shin-1さんの日記

○久しぶりの宇和島②(雑感)

 昨日の会議は組織改変による文字通り南予の中心となった県庁南予地方局の7階会議室で行われました。会議に先立ち地域政策課に八十島補佐さんを訪ねました。この春から県庁から赴任した旧友です。大森課長さんや宮川補佐さんなど知り人が多く、かつて宇和島地方局時代に訪ねた地方局とは打って変わって、何か元気ややる気のようなはつらつとした空気を地域政策課の室内に感じました。まさに南予活性化の最前線といった感じです。

 全国大会実行委員会の会議は実行委員長である私が議長を務め、特に15分科会のプログラム内容について吟味を重ねました。既に原案は出来ているのですが、全国の人に情報発信する大切なメッセージなので、少し長めの時間をかけました。多分私の執拗なコメントを聞いてカチンときた部分もあると思うのですが、これから微調整をして来月には正式な要綱が出来上がり全国に発信する予定です。

 会終了後前夜祭と全体会の会場を歩いて視察しました。実行委員会のメンバーに土地勘と士気を高めるためのデモストレーションのつもりでしたが、少し暑く感じる1時間の散歩は堪えたようでした。全体会場となる南予文化会館ではこの春市役所を退職した佐々木さんが館長に就任していて、思わぬ旧友との再会を果たしました。

(散閑とした商店街はシャッターの閉まっているお店も目につきました)

 夕闇迫る頃、一通りの会議を終え袋町商店街を通りました。平日のためか商店街は道行く客も少なく、全国ありきたりな中心市街地の活性化という重い荷物をしょってるような姿に心が痛みました。宇和島の人に「若松さん妙案は」と聞かれましたが、妙案浮かばず「商店主と市民の意識改革をしないと難しいですね」と、とんちんかんな話をしてしまいました。昭和レトロで復活した大分県豊後高田の商店街を思い出しました。常に一番を走るか一周遅れに甘んじるか、どちらかでないと二番三番では見向きもされないのです。私の町は一周遅れの発想でした。故に目立ったように思うのです。発想はいっぱいありますが、どんな思いで誰がするのかとなると、一歩前に進めないし、振り子時計の原理で終わるのです。はずみ車の原理にするには反対も失敗も痛みも伴います。


 この夜の宴会はほづみ橋のたもとにあるほづみ亭という粋な料理屋で行われました。実行委員会結成以来始めての会費制懇親会なので心配と楽しみが交錯しましたが、いい雰囲気で交友を温めました。

 この夜は私たち双海町三人組にとってもう一つの楽しみがありました。それは三年間双海町翠小学校の校長としてご厚誼のあった鹿島先生との出会いです。既に高野さんが連絡を取り合っていたらしく、ほづみ亭近くの小料理屋で先生と落合い、懐かしい話や近況を飲みながら食べながら旧交を温めました。縁とは不思議なものでえひめ地域政策研究センターのまちづくり部門に旧津島町から出向していた森田さんの在所にある小学校の校長に赴任している陽で、校長先生の近況は時々入ってくるのです。

 翠小学校はご存知愛媛県内では最も古い現役木造校舎なので、鹿島校長先生は在職中かなり注目を集めた校長先生でした。私も当時は町の教育長だったこともあって懐かしさ一入です。途中センターの谷本さんも合流し賑やかな二次会となりました。

 午後9時半ごろ私の運転で先生を自宅のある旧吉田町で別れを告げて下し、内子経由、河野さん宅経由、米湊さん宅経由でわが家へ11時半に帰りました。「お帰りなさい」という妻の声に幸せを感じながら、昨日歩いた道筋をたどるようにデジカメの写真を取り込みながら長くも充実した一日を終わったのです。「明日は大事な会があるから」と自分に言い聞かせて・・・・・。

  「宇和島も ご多分漏れず 商店街 シャッター通り 何か妙案」

  「校長の 顔が紅潮 絶好調 久しぶりだね 旧交熱く」

  「わがブログ 読んでいるから 俺のこと 手に取るようで 嬉し恥かし」

  「この写真 二人ハンガー 吊るされて 知らぬが仏 思わずウフフ」


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shin-1さんの日記

○久しぶりの宇和島①(宇和島城)

 私にとって宇和島は第二のふるさとです。というのも16歳から18歳までの勇猛果敢な高校時代の3年間を、この宇和島で過ごしているのです。時は高度成長の始まる昭和36年ころですから、戦後復興を遂げた宇和島の町が南予の中心都市として最も賑やかな時代だったのかも知れません。もう半世紀にも及ぶ45年も前の出来事だし、年齢的にも過去を覚えている限界に近いことや、その後の発展で記憶の殆どを消し去っているから、久しぶりに訪ねてもそこここに見覚えがある程度なのです。

 でも終着駅ながら始発駅である宇和島駅の線路と、城山に聳える宇和島城だけは変わることなく宇和島のシンボルとして根を張るようにどっしりと構えています。お城のある街はどことなく落ち着いていて、ふもとの枡形町に住んでいた頃が懐かしく思い出されます。

 昨日はまちづくり団体交流全国大会が今年の秋、この宇和島を中心に南予辺りで11月に開催されるため、その実行委員会が催されたのです。中予でありながら分科会の一つを受け持つ伊予市双海町から参加の高野喜由ほたる保存会長さんと伊予市役所主幹米湊誠二さんを伴って、夜の懇親会を見越し、酒を飲まない私の車で出かけました。途中顔見知りである吉田のうどん坊で昼食を取り、宇和島へ12時過ぎに入りました。腹ごなしに宇和島城へ登ろうということになり、「上り立ち門」に車を止め登り始めました。城山の木立は爽やかで、なだらかな中にも急峻な石段を登ると、お昼の散歩を楽しむ人が結構いて、あいさつを交わしながらの登城です。

(上り立ち門)

 やがてお城が見えてきましたが、何時も変わらぬ威風堂々とした姿です。

(初夏の空に清々しく建つ宇和島城)

 私は宇和島に3年間もいながら、また講演などで足繁く通ったりしながら、まだお城の中へ入ったことがないのです。この日は場内拝観が出来るとあって200円の拝観料を払い見学をしました。

(宇和島城の普請の際に作られた模型骨格展示)
(殆どが松材で出来ている城の内部の立派な梁は普請の度の比較が出来ました)
(一階から二階に上がる急な階段)

 格子の窓から手を差し出し、城山の眼下に広がる市街地をカメラに収めました。そこここに懐かしい建物が見えました。

 
(東側、北宇和島方面)
(北側、宇和島湾を望む)
(西側、来村方面)
(南側、丸穂方面)

(宇和島城と石垣)
(お城の前で記念写真を撮りました)

 

 宇和島は「伊達十万石の城下町」と呼ばれ、藤堂高虎創建、天守閣は二代宗利が再建した三重三階総塗籠式、層塔型といわれて、国の重要文化財に指定されています。万延元年と昭和35年に大修理が行われているため、殆ど痛みもなく往時の姿を今もなお伝えています。

 この日は予期せぬお城の見学ができてラッキーな一日でした。

  「久しぶり 訪ねし街の 城山に 上りて天守 拝観嬉し」

  「格子戸に 手を差し出して 遠望を 写真収めつ 記憶たどりぬ」

  「町並みも 人の暮しも 変わったが 城山だけは 今も昔も」

  「終着の 駅は始発の 駅になる 集団就職 ここが始まり」

   

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