shin-1さんの日記

○今日は二人の孫の初節句

 初孫だった朋樹君も大きくなって5歳になり、来年はいよいよピカピカの一年生になるため、幼稚園の年長組みとしての自覚が出来たのか、何かにつけてお兄ちゃんを連発するようになりました。今日は朋樹君の弟である岡本直樹君の満一歳の誕生日です。また内孫である若松希心君の初節句のお祝いの日です。最初は希心君の初節句と考えていたのですが、よくよく見れば直樹君の誕生日だし、尚樹君にとっても初節句なのだから合同でやろうという事になって妻と二人で出かけて行きました。



 長男の嫁のお父さんはカメラが趣味のセミプロなので、私はおこがましくもデジカメなどではと控え目に、カメラを忘れたふりをして、初節句の内幟飾りが飾ってある長男の住むマンションに出かけました。ここで嫁のお父さんによる撮影会をしました。主役の希心君にとっては迷惑な話で、沢山の人が来るので何事が起きたのかと思われるような興奮状態に加え、昼寝の時間を邪魔され少々お冠の状態でした。それでも習いたての「いい顔いい顔」を連発してカメラ目線になっていましたが、堪忍袋の尾が切れた終わりごろにはご機嫌斜めの状態でした。

 今日は娘の家族と息子の家族、それに長男の実家と私たち夫婦含めると大小10人の団体で松山にある馴染みの中華料理店大岩へ乗り込みました。最初は静かな会場もさすがに子ども三人は泣き笑いで蜂の巣状態でした。

 始めの開会あいさつは5歳になる朋樹君にスピーチをさせました。昨晩からわが家に泊まりにきていたため、行きの車の中で練習をさせました。「今日は希心君初節句おめでとう。直樹君誕生日おめでとう」だけの簡単なあいさつでしたが、直立して上手く言えましたのでみんな予期せぬ自体に大笑いで褒めてやりました。

 しかし、生まれてからこれまで、一年の誕生日を迎えた尚樹君と、9ヶ月の希心君の育ちがいつの間にか体重や身長的には殆ど換わらなくなっているのには驚きです。もっとも2ヶ月早く生まれた直樹君はハイハイや伝い立が出来たりするので、それなりに早く生まれた成長は進んでいるのですが、やはり同級生となるのですから、そんなに差は無いのかも知れません。

 今日は大安で日がよいのか料理屋さんはどの部屋も満席の状態でした。私たちは12時からはじめ時間半ほどで祝宴を終り散会しましたが、主役のご両人のこれからの健やかな成長を心から願っています。

 みんなと別れた私たち夫婦は、このところの忙しさで温泉に浸かることも少なかったので、思い切って星ヶ丘の温泉に行きました。勿論夫婦別々の男湯と女湯に別れゆっくりと温泉を楽しみました。身も心もリラックスしていい感じになりました。

 親父の夕食の準備もあるので、午後4時過ぎに自宅へ帰ると下灘の親類からお魚の提供があり発泡スチロールのトロ箱を積んで取りに行きました。イカを沢山いただいたので伊予市や禽獣周りにおすそ分けして歩きました。我が家へはとびきり新鮮なアジをいただき、今夜は歯ごたえのあるアジの刺身を堪能するほど食べました。昼の祝宴といい、夜の刺身を中心とした夕食といい、今日は栄養価の高い食べ物を沢山食べて、どこか元気が出たような一日でした。

  「初節句 祝いの席で 初孫が あいさつ自立 みんなで拍手」

  「昼ご馳走 夜もご馳走 胃がたまげ 今日は一日 盆と正月」

  「孫の数 何時の間にやら 三人に 今日はめでたい 一日でした」

  「孫成長 俺ら大人は 日々落ち目 次第に開く 溝の深さを」   


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shin-1さんの日記

○ライフプラン講座

 昨日は土曜日でしたが、午後1時30分から、愛媛県金融広報委員会主催の「ライフプラン講座」が愛媛県美術館講堂を会場に開催されるため出かけて行きました。美術館は人体の不思議展が行われていて、かなり沢山の人で込み合っていましたが、講堂は別棟のため場所を示す矢印が貼られていて、皆さんスムースに会場へ入られていました。私は会場の入口で丹治会長さんがわざわざお出迎えをしていただき恐縮してしまいました。

 今回の講座は新聞とテレビで事前に告知されたこともあって、50人の定員に対して80人もの参加があるなど、私自身が予想以上の盛況に驚きました。だって名もなき一介のリタイア男の話なのでまあ正直言うと値打ちの無い人間の話ですから、事務局の山下さんも果たして人が集まるかどうか心配されたのだろうと思うので、私以上に山下さんの方が驚かれたのかも知れません。

 会場には先輩の玉井恭介さんや旧友知人が何人もいて、身近な人だけに「話しにくいなあ」と思いました。時間通り午後1時30分きっかりに総務課長さんの司会で講演会は始まりました。丹治会長さんの身に余る紹介を受けていよいよ登壇です。


 私の話は、1、始めに、2、変わり行く社会、3、ライフプラントは、4、基本ライフプラン、5、経済ライフプラン、6、健康プラン、7、生きがいプラン、8、まとめくらいな筋書きで話しましたが、レジ目を作るでもなくおおよその目安で話したため、聞く方にはこのような筋外が伝わったかどうかは分らないのです。

 特に基本ライフプランについては時間を取って話しました。私は23歳の時人生の生活設計を学び、基本プランを作製して自分の部屋の天井に貼り付けていました。夜床について眠るまでその貼り紙に書かれたプランをずっと見続けました。また朝起きると床の中でプランを見るという日々を結婚するまで続けていました。妻の反対でその貼り紙は取っ払いましたが、今でも頭の中に基本プランは描かれ続けているのです。そのことによって、今をどう生きればいいか常に考えて生きてきました。そして過去をどう生きてきたのか良きにつけ悪しきにつけ反省できたのです。そしてしっかりと未来を夢見ることが出来ました。

 私は人生の寿命目標を85歳まで生きると横軸に書いています。23歳の時にひっくり返された自分の砂時計には残念ながらもう22年分しか砂は残っていないのです。目標たる支柱を立てた菊が伸びる菊の実験のように、基本プランを持ったお陰で私のこれまでの人生は素敵なものでしたし、これからも素敵だろうと信じているのです。


 参加者の皆さんに分り易くするため、私が考え出した人生3万日と5千日刻み砂時計の話をしました。

    5千日÷365日=13.70歳(小学校卒か中学校卒)昔はここから社会人生活が始まりました。

    1万日÷365日=27.40歳(男性の適齢期)今はここから本当の意味の社会人スタートです。

  1万5千日÷365日=41.10歳(男の厄年・人生の折り返し)今も昔も人生のピークです。

    2万日÷365日=54.80歳(昔の人の定年)昔はここで仕事を終えていました。今は再就職。

  2万5千日÷365日=68.49歳(今の人の定年・昔の人の寿命)

    3万日÷365日=82.19歳(現代日本人の寿命)

 また、比較するために私が考えている21年刻み砂時計もお話しました。

     1回目の21年   育ちの期間(養育期間)

     2回目の21年   自律・自立の期間(冒険期間)

     3回目の21年   職業人・責任の期間(仕上げの期間)

     4回目の21年   余力の期間(人生を楽しむ期間)

 まあこんな話であっという間に90分が終わってしまいました。玉井先輩からメールが入り、話は完璧だったが、最後にハーモニカがなかったのは大失敗だそうです。私もそのことが少し気になりながら時間が過ぎたため壇上を断腸の思いで下りてしまいました。悪しからず。

  「もう少し 時間があれば ハーモニカ 先輩指摘 さすが的得て」

  「会場の あちこちお手々 振る人は 知人友人 青色吐息」

  「点数を つけるとしたら 五十点 何時も終われば 反省しきり」

  「向かい風 追い風に変え 今度こそ 上手くやりたい リベンジ誓う」

 


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