shin-1さんの日記

○朝の楽しみと落胆

 朝起きて家の敷地内にある家庭菜園の畑へ出るのは楽しみだ

 ああでもないこうでもないと親父と二人、四論五論を繰り返しながら

 畝を切り溝を切って土中に埋めた種・種・種

 あれから四・五日経っただろうか一雨の恵みを得て

 ものの命の芽生えとでもいうべき種が次々と土を割って芽を出し

 ああここにも生きようとする力があると感じる

(鳥にも食べられず元気に目を出したトウロク豆)

 一方田舎ゆえの広過ぎるほどの家の周りの庭に目をやると落胆する

 これも一雨の恵みだろうか昨日まで目立たなかった雑草が

 勢いよく伸びだして辺り一面草だらけのように思うほど生えている

 地べたを這うように毎日草と格闘する親父の力では最早間に合わない

 家を守るのは長男の義務だといわんばかりの威圧が何処からともなく聞こえてくる

 ああ長男に生まれるのではなかったと後悔するが後のまつりだ


(今朝引き抜いた庭の草)

 こうして春から夏になると毎年毎年、毎日毎日楽しみと落胆が交錯するのだ

 さて落胆はさて置くも収穫の楽しみはまだまだ先のようだ

 多分虫に食われ、病害虫にやられ、風や雨にも晒されて

 今のように単純な芽吹きの喜びを喜ぶような」ことは少ないかも知れない

 さて楽しみはさて置くもとりあえず見える部分の草だけは取ると決意した

 朝早く起きてブログを書くのを後回しにしてハッポースチロール一杯分草を引いた

 楽しみと落胆は今日も明日も続くだろう

 楽しみと落胆は多分来年も続くだろう

 楽しみと落胆は長男の私に課せられた務めかも知れない

 楽しみと落胆の楽しみを増やし落胆を少なくするため草枯らしも考えた

 楽しみと落胆は手間暇かけるからいいのかも知れないと草枯らしはやらないと決意した

 楽しみと落胆があるからこそ人生はあるのかも知れない

 ああ今日も楽しみと落胆が私の心を弾ませそして悩ませる

  「育てたい ものは育たず 生えるなと 願う雑草 ぼうぼう生えて」

  「枝豆と とうきびの種 順調に 生えて嬉しい 五月菜園」

  「楽しみと 落胆あるのが 人生と 諦め草を 今朝も引き抜く」

  「弱音吐く 親父に替わり 庭手入れ いよいよ出番 やって来ました」

 

 

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shin-1さんの日記

○車の不具合

 もう一週間も前だったでしょうか、車の運転席の前にあるメーター指示板に何やら妙な絵文字が点灯したのを発見しました。今の車はデジタル仕様で昔のような時計型ではないので、エンジンキーを抜けば全てのメーターが消えるようになっていますが、指示板の絵文字が出ても別に何ら異変を感じることもなく動くのでそのまま忘れていました。

 先日宇和島への道中、同乗した伊予市役所の米湊さんに再び点灯し始めた絵文字について聞くと、彼はすぐに車の前のアタッシュケースを開いて車検証を取り出し、その裏面に添付している車のマニュアル本をめくっていました。やがてそのページが検索され、絵文字は「エンジントラブル」だと分ったのです。宇和島周辺でトヨタのサービスセンターを探す暇もなくそのまま走行して帰りましたがどうも気になるので妻に話し、土曜日にサービスセンターへ修理に行くことになりました。

 私はあいにく金融関係の仕事が入っていたため、妻に頼んで恥かしくもないけど恥ずかしながら田舎のオープンカーに乗って出かけました。車を駐車する場所は近くの百円パーキングだったので、参加者にも主催者にも田舎のオープンカーで到着したことを気付かれず、大成功でしたが、車の不具合のことが気になって、ズボンのポケットの中の携帯が鳴る度に一喜一憂し、妻の携帯へ連絡するのですが結局は音信普通のまま講演を終えて自宅へ帰ったのです。自宅から妻の携帯電話に電話したのですが、何のことはありません。妻は自分の携帯電話を自宅の居間の机の上に置いたまま出かけていて、私の携帯電話から発した呼び出し音は居間の机の上でなりっぱなしでした。これが本当の電話がデンワです。

 そのうち妻が孫を伴って帰って来ました。聞けば携帯電話を忘れたこと、サービスセンターが移転していたこと、不具合を点検して部品を交換し修理を終わったが修理代が一万六千円もかかったこと、ついでにオイル交換を行い、エレメントも変えたことなどを報告してくれました。自分の車なのに妻に修理を代行させて悪いと思いつつまあいいかと、時ならぬ二万円の出費に高いと思ったり、二万円で車の不具合が修理できて良かったと思ったりしながら昨日は修理の終わった車の助手席に妻と後部座席に孫を乗せ、松山方面へのドライブを楽しみました。

 トヨタプラッツというこの車を購入して8年余りが過ぎました。その間講演やまちづくりの集会などへ参加するためこの車で九州や中・四国地方へ遠出します。そのためもう20万キロ近くも走行しているのです。妻は事故や遠出のことを心配して、タイヤの交換とオイルの交換を小まめにやってくれるのですが、そろそろこの車も限界と思っていて、次の車の購入資金を貯め始めているようです。

 この車が十年持った訳ですから、車検の切れる一年半後、仮に車を買い換えると十年後私は75歳になるため、ひょっとしたら次に買う車が最後の車になる可能性があるのです。そう考えてみると車は安いものだし、よく動くと感心するのです。

 私のように酷使して車を使っても、今の車は性能がよく、中々故障もせずに走ってくれるのです。昨年車庫の上に吊り下げて保管していたカヌーが紐が切れてこの車の上に落下し、思わぬ損傷を受けてからは、それまでのように頻繁に洗浄したりワックスをかけたりすることもなく使っていますが、それでもまだまだ走れると車に感謝しながら、今日も大学の授業にこの車で出かけるのです。

  「不具合を 示すランプが 点灯し 修理を終えて 命再び」

  「妻を呼ぶ 電話が出んわ そのはずだ 居間の机上で ツーツーツーと」

  「よく走る 感心しつつ 私乗せ 今日も所用の 供になりつつ」

  「二万円 安い高いと 思いつつ 車検まではと 車に祈る」

 

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