shin-1さんの日記

○ジョン万次郎に出会う旅①

 「ジョン万次郎の生涯」という一冊の本にめぐり合ったことが自分の人生を目覚めさせるきっかけになったと、今も自分の記憶を蘇えらせるのです。そう私はその当時小学校5年生でした。母校である下灘小学校の図書室の書棚に古ぼけた「ジョン万次郎の生涯」という一冊の伝記本を見つけたのです。何気なく読んだその本に私は衝撃を受けました。漁師に生まれ若くして出漁中遭難してアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡って学業を修め、黒船や鎖国開国といった幕末動乱を生き抜き、日本のために尽くした数奇な運命を、ただ漁師の子せがれという一点だけに重ね合わせて様々な夢を見たのです。その時はただ漠然とした「海の向こうにアメリカがある」ことや、「いつか大きくなったら自分もアメリカへ行きたい」という思でしたが、何時しかそれが夢となって自分の心に描かれていったのです。

 結果的に23歳ので作った生活設計に「30歳になったらアメリカへ行く」具体的な目標となって書き込まれ、その夢が実現したばかりか、アメリカへのたびによって自分の人生観までもが変わってしまったのです。ジョン万次郎の言葉に「感動とは夢を形にする行動力である」というのがありますが、まさにその言葉どおり私は一冊の本から大きな感動を得たのです。

 今回の土佐清水市への近くて遠い旅は、たまたまゴールデンウイークの5月4日、息子夫婦に誘われて桂浜に建っている坂本龍馬の銅像に出会っており、室戸岬に建つ中岡慎太郎とともに、室戸に建つジョン万次郎の銅像のことが頭にあったため、少し早く行って足摺岬まで足を伸ばそうと思いました。カーナビの誘いで土佐清水市役所付近を通過したのが11時20分頃でした。急ぎ岬の九十九折の道を走り見覚えのある温泉街を通り過ぎ岬の突端まで進みました。駐車場の直ぐ横にジョン万次郎の銅像は建っていました。

(足摺岬に建つジョン万次郎の銅像、ジョンは何を見ているのでしょう)
(ジョン万次郎の生涯を紹介する碑文)

 この地は何度か訪ねているのに、ジョン万次郎の銅像の記憶がないとはどういうことか、自責の念に駆られつつ銅像の前に立ちました。そしてカメラに収めながら自分の記憶と碑文を重ね合わせて何度も読み返したのです。ジョン万次郎は宿命を運命に変えた幸運な人です。漁師に生まれた宿命、船が遭難してはるか鳥島という無人島に流された宿命、鎖国という宿命、これをことごとく跳ね返し、運命の扉を開くことが出来たのは、ホイット・フィールドという捕鯨船の船長との出会いでした。そしてアメリカで学業に励み、航海術・捕鯨術・測量術・英語などを学び、帰国するも投獄されながら許され、咸臨丸の渡米の陰の立役者となったのです。その後東大の前身である開成学校の教授をしたりしながら71歳の生涯を閉じています。

 この日の待ち合わせ約束時間が12時30分だったのですが、馬路村の東谷さんと事務局から電話が入ったため、少し急ぎ足で遊歩道を歩き、灯台の直ぐ下まで行きました。


(灯台に至る椿のトンネルの散策路)

(四国最南端の足摺岬灯台)

(展望台から見える足摺岬の絶景)

(この位置から沖合いを見ると隣はアメリカ、そんな大きな夢が湧いて来るようです)

サニーロードのもう一つの道を通って、万次郎の生誕地中浜を経由しました。橋の上から見える中浜の集落はひっそりと静まり返っていましたが、百数十年前に万次郎がこの地から太平洋へ漕ぎ出したのかと思うと、少し感慨深げでした。

(中浜万次郎といわれた、万次郎生誕地中浜)

 ジョン万次郎に憧れて少年時代を過ごしただけに、その足跡をたどれた今回の旅はとてもラッキーな旅でした。ジョン万次郎の生涯を再び紐解きながら、自分のこれからの生き方も考えてみたくなりました。

 ジョン万次郎の言葉  「感動とは 夢を形にする行動力である」

  「ジョン万が 生まれ育った 中浜の 集落見えて 感慨深げ」

  「足摺の 岬に立ちて 海を見る 心眼開き 何をか思う」

  「名も姓も 無きに等しい 子せがれが 運命開き 偉業を成しぬ」

  「海はいい 全て飲みこむ 度量にて ロマンかき立て 俺を導く」 


[ この記事をシェアする ]