shin-1さんの日記

○土佐清水市にて②

 若し私が東京から日本の各地へ旅立ったと過程すれば、目的地へ到着するにどのくらいの時間がかかるだろうと考えてみました。例えばわが町双海町だと羽田から飛行機で1時間20分で松山空港に着きます。そこから車だと50分くらいですから、乗り継ぎを含めても2時間半もあればいいのです。ところが土佐清水市に行こうと思えば、まず羽田から高知龍馬空港までは松山と同じく1時間20分くらいでしょうか、そこからは車で3時間以上かかり、ゆうに4時間半もかかるのです。遠い遠いと思う沖縄県の県庁所在地那覇でも2時間40分程度ですし、東京から新幹線でも博多まで5時間強で行けるのですから、同じ四国の地にありながらわが町から土佐清水市まで4時間以上かかることがいかに大変なものか理解できると思うのです。

 土佐清水市は飛行場も遠く、土讃線は窪川までしか走っていないし、高速道路も今のところ須崎までしか開通していないのです。もっぱら一般国道を走らなければならず、恐らく今後10年間は全ての交通アクセスにおいて今以上の進展はなく、かすかな望みは人口減少による交通量の減少とは皮肉な話です。

 でも私流に考えれば、これまで田舎だった所に高速道路が出来たり飛行場が出来たり、また橋や新幹線が開通した地域は殆どが人は通過するだけ、そしてストロー現象で人口が減り、大手資本の郊外店がどんどん増えてシャッター通りとなっていることを思えば、土佐清水市は何だかんだいいながら少なくても今後10年間はそれなりの現状を保ち続けることが出来るのですから、むしろ喜ぶべきことだと思わなければならないのです。

 昨日私は高知県土佐清水市地域雇用創造協議会の招きで、「雇用創出成功事例セミナーに出かけました。馬路村の村おこしに深く関わった経験を持つ松崎了三さんからの依頼で、高知県馬路村農協組合長の東谷さん、徳島県上勝町株式会社いろどり副社長の横石さん、それに愛媛県の私と、自分の口からいうのも何ですが、何とも贅沢な顔ぶれです。その3人が松崎さんをコーディネーターにして持ち時間各1時間を喋り捲りました。会場には土佐清水市以外の県下各地からも参加して、会場いっぱいの盛況ぶりでした。

(西村土佐清水市長さん)
(松崎了三さん)

 市長さんのあいさつの後、早速東谷さん、私、横石さんの順番で講演に入りましたが、参加者は熱心で、私を除けばそれぞれ資料を用意し、パワーポイントを使って要領よく話していました。私は資料もなく、ましてやパワーポイントも事務局から勧められましたが、僅か1時間なので全てを止めにして喋りに重点を置いたのです。

 前と後が凄い人なので、サンドウィッチのようにに挟まれぬよう、ジョン万次郎のことを引き合いに出しながら、まあ楽しく話しをさせてもらいました。

(東谷さん)
(参加者)
(横石さん)

 会場には大月町の岡さんや堀さん姉妹、産業振興課の西村さん、宮地さんなど、なじみの人も来られていて、久しぶりに会話を交わしました。また何年か前土佐清水に講演に招かれた折、早朝定置網に連れて行ってもらった窪津漁協の瀧澤組合長さんとも嬉しい再会をしました。

 セミナー修了後会場を移して交流会が行われました。本来なら宿泊する予定でしたが、残念ながら明くる日の予定が積んでいて、交流会を早目に切り上げ、カーナビの案内するままに元来た道を引き返し、12時過ぎにわが家へ帰って来ました。

 土佐清水はいい町です。足摺岬という一級の観光地を抱え、ジョン万次郎のふるさとでもあります。さらに海の幸や山の幸がふんだんに獲れて、食文化がヤタかな地域だと思います。要はこれらの素材をどう知恵で料理するかにかかっているようです。

  「三人が 話し紡いで 三時間 会場満足 寝る人もなく」

  「前と後 サンドウィッチの ようだねと 笑い誘いて 勝負をかける」

  「よくもまあ こんなお喋り 三人も 揃えたもんだ あんた(松崎さん)は偉い」

  「ジョン万の 最も影響 受けた俺 まずは市民に 少しのお返し」

 

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shin-1さんの日記

○ジョン万次郎に出会う旅①

 「ジョン万次郎の生涯」という一冊の本にめぐり合ったことが自分の人生を目覚めさせるきっかけになったと、今も自分の記憶を蘇えらせるのです。そう私はその当時小学校5年生でした。母校である下灘小学校の図書室の書棚に古ぼけた「ジョン万次郎の生涯」という一冊の伝記本を見つけたのです。何気なく読んだその本に私は衝撃を受けました。漁師に生まれ若くして出漁中遭難してアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡って学業を修め、黒船や鎖国開国といった幕末動乱を生き抜き、日本のために尽くした数奇な運命を、ただ漁師の子せがれという一点だけに重ね合わせて様々な夢を見たのです。その時はただ漠然とした「海の向こうにアメリカがある」ことや、「いつか大きくなったら自分もアメリカへ行きたい」という思でしたが、何時しかそれが夢となって自分の心に描かれていったのです。

 結果的に23歳ので作った生活設計に「30歳になったらアメリカへ行く」具体的な目標となって書き込まれ、その夢が実現したばかりか、アメリカへのたびによって自分の人生観までもが変わってしまったのです。ジョン万次郎の言葉に「感動とは夢を形にする行動力である」というのがありますが、まさにその言葉どおり私は一冊の本から大きな感動を得たのです。

 今回の土佐清水市への近くて遠い旅は、たまたまゴールデンウイークの5月4日、息子夫婦に誘われて桂浜に建っている坂本龍馬の銅像に出会っており、室戸岬に建つ中岡慎太郎とともに、室戸に建つジョン万次郎の銅像のことが頭にあったため、少し早く行って足摺岬まで足を伸ばそうと思いました。カーナビの誘いで土佐清水市役所付近を通過したのが11時20分頃でした。急ぎ岬の九十九折の道を走り見覚えのある温泉街を通り過ぎ岬の突端まで進みました。駐車場の直ぐ横にジョン万次郎の銅像は建っていました。

(足摺岬に建つジョン万次郎の銅像、ジョンは何を見ているのでしょう)
(ジョン万次郎の生涯を紹介する碑文)

 この地は何度か訪ねているのに、ジョン万次郎の銅像の記憶がないとはどういうことか、自責の念に駆られつつ銅像の前に立ちました。そしてカメラに収めながら自分の記憶と碑文を重ね合わせて何度も読み返したのです。ジョン万次郎は宿命を運命に変えた幸運な人です。漁師に生まれた宿命、船が遭難してはるか鳥島という無人島に流された宿命、鎖国という宿命、これをことごとく跳ね返し、運命の扉を開くことが出来たのは、ホイット・フィールドという捕鯨船の船長との出会いでした。そしてアメリカで学業に励み、航海術・捕鯨術・測量術・英語などを学び、帰国するも投獄されながら許され、咸臨丸の渡米の陰の立役者となったのです。その後東大の前身である開成学校の教授をしたりしながら71歳の生涯を閉じています。

 この日の待ち合わせ約束時間が12時30分だったのですが、馬路村の東谷さんと事務局から電話が入ったため、少し急ぎ足で遊歩道を歩き、灯台の直ぐ下まで行きました。


(灯台に至る椿のトンネルの散策路)

(四国最南端の足摺岬灯台)

(展望台から見える足摺岬の絶景)

(この位置から沖合いを見ると隣はアメリカ、そんな大きな夢が湧いて来るようです)

サニーロードのもう一つの道を通って、万次郎の生誕地中浜を経由しました。橋の上から見える中浜の集落はひっそりと静まり返っていましたが、百数十年前に万次郎がこの地から太平洋へ漕ぎ出したのかと思うと、少し感慨深げでした。

(中浜万次郎といわれた、万次郎生誕地中浜)

 ジョン万次郎に憧れて少年時代を過ごしただけに、その足跡をたどれた今回の旅はとてもラッキーな旅でした。ジョン万次郎の生涯を再び紐解きながら、自分のこれからの生き方も考えてみたくなりました。

 ジョン万次郎の言葉  「感動とは 夢を形にする行動力である」

  「ジョン万が 生まれ育った 中浜の 集落見えて 感慨深げ」

  「足摺の 岬に立ちて 海を見る 心眼開き 何をか思う」

  「名も姓も 無きに等しい 子せがれが 運命開き 偉業を成しぬ」

  「海はいい 全て飲みこむ 度量にて ロマンかき立て 俺を導く」 


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