shin-1さんの日記

○ライフプラン講座の講師

 このところ何回か新聞紙上に、ライフプラン講座の参加者募集の記事が出たため、少し雲隠れしそうな私の名前がまた表舞台に出始めました。リタイアしてからも講演要旨や表彰、人間牧場などの記事が何かと新聞紙上を賑わせている私ですが、今回は日銀松山支店に事務局がある愛媛県金融広報委員会という、れっきとしたお堅い所が入場無料で募集する講座なのです。

 既に何件か事務局でもないのに私の所へ電話が入り、新聞を読んだ、見たといって感想などを求められたり、「どんな事を話すの?」と予告を知りたがって問い合わせてくるのです。いずれも私の知人友人なので、「どうせ大したことない話ですから、期待しないで下さい」などと適当に答えて雲に巻いているのです。でも5月17日の開催日が近づくにつれて、はてさてどんな話しをしようかと思い悩むこの頃なのです。

 わが国の平均寿命は、男子が79歳(世界第2位)、女子が86歳(世界第1位)で、世界の長寿国として高齢期の長期化が進んでいます。この長期化する高齢化を充実したものにするためには、その人に合ったライフプランが重要だといわれていますが、残念ながら全ての人がライフプランを持ち合わせている訳ではなく、ただ結果的に生きてる人も結構多いのです。

 さて横文字でライフプランとは一体何をいうのでしょう。ライフは「生きる」だし、プランは「計画」ですから「生きるための計画」とでも訳せばいいのでしょうが、私流に考えれば生きるための計画は家計収支に関する「経済プラン」と体の健康管理に関する心と体の「健康プラン」、それに生きがいを持って生きる「生きがいプラン」の三つのバランスが必要だと思うのです。

 まず経済プランですが、現在わが国の高齢者世帯の所得の中で稼働所得、つまり働いて得る所得は2割弱にしか過ぎず、約8割強が公的年金であるという事実です。しかし昨今社会を騒がせている年金得別便のように日本の公的年金制度は職業により加入制度が異なることや年金制度そのものが複雑なため、私たちには理解しにくく、年金を元に経済プランを立てるといったところまでには至っていないのです。家庭の中における経済が殆ど妻の財布という実態も浮かび上がって、私のような男性は働き蜂として役目が終わると同時に、扶養者だった妻に扶養されて一生を終わる運命にある人も少なくないのです。公的年金に頼らないために計画的貯蓄や生命保険に加入して、自己防衛している人もいますが、中には公的年金を払わない人もあってその数次第に増えているようなので、益々公的年金は当てにならないと思った方が賢明かも知れません。しかし「払らっていないと貰えない」という年金の原則を知っておくことも大切なことなのです。60歳で定年を迎えてから20年以上も暮らしていかなければならない、日々の暮しに必要な家計収支を計画なしに暮らすことは海図を持たずに荒海を航海するようなものなのです。

 さて健康プランですが、「健康はお金で買えない」ということを肝に銘じるべきでしょう。最近サプリメントがブームになり、何もせず楽をして健康保持をしようという風潮が強くなってきました。美味しいものをたらふく食べたり飲んだりして、サプリメントで体調を整えることなど決して出来ないのです。健康は快眠・快食・快便といわれるように、栄養と運動と休養のバランス、それに心の健康が加わらなければ維持できないのです。いくら長生きしても寝たきりの長生きは自分も周りも辛いのです。やはり健康が一番のようです。

 もう一つ大切なことは心の健康とも深く関わってくる生きがいプランです。人間は一人では生きてゆけず、絶えず多くの人とともに群れて生きる動物なのです。生きがいは一人では中々成就できるものではありません。一生を貫く仕事を持っている人もいますが、殆どの人は定年後その仕事を失います。失った仕事に変わって持って欲しいのが人や社会のために役立つという「役立ち観」、それに日々の暮しが充実しているという実感の湧く趣味などが挙げられますが、それらはいずれも人それぞれに価値観が違うので一概には言えませんが、生き生きと生きれながら老いを生きれるようにしたいものです。

 私がいつも言っている「ニコニコ」、「ピンピン」「コロリンシャン」はどうやらライフプランの大切なキャッチフレーズのようです。まあ、こんな話しを経験を交えながら話しましょうか。

  「何話す 俺も行きたい 申し込む 電話で仲間 俺に注文」

  「金もなく 健康失せて 生きるなら 社会のゴミだ 死ぬ方がまし」

  「後何年 生きると思や ゾッとする 金と健康 それに?・・・・・」

  「ニコニコと ピンピン生きて コロリンシャン そんなに上手く 生きて行きたい」  

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shin-1さんの日記

○高知県の坂本龍馬に会いに行きました②

 高知といって思い出すのは四万十、足摺岬、日曜市、はりまや橋、よさこい踊り、カツオのタタキ、桂浜、室戸岬など沢山ありますが、やはり何といっても桂浜に建っている坂本龍馬の銅像でしょう。太平洋に向って立つ姿は見るものを圧倒するような姿で、この銅像の前に建つ度に自分にも何か出来そうな、そんな夢を抱かせてくれるのです。

 桂浜への道は案外混むので、そんな煩わしさが大嫌いな私は高知県へ来ることが度々あるにもかかわらずもう何年もこの地を訪れていません。しかし今回はゴールデンウィークの真っ只中で、混雑が予想されるにもかかわらず息子の誘いに乗ってシブシブ日曜市の場所からカーナビを入力して立ち寄ろうとしました。しかしながら案の定桂浜付近は大渋滞で、一寸刻みのノロノロ状態の大混雑で、僅か1キロの道を1時間もかかってしまいました。それでも大渋滞を予想していた息子はいたって平気で、「正月はもっと混む」と涼しげな表情です。妻は横の助手席でぐっすりお休み、私はイライラしながら息子に携帯で「混雑しているがどうする」と再三再四連絡を取り合うも、取り合ってくれないのです。それでも車は牛歩の如くあゆみを続け午後3時過ぎに少しお疲れモードで到着しました。

 それでも駐車場から龍馬の銅像まで、アイスクリンを食べながらの女性人と泣きべその孫を抱っこして歩きました。竜馬の銅像に「お久しぶり」と心の中で言葉を交わし、息子に龍馬とツーショットの記念写真を撮ってもらいました。少し逆光気味でしたが背筋を伸ばし平成の若松進一も捨てたものではないのです。

(この像の前に立って太平洋を望むとどこか大きな夢が湧いてくるようです。若い頃この像の前でアメリカ行きを誓ったお陰で建国200年のアメリカへ、青年の船にっぽん丸に乗って出かけることができました。)
 私たちは坂道を下りて桂浜の砂浜に出ました。昨日の桂浜は穏やかで真夏を思わせるような陽気でしたが、砂浜の海風は心地よく岬までゆっくり歩いて散歩しました。訪れている子どもたちは打ち寄せる波と戯れながら楽しそうに遊んでいました。

(桂浜の全景、白砂青松の砂浜も少しずつ侵食が進んでいて、砂防のための松の木が植えられていました)
(孫は長旅のお疲れで眠くなっているようです)

(桂浜水俗間の前にて)
(桂浜を見下ろす岬からの見返り風景です。モデルは見返り美人?のわが妻です)
(岬の突端にある小さな縁結びの神社)
(打ち寄せるうねりの波もどことなく「太平洋」って感じで、瀬戸内の海とはスケールが違う荒々しさです)

 三十分余りを砂浜で過ごしました。孫も疲れてスヤスヤと眠ってしまいました。息子夫婦は殊勝にも親父へのお土産を買うため土産物屋へ入って行きました。酒の好きな親父のイメージが定着しているのか、お酒を一本買ったようです。娘を含めると四人の子ども、親父にとっては内孫ですが、帰郷する度に、また何処かへ出かける度に親父への土産は欠かさないのです。これも妻の教育のお陰でしょうか。そこへ行くと年中旅に出ている私などは親父の土産など殆ど買って来ないのですからいい加減なものです。

 さすがに疲れたため、帰りは高速道路を利用するため。浦戸大橋を渡りましたが、桂浜方面への道は相変わらずの交通渋滞で橋を越えても長蛇の車の列が途切れることはありませんでした。私たちは国道を横切って高知インターまで走り、そこから高速道路に乗りました。今朝の一般国道の寂しさに比べ、高速道路は凄い交通量で驚きました。途中新宮のサービスエリアへ立ち寄りましたが、愛媛県ナンバーの顔見知りの方々に沢山で会いました。同じような場所に行ったようで、同じ交通渋滞に巻き込まれクタクタだとこぼしていました。

 今日は息子夫婦の親孝行の日らしく、昼食をご馳走になったので、高速道路を川内インターで降りて、夕食を私たちがご馳走する事にしました。砥部まで帰ってバイキングの店に立ち寄って酒も飲まない打ち上げです。お陰様で楽しい日帰りの小旅行が出来ました。

 孫も心なしか私に馴れて、笑いの一つも出るようになってきました。もう少し辛抱して孫と付き合い、顔を覚えてもらいたいものです。泣かないで下さい。

  「久しぶり 龍馬を訪ね 語りかけ 桂の浜で 決意を叫ぶ」

  「渋滞が 疲れ追い討ち 妻昼寝 私ノロノロ 茶飲み運転」

  「太平洋 見ているだけで 夢が湧く 少し遅いが まだまだ負けぬ」

  「この二日 妻をモデルの 撮影会 そんな気がする デジカメ片手」

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