮漬けや手作りのじゃこ天などとともに、大きなチヌを2匹いただきました。

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 昼休みを終えて勤めに出かける妻を見送り私は早速出刃包丁を取り出し、屋外調理場で調理人まがいの三枚におろす作業に取り組みました。流し台のシンク内で丁寧に鱗を取り、頭を落として内臓とエラを取り出しました。魚の鮮度は内臓とエラから進むので、これで一応OKです。後は三枚におろして行きます。自分で言うのもおこがましいのですが手慣れた手つきは玄人はだしで、よくテレビで魚を処理できなくて泣きべそをかいている有名人女性よりはよっぽど包丁さばきはよいのです。

 これまで自分の料理する姿を写真に収めたことがないので、証拠写真になるようカメラに小さな三脚を立てて自動シャッターにしてパチリ一枚写真を撮りました。カメラを意識した自作自演の目と顔は真剣そのもので、いい一枚となりました。

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 20分ほどで料理は終わりました。頭は半分に割り、骨もアラ煮用に小切りし、身の部分は腹を切り落とし刺身用にしました。素早くタッパーに入れてラップをかけ冷蔵庫へ入れました。流し台やまな板を水洗いし、汚物を処理し、使った包丁を砥石で研ぎ新聞紙にくるんで収納し、一連の作業を終わりました。

 「やればできるじゃん」、妻の言葉が返ってきそうです。私は元々魚の料理は上手い方なのですが、自分で上手いというと、褒め殺しにあって次々と仕事が舞い込んできそうなので、自慢はこの程度にとどめておきますが、調理師免許でも取りたいようなそんな気持ちなのです。

 さて今晩はチヌの刺身とアラ煮、それにチヌのカマ焼きくらいが食卓に並ぶことでしょうが、今日は少し軽めの農作業を人間牧場でしたので、もうひと踏ん張り家庭菜園で農作業をやって、たっぷり汗をかいて食事を美味しくいただきたいものです。

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  「デジカメを 持ち出し料理 する姿 自作自演に 緊張しきり」

  「今晩の 食卓メニュー 思いつつ 魚の姿 次第進んで」

  「チヌの眼が 恨めしそうに 俺見てる ごめんなさいと 言いつ包丁」

  「お父さん 料理してくれ ありがとう 一番嬉し 言葉返って」

  「

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○お喋りは難しい

 私は若いころには人様の前でお話しするのが苦手で、人様の前に出てかしこまると顔が赤くなったり心臓がドキドキし、心に思っていることの半分も話しすることができないあがり症でした。頭痛のタネとなっていたこのことを解消しようと思えば思うほど上手くゆかず、「俺は駄目なんだ」と諦めかけていたのです。そんな折双海町青年団長の選挙があり、私も他の二人とともに推されて立候補の演説をすることになったのです。私は原稿用紙3枚にに自分の考えを書き、うんこ部屋で一生懸命中暗記しました。そして臨んだ演説会で上がってしまい、物の見事に覚えていた原稿を忘れて大恥をかいたのです。でも私の応援弁士が良かったため私は80パーセントの得票を得て当選し憧れの青年団長になりました。以後私の頭を悩ませたのは会合の度にしなければならない挨拶でした。先輩の青年団長に挨拶が上手くなるコツを相談したところ、「原稿を書いて覚えたら忘れてはいけないことが先に立って上達しない。今日はこれを話しようと項目だけを3つ~5つ考えて、後はアドリブで話したら上手くなる」とアドバイスを受けたのです。結果は予想以上の効果を生み、下手糞ながら次第に上達の階段を上り始めました。そしてNHK青年の主張の県代表になるという幸運にも恵まれて、お話しすることが苦痛でなくなり、見事にコンプレックスを克服出来たのです。

 今思えば古き良き懐かしい思い出ですが、そのことが今の自分を支え講演などで日本全国を旅しているのですから人生は面白いものです。

 話をすることが苦手な人にとって、人様の前に出てお話をすることぐらい苦痛なものはありません。だって人さまはそのことでその人の値打ちを決めるのですから、これは大変なプレッシャーなのです。そんな人もかつての私と同じように、「どうしたら話が上手くなれるか」考えていて、時々私にそのことの伝授を聞きたがりますが、要は私がこれまで経験してきたことを何回となく繰り返す、つまり場数を踏んで練習すること以外妙薬はないと説明しています。

 私たちが人様に対して話す場合の要素は大きく分けて3つです。①自分の立場は何か、②誰を相手に話すのか、③どんな場面かです。

 まず一番大切なのは自分の立場をわきまえ自覚しなければなりません。自分は主催者なのか来賓なのか、司会者なのか、助言者なのかなどなど、自分の認識を誤るととんでもない話になってしまうのです。続いて話す相手は誰かを考えて話します。地元のお年寄りに学者のような話をしても馬の耳に念仏、馬耳東風、さっぱり意思が伝わりません。また相手が子どの時は特に注意が必要で、こちらは理解してるつもりで話しても言っている言葉が理解できないのです。

 さて肝心なのは場面です。例えば祝辞と弔辞というのがあります。祝辞は縮辞、弔辞は長辞といわれるように、祝辞は短いほど好まれます。場所によっては短か過ぎるのも足元を見られますが、沢山の来賓がいる場合などはかえって短い人に好感が寄せられるものです。弔辞はそういう訳にはいきません。むしろ少し長めに方が共感を呼び起こさせるのです。私も何度か祝辞と弔辞をやりましたが、そういう視点に立って話したお陰で少しだけお株が上がりました。

 今ではこの3つを会得したお陰で、人様の前に上がっても上がらなくなりました。嘘だと思うならやってみてください。

  

  「人様の 前に上がって 上がらない 人という字を 書いて飲めとは」

  「失敗を 繰り返すこと 以外なし 私も失敗 山ほどやった」

  「今度こそ 今度こその 根性が 上手い近道 思ってやった」

  「この歳に なっても未だ 上手くない 奥儀極める まだまだ先だ」

 

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