shin-1さんの日記

○九州ぶらり見て歩き③福岡県小倉編

 諫早から乗った白いカモメ号が博多に近くなるにつれて私の心は揺れ動きました。「博多から新幹線に乗って広島まで出て、宇品から松山へ高速船で帰れば今日の日のうちにわが家へ着くルートを選ぼうか」「小倉を散策して今夕小倉からのフェリーに乗って明日の朝松山に着く手もあるなあ」などと考えながら車内報ミニコミ誌を読んでいると、記事に小倉城のことが載っていました。

 カバンの中から予定表を取り出し明日のスケジュールを確認すると、明日は午後1時30分からアシスト事業の審査会があるようだが、ご午前中は予備空白のようなので、「そうだ小倉で降りよう」と思い立って博多から特急に乗り、終点小倉で降りよう」と決心しました。家内にその旨を電話で伝え、小倉の駅のコインロッカーに荷物を預け、駅の総合案内で観光パンフレットを何枚か仕入れ、カメラ片手に散歩です。私は小倉~松山間のフェリーを利用するためフェリー乗り場のある北口はよく知っているのですが、南口は余り行ったことがないのです。

 観光地図を広げNHKのある川沿いまで歩いて行きました。陽は西に傾き始めているので日陰の濃淡が随分はっきりしていて、日陰を通るとひんやりした爽やかな風が頬をなでるのです。NHK前の川沿いは広い親水公園になっていて、沢山の市民が行き交ったり思い思いの格好で風情を楽しんでいました。


 小倉の街も随分発展して大きな建物が目立って増えました。博多と同じくここはまるでミニ東京か、ハングル文字で書かれた看板を見ていると、どこか東南アジアの国々に似ているような気もするのです。

 目指す小倉城は小倉駅南口から歩いても近く、川の直ぐ横にありました。北九州はやはり東南アジアに近いだけあって、顔も身なりも日本人と変わらない人たちが沢山お城の見学にやって来ていました。いやあ驚きました。こんな立派なお城が街の真ん中にあるなんて思っても見なかったのです。


(正面から見た天守閣)

 平城ながら整備も行き届いて、城山をぐるっと一周して眺めましたが、夕暮れで逆光部分があるため写真写りは悪くても、威風堂々としたお城なのです。

(裏から見た天守閣)


 私も旅すがら日本全国のお城を見てきましたが、小倉城は外観は素晴らしいものでした。残念ながら中へ入ることはできませんでしたが、次の機会に是非訪れてみたいものです。

 お城の側の道路を歩いていると乃木希典大将がこの地に住んでいたという石柱が建っているのを目敏く見つけました。歴史上の人物として有名な方なので説明版を写真に収めました。案内地図を見ると無法松の墓とか訪ねたい魅力もいっぱいあるようでしたが、今回は日暮れ時間切れとなりました。

 最後に訪れたビルも変わった風情で内面から天空を覗くと面白い格好に見え、建築の世界も新しい発想がどんどん増えていることを感じました。

 こうして、二日間の短い北九州見て歩きの旅は終わりましたが、私にとっては今回も感性を磨く上でとても貴重な経験になったことは確かです。今度九州に来るのはいつになるのでしょうか。

  「旅先で 異文化ギャップ 感じつつ 新た発想 心フツフツ」

  「スピードも 大事だけれど ゆっくりも 心耕す やはり必要」

  「大都会 ビルの谷間に 乃木大将 俺が見つけた 小さな歴史」

  「ハングルが 巾を利かせる 北九州 日本人だか 外国人だか」



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shin-1さんの日記

○九州ぶらり見て歩き・長崎県大村市編

(記憶を手繰り寄せた昨年の会場)

 私の記憶が正しければ、昨年長崎へやって来たのは10月20日でした。その時の会場は中央公民館でした。一年前だというのに人間の記憶、いや私の記憶は曖昧で、位置関係をはっきり覚えていないのです。それというのもあの日は日帰りで、諫早から大村に着くと直ぐに私の講演が始まり、講演が終わるととんぼ帰りのような形で大村を後にしているからです。今回は諫早を通り越して長崎へ行き、佐世保行きの列車に乗って大村駅へ着いたのです。この日は長崎県教育委員会の松尾さんが私の相手をしてくれて、3時間も早く着いたため、そこら辺を案内してもらいました。大村市はかつては宿場町、城下町として栄えている地域なので、すべてを見ることは出来ませんでしたが、会場となった長崎県教育センター周辺には玖島城と別名呼ばれている城址公園があって、これが中々のものなのです。

 松尾さんはかつてこの教育センターで5年間も勤務していたことがあるらしく、城址公園は殆ど毎日散歩コースにしていたらしくとても詳しいのです。

 私たちはまず旧梶山御殿跡へ向かいました。門にも奥ゆかしさが垣間見えましたが、この施設は現在教育委員会が管理していて、教育活動に利用しているようです。

(平屋の数奇屋造りも立派です。向こうに見えるのが長崎県教育センターの建物です)

 肥前大村藩は2万7千石の城下町で、中世から江戸時代を経て明治維新に至るまで、絶えることなく大村地方を治めてきた大名です。特に18代領主大村純忠は1563年に洗礼を受けて日本最初のキリシタン大名となり、大友宗麟、有馬晴信とともに天正遣欧少年使節をローマに派遣したことでも有名です。西洋と交流の少なかった戦国時代の中にあって、ローマという未知の世界に挑みヨーロッパの進んだ技術や知識を持ち帰り、日本の文化に多くの貢献をしているのです。


(池は潮が引き込まれていて干満があるそうです。池の中には鯉とボラが仲良く泳いでいました)

 私たちは裏側から回ったため、少し違った角度から城址公園を散策しました。本丸講演の中には国の天然記念物に指定されている大村桜がありました。また公園内には大小2千本の桜があって、全国桜百選に選ばれている近郷に聞こえた桜の名所なのです。

(大村桜)

 公園の入口にはランドマークとなる常夜灯風の看板が立っていて、観光ボランティアの人が机を並べてもう間もなく裂き始める菖蒲の宣伝をしていました。園内には30万本の菖蒲が植えられていてそれは見事だそうです。菖蒲園には肥後系の花がボツボツ咲き始めていましたが、やがて江戸系が咲く頃には多くの花見客が訪れるようです。

(常夜灯風の看板)
(菖蒲園)
(肥後系の菖蒲が咲き始めていました。来月初旬が見頃のようです)

 園内にはそこここにお城の石垣や庭がうまく配置され、楽しく散策できました。

(潮水が流れる珍しい園内の滝)

(これも珍しい石だけでできた城門)
(櫓が海とうまくマッチしていました)
(天守閣にも似た櫓はやはり風格がありました)
(これも珍しい昔の船の修理場、いわばドックで、大村藩お船蔵跡)
(大村競艇開催日とあってこの日は賑やかなモーターボートの音が周囲にこだましていました。夕方は周囲の道路はかなり混雑していたようです)
(市役所付近から見た大村の朝日。私は朝5時から、前日松尾さんに連れられて歩いた場所を約1時間余りをかけて一周散歩しました。携帯電話の万歩計は1万歩を超えていました)
(早朝に訪ねた小島にかかる木製の橋、何ともノスタルジックな龍神社がありました)

 知らない場所を二度歩いたお陰で随分色々な物を発見しました。歴史や観光に興味のある私にとってはとてもいい散策でした。普通であればこの光景も今という一瞬は過去になるのですから、記憶の彼方に忘れ去られてしまいます。でもこうして覚えているうちに写真と文章でメモしておくと、いつでもパソコンと心のポケットから引き出すことが出来るのです。

  「二度目だが 一度目よりも 感動が 水先案内 友人感謝」

  「桜なく 菖蒲も早し 公園に 人影まばら それでも値打ち」

  「昨夕は 落ちる夕日に 感謝して 今日は朝日に 元気を感謝」

  「慣れるとは 不思議なものよ 爆音も 今は昼寝の 子守唄だな」

  

  


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