shin-1さんの日記

○夕日が雲を押し上げる

 このところの好天で全国的には25度を越える夏日になって、いよいよ夏近しの感じがします。そういえば後一週間で衣替えの季節なのですから、当たり前といえば当たり前なのです。テレビの天気予報だとお天気が崩れるといっていて、今日は夕日が見れないとばかり思っていました。今日は妻の仕事が遅くなるといっていたので、妻から頼まれた甘夏柑を菜園の横の果樹園で5~6個摘み取りました。すると曇っていた西の空が急に明るくなって夕日が差し始めたのです。急いで部屋の中に入ってカメラを取り出し裏庭に登りました。

 夏の頃にはわが家から毎日海に沈む夕日が見えるのです。残念ながらその景色は今一で、人家や無造作な電柱が立ち並び、昔のように長い鉄橋を走る銀河鉄道も今はもう古きよき時代の思い出となり見ることが出来ないのです。それでもわが家から夕日が見えるのですから良しとしなければなりません。

 雲と雲の切れ間から僅かな時間海を真赤に染めて夕日が顔を出しました。ラッキーと思ってシャッターチャンスを待っていると、下を通る近所の子どもが「若松のおじちゃん。そこで何をしているの」と目ざとく見つけて手を口にメガホンのようにして大声で叫ぶのです。「おじちゃんは夕日を見ている」とやり返すと、「おじちゃん、そっちへ行ってもいい」との反応です。私は「ここは危ないから駄目だよ」と答えました。微笑ましい夕闇迫る頃の会話でした。

 夕日はほんの数分でまた雲間に隠れてしまいました。ポケットの携帯電話が鳴ってデジタル時計を見ると丁度午後7時でした。知らず知らずのうちに猫の目ほど夕日のしずむ時間が長くなり、まだ6月の下旬の夏至までは遅くなってゆくのです。

 何度となく同じような場所から同じような夕日の光景を見続けていますが、デジタルカメラを持ち合わせていなかったつい最近までは、目と頃に焼き付けるだけで、記憶にさえも蘇えることは殆どなかったのですが、こうしてデジカメで撮り画像処理してデーター化していると、どこか安心感があって、時々データーを開いて見るのです。

 再び先ほどの近所の子どもが、下の道路から大きな声で、「若松のおじちゃん、今日の夕日はどうだった」と叫びました。わたしは「とても綺麗だったよ」と答えたら、「若松のおじちゃんの撮った夕日の写真頂戴」とえらい注文をつけられました。私は春分頃に撮影した自慢の夕日(シーサイド公園の恋人岬に沈む美しい夕日)をプリントアウトしました。明日はあの近所の子どもにハガキを書こうと思っています。小さなことですが小学校二年生のあの子への公開恋文です。

  「諦めて いたのに夕日 顔を出し 俺の顔立て 再び輝く」

  「近所の子 写真をくれと 大声で 早速夕日 あしらいハガキ」 

  「午後七時 真赤な夕日 落ちてゆく 夏の夕やけ 明日は雨か」

  「金色の 道が出来たり 海の上 昔は不思議 感じたものだ」

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shin-1さんの日記

○味生地区健康づくり講座

 講座の始まる時間を逆算し朝少し早く家を出た私は二件の用事を済ませました。一件は双海町内の女性が73歳で亡くなり、今日がお葬式ということを新聞のお悔やみ欄で見つけたため、葬式と講座がバッティングしたので香典を届けにました。11時からの葬儀だそうで葬祭センターの控え室で痩せこけた遺体に面会して線香を手向けおいとましました。続いてもう一件は道沿いにはないのですが少し遠回りして、若い頃にしょっちゅう通った龍華堂という印刷屋さんへ立ち寄りました。社長も奥さんも娘さんもいて久しぶりに旧交を温めました。社長も奥さんは高齢になられ、奥さんはこれからデイサービスに行くのだという矢先でしたが、懐かしく会話を交わしました。朝の二件は少し考えさせられる出来事でした。

 昨日は松山市味生地区健康づくり講座に行きました。松山には中学校区毎に沢山の立派な公民館があって、一つの校区が一つの市町村程もある人口を抱えていて、田舎では人口が激減して限界集落などが取りざたされる中、今更ながら地方都市への人口集中に驚いたりするのです。

 この日の講座は松山市地域保健推進協力会という、保健所関連の団体が主催でした。3月7日、秋田県能代市へ向う途中の列車の中で、味生地区理事を務める藤崎さんから依頼の電話がありました。運良く木になるカバンの中に予定表を持ち合わせていたので、まだ先のことだと思いつつ、猛吹雪を列車の窓越しに見ながら受諾していたのです。味生公民館へは2年前にも行っているので、土地勘も集まる人のレベルも幾分分っているので安心して出かけました。

 玄関で藤崎さんが待って出迎えていただき、公民館の事務所でお茶をいただきながら「東北への旅先までお電話で追いかけ恐縮しました」と詫びる藤崎さんを交え館長さん、事務員さんと楽しいおしゃべりをしました。

 会場へ入ってまず一番前の席に顔見知りの人がいるのに驚きました。元松山工業高校の校長をしていた林さんご夫妻です。奥さんには初めてお目にかかりましたが、林先生とは今も工業高校の学校評議員をしていて、年に2回はお会いするのですが。昔と殆ど変わらず笑顔を絶やさないお人柄なのです。先生が教頭、校長と同じ松山工業高校に勤務していた折、私はPTAの会長をしたため、深いご縁をいただいているのです。

 満席に近い会場には林先生以外にも何人か会釈や手を振っていただく顔見知りの人がいて、これはヤバイと思いましたが、後には引けず力を入れてお話しました。

 最近ライフプランの話をして欲しいという要望が強くなってきました。私もライフプランやその中心をなすライフサイクルの話には一言を持って生きてきたため、得意な分野だと思っています。夢や目標を持ってニコニコ・ピンピン・コロリンシャと生きて欲しいとお話しました。

 いやあ会場は大受けで2時間近くも話したのに寝る人もなくみんな楽しく聞いていただきました。この日の講座には保健関係の仕事をしている3人の若い女性や保健所の人もいましたが、殆どの人が熟年・実年の人で、金・暇を持って有意義に毎日を学びながら生きている人たちです。私もやがて行く道でしょうが、このように笑って人生を過ごしたいと思いました。

 講座が終り林先生は控え室まで訪ねてきてお話をしてくれました。有り難いことです。

  「朝二件 用事を済ませ 思うこと 老いは側まで 近づきつつあり」

  「お話を 聞きたいいいつ 前の席 仲良く座る 元付く校長」

  「三十分 限度の人に 二時間も しかし寝ないで みんな熱心」

  「今日もまた かくてありなん 明日もまた 行脚続けて 辻説法を」 

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