shin-1さんの日記

○ウォーキング大会

 私の住んでいる伊予市双海町灘町地区では、毎年この頃になると自治公民館主催のウォーキング大会がもう30年を超えて開催されています。最初の頃はこどもの日の恒例行事でしたが、少子化が進んで子どもの数が減ったのと、こどもの日には何かと用事が多い人が多いので、日曜日の開催になったのです。

 事前に回覧板で申し込んだ人は約100名だそうですが、この日はあいにく北東の風が強く吹いて肌寒いため何人か欠席となったようですが、それでも老若男女を問わず大勢の人が市役所支所前に10時に集合しました。心配された雨も上がってまあいい天気です。館長さんのあいさつの後、公民館旗を先頭に歩き始めました。一番小さい子供は9ヶ月、乳母車での参加です。最高齢者は85歳とかいっていましたが、年齢で歩くのではないのでみんな和気藹々の歩きです。

 コースは支所前~商店街~シーサイド公園~三島神社~潮風ふれあい公園~支所前のコースです。私の携帯電話についている万歩計だと約1万歩くらいなので、そんなに難しい距離やコースではないのですが、途中に三島神社の長い長い石段があるため、まあ運動には最適かも知れません。

(出発して間もなくの商店街付近を歩く)
(国道378号、シーサイド公園付近を歩く)
(一番の難関である三島神社の長い石段を歩く)
(三島神社の本殿の前での途中休憩)
(目的地潮風ふれあい公園はまだ名残の皐月の花が残っていました)

 このウォーキング大会の最大の目的は歩くこともさることながら親睦交流です。同じ町内同じ地区に住みながら、車での移動が多いし、近所付き合いも少ない最近では、出会う機会が少ないため、「元気だったか」とか、「今は何をしよるん」とか、近況消息を確認しあったり、家族の出来事を話し合ったりとそれは賑やかな話に花が咲きました。

 昼前には全員にお弁当が配られ、子どもたちにはこどもの日のプレゼントでしょうかお菓子類が配られました。

あいにくの寒さだったため、屋外での懇親会を急遽ふれあいの館に変更し、ホールと食堂を借りての昼食となりました。お酒の飲める人にはお酒やビールも振舞われ賑やかでしたが、昔のような威勢のいい姿はなく、こじんまりとした宴席でした。

 みんな歳を取ったとしみじみ実感しながら、八景山を迂回して家路に着きましたが、体習しのいい運動になったように思います。

 道沿いには今を盛りと咲く花々が鮮やかで、思わず持っていたカメラに収めました。

(海岸国道の緑地帯にはガザニアに混じって薄紫の花が咲いていました。何という花の名前なのか分らないのですが綺麗な花が沢山咲いていました)
(目の覚めるようなこの花も見事でした)

 人知れず咲き、人知れず散って行く花々を見るにつけ、「ああいとおしい」と思うと同時に、花々が「もっと私の美しさを見て欲しい」と訴えているようでした。ある人はツワブキや苦汁菜を摘んだりと思い思いの自然の楽しみ方をしてしながら歩いていましたが、歩く目線で自然に向き合うと、道端の草や花にも目が移り、また今まで見えなかった家並みや風景が見えてきます。やっぱり時々は歩いて見るものです。

  「肌寒い 戸外をワイワイ いいながら ゆっくり歩く 見ながら歩く」

  「道端に こんな花々 咲くのかと 花と対話し 万歩を歩く」

  「そういえば 同じ町内住みながら 何年ぶりと 会話を交わし」

  「歩けると いうことだけで 幸せと 叔母さん笑い 一緒に歩く」  

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○心温まるお接待②

 昨日は朝から一日中雨でした。しかも北海道では満開の桜の木に時ならぬ雪が積もるという気象異変とか、流れ込んだ寒気の影響で四国も肌寒い一日となりました。こんな天気の悪い日の旅は何となく気が滅入るのですが、その気持ちを打ち消すような心温かいもてなしを旅先で受けたのです。

 香川県高松市三谷地区コミュニティ協議会からの講演依頼は、最初愛媛新聞社の浅野さんから舞い込みました。 何でも浅野さんとコミュニティセンター長の溝渕さんが大学時代の同級生らしく、話はトントン拍子に進みました。しかし当日の午前中こちらの予定が入っていて、引き受けるかどうか迷ったものです。でも運良くご前中の会議が先方の都合でキャンセルになったのです。今回私の招聘は、聞くところによるとどうやら、佐々木会長さんが20数年も前、私が社会教育を担当していた折、香川県教育委員会で同じく社会教育を担当していて私を覚えておられたこと、三好事務局長さんが6年前香川県で私の講演を聞いていたこと、などが決め手となったようですが、あれから何年も経っているし、私の進化も見て欲しいと思ったのです。

 コミュニティセンターのスタッフの方々の中には料理が得意な人がいるらしく、昼食はうどんと豚肉の生姜焼き、それに里芋、ソラマメの煮物をいただきました。長旅とはいえないけれど、それでも小腹が空いていた時間だっただけに嬉しいもてなしでした。

(昼食のおかず、これに美味しいうどんがつきました)

 やがて三谷地区の史跡めぐりも終わって一服の時間に関係者による食事を兼ねた親睦会が持たれました。

14~15人の役員さんが参加してくれました。私への質問を中心に地域づくりについて色々な質問が出ました。地域づくりや地域の活性化にとって必要なこと、失敗や反対をどう乗り越えたのか、人の前で話せるようになるためのコツ、参会者の固定化や高齢化、それにリーダーの育成など、多岐にわたっての議論は2時間にも及びましたが、みんな和気藹々の楽しいお喋りでした。

 昼食が終わってまだ間がないというのにその席に運ばれてきたのは、とても素人の料理とは思えないほど素敵な出来栄えのさくら餅とサワラの押し寿司でした。それでもご相伴に預かろうと卑しい根性が見え隠れして、ついつい箸が進んでしまいました。さくら餅もサワラの押し寿司も絶品で、帰り際お土産にまでいただきました。

(ほのかな桜の香りのする甘さを抑えた桜餅)
(三彩を挟み上にはサワラとソラマメ、それに山椒の木の芽が乗せられ、一つ葉が器として使われていました)
(つみれ汁も繊細な味で、手づくりの箸置きにも人を迎える気持ちがよく表現さていました)

 三谷地区のコミュニティ協議会は、全国から視察が訪れるだけあって実によく出来た運営をされていました。それはやはり要となる三好事務局長と溝渕センター長の技量によるもの、そしてスタッフの支援体制によるものに追うところが多いようです。溝渕センター長は社会教育の資格を持った方で、月刊社会教育に掲載されている文章を読む限り社会教育のプロ人です。現代の社会教育は教育委員会が全く無能に等しく、公民館をコミュニティセンターにしようとする行政の動きにまったく反論も出来ないまま、行政のいいなりになっている姿をよく見かけますが、溝渕さんはしたたかにさりげなく、これを逆手に取って生き延びているとお見受けしました。三谷方式とでも呼ぶべき新しいコミュニティ活動は、社会教育関係者も見習って欲しいものです。失礼な言い方かもしれませんが女性ながら久しぶりに、そして嘱託職員ながらいい人に出会いました。

 日本全国の社会教育は今危機に貧しています。公教育の場であるのに、指定管理者制度などを闇雲に取り入れ、安上がりな社会教育をやろうとしています。これは合併によって自民党員が減少し自民党が消え行く運命を辿っているのとよく似ています。行政も福祉と教育を安上がりでお茶を濁すと行政不信というしっぺ返しを受けるのです。選挙の投票率が下がって50パーセント以下なんて出来事はまさにその予兆でしょう。特に教育にはもっと責任を果たさないと大変な社会になると予言せざるを得ない状況なのです。

 それにして久しぶりにほのぼのとした集団に出会いました。

  「美味しいと 言う言葉より うまいねえ 手づくり料理 全て絶品」

  「箸置きの 一つ一つに 気を配る も少し早く 出会っていたなら?」

  「どうしたら 話が上手く なるかしら そんな質問 口下手俺には」

  「日本には まだまだ美味い 物ありて 金を出さずも 真心添える」 


 

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shin-1さんの日記

○今日は讃岐へうどんを食べに行きました①

 讃岐といえば「うどん」と言われるくらい香川県のうどんは有名です。映画や雑誌に度々取り上げられて、今はスターダムにのし上がりましたが、最近はブームに乗り過ぎた感じも否めず、また外国からの輸入小麦が高騰し、「安さ」が売り物のうどんを直撃しているようです。それでも今日は讃岐へ行くというので、何処でどんなうどんが食べられるか考えながら讃岐路を走りました。運のいい事に車の中で「うどん屋と呑み助」の落語のCDを聴きながらでしたから、うどんをすする絶妙な話芸が喉を鳴らせていました。

 高速を降り、カーナビの指示するまま高松市三谷を目指しました。今日は三谷地区のコミュニティ協議会の招きで講演です。講演は夕方19時30分からなのに、12時までに会場へ来るようにとの指示です。ご前中予定されていた別の会議がキャンセルになったこともあって、のんびりを決め込みました。

 コミュニティセンターではセンター長の溝渕雅子はじめ市会議員である三好義光事務局長たちが出迎えていただき、早速手づくりの昼食をご馳走になりました。期待していたうどんも、生姜焼き定食も全て美味しくいただきました。

 13時からは三谷町内史跡めぐりへの同行でしたが、あいにく雨足が強くて、八幡宮拝殿で講話を聞きました。そして滅多に見れない名工の誉れ高い左甚五郎作と伝えられている狛犬の彫刻を見せてもらいました。

(左甚五郎作と伝えられている狛犬の彫り物)

(狛犬の保存されている木箱)
(木箱の裏書)

 左甚五郎といえば日光東照宮や京都知恩院の造営、眠り猫彫刻、その他多くの竜の彫刻で有名な人物です。

左甚五郎は七歳で父と死別、十三歳まで飛騨高山の伯父の家で過ごし、京都伏見で修行後江戸に出ています。高松藩との結びつきが深く、香川の四国村にお墓まであると聞きました。それにしても史跡めぐりの道中でとんでもない秘物に出会い大きな驚きでした。古いものの好きな私としては目の正月といったところでした。

(左甚五郎に関するルポ)

 あいにくの雨にたたられ、史跡めぐりは中断となり、事務局長さんの車で八幡宮の直ぐ側の三郎池へ行きました。香川で3番目に大きなため池だそうですが、土手には活性化のために伝説にちなんだステンレス製のドラゴンの設置せられていて、雨に煙る湖面ゆえに神秘をかきたてるような雰囲気でした。

(威風堂々ドラゴンのモニュメント)

 土手に菜の花を植えようとして失敗した話や、周囲4キロの駅伝大会の話など、面白い話をいっぱい聞き、夜の講演会のネタ話にしようと思いましたが、残念かな総会が少し延びて私の時間に食い込んだため、その話はお預けとなってしまいました。ともあれ楽しい三谷での一日でした。

(総会は時間を超過するほど熱気に包まれていました)

  「甚五郎 彫りし狛犬 取り出して あれやこれやと 歴史紐解く」

  「名工の 誉れも高い 甚五郎 こんな田舎で めぐり合うとは」

  「ドラゴンが 小雨に煙る ミステリー 知恵さえ出せば 資源いっぱい」

  「白熱の 議論重ねる 総会は 俺の時間を 食い込むほどに」

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○土佐清水市にて②

 若し私が東京から日本の各地へ旅立ったと過程すれば、目的地へ到着するにどのくらいの時間がかかるだろうと考えてみました。例えばわが町双海町だと羽田から飛行機で1時間20分で松山空港に着きます。そこから車だと50分くらいですから、乗り継ぎを含めても2時間半もあればいいのです。ところが土佐清水市に行こうと思えば、まず羽田から高知龍馬空港までは松山と同じく1時間20分くらいでしょうか、そこからは車で3時間以上かかり、ゆうに4時間半もかかるのです。遠い遠いと思う沖縄県の県庁所在地那覇でも2時間40分程度ですし、東京から新幹線でも博多まで5時間強で行けるのですから、同じ四国の地にありながらわが町から土佐清水市まで4時間以上かかることがいかに大変なものか理解できると思うのです。

 土佐清水市は飛行場も遠く、土讃線は窪川までしか走っていないし、高速道路も今のところ須崎までしか開通していないのです。もっぱら一般国道を走らなければならず、恐らく今後10年間は全ての交通アクセスにおいて今以上の進展はなく、かすかな望みは人口減少による交通量の減少とは皮肉な話です。

 でも私流に考えれば、これまで田舎だった所に高速道路が出来たり飛行場が出来たり、また橋や新幹線が開通した地域は殆どが人は通過するだけ、そしてストロー現象で人口が減り、大手資本の郊外店がどんどん増えてシャッター通りとなっていることを思えば、土佐清水市は何だかんだいいながら少なくても今後10年間はそれなりの現状を保ち続けることが出来るのですから、むしろ喜ぶべきことだと思わなければならないのです。

 昨日私は高知県土佐清水市地域雇用創造協議会の招きで、「雇用創出成功事例セミナーに出かけました。馬路村の村おこしに深く関わった経験を持つ松崎了三さんからの依頼で、高知県馬路村農協組合長の東谷さん、徳島県上勝町株式会社いろどり副社長の横石さん、それに愛媛県の私と、自分の口からいうのも何ですが、何とも贅沢な顔ぶれです。その3人が松崎さんをコーディネーターにして持ち時間各1時間を喋り捲りました。会場には土佐清水市以外の県下各地からも参加して、会場いっぱいの盛況ぶりでした。

(西村土佐清水市長さん)
(松崎了三さん)

 市長さんのあいさつの後、早速東谷さん、私、横石さんの順番で講演に入りましたが、参加者は熱心で、私を除けばそれぞれ資料を用意し、パワーポイントを使って要領よく話していました。私は資料もなく、ましてやパワーポイントも事務局から勧められましたが、僅か1時間なので全てを止めにして喋りに重点を置いたのです。

 前と後が凄い人なので、サンドウィッチのようにに挟まれぬよう、ジョン万次郎のことを引き合いに出しながら、まあ楽しく話しをさせてもらいました。

(東谷さん)
(参加者)
(横石さん)

 会場には大月町の岡さんや堀さん姉妹、産業振興課の西村さん、宮地さんなど、なじみの人も来られていて、久しぶりに会話を交わしました。また何年か前土佐清水に講演に招かれた折、早朝定置網に連れて行ってもらった窪津漁協の瀧澤組合長さんとも嬉しい再会をしました。

 セミナー修了後会場を移して交流会が行われました。本来なら宿泊する予定でしたが、残念ながら明くる日の予定が積んでいて、交流会を早目に切り上げ、カーナビの案内するままに元来た道を引き返し、12時過ぎにわが家へ帰って来ました。

 土佐清水はいい町です。足摺岬という一級の観光地を抱え、ジョン万次郎のふるさとでもあります。さらに海の幸や山の幸がふんだんに獲れて、食文化がヤタかな地域だと思います。要はこれらの素材をどう知恵で料理するかにかかっているようです。

  「三人が 話し紡いで 三時間 会場満足 寝る人もなく」

  「前と後 サンドウィッチの ようだねと 笑い誘いて 勝負をかける」

  「よくもまあ こんなお喋り 三人も 揃えたもんだ あんた(松崎さん)は偉い」

  「ジョン万の 最も影響 受けた俺 まずは市民に 少しのお返し」

 

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○ジョン万次郎に出会う旅①

 「ジョン万次郎の生涯」という一冊の本にめぐり合ったことが自分の人生を目覚めさせるきっかけになったと、今も自分の記憶を蘇えらせるのです。そう私はその当時小学校5年生でした。母校である下灘小学校の図書室の書棚に古ぼけた「ジョン万次郎の生涯」という一冊の伝記本を見つけたのです。何気なく読んだその本に私は衝撃を受けました。漁師に生まれ若くして出漁中遭難してアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡って学業を修め、黒船や鎖国開国といった幕末動乱を生き抜き、日本のために尽くした数奇な運命を、ただ漁師の子せがれという一点だけに重ね合わせて様々な夢を見たのです。その時はただ漠然とした「海の向こうにアメリカがある」ことや、「いつか大きくなったら自分もアメリカへ行きたい」という思でしたが、何時しかそれが夢となって自分の心に描かれていったのです。

 結果的に23歳ので作った生活設計に「30歳になったらアメリカへ行く」具体的な目標となって書き込まれ、その夢が実現したばかりか、アメリカへのたびによって自分の人生観までもが変わってしまったのです。ジョン万次郎の言葉に「感動とは夢を形にする行動力である」というのがありますが、まさにその言葉どおり私は一冊の本から大きな感動を得たのです。

 今回の土佐清水市への近くて遠い旅は、たまたまゴールデンウイークの5月4日、息子夫婦に誘われて桂浜に建っている坂本龍馬の銅像に出会っており、室戸岬に建つ中岡慎太郎とともに、室戸に建つジョン万次郎の銅像のことが頭にあったため、少し早く行って足摺岬まで足を伸ばそうと思いました。カーナビの誘いで土佐清水市役所付近を通過したのが11時20分頃でした。急ぎ岬の九十九折の道を走り見覚えのある温泉街を通り過ぎ岬の突端まで進みました。駐車場の直ぐ横にジョン万次郎の銅像は建っていました。

(足摺岬に建つジョン万次郎の銅像、ジョンは何を見ているのでしょう)
(ジョン万次郎の生涯を紹介する碑文)

 この地は何度か訪ねているのに、ジョン万次郎の銅像の記憶がないとはどういうことか、自責の念に駆られつつ銅像の前に立ちました。そしてカメラに収めながら自分の記憶と碑文を重ね合わせて何度も読み返したのです。ジョン万次郎は宿命を運命に変えた幸運な人です。漁師に生まれた宿命、船が遭難してはるか鳥島という無人島に流された宿命、鎖国という宿命、これをことごとく跳ね返し、運命の扉を開くことが出来たのは、ホイット・フィールドという捕鯨船の船長との出会いでした。そしてアメリカで学業に励み、航海術・捕鯨術・測量術・英語などを学び、帰国するも投獄されながら許され、咸臨丸の渡米の陰の立役者となったのです。その後東大の前身である開成学校の教授をしたりしながら71歳の生涯を閉じています。

 この日の待ち合わせ約束時間が12時30分だったのですが、馬路村の東谷さんと事務局から電話が入ったため、少し急ぎ足で遊歩道を歩き、灯台の直ぐ下まで行きました。


(灯台に至る椿のトンネルの散策路)

(四国最南端の足摺岬灯台)

(展望台から見える足摺岬の絶景)

(この位置から沖合いを見ると隣はアメリカ、そんな大きな夢が湧いて来るようです)

サニーロードのもう一つの道を通って、万次郎の生誕地中浜を経由しました。橋の上から見える中浜の集落はひっそりと静まり返っていましたが、百数十年前に万次郎がこの地から太平洋へ漕ぎ出したのかと思うと、少し感慨深げでした。

(中浜万次郎といわれた、万次郎生誕地中浜)

 ジョン万次郎に憧れて少年時代を過ごしただけに、その足跡をたどれた今回の旅はとてもラッキーな旅でした。ジョン万次郎の生涯を再び紐解きながら、自分のこれからの生き方も考えてみたくなりました。

 ジョン万次郎の言葉  「感動とは 夢を形にする行動力である」

  「ジョン万が 生まれ育った 中浜の 集落見えて 感慨深げ」

  「足摺の 岬に立ちて 海を見る 心眼開き 何をか思う」

  「名も姓も 無きに等しい 子せがれが 運命開き 偉業を成しぬ」

  「海はいい 全て飲みこむ 度量にて ロマンかき立て 俺を導く」 


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○今日は高知県土佐清水へ出かけます。帰りは?

 見出しのようなタイトルをつけて、高知県土佐清水市へ出かけました。帰りが何時になるか分らないようなそんな日帰りの旅でした。前日四万十市西土佐の和田総務課長さんから、また相次いで旧友中脇裕美さんから電話が入り、土佐清水市への旅の途中西土佐へ立ち寄らないかとの申し出でした。

 土佐清水へのルートは宇和島・宿毛ルートと四万十市経由の2案が考えられましたが、せっかくの申し出なので、どちらが早いかなども考えず目安双海から西土佐まで2時間余り、西土佐から土佐清水まで2時間余りとおおよその考えで、早朝6時30分にわが家を出ました。本当は双海~中山~内子~肱川~日吉~松野~西土佐が最短コースなのですが、瀬戸内の海を見ながら長浜~大洲~肱川経由の道を走りました。長浜からは愛媛県内の大河肱川を上流へと上ります。いつの間にか城川・日吉辺りから分水嶺を越えるため川の様子が変わり広見川へと出ます。でもこの川は高知県に源をなす大河四万十川なのです。四万十川~広見川~四万十川~太平洋となるのですが、行政権圏が変わるだけで川の名前が変わるのも可笑しいものです。故に高知県人の不満は、中流域の広見川をもっと誠意を持って環境保全に取り組んで欲しいと思っているのです。にもかかわらず松野などではおさかな館に下流にしか生息しないアカメなどをさも自分所の魚だと見せびらかせて金儲けをしていると、かなり手厳しい反論を何時も愛媛県人ゆえ私にぶっつけてくるのです。

 広見川を下り、見覚えのある民宿を横目に見ながら西土佐に入り、中脇裕美さんの経営する「仲間屋」というお店に立ち寄りました。裕美さんは一昨年まで市役所支所に勤めていた方ですが、思うところあってリタイアし特産品などを扱うお店を開業しています。二階建ての古風な家を借りていました。私がこの店を訪ねるのは勿論初めてですが、裕美さんから電話で聞いていたので直ぐに見つけることが出来ました。リタイアしてもまだ事務所さえ持たない私にとっては何とも羨ましい転身ぶりです。事務所の中には扱っている特産品がそこら辺に置いてあって、彼女が一番売りたいお米も小袋に入れて出荷を待っているようでした。聞けば酒類販売の許可も間もなく下りるそうで、地酒を中心にした酒屋も始めるようです。これもこだわりの米からの発想なのでしょう。


(山間米を使った「山」という名前のお酒と鳥獣有効活用の鹿肉のジャーキー肉)

 店には男性が一人裕美さんと商談中でした。裕美さんの紹介で名刺交換しましたが、「鳥獣有効活用しまんとのもり組合」岡村有人と書かれていました。何でも鹿や猪などの有害鳥獣といわれる動物の肉を活用する新たな商売のようです。早速車の中から鹿肉の乾し肉のスライスを一枚持って来てプレゼントしてくれました。「味見」を勧められましたが、持って帰って愛媛県内の地域づくり人に話題提供したいと思っています。このように高知では死に物狂いで活性化に向けた努力が行われているようです。和田課長と横山勝ちゃんも加わり賑やかな話に花が咲きました。

(四万十の上流風景)
(四万十の川下り)
(四万十の下流風景)

 先を急ぐ旅なので早々においとまし、四万十川を中村目指して下りました。今日は天気もよく、久しぶりの四万十川はまるで母なる川のような悠久の流れを見せていました。途中船宿舟母に立ち寄りましたがあいにくの留守でした。

 道沿いのあちこちには鯉幟に加え高知県独特の武者絵のふらふが気持ちよさそうに五月の空にはためいて、何とも長閑な土佐路でした。

  「有害な 鳥獣鹿肉 商品に 商魂たくまし 見習いたいね」

  「旧友と しばし談笑 仲間屋で 小さな頑張り 大きな拍手」

  「悠久の 流れ長閑けき 四万十を 横目見ながら のたりのたりと」

  「高知では 最後やっぱり 酒となる 飲めぬ私に 酒の土産を」 

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○知らないのに知ったふりをする人

 まるで落語の話のようですが、世の中には知らないのに知ったふりをする人、知ってるのに知らないふりをする人、知らないのに知らないふりをする人の三種類の人間がいるようです。すらないのに知らないふりをするのは愚の骨頂で、知らないのなら知らないといえばいいのでしょうが、そうも行かないのが人間の悲しいところのようです。大体今の世の中は余程利口に生まれてきても時代の進歩が早く、知るための努力を幾らしても追いつかないくらい知らないことが増え続けているのです。最近は知らなくてもパソコン辞書の普及でかなり調べることが出来るのですからアリがたことですが、そのパソコン辞書の引き方が分らないようだと、門前払いされるのです。

 知っているのに知らないふりをする人にも困ったものです。特に国会中継などで証人喚問と称して登場する人たちの中には、この手の人が多く「記憶にありません」とか「忘れました」などと曖昧模糊な答弁を繰り返し、後に偽証罪という追い討ちをかけられたりするのです。最も最近は国会中継もカメラが入るようになって、極限の世界が国民の前に晒されるのですから、その場だけでも逃れたいという人間の心理も分るような気もするのです。

 最近有名料理店や菓子店老舗、ミート業者の食に関する不正が相次いで発覚し、それらが誘導するのか車のリコールなど早めの対応が目立つようにはなってきましたが、その度に責任者の面々が頭を下げて詫びを入れる姿がテレビで紹介されるようになりました。頭のてっ辺が薄くなった人たちの苦痛にゆがんだように見せる姿の裏に、ペロリと舌を出して薄ら笑いさえする姿が見え隠れするようです。上に立つものが「知らなかった」「忘れました」「記憶にありません」「指示したことはありません」などと言い逃れするのはみっともない話です。どんな些細なことでもトップに立てば全て責任は被らなければならないし、責任を取らなければならないのです。

 ところで知らないのに知ったふりをする人もかなり多いようです。まあ人間は自分をより以上に見せたいと思う見栄のようなものがあるのですから当然といえば当然です。私が直接体験した話です。これも落伍のネタ話に使いたいと思っていますが、ある町の議会での話です。ある議員が「町長質問」と大きな声で手を挙げ、議長の許しを得て質問したのです。「町長の説明したインポジウムについて質問いたします」と切り出すと、議場のあちらこちらから笑いがこぼれ、町長も口に手を当てて必死に堪えていましたが、ついに笑ってしまいました。するとその議員は「私がインポジウムの質問をしているのに笑うとはけしからん」と怒り始めました。その時町長は笑いを止めて議長に答弁を求め「議員の質問にお答えいたします。シンポジウムは町を起こすために行いますが、インポジウムで町は起きません」と、見事にやり返しました。さすが町長です。激怒した義いいの横に座っていた別の議員がその議員の背広を引っ張り「おいインポジウムとシンポジウムは違うぞ」と諭し、始めて自分の知らないのに知ったふりに気付いたようでした。

 アメニティといえば「飴をなめてお茶を飲むこと」なんて笑い話もありました。またコミュニティなんて横文字は日本語に訳せば訳すほど難しくて説明できないものまであります。パソコン用語のドットコムを聞いた親父が息子に「ドットコム何処が混むのと父が言い」なんて川柳を産んだりするのです。

 まあ知らないことは背伸びをせず素直に「知らない」と言った方が賢明かもしれませんね。

  「知らぬのに 知ったかぶりの 見栄を張り 結局化けの 皮剥げ難儀」

  「知っている くせに知らぬと 嘘をつき 偽証罪など 恥の上塗り」

  「てっ辺が 薄くなってる 頭下げ 下向く顔から 舌が覗いて」  

  「わが値打ち 自分が思う 程でなし 威張ってみても たかが知れてる」 

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○再び今治へ

 今月2日に今治に住む息子にせっかく会いに行きながら緊急な会議が入り、出会うことが出来ず不発に終わったばかりなのに、縁とは不思議なもので今日もまた別の用事で今治へ出かけました。妻は息子に「お父さんが行くから何か欲しいものはないの?」と電話をかけたようですが、男の子は相変わらずぶっきらぼうで、「仕事の日なので会えない」というショートな会話で打ち切られてしまったようでした。親子なんてそんなものだと思っている私に、妻はやれ「年頃」だの、やれ「食事はきちんと取っているの」とか、相変わらず心配の言葉を息子に向って話しているのです。

(今治市役所11階からはしまなみ海道来島大橋が綺麗に見えました)

 今日は今治市役所の11階特別会議室で「今治市生活研究協議会」の総会行事があり、その記念講演講師として招かれたのです。10時からなので、9時30分に到着するよう朝7時過ぎにわが家を経ち、松山を経由し海岸沿いの165号線を走りました。今日は絶好の日和でした。長いゴールデンウィークも昨日で終わり平静さを取り戻したのでしょうか、沿線は何時もより静まり返って、道も空いていてスイスイ2時間で予定通り到着しました。

 農林振興課へ午前9時50分までに来るよう文章に書いていた事をすっかり忘れ、農林振興課が8階にあることさえも記憶になく、11階まで上がるエレベーターが一箇所しかないため、エレベータはかなり混んでいたので時間もあることから思い切って歩いて上がる事にしました。何気なく歩き始めたのですがこれがかなりきつく、11階に到着した頃は少し汗ばんでいたようでしたが、まだまだ元気な自分に安堵しました。

(笑顔が楽しい総会記念講演会場)

 玄関ロビーに到着するなり、えひめ地域政策研究センターの清水研究員さんから携帯が入りました。「今日は今治の生活研究会で講演ですって」と唐突に言うのです。「えっ、何で知っているの」と耳を疑いましたが、この会に参加する予定である大西町朝フル会の大河内結子さんから聞いたというので納得しました。清水さんはすかさず講演に二人だけの内緒話の注文をつけました。一応了解したものの、しかし「やばい」とも思ったのです。だって知らない人だけならばどんな話も出来るのですが、知り人がいるとこちらが気を使ってしまうのです。でもそれは殆ど始まるまでの取り越し苦労で、講演が始まると「小島よしお」の「そんなの関係ない」って感じになるのです。会場には何人も知り人がいて、これまたやりにくい心境でした。それでもたっぷり1時間30分お話をさせてもらいました。やはり実践家の集まりなので反応も絶好調、私も舌好調といったところで、あっという間に終わってしまいました。

(お土産にいただいたミニカボチャと小玉スイカの苗)

 帰りにカボチャとスイカの苗をそれぞれ2本ずついただきました。スイカは小玉だそうです。カボチャもミニカボチャだそうで、早速帰ってから家の横の家庭菜園に植えつける準備をしなければなりません。明日は朝早くに土佐清水へ出張して、夜遅く帰る日帰りの旅が待っているので、今日中に植えつけたいのですが、今日が締め切りの原稿があるのでかなり悩んでいます。原稿を間に合わせるか苗植えを優先するか、悩みながら帰って来ました。

わが家の野菜作付けはもっぱら親父の仕事です。親父は自分の気に入らないものは作らない頑固者なので、カボチャもスイカも余り好きではないようです。親父にこっそり植えると、引っこ抜かれてしまうので、親父の機嫌を取って見たいと思っています。

  「今治が 次第に近く なりにけり だけど息子と 顔も合わさず」

  「顔見知り 多い講演 やりにくい プレッシャーだと 思うが忘れ」

  「お土産に スイカとカボチャ いただいて 菜園管理 親父説得」

  「十一階 歩いて上がる 勇気持つ 俺もまだまだ 足腰しゃんと」 

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shin-1さんの日記

○割れかけた湯飲み

 私の家の台所には、大小様々なコップや湯飲みがあります。どれがコップでどれを湯飲みというのか分りませんが、新築祝いや子どもの記念品、観光土産などでもらったものが殆どだと思うように、文字入りで焼かれたものが多いようです。それ程沢山あるのに毎日お茶を飲む湯飲みは殆ど一つか二つに絞られて使われているのです。昨日の朝、お茶の量丁度良いため愛用している小さめの湯飲みにヒビが入っているのに気がつきました。その湯飲みは紛れもなく観光土産で、どこかの観光地で買った物なのですが記憶にないほど古いのです。

 湯飲みの側面には「理想の妻」と箇条書きでかかれています。

 「理想の妻」

 一、夫の好き嫌いを早く飲みこむ妻

 二、快活でたっぷり従順で優しく上品な妻

 三、どことなく初々しい感じのする妻

 四、家政と料理が上手で糠味噌臭くない妻

 五、気転ががきいて利口ぶらぬ妻

 六、何事にも理解と同情を持とうとする妻

 七、働き者でコセツカぬ妻

 八、話し上手聞き上手の妻

 九、飾り気なく身だしなみのよい妻

 十、世の中に遅れぬだけ修養につとめる妻

 殆ど毎朝、この湯飲みでお茶を飲みながら、お茶の量が減る度に湯飲みを横にして、「お前のことを言っているようだ」と、妻に向って歯の浮くような褒め殺しをしているのですが、昨日の朝は「この湯飲みも割れ始めた。お前の理想もこれで終りだな」と湯飲み宜しく茶化して話しました。妻曰く「お父さん、これは男の目から見た願望でしょう。この『理想の妻』「理想の夫」にして、少しは私の納得いくような夫になるよう努力したらいかが」とやり返されました。確かに私は妻の言うように「理想の夫」ではないかも知れないと自分でそう思うのです。だのに一方的に妻にだけ理想を求め続けていたようです。

 それでもこの頃少し優しくなったと妻は私を褒めてくれます。これまでは「仕事」第一で、殆ど家庭など顧みなかった私です。家事全般、子育て、近所付き合いどころか、私の仲間や友人の付き合いに至まで、全てを妻の仕事と位置づけて強要してきました。それでも妻は一生懸命働いてきたし、私のリタイア後の今も薄めの化粧や普段着に甘んじて働いているのです。

 妻が「近頃優しくなった」というのには訳があります。職場である歯科医院の同僚の娘さんが急逝して前触れもなく辞めたため、二人の職場が一人となり、忙しさが二倍になったため、帰ると肩が凝ったと疲れをあらわにするものですから、ぎっくり腰の治療で通った整体院の揉み方を見よう見真似してマッサージしてやるのです。最初は「まあ珍しい、雨でも降らなきゃいいが」などとからかわれていましたが、今は「そこを揉んで」と肩や腰の凝った部分を強要するのです。

 妻の体を揉みながら、「俺も優しくなったものだ」と自分に納得させ、妻も「優しくなった」と褒めてくれるのです。少しだけ嬉しくなって、最近は家の周りの草引きなどもするようになって、いよいよ「理想の夫」を目指しつつあるようです。

 間もなく割れるであろう運命の「理想の妻」の湯飲みを、自戒の念をこめて写真に収めました。

  「理想妻 書かれた湯のみ ヒビが入り 夫婦のヒビと ならないように」

  「理想だけ 妻に求めて 生きてきた 勝手な夫 少し変身」

  「観光地 今度は俺の 目標を 書いてる湯飲み 探し求める」

  「理想夫を 求める箇条 作ろうか 少しやましい ことがあるから」

 

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shin-1さんの日記

○わが事務所

 「若松さん、会社を興したらどうですか」と、時々友人から話があります。というのも最近、講演依頼の際「会社名で講演の見積書を送ってください」という問い合わせが数件あるのです。その都度「私は会社は起していませんので会社名の見積書はできません」と答えると、「あなた個人の名前でも結構ですので見積書を」と言われれます。「私の講演料はそちら様のご都合もおありでしょうからお任せしますのでご提示下さい」と言うと、それ相応の講演料や旅費、宿泊費の提示があって、私は見積書を作らなければならない羽目になるのです。そんな時友人たちが「○○研究所」とか「××事務所」などの肩書きで講演などに出歩いている姿をよく見かけるのです。さてさてどうしたものか退職時には真剣に考えましたが、名刺の肩書きなど必要でないと軽く笑い飛ばして今日に至っていますが、私の日程調整や確定申告など少しハード過ぎる日々を考えると、心が動いたりするのです。でも今のような暮しをそんなに長くやる気持ちもないので、このまま軟着陸しようと心では思っています。

 さて私の書斎もいつの間にか、まるで事務所のような風采になってきました。狭かった机は長男の配慮で事務所のような大きくて広いものに替わり、机の上にはパソコンとプリンター、それにコードレスの電話まであって、まるで看板がないだけの事務所です。最近はこの書斎兼事務所で過ごす時間が多くなってきました。朝4時に起床すると真っ先に飛び込むのこの部屋で、さしずめ朝の時間は書斎なのだと自覚しますが、そのうち妻が「ご飯の用意が出来た」と呼びに来て書斎の役目は終わります。やがて8時30分になって妻が仕事に出かけて行くと、再び部屋に入ります。ここからが事務所で、電話が入ったりメールの処理をしたり、原稿を書いたりと仕事らしくもない仕事を片付けますが、週一のペースで大学の授業があるため、調べ物をしたり授業の準備などをしますが、昼間は殆ど家にいないため事務所は無人となります。幸い事務所の横の隠居には親父が年中在宅で門番守衛の役目を果たしてくれます。時折訪ねてくる宅配業者や郵便局の人、更には私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を訪ねる人は親父が案内し、耳が遠いながらレクチャーするのです。そして私が帰ると、「○○さんが訪ねてきた」とか、「宅急便が届いたので受け取った」と、最低限の留守番をしてくれるのです。私の事務所は留守がちな私と留守番の親父と二人で経営しているようなものなのです。

 リタイアして丸三年が過ぎて四年目に突入しました。そろそろリタイア後のリタイアも視野に入れて考えなければならない年齢に達してきましたが、友人が「会社を興したら」というお勧めはどうやら夢物語に終わりそうな雲行きです。でも一方で坂本龍馬のように遊び心で「○○株式会社」なんてパロディー豊かな看板でも掛けたら面白いことが起こるかも知れないと、仙遊寺住職の小山田住職からいただいたタモの木の板を想像したりしているのです。

 私はある意味でこれまで、水先案内人のような生き方をしてきました。私に続くリタイア組みも私のような生き方がしたいと思ったり、言ったりしている人も何人かいます。そんな事を考えると、絶えず一歩前をアイディアを出しながら力強く輝いて生きて行かなければなりません。そんな事を考えながら書斎兼事務所をもう一度リニュアールしたいと思う朝を迎えました。

  「事務所兼 書斎のような 一部屋で 遊びも仕事も 三年過ごし」

  「会社でも 作ろう思う 日もあった 社長になるも 夢のまた夢」

  「はいこちら ○○会社の 社長です どうもしっくり いかぬ止めよう」

  「ご飯です 妻の呼ぶ声 我帰り 今朝もここから 一歩始まる」

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