shin-1さんの日記

○私五月病かしら?

 私は医者でもなく普通の63歳のオジサンなのですが、人間牧場が出来てからおもしろ半分なのかどうか分りませんが、「こんな話聞いて」とやって来る人が結構多いのに驚かされます。先日もあるお母さんから「就職した息子が最近会社に行かなくなったがどうしたらいい」と、相談を受けました。カウンセラーの経験がある訳でもないのでどうしたものかと考えましたが。顔見知りの知人であるそのお母さんと会って話しをしました。

 聞けばその若者は私の知っている若者で、生真面目ないい子です。この春大学を卒業し印刷系の会社に就職し営業の職場に配属されました。最初は母親の作った弁当を持ち元気に会社に通っていたのですが、最近は見習い期間も終りノルマの達成に夜遅くまで仕事をしてクタクタになって帰って来ていました。5月に入り息子の元気のなさに気が付いたものの、「頑張って」と言葉をかけるのが精一杯、そのうち頭が痛い、気分が優れない、体がだるいと不調を訴え、部屋に閉じこもるようになったのです。

 私はとっさに「五月病」のことを思い出しました。毎年この時期になると新緑の五月とは裏腹に新入社員に現れる症状のことで、これを上手く乗り切らないと自信を喪失してとんでもないことになる可能性があるので、しっかりと対処するよう話しました。

 五月病の特長はこの若者のように「食欲がない」「気分がスッキリしない」「頭痛通腹痛」まで様々です。原因はなれない仕事や人間関係で無意識のうちにストレスが蓄積するのです。殆どの若者は一過性で馴れればどうってことはないのですが、この若者のように真面目な人間ほど要注意で「俺はこの仕事に向いていない」「俺は駄目な人間で何をやっても上手く行かない」と深く考え、時には自殺さえ考えることがあるというから気をつけなければなりません。

 早速お母さんに二つのことを話しました。まず職場の上司にそれとはなしにお話して対応してもらうよう頼んであげました。最も身近な母親が職場に電話をかけたことが分ると若者のプライドに傷が付くことを恐れ、幸いこの印刷会社の社長さんを知っていたのでお話してあげました。

 さらに休みの日、人間牧場へお母さんと一緒に来るよう勧めました。二人は人間牧場へやって来て私とさまざまな話しをして帰りました。

 昨日のことです。大学の講義が終わって自宅へ帰り書斎で原稿を書いていると、何やら玄関のチャイムが鳴りました。出てみるとあの相談に来た若者が笑顔で立っていました。人間牧場へお母さんと一緒に来た時の青ざめ思いつめた様子は何処かへ消えて、元気そうに見えました。一人でお礼に来るのですから嬉しいことです。話しを聞けば「上司や同僚が相談に乗ってくれるようになった」「営業もペアーで行くようになった」「体も随分元気になった」と説明して帰って行きました。

 私は早速夜10時頃お母さんに電話をしました。お母さんはとても喜んで時折涙ぐんで話されましたが。この若者は見事に五月病を克服したのです。私も自分のことのように嬉しい昨日の夜でした。人間は人に言えない悩みの一つや二つはあるものです。一人で悩まず友人や、私のようなとんちんかんな者でも結構相談相手にはなるものです。ただし誰でもこう上手く行くとは限らないことも肝に銘じるべきでしょうか。

  「五月病 誰が名付けた 病名か 直ればケロリ 元に戻って」

  「母親は 何時まで経っても 子のことを 心配するよう 出来ているんだ」

  「五月病 見事克服 俺名医? 相談相手 なっただけです」

  「外は晴れ 心は曇り 少し雨 水に流して 五月雨濡れる」

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shin-1さんの日記

○ご馳走を食べ過ぎるとろくなことがない

 やはり私は貧乏性に生まれているのでしょうか。はたまた63歳になって初老の域に達しつつあるのでしょうか。一昨日の日曜日、孫の誕生日と初節句のお祝いを大岩という中華料理店で開催しましたが、その時の料理がおご馳走過ぎたため、食べ過ぎと酒が飲めないためウーロン茶を飲み過ぎたため、何処となく腹の調子がおかしくなって、一昨日の夜は腹が張って中々寝付けない夜を過ごしました。

 私の食生活はいたって質素で、肉は殆どといっていいくらい食べません。胆のう摘出手術をした8年前からは油濃いものは余り欲しくないのです。それでも妻は痩せた体を元に戻そうとまるで肉の嫌いな子どもに肉を小さく刻み知らず知らずのうちに食べさせるような仕草で野菜と交ぜて料理をしてくれるのですが、肉をよって出すほどなおです。ですからむしろもっと油分を取った方がいいのかもしれません。

 昨日は大学の講義日なので少し早めに出かけて息子と娘の所に立ち寄りました。息子嫁から「お父さんが来るのだったらお昼ご飯を一緒に食べよう」と提案の電話があったので、お言葉に甘えてご相伴に預かることにしました。息子の家では訪ねてもお茶を入れてもらい飲む程度で、これまで殆ど食べたことはないのです。親父が昼に来るというので息子も近くの職場から昼食に帰り、息子、嫁、孫、それに私の4人での食事となりました。

 お昼のことゆえ、ましてや前日のお馳走のこともあるので料理は巻き寿司に冷しうどんといたってシンプルでした。息子の家族は長男の自覚でしょうか一ヶ月に一度くらいの割合でわが家へ帰って私たち夫婦と食卓を囲んだり泊まったりします。そんなこともあってか料理の味付けは妻の味と大差はなく、美味しくいただきました。

 それにしても息子の家で嫁の料理を食べるのは、うちまで気兼ねがないと思うのですが、意外と緊張するものです。わが家では大皿に盛って好きなものを好きなだけ鳥皿で食べるのですが、息子の家では同じようなことをしていても、やはり量が段違いに少なく、どことなく遠慮がちになるようです。ふと嫁がわが家に来た時のことを思い浮かべました。私たちは何気なく振舞っていたつもりでしたが、気さくな嫁のことゆえ嫁の気がねや気苦労など見落としていたようにも思うのです。立場が変れば味方や振る舞いが変わるのは当たり前ですが、昼食をご馳走になっていい事に気がつきました。

 食べるものとてろくにない少年の頃を思うと、今は毎日が盆と正月、そしてお祭りのようなおご馳走に囲まれて暮らしています。意の向くままに食べると太らないのが不思議なくらいカロリーが高く、栄養価も申し分ありません。辺りを見渡すと昔は殆ど見なかった肥満体の人が街中に溢れています。栄養が行き届かなくて病気になった昔に比べ、今は栄養が行き届き過ぎて成人病になるのですから世の中は変ったものです。

 人間が生きる上で必要な「食」を私たちは随分疎かにして生きているように思います。豊かな社会だからこそ食に対する正しい考えを身につけなければ、長生きはおろか、豊かな人生はないのです。

  「昼ごはん 嫁の手料理 舌鼓 少し気がねの 箸を進めて」

  「居場所変え 嫁の気がねが 分るよう 今日は学びの 食をいただく」

  「ご馳走は 俺の腹には 合わぬはず 貧乏性だな 腹が可笑しい」

  「この人は 何で飯喰う キョトンとし 俺を見つめる 孫の目注視」


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