shin-1さんの日記

○狂った歯車

 今朝妻と食事をしていたら、「最近あなたの財布の中身が早くなくなるような気がする」というのです。「タバコもコーヒーも飲まない上、酒まで辞めているのだからそんなこと言われたって」と腹を立てて反論すべきででしょうが、自分でも同調しているだけに反論のしようがないのです。私の場合財布を何処へでも置く癖があって財布を持たない暮しが長らく続きましたが、最近はさすがにそれもなく中身が減ったら私が恥を書かないようにと、一定額をきちんと妻が補充してくれるのです。そういう意味ではできた妻ですが、その中身が早くなくなる原因はどうやらガソリン代のようだと妻に話しました。1リッター120円前後だったガソリンが今は170円を越えているのです。私はセルフのスタンドはどちらかというと嫌いで、主に知人友人のガソリンスタンドで給油をしますが、スタンドの店員さんはさも自分が値上げしているような感じがするのか「ガソリン代が高くてすみません」と平謝りの低姿勢です。何も店員さんが悪いのではないのですが、それでも給油を終えて財布からお金を出す度にガソリンの値段の高さに驚き、「車に乗るのを極力避けようとするのです。しかし松山市をフィールドにしている私の日常活動にとって、往復50キロは縮めようのない距離なのです。

 楽しむべき食事の席が、こんな政治に対する不満をぶっつけなければならない現代社会は異常なような気がします。イージス艦あたごの衝突問題、年金問題、道路特定財源問題、後期高齢者問題、国家公務員の汚職問題など、これでもかといわれるほどの難問題が次から次へ飛び出し、その都度政党間の駆け引きで国会は空転し、日銀総裁ひとり決められないお粗末な状態となっているのです。まさに機能不全、脳死状態の内閣です。

 これまで総理の顔など滅多に拝めないと思っていたのに、何でもかんでも総理が出て、総理はまるで百面観音様のようです。それぞれ大臣がいるのですからそこできちんと対処する責任の取り方を考えないと、阿部さんのように途中で押し潰されてしまう気がするのです。これは総理と総裁を同じ人がやるために起こる弊害であり、その事に自民党はまだ気付いていないようです。

 食事の席で政治を語ることは何も悪いことではありませんが、政治を意識せずに生きていられるような、つまり投票で選んだ人たちがもっと真剣に政治に取り組んで欲しいのです。政治家は二言目には国民の意思だとかいっていますがそれは二枚舌で、国民のことを考えているのならもっとましな政治ができるはずなのです。

 平和学の第一人者であるノルウェーのJ・ガルトゥングが「戦争がないから平和だというのは、今自分は病気をしていないから健康だと思い込んでいるのに似ている」と言っているように、すでに体内で病気が進行しているのに、健康だと思い込み検査も何もしないとの同じだとすると、日本の政治的現状は知らない間に末期がんに侵されているのかも知れません。政治への非難の声は日増しに高まるばかりです。国の歯車が狂えば、国民の歯車も狂うのです。今一度狂った歯車を元に戻さないと大変なことになるような気がするのです。

  「今平和 今健康だとて 油断せず 足元固め 生きる肝要」

  「知ってます? 平和の敵は 平和です 平和に溺れ 平和崩れる」

  「財布減る 原因油 自衛策 車頼らず 思うがやれぬ」

  「年金は 下がる油は 高くなる 何処で辻褄 妻のやりくり」

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shin-1さんの日記

○水平線の家に「shin-1さんの日記」ブログコーナー設置

 先日人間牧場を訪ねてもらったわが21世紀えひめニューフロンティアグループのパトロンである、関奉仕財団理事長関宏成さんから、藤原茂さんを通じ、創業者関定さんに関する分厚い2冊の本が届きました。水平線の家のインテリアのように設えている書棚に並んだ書籍類を見ての贈呈でしょうが、有難く拝受し、早速昨日本棚に置きました。

 この本と一緒にわが書斎の書棚に無造作と思えるようにうず高く積まれていた、私のブログ「shin-1さんの日記」のプリントアウトした綴りを水平線の家へ運びました。一か月分毎に表紙をつけているもののその厚さたるや一冊2~3センチもあり、それが既に2年9ヶ月で33冊にもなっていて、田舎のオープンカーの助手席に積んで移動しましたが、積もれば積もるので中々大量なのです。

 本当は読む人のためもさることながら自分のためにも、一ヶ月毎に目次をつけたかったのですがそんな時間的余裕もなくついついそのままでのお引越しとなってしまいました。昨日はあいにくの雨で小雨が降っていましたが、濡れないように注意をして移動を完了しました。

 水平線の家の片壁の殆どを書棚にするとわたしが提案し息子もそれに同調し、大工さんにお願いしたところ、頼まれた大工さんは「若松さんそんなに大きな書棚を作って本屋さんでもするんですか?」と大笑いされました。出来上がった書棚を見て私も最初はそう思うほどでした。しかしわが書斎の半分以上の書籍類を運んでみると、既に書棚は満杯で、その後の新刊図書などはわが家から移動できないで相変わらず本に埋もれたような暮らしをしているのです。

(書棚の一角を占領したブログ「suin-1さんの日記」コーナー)

 それでも人間牧場開設時から始めたブログのプリント綴りは、最初から人間牧場へ置くつもりだったので、予定通りの引越しです。しかしいつの間にかもうその場所はなくなっているのです。昨日は書棚を少し整理をしました。そして一番手に取り易い一角をどうにか確保して順番に並べたのです。少し窮屈かも知れず、これから増えるであろうブログの綴りを思うと、何か考えなくてはいけないようです。

 私は水平線の家の「背もたれ椅子に座って本を読み昼寝をする」という本来の目的をまだ勝ち得ていません。退職して4年目を迎え暇になるであろうはずの身の回りも相変わらず忙しく、それどころではないのです。そのうちそのうちと思いつつ加齢するのでしょうが、とりあえず10年間はブログを毎日書くことを自分のささやかな目標にしたため、このコーナーはその後も健康であれば増え続けるものと思われます。

(2年9ヶ月、私のような凡人にとっては非凡な成果です)

 自分自身も読みたいし、人間牧場に来た人にも読んでもらいたいと思いコーナーを設けました。後7年後には若松進一という人間の10年間の日々の生き様が並ぶことは凄いことだと独りよがりの思いにワクワクしているところです。ブログの何であるかも知らぬまま、その操作さえも知らぬまま始めた日々の小さな営みが、ここまで蓄積するとは正直思いませんでした。でも人間はやる気になって毎日コツコツ努力すれば、それなりの成果はあるものだと平凡が非凡になることを感じた昨日でした。

  「無造作に 朝晩書きし ブログさえ 年月経てば 生きた証言」

  「ポッカリと 空いた書棚の 一角に 増えてゆくのか ブログの綴り」

  「金残す こともできない 自分だが 知恵と思いは その気になれば」

  「ブログとて 息子にゃただの 紙ごみと 一方思う 心乱れて」

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