shin-1さんの日記

○自家製手製のお茶を飲む

 数日前、人間牧場の畦に生えているお茶の木から採取した一番茶をセイロで蒸して手揉みしていた自家製手製のお茶がやっと乾燥が終り、今日急須に入れ、生まれて始めて自分の手で作ったお茶を飲んでみました。自家製の段階でお茶の葉っぱを蒸し過ぎたため明らかに失敗作と自認していたため、妻も冷ややかで「私は遠慮しとくからあなた一人で飲んだら」と冷たくあしらわれてしまいました。それでもお湯を沸かしてくれたので、自分で試してみました。さてお味や香りですが、自分で言うのも変ですが、かなりいい香といい味に仕上がっていると自信を持ちました。

 先日四万十市西土佐を訪ねた時、お茶は焙烙で炒って手揉みするよう指導を受けましたが、私としてはこの蒸して作る製法も悪くはないなと思っています。早速お茶筒を用意して自家製手製の「人間牧場製造お茶」として来訪者をもてなそうと思っています。

 最近はお茶を自分の家で作る家庭は殆どなくなりましたが、私が子どもの頃は近所ではおばあさんが確かに自分の家でお茶を作っていました。どの家の畑にも畦にお茶の木が数本あって、毎年この頃になると新芽を摘み取り消毒も何もしていないそれこそ安全なお茶を作っていました。聞くところによるとお茶の栽培は霧のよく出る山間地で盛んに作られていますが、その殆どは静岡や京都のお茶屋さんに買い上げられ、宇治茶静岡茶などとして出回っていたようです。今は産地偽証などと騒がれるためどうなっているのか分りませんが、中国産のお茶だってブレンドされて容器に入れられれば日本茶とまったく見分けがつかないのです。お茶の新芽は虫にとっても美味しいのか、放っておくと小さい青虫の餌食になったりします。今は天敵といわれる蜘蛛で駆除しているそうですが、残留性の低い消毒をした時期もあったようです。まあ餃子の話ではありませんが、海の向こうから輸入されるものは疑ってかかることも大事だと思います。

 ふと、自分の作ったお茶を飲みながら、ペットボトルに入れて販売しているお茶は果たしてどれだけのお茶の葉っぱを使用しているのだろうと不安が過ぎりました。自分が作ったお茶はあれで毛苦労して作ってもほんの少ししかお茶は出来ません。毎日湯水の如く消費されるお茶を作るためのお茶の葉はどのようにして確保しているのか、不思議で不安でならないのです。

 私たちは今何の疑いもなくペットボトルに入れたお茶を自動販売機で買って飲んでいますが、本当に体いいのかどうかこれも疑問符がつくのです。ある友人がペーつとボトルに入れられたウーロン茶の中に新品の釘を入れて見たら、あっという間に赤錆になったという話を聞いて、お酒の席で酒を飲まない私はウーロン茶を飲んでさも酒よりウーロン茶の方が体にいいと思っていたのに、ひょっとしたらお酒より怖い体に悪いものを飲んでいたのかも知れないと思うようになりました。

 これからはお茶も疑ってかかることも必要かも知れませんが、まあここではこのくらいでお茶を濁しておきましょうか。

  「こりゃいける そんな自信が 湧いてきた お茶も手づくり どうだ一杯」

  「この次は 焙烙で炒り 手揉みする 色々やって お茶を極める」

  「お茶濁す 程度の知識 振りかざし お茶の薀蓄 語る大馬鹿」

  「俺にでも 出来ると自信 湧いてくる 次は自信の 玉露作ろう」

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shin-1さんの日記

○ウォーキング大会

 私の住んでいる伊予市双海町灘町地区では、毎年この頃になると自治公民館主催のウォーキング大会がもう30年を超えて開催されています。最初の頃はこどもの日の恒例行事でしたが、少子化が進んで子どもの数が減ったのと、こどもの日には何かと用事が多い人が多いので、日曜日の開催になったのです。

 事前に回覧板で申し込んだ人は約100名だそうですが、この日はあいにく北東の風が強く吹いて肌寒いため何人か欠席となったようですが、それでも老若男女を問わず大勢の人が市役所支所前に10時に集合しました。心配された雨も上がってまあいい天気です。館長さんのあいさつの後、公民館旗を先頭に歩き始めました。一番小さい子供は9ヶ月、乳母車での参加です。最高齢者は85歳とかいっていましたが、年齢で歩くのではないのでみんな和気藹々の歩きです。

 コースは支所前~商店街~シーサイド公園~三島神社~潮風ふれあい公園~支所前のコースです。私の携帯電話についている万歩計だと約1万歩くらいなので、そんなに難しい距離やコースではないのですが、途中に三島神社の長い長い石段があるため、まあ運動には最適かも知れません。

(出発して間もなくの商店街付近を歩く)
(国道378号、シーサイド公園付近を歩く)
(一番の難関である三島神社の長い石段を歩く)
(三島神社の本殿の前での途中休憩)
(目的地潮風ふれあい公園はまだ名残の皐月の花が残っていました)

 このウォーキング大会の最大の目的は歩くこともさることながら親睦交流です。同じ町内同じ地区に住みながら、車での移動が多いし、近所付き合いも少ない最近では、出会う機会が少ないため、「元気だったか」とか、「今は何をしよるん」とか、近況消息を確認しあったり、家族の出来事を話し合ったりとそれは賑やかな話に花が咲きました。

 昼前には全員にお弁当が配られ、子どもたちにはこどもの日のプレゼントでしょうかお菓子類が配られました。

あいにくの寒さだったため、屋外での懇親会を急遽ふれあいの館に変更し、ホールと食堂を借りての昼食となりました。お酒の飲める人にはお酒やビールも振舞われ賑やかでしたが、昔のような威勢のいい姿はなく、こじんまりとした宴席でした。

 みんな歳を取ったとしみじみ実感しながら、八景山を迂回して家路に着きましたが、体習しのいい運動になったように思います。

 道沿いには今を盛りと咲く花々が鮮やかで、思わず持っていたカメラに収めました。

(海岸国道の緑地帯にはガザニアに混じって薄紫の花が咲いていました。何という花の名前なのか分らないのですが綺麗な花が沢山咲いていました)
(目の覚めるようなこの花も見事でした)

 人知れず咲き、人知れず散って行く花々を見るにつけ、「ああいとおしい」と思うと同時に、花々が「もっと私の美しさを見て欲しい」と訴えているようでした。ある人はツワブキや苦汁菜を摘んだりと思い思いの自然の楽しみ方をしてしながら歩いていましたが、歩く目線で自然に向き合うと、道端の草や花にも目が移り、また今まで見えなかった家並みや風景が見えてきます。やっぱり時々は歩いて見るものです。

  「肌寒い 戸外をワイワイ いいながら ゆっくり歩く 見ながら歩く」

  「道端に こんな花々 咲くのかと 花と対話し 万歩を歩く」

  「そういえば 同じ町内住みながら 何年ぶりと 会話を交わし」

  「歩けると いうことだけで 幸せと 叔母さん笑い 一緒に歩く」  

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