shin-1さんの日記

○シーサイド公園で結婚式②

 昨日は恋人の聖地選定記念のイベントが行われましたが。盛り沢山なイベントの中で圧巻は何といってもシーサイド公園恋人岬の結婚式です。時折吹く強い南西の風にあおられながらも、心配された雨も上がって、バージンロードに見立てた恋人岬にはギャラリーも沢山集まり、白と青の風船が風に舞う中、お父さんに連れ添われた新婦が海沿いに向って進み、突堤のモニュメントの前で待っている新郎にバトンタッチしました。人前結婚式の始まりです。市長さんも見届け人になりました。




 しかし、若い人の発想はいいですね。私がこの恋人岬を造る時夢見ていたことを実現してくれるのですから最高です。確かにホテルや教会の結婚式もいいものですが、月並みな結婚式よりもオンリーワンの結婚式もいいものです。特に新婦の白いウエディングドレスが海と空の青にマッチしてとても印象的でした。

 この日のオープニングを飾ったのは翠校区のお母さんたちによるよさこいソーランでした。白い砂浜で踊るソーラン節はすごい迫力で、これが双海町の人かと思わせるような見事な踊りでした。恋人に聖地で出会う恋、シーサイド公園の中心で愛を叫ぶという大声感動大賞決定戦、サンセットライブイン恋人岬と、時間を追ってヒートアップした若者の熱気が見ている私たちにも伝わって大盛況でした。若いっていいねえ、でした。

 昨日は私も何かと忙しく、このイベントを見学に来た人を人間牧場に案内したり、我が家へ案内したり、会場を案内したりと、朝から右往左往しました。午後からは上島町の兼頭一司さんご夫妻も見えられ、たった2度の出会いですっかり顔なじみとなった玄君になつかれ抱っこしたりして、皆さんから「お孫さんですか?」と何度も尋ねられました。また大洲の徳永さんご夫妻も見えられ、まるで同窓会のような賑やかさで、駐車場を心配して単車での移動だったので、お陰様で随分雨にも濡れてしまいました。

 少し落ち目のシーサイド公園に久しぶりに活気が蘇えったような気がしました。合併で何かと意気消沈だっただけに、関わった人たちとこれからもできる限りのお手伝いや後押しをしようと心に言い聞かせました。

  「このパワー もっと生かして 活性化 意気消沈を 吹き飛ばそうよ」

  「お孫さん? 会う人毎に 聞かれると 玄君その気 キッスサービス」

  「一生に 一度の結婚 この浜で 誓う二人に 幸せあれと」

  「ちょっとだけ 天も味方し 雨上がる 合間を縫って イベント実行」 



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shin-1さんの日記

○恋人の聖地にモニュメントができました①

 双海町にある道の駅ふたみシーサイド公園に、「恋人の聖地」というお墨付きをいただいたお陰で、最近は何かと騒がしい日々を過してきました。全国100箇所のひとつに選ばれたのですから、それはそれとして喜ぶべきでしょうが、どうも100選なんてお墨付きは、出す方も出される方も金儲けの打算が働いて、取らぬタヌキの皮算用が多いようです。一方その選に漏れた人や地域では選ばれた所を羨ましがっているようですが、選ばれようが選ばれまいがそんなことは二の次で、新しい物語を作ればいいのです。しかし選ばれると100選の中で新たな競争が始まり、ナンバーワンやベストワンを目指して下等競争が始まるのも事実なのです。

 「恋人の聖地」に認定されたことが知らされたのは4月はじめでした。それまでに公募があって、応募したいと打診がありました。というのもシーサイド公園には私が発想して造った恋人岬があって、「恋人の聖地」としての条件は既に整っていたからです。断る理由もなく、また私が断る立場でもないので賛同の意を示したところトントン拍子に話が進み、結果的には高速道路伊予灘サービスエリアとともに愛媛県内で2箇所とも伊予市が独占する事になったのです。

 早速心ある人が集まって今後の進め方について話し合いが持たれ、私も行きがかり上その末席を汚しました。今の時代は情報が的確に早く捕らえられていて、全国の「恋人の聖地」では早くもモニュメントを設置したり様々な取り組みがされていて、それが一覧表になって写真で紹介され、いかにも競争をあおっているように思われました。様々なノウハウを持っているように見える私ですが、それはもう過去のものであって、「恋人の聖地」の選定を機に脱皮すべきと考え、私の考えは極力押さえて若い人の意見を重視するよう一歩引いた所に軸足を置いて臨みましたが、それが結果的にいい成果を出すことができたように思います。

 私の役割はモニュメントの設置でした。金を安くしかもいいものを造る、これが命題ですから私の出番は当然のことです。私はひらめきを大事にします。しかし他所の事例を見ると殆どすれがフェィスシートになってしまうので、物真似に終わってしまうのです。私が頭に描いたことを馴染みの石屋さんに話しました。この石屋さんは願い石も童謡の小路も私の発想をより近い形で具現化してくれました。故に今度も大まかな予算とアイディアをいって原案をまとめてもらいました。今はCGの世界なのでより具体的な提案を示さないとみんなが納得しないので、何度か打ち合わせをして、一度は石屋さんまで出向きフォローしました。4日前までには仕上げてもらうよう依頼しましたが、雨の烏合で少し気を揉みましたが、NHKのいよかんワイドにも間に合って、昨日の除幕となったのです。昨日は市長さんも見えられ、除幕に立ち会っていただきましたが、予想以上の出来栄えにうれしく思いました。

(市長さんも参加した除幕式)
(これが私が担当した恋人の聖地選定記念モニュメントです。表には選定のプレートがはめ込まれています)
(このモニュメントは裏からは夕日と恋人岬のモニュメントがハートに中に入るようになっています。この日はマスコミがカメラで撮影している様子が入りました)
(ハートの中に二人が入るとカメラスポットとなります。お遊びで私が一人入ってはいポーズです)

 シーサイド公園にまたひとつ新名所が誕生しました。シーサイド公園はもう夏真っ盛りで、この日は海開きに合わせるよう沖合いには海上保安庁の巡視船が訪れ一斉放水までサービスしてくれました。またアクアラングの皆さんも恒例の海底の掃除をしていただきました。

 モアイ像のある中庭には、私が15年前に植えたデイゴが見上げるほど大きくなって、真赤な花が今を盛りと印象的に咲いていました。

(燃えるように真赤なデイゴの花)

  「中庭に 自分の植えた デイゴ花 真赤に咲いて 夏を知らせる」

  「恋人の 聖地記念し モニュメント 公園に又 ひとつ想いが」

  「限られた 予算で造る 知恵ハート 恋人たちの 歓声嬉し」

  「夏の雨 降ったり止んだり しながらも 通り過ぎゆく 背中濡らして」

 

 

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shin-1さんの日記

○狂った歯車

 今朝妻と食事をしていたら、「最近あなたの財布の中身が早くなくなるような気がする」というのです。「タバコもコーヒーも飲まない上、酒まで辞めているのだからそんなこと言われたって」と腹を立てて反論すべきででしょうが、自分でも同調しているだけに反論のしようがないのです。私の場合財布を何処へでも置く癖があって財布を持たない暮しが長らく続きましたが、最近はさすがにそれもなく中身が減ったら私が恥を書かないようにと、一定額をきちんと妻が補充してくれるのです。そういう意味ではできた妻ですが、その中身が早くなくなる原因はどうやらガソリン代のようだと妻に話しました。1リッター120円前後だったガソリンが今は170円を越えているのです。私はセルフのスタンドはどちらかというと嫌いで、主に知人友人のガソリンスタンドで給油をしますが、スタンドの店員さんはさも自分が値上げしているような感じがするのか「ガソリン代が高くてすみません」と平謝りの低姿勢です。何も店員さんが悪いのではないのですが、それでも給油を終えて財布からお金を出す度にガソリンの値段の高さに驚き、「車に乗るのを極力避けようとするのです。しかし松山市をフィールドにしている私の日常活動にとって、往復50キロは縮めようのない距離なのです。

 楽しむべき食事の席が、こんな政治に対する不満をぶっつけなければならない現代社会は異常なような気がします。イージス艦あたごの衝突問題、年金問題、道路特定財源問題、後期高齢者問題、国家公務員の汚職問題など、これでもかといわれるほどの難問題が次から次へ飛び出し、その都度政党間の駆け引きで国会は空転し、日銀総裁ひとり決められないお粗末な状態となっているのです。まさに機能不全、脳死状態の内閣です。

 これまで総理の顔など滅多に拝めないと思っていたのに、何でもかんでも総理が出て、総理はまるで百面観音様のようです。それぞれ大臣がいるのですからそこできちんと対処する責任の取り方を考えないと、阿部さんのように途中で押し潰されてしまう気がするのです。これは総理と総裁を同じ人がやるために起こる弊害であり、その事に自民党はまだ気付いていないようです。

 食事の席で政治を語ることは何も悪いことではありませんが、政治を意識せずに生きていられるような、つまり投票で選んだ人たちがもっと真剣に政治に取り組んで欲しいのです。政治家は二言目には国民の意思だとかいっていますがそれは二枚舌で、国民のことを考えているのならもっとましな政治ができるはずなのです。

 平和学の第一人者であるノルウェーのJ・ガルトゥングが「戦争がないから平和だというのは、今自分は病気をしていないから健康だと思い込んでいるのに似ている」と言っているように、すでに体内で病気が進行しているのに、健康だと思い込み検査も何もしないとの同じだとすると、日本の政治的現状は知らない間に末期がんに侵されているのかも知れません。政治への非難の声は日増しに高まるばかりです。国の歯車が狂えば、国民の歯車も狂うのです。今一度狂った歯車を元に戻さないと大変なことになるような気がするのです。

  「今平和 今健康だとて 油断せず 足元固め 生きる肝要」

  「知ってます? 平和の敵は 平和です 平和に溺れ 平和崩れる」

  「財布減る 原因油 自衛策 車頼らず 思うがやれぬ」

  「年金は 下がる油は 高くなる 何処で辻褄 妻のやりくり」

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shin-1さんの日記

○水平線の家に「shin-1さんの日記」ブログコーナー設置

 先日人間牧場を訪ねてもらったわが21世紀えひめニューフロンティアグループのパトロンである、関奉仕財団理事長関宏成さんから、藤原茂さんを通じ、創業者関定さんに関する分厚い2冊の本が届きました。水平線の家のインテリアのように設えている書棚に並んだ書籍類を見ての贈呈でしょうが、有難く拝受し、早速昨日本棚に置きました。

 この本と一緒にわが書斎の書棚に無造作と思えるようにうず高く積まれていた、私のブログ「shin-1さんの日記」のプリントアウトした綴りを水平線の家へ運びました。一か月分毎に表紙をつけているもののその厚さたるや一冊2~3センチもあり、それが既に2年9ヶ月で33冊にもなっていて、田舎のオープンカーの助手席に積んで移動しましたが、積もれば積もるので中々大量なのです。

 本当は読む人のためもさることながら自分のためにも、一ヶ月毎に目次をつけたかったのですがそんな時間的余裕もなくついついそのままでのお引越しとなってしまいました。昨日はあいにくの雨で小雨が降っていましたが、濡れないように注意をして移動を完了しました。

 水平線の家の片壁の殆どを書棚にするとわたしが提案し息子もそれに同調し、大工さんにお願いしたところ、頼まれた大工さんは「若松さんそんなに大きな書棚を作って本屋さんでもするんですか?」と大笑いされました。出来上がった書棚を見て私も最初はそう思うほどでした。しかしわが書斎の半分以上の書籍類を運んでみると、既に書棚は満杯で、その後の新刊図書などはわが家から移動できないで相変わらず本に埋もれたような暮らしをしているのです。

(書棚の一角を占領したブログ「suin-1さんの日記」コーナー)

 それでも人間牧場開設時から始めたブログのプリント綴りは、最初から人間牧場へ置くつもりだったので、予定通りの引越しです。しかしいつの間にかもうその場所はなくなっているのです。昨日は書棚を少し整理をしました。そして一番手に取り易い一角をどうにか確保して順番に並べたのです。少し窮屈かも知れず、これから増えるであろうブログの綴りを思うと、何か考えなくてはいけないようです。

 私は水平線の家の「背もたれ椅子に座って本を読み昼寝をする」という本来の目的をまだ勝ち得ていません。退職して4年目を迎え暇になるであろうはずの身の回りも相変わらず忙しく、それどころではないのです。そのうちそのうちと思いつつ加齢するのでしょうが、とりあえず10年間はブログを毎日書くことを自分のささやかな目標にしたため、このコーナーはその後も健康であれば増え続けるものと思われます。

(2年9ヶ月、私のような凡人にとっては非凡な成果です)

 自分自身も読みたいし、人間牧場に来た人にも読んでもらいたいと思いコーナーを設けました。後7年後には若松進一という人間の10年間の日々の生き様が並ぶことは凄いことだと独りよがりの思いにワクワクしているところです。ブログの何であるかも知らぬまま、その操作さえも知らぬまま始めた日々の小さな営みが、ここまで蓄積するとは正直思いませんでした。でも人間はやる気になって毎日コツコツ努力すれば、それなりの成果はあるものだと平凡が非凡になることを感じた昨日でした。

  「無造作に 朝晩書きし ブログさえ 年月経てば 生きた証言」

  「ポッカリと 空いた書棚の 一角に 増えてゆくのか ブログの綴り」

  「金残す こともできない 自分だが 知恵と思いは その気になれば」

  「ブログとて 息子にゃただの 紙ごみと 一方思う 心乱れて」

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shin-1さんの日記

○塾の名札を取り付けました

 朝起きると「今日は雨か」と思わせるようなどんよりした梅雨空で、小雨が既にポツポツ落ちていました。台風崩れの低気圧が梅雨前線を刺激して、これから大雨の恐れがあるとテレビで報じていたので、人間牧場へ行くことをあきらめかけていました。でもツルインゲン豆が沢山できているので人間牧場の途中だし、いつも魚を届けてくれる親類へ持ってゆこうと収穫して出かけました。二軒の親類の叔母は大そう喜んで、お礼にチヌ、イカ、太刀魚をいただきました。久しぶりの人間牧場は、夏草が勢いよく伸びて、作物が埋まりそうになっていました。雨も小降りのようなので草刈り機に混合油を注入しスタートです。陽もささず雨に濡れた草は切れ味抜群で、随分作業がはかどりました。

(左・岡本さんと、右是沢さん)

 そのうちズボンのポケットの携帯電話のバイブレーションが肌を伝って電話の着信を知らせてくれました。慌ててエンジンを切り、作業ストップです。今日は次々電話が入っていて、気がつけば留守着信が7本もかかっていました。休憩しながら次々と連絡を取りましたが、県外もあって結構長い休みとなりました。さあ作業開始というようになってまたもや着信です。聞けば宇和島の是沢康久さんが双海町の岡本廣志さんを伴って人間牧場へ来るというのです。先日の電話予約では明日にはずだのに、私の聞き間違いかも知れないと思いましたが、どうやら明日のイベントにも参加するため今日は石畳ふるさとの宿に泊まるとのことでした。岡本さんは双海町の元町議会議長だし、是沢さんとは同級生だそうで、久しぶりに積もる話をしました。世の中狭いもので宇和島市議会の元議長の土居さん(私と水産高校の同窓)とも親類だそうで話が弾みました。

 お二人が帰った後、用意していた人間牧場塾生名札の取り付けにかかりました。等間隔にキリで穴を開け、銅でできた釘をペンチで半分に切り、裏側から開けた穴に差し込んでゆくのです。見苦しくもできないので緊張しながら一人で作業をしました。やがて時計の下の鴨居付近に釘で止め、名札を吊り下げて微調整しました。メジャーもなく紙を半分に折ったりして工夫をしたアバウトなやり方にしては上場の出来栄えに一人満足しました。偶然にも電波時計は午後3時を指していて、何かいい予感を感じさせました。

 その作業が始まる前に高知県四万十市西土佐の和田修三課長さんから電話が入り、塾生に加えて欲しい旨の申し出がありました。和田さんとは高知で一番古い付き合いなので断る理由もなく、OKする事にしました。いよいよ面白くなってきました。高知の木下さんにそのことを話すため携帯を入れたら、彼は北海道網走にいました。北海道へ行くとの連絡は先日メールでありましたが、相変わらず行動範囲の広い男のようです。

 水平線の家もこのところ、少年少女おもしろ教室などで泥んこわんぱくな子どもたちが沢山来訪して、汚したまま帰っているので、今日は丹念に掃除機をかけ、床にワックスを塗りました。小さなお皿にワックスを小出しにして刷毛で塗ってゆくのです。これだけで床は見違えるように綺麗になります。僅か25畳の広さでもワックスを一人で塗ると結構時間がかかります。地べたを這うようにして、透明な液体のため塗り斑ができないように丹念に仕上げます。そしてそのまま部屋を締め切って乾かし、次の機会に乾いたタオルで拭くと綺麗になるという仕掛けです。皆さんそれぞれ人間牧場を使って楽しみますが、草刈りも掃除も口では手伝いますと言うものの誰も手伝おうとしないのです。これまで唯一手伝ったのはわが3人の息子と、囲炉裏の灰を砥部焼の窯元から貰ってくれた稲葉真光さんくらいなものです。まあそんなものだと割り切って今日も黙々一人でやりました。

  「鯛持って 弁当持参の お客様 あっけに取られ 私驚く」

  「手伝いに 行くよというが 誰も来ず 今日も黙々 一人ワックス」

  「名札吊り 準備万端 できました 性根を入れて 完塾目指し」

  「午後三時 電波時計が 時告げる 今は間もなく 過去になりつつ」

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shin-1さんの日記

○11年目の出会い

 毎日毎日、毎年毎年、色々な人に出会い、色々な人から学び、少しずつ少しずつ進化していく自分、そのアリのような歩みを確かめるように始めた1日3枚のハガキを書く活動ももう22年になりました。単純計算すると22年×3枚×365日=24.090枚という気の遠くなる尺取虫のような歩みを振り返る時、よくぞ頑張ったと、自分で自分を褒めてやりたいような気分になるのです。

 私がハガキを出した人の中には、定期的に出す人もいれば、1回だけの人もいます。多分1回だけの人の方が圧倒的に多いのですが、昨日そのハガキと11年ぶりに再会しました。昨日所用で松山から一人の女性がわが家にやって来ました。私の都合で午前9時の約束だったものですから、彼女が松山を出たのは8時ころではないかと思われます。失礼とは思いましたが急ぎの用だったので仕方なく失礼とは思いながらこの時間を選んでしまいました。彼女は4月にもわが家へ来て今回が2回目なので、わが家への新入路が狭いという思いがあったのでしょう、車を市役所支所へ止めて500mも歩いてやって来ました。

 東屋に案内し一通り打ち合わせが済んで雑談していると、彼女は手提げバッグから封筒を取り出しました。「若松さん覚えていますか。実は若松さんの講演を聞いて、旅先からおハガキを出したんですよ。その折若松さんは丁寧にも私に返事をくれました。嬉しくてそのハガキをずっと持ってるのです」と封筒の中から一枚のハガキを出して机の上に置きました。驚いたのは私です。そんなこともうとっくに忘れていました。でも記憶の糸をたどれば確かに彼女から届いたハガキの存在は知っていました。

(私が11年前彼女宛に書いた、双海の夕日をあしらった絵ハガキです。消印は平成9年です。切手の下に押した朱色のゴム印はまだ合併していない「愛媛県伊予郡双海町」のままで、激動の後が垣間見えるようです。それにしても下手糞な字ですね。汗顔に至りです)

 というのも私は人から来たハガキの中で「これは」という素敵なハガキは小さなイーグル風のハガキ立てに入れて机の上に飾って、来客に自慢していました。彼女からのハガキも私の机の上で約一ヶ月間自慢の種にしていたのです。残念ながらそのハガキは捨てられてはいないものの、退職時のどさくさにまぎれてダンボールに入れられ、倉庫の隅に眠っているのです。いつか日の目をと思っているのですが、残念ながらその日はまだもう少し先のようです。

 自分が書いたハガキとの11年目の面会に嬉しくなってデジカメで一枚写真を撮らせていただきましたが、しかし何という几帳面な人なのでしょう。有名人ならいざ知らず私如きから届いたハガキを11年間も捨てもせず大事小事に持っていてくれるなんて感激です。でも私はこのハガキを見て字の不味さと文章の不味さに戸惑ってしまいました。でも過ぎたことなのでまあいいかと思いつつ、手にとって懐かしい再会を喜びました。

 私はお礼に、赤とんぼ先生が作ってくれた竹のとんぼを彼女の手の指先に止まらせてあげました。心地よい浜風が指先に止まったとんぼを揺らし、彼女は驚いていました。土産に一匹差し上げました。多分何処かでとんぼは驚きの目に触れることでしょうが、これもまた出会いの印となったようです。満面の笑みを忘れまいと、有無を言わさず写真まで撮ってしまいました。

 丁度庭木を剪定手入れしていた90歳の親父がそこを通りかかり、親父は座布団を二枚、それにオロナミンC2本まで用意し、久しぶりの感動に浸る気の効かぬ息子のサポートまでしてくれました。

  「9の文字 切手の上に 消印が 時の流れを しみじみ思う」

  「あの頃は 伊予郡だった 今伊予市 時の流れを しみじみ思う」

  「十年余 手元に置きし 絵ハガキと 再会なんて 感激ですね」

  「座布団と オロナミンC 差し出して 気効かぬ息子 親父サポート」

  

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shin-1さんの日記

○ハッピーステージという雑誌で紹介

 一昨日外出先から帰ってみると、「ハーッピーステージ」という雑誌が玄関先に置かれていました。数日前編集に携わった宮本舞さんから掲載紙が送られてきながら、封筒の糊が表紙と封筒にべったりついて、肝心の記事が途中で破れて読めなかったものですから、嬉しいお届け物です。まだ確認していませんが地元の伊予銀行支店長さんが届けていただいたのではないかと推察するのです。支店長さんは数日前人間牧場に案内したこともあっての配慮ではないかと思いました。

 さてこの「ハッピーステージ」というのは伊予銀行のお客様用情報誌で、株えひめリビング新聞社が製作を引き受けているようです。印刷をセキ株が行っていて、先日の関奉仕財団理事長の人間牧場訪問といい、何か因縁めいたものを感じるのです。

 さてこの雑誌の表紙には「人間牧場、今日も元気です。-スローも落伍することも『若松進一流の進化論』-」と凄い見出しで読者にアピールしています。ページをめくると見開き2ページに渡って記事が載っていますが、いやあこの写真、自分で言うのもおこがましいのですが、今まで撮っていただいたどの写真にも負けないような穏やかな表情で写っていて、一辺で気に入りました。何せこの顔ですのでこれまで自分の顔写真を撮られるのを極端に嫌っていました。したがってこれほど長い間まちづくりに携わりながら、写真をといわれても中々出てこないし困ってしまうのです。わが妻もこの写真は気に入ったようで、「お父さん、この写真が一番いい」と褒めてくれました。

 さて、記事の内容ですが、記者の鋭いタッチでこれまでにない切り口で書いています。「子どもの頃の原点に還って心を開放するとっておきの場所」「どんどん進化しているよ、人間、進化しないとだめだよ」「小さなことも続ければ『スゴイ』、創作落伍(らくご)を極めます」と三本の中見出しが並んでいます。

 リード文だけ紹介しておきます。

 町役場に在職中、職員としてまた一私人として下灘駅夕焼けプラットホームコンサートや無人島キャンプの実施、ふたみシーサイド公園などに関わってきた若松さん(63歳)。退職後も「さすが若松進一的」な生活を実践中。50代から構想があった「人間牧場」を完成させて2年余り。この場所に集う地元の子どもや、訪れる人たちとの交流は、さらなる境地へ向っています。


 ウッドデッキでくつろぐ姿、ロケーション風呂、落伍風景の写真3枚と夕日徒然草という自著本、それに私が毎日書いているブログのトップページが紹介されています。写真それぞれのキャプションも少し長めの文章タイプなのでかなり奥深く仕上がっているようです。

 私など、銀行に行くことなど滅多にない貧乏人ですが、ブログを読まれた県内読者の方々なら伊予銀行のロビーなどに置いていると思われますので、ぜひ手にとって読んで見てください。男前の若松進一さんに紙上で出会うかも知れません。

  「これまでは 写真撮影 お断り ところが最近 顔に自信が」

  「この写真 葬式用に しようかと 提案妻に 縁起でもない」

  「若松も まんざらでなし 老松に 実物だけは 見ないようにと」

  「金のない 俺が銀行 情報誌 載ってる不思議 妻も同感」

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shin-1さんの日記

○久しぶりにNHKテレビ出演

 先日双海町出身でえひめ地域政策研究センターに出向している松本研究員から電話が入り、今月29日に予定されている「恋人の聖地選定記念イベント」の一環として、NHKテレビいよかんワイドへの出演の打診がありました。夕方4時から7時までの範囲というので、「まあいいか」と思いOKしました。彼の頭の中でこの番組は一連のストーリーであることを知っているので、うまくこの番組を誘致したものだと心の中で大きな拍手を送りました。

 「恋人の聖地」という地域指定を獲得するまでの様々な想いと手続き、地域指定を受けてからそれを記念イベントや記念碑建立などで内外に周知認知させる作業、ここまでは多少の壁はあったにせよ順調過ぎるほど順調に事が運んでいるようです。しかも公共のメディア媒体であるNHKまで使う手口は、かつて金のない時代に私がやった手法と全く一緒で、これぞ若松進一直伝の手法で、まるで私の姿を見ているようです。

 さて今回の「恋人の聖地」ストーリーの私の役割とは一体何か、それはいうまでもなく米湊さんや松本さんの時には知的サポーター、時には通行人的サポーターに徹することです。まずシンボルを作らないといけないので記念碑を造ることを考え、製作のお手伝いをしました。この話はシーサイド公園に沢山のモニュメントを造った経験が生かされどうにか海開きまでに間に合いました。金が伴うことも第三セクターを巻き込みOKです。昨日も本当はこの記念碑を映像として出したかったのでしょうが、チラリズムでした。


 さて、昨日のテレビ出演は通行人的サポーターです。昨日は夕日と赤とんぼを組み合わせるために、元上中校長窪田先生にご出演をいただきました。夕日と赤とんぼの関係は詳しく述べませんが、通称赤とんぼ先生の赤とんぼ製作の模様をシーサイド公園で再現してもらいました。またご存知漁協女性部の皆さんにはラブじゃこ天での出演です。そして私はそのつなぎとして顔役出演です。いずれも恋人の聖地という主役の、脇役ならぬちょい役通行人として役割を果たしました。

 テレビ出演が終わってわが家へ帰ると妻はビデオに収録して待っていましたが、中々上手く映っていたようでした。白鳥アナウンサーとは、「列島12000キロの旅」で下灘駅が紹介された時出演してハーモニカを吹いて以来の出会いで懐かしく思いましたが、早速宇和島の山本さんなど何人かの知人友人から「テレビ見たよ」とメールや電話が入っていました。

 昨日は心配された雨も上がって、自慢の夕日こそ見えなかったものの、穏やかな瀬戸内海の夕映えが見えました。西空の一点にポッカリト大きな穴が開き、夕日が差し込む姿はまるで降臨とでも表現したいような風景でした。真赤に燃える夕日も良いのですが、この風景もおつなものです。

 いよいよ二日後、本番に記念イベント」が始まりますが、本番の後が本当の本番です。「恋人の聖地」選定という願ってもないビッグチャンスを生かして、物語を紡ぎながら経済と融合させなければなりません。その責任の一翼を脇役となってサポートしなければなりません。責任を痛感しています。

  「チョイ役の 通行人で テレビ出る 主役は聖地 二日後出ます」

  「赤とんぼ 作る姿を 大写し 校長少し 顔が紅潮」

  「ラブじゃこ天 久々ヒット この次は ホームラン打つ 気概を持って」

  「降臨と 言うに房わし 天空の 光注ぎて 瀬戸海静か」


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shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座

 昨日は驚きました。集会の会場となった愛媛県美術館は松山城を見上げる堀の内にあって、モダンなその建物の2階にある研修室へ通じる階段を昇ってゆくと、何やら会場の前に見慣れた人が立っているのです。しかも私そっくりで木になるカバンまで持っているではありませんか。直感で私の人型パネルと分りましたが、それにしてもこんなたくらみを誰がしたのでしょう。察するにえひめ地域政策研究センターの清水研究員と新居浜の加藤さんが仕組んだに違いないのです。この人型パネルは私の持っているものより少し小ぶりなような気がしましたが、電光掲示板も私の名前も、「しずむ夕日が立ちどまる町」にキャッチフレーズまでもが入ってプリントされていました。よく見ると移動に便利なように二枚に折りたためるよう工夫が凝らしていていました。センターの谷本さんに比較のつもりでモデルになってもらい、デジカメで撮影しましたが、モデルになった人が男前過ぎて私が見劣りする結果となってしまいました。

(谷本さんより少しだけ男前が落ちる私の人型パネル)

 昨日は地域づくり人養成講座があり、「地域をいかにコーディネートするか」というテーマで、19年度にまちづくりアシスト事業の指定を受けた団体の成果発表を聞いてコメントをさせてもらう機会を得ました。5団体の発表はそれぞれ僅か10分の持ち時間だったため、詳しく述べることはできませんでしたが、それでもみんな一生懸命発表していました。誰でもそうですが発表は発表する自分自身もさることながら、目の前の聴衆にいかに伝えるかという点がややもすると忘れられがちだし、逆に聴衆を意識し過ぎて自分を忘れる事だってあるのです。発表した後に「ああ、いい発表だった」と思わせる発表は、やはりそこら辺のテクニックがないと、せっかくの発表が居眠りの対象となってしまうのです。

 私と邑都計画研究所の前田さんがコメンテーターとなり、調査役の丹羽さんがコーディネーターで2時間を過ごしました。私も発表の都度にコメントを求められましたが、適切な意見が述べれたかどうか気になるところです。発表に先立って上勝の横石さんが「彩~気を育てる地域づくり~」について講演をしました。何度も出会っている私が部屋にいるとやりにくいと思って、私は講演が終わるまでロビーで待機をしていましたが、今をときめく横石さんの話しにみんな満足したことでしょう。

(右がマーマレードの谷晴美さん、左は同僚の松尾和さん)

 昨夕はオフライン交流会と称する懇親会が農協会館地下の会場で行われました。今年の講座生は22名とか、特に活気のいい女性の姿が目立ちました。宇和島市商工観光課の小林祥子さんや愛ワークの大内さん、西条市教育委員会の谷さんなど知り人が多く、色々な話しに花が咲きました。また人間牧場の塾生第1号にこのほど

なった濱田さんやメダカの井上さん、朝降フル会の丹下さんなどいい人の顔ぶれが揃っています。

 さてさて期待はずれにならぬようせいぜい頑張って欲しいし、できる限りのサポートをしたいと思っています。

 人を育てることは容易なことではありません。心の変容とそれを実践に結び付け、波及しなければ意味がないのです。毎年こうして新しい人が育って行きますが、その人たちが巡り巡ってまた新しい人を育てるような人間に育って欲しいと願っています。

  追伸   浜田さんが酔った勢いで即興オペレッタをやりました。突然のことでみんな開いた口が閉じませんでした。やはり浜田さっは鉄人28号ならぬ変人1号のようです。でもその馬力には敬服しました。存在感誇示率は100%でした。さすが人間牧場塾生1号です。


(この顔でオペレッタとは)
  

  「入口に 見慣れた人が 立っている よくよく見れば 俺の看板」

  「発表を する人熱を 帯びてきて 時間呼び鈴 二回鳴らされ」

  「オペレッタ 突然大声 驚いて 開いた口を 閉じることさえ」

  「キーワード やはり女性だ 感性が 男と違い ジーンとしたね」

 

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shin-1さんの日記

○親類とはいいもんだ

 私には沢山の知人友人がいて、何かにつけて出会い、楽しいお喋りやボランティア活動などをしています。またメル友、ハガキ友、風呂友(風呂で知り合った人)もいます。お酒を辞めたため主流だった飲み友はさすがに激減して限りなくゼロに近くなりましたが、それでも年に何回かは飲まない私を会費負担の片棒だけ担がされて、誘い込まれることがありますが、まあ仕方がないと諦めノコノコと出かけています。最近増えたのは学習友で、たとえば限界集落勉強会のように、そのことを深く学習しようと誘われたり誘ったりしながら、加齢とともに右肩下がりになろうとしている気力と体力、それに知力をせめて落さないよう懸命に努力している所です。

 さて先日の日曜日、嬉しい出会いがありました。私の従兄弟洋子さんです。洋子さんとは従兄弟でありながら同級生ということもあって、子どもの頃から何かにつけて出会っていました。しかしお互い結婚してからは別々の生き方をしていることもあって、お目出度やお悔やみに顔を合わせる程度、同級会で顔を合わせる程度で、それほど深くもなく、そうかといってそれほど浅くもなく丁度よい距離で出会っていました。

 先日ひまわり塾という学集会に招かれ講演に行ったことはブログに書きましたし、洋子さんや万寿恵との出会いも書きました。その後お礼を言おうと妻の作っている親類知人のアドレス帳で電話番号を探し、お礼の電話をしようと試みましたが、間違い電話で三回も同じ人に電話してしまい恐縮してしまいました。その後104で電話番号を調べてもらったところ、1と7の数字が違っている事に気がついたのです。妻にそのことを指摘したら、「ああそうだったの」と軽くいなされ少しだけ頭にきましたが、グッと堪えて電話をしました。電話口に出た洋子さんは、先日私の講演を聞いた感想を話してくれました。一般の人から見れば90分という長い時間も話すことは驚きのようで、「あなたは凄い」と少し持ち上げてくれました。早速私の「夕日徒然草」が読みたいので何処で購入すればいいのかとという話になりました。近々松山へ行く所用があるのでその折にと電話を切りました。

 昨日はあいにくの雨でしたが、洋子さんと約束した甘夏柑を菜園の横の木から数個取り手土産ほどでもなく持って行きました。ご主人はあいにく留守でしたが洋子さんは在宅で、「まあ上がってお茶でも」と誘われるまま上りしばしの談笑です。最近の家族の音信や同級生の消息など、この2~3年話していない近況を矢継ぎ早に話して、午後の集会の時間もあるので早々においとましました。洋子さんは手先が機用でパッチワークなどは玄人です。お土産にと妻と近所に住む姉のために手づくりの手提げバック二個いただきました。

 この歳になるとといってもまだまだ若いつもりの63歳ですが、それでもこの歳になると親類の人が恋しくなるもので、親類とはいいもんだとしみじみ思いました。

 洋子さんは筆まめな人で、ひまわり塾で出会って一枚、そして昨日一枚とハガキをくれました。一日三枚のハガキを書く自分でさえ、忙しさにかまけて一枚も出していないのに二枚もハガキが届いてビックリです。

 昨夜は研修会の修了後懇親会があり家へ帰ったのは午後9時半を回っていました。妻に洋子さんからの土産を手渡すと早速お礼の電話をかけていました。甘夏柑を使って早速マーマレードを作ったそうです。美味しく仕上がったかどうか、味見に伺わなければなりません。

(洋子さんの送ってくれた短歌)

 さて、洋子さんに叱られるのを承知でちょっと遊んでみました。私のブログ末尾にには笑売啖呵と称する短歌を毎回四首載せていますが、それに感化されたのか洋子さんはハガキに短歌を一首作って送ってくれました。「ふる里の 訛で話す 進ちゃんの 二時間余りが アッと過ぎゆく」でした。名句です。私などは足元にも及びません。余り褒めるとお世辞に聞こえますのでこの程度に留めますが、久しぶりにホットな出会いでした。またお会いしましょう。

  「この歳に なると従兄弟が 懐かしい DNAが 呼んでいるのか」

  「私書く 笑売啖呵に 呼応して 名作一句 ハガキしたため」

  「手づくりの バッグ手土産 喜んで 早速電話 妻の素早さ」

  「進ちゃんは 立たされてたと 告げられて 目玉食らった 従兄弟懐かし」

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