shin-1さんの日記

○美味い物はあ・と・で・・・・・・ 

 今朝出かけはどしゃ降り、帰りは上天気と、激しい天気の変化の中で県庁所在地松山を往復しました。こうして殆ど毎日、自分の住んでいる町よりもはるかに多い時間、松山をフィールドに仕事や遊びで過ごしているのです。ふと親父の時代を考えました。私と36歳も年齢が違う親父の小さい頃は、松山へ行く道も上灘~郡中間は殆どなく、森の海岸を歩いたそうです。故に松山は途方もなく遠く、途方もなく都会で、途方もなく憧れの土地だったのです。それがどうでしょう。私などは今朝も自家用車で家から県庁までたった50分で行けるのですから、隔世の感です。しかもそこで会議や仕事をして午後3時にはわが家に着いて、何食わぬ顔で過ごせるのです。これは何も私と親父の時代変化だけではなく、自分自身にとっても東京という日本の中心地との間にも見られる変化です。私は昭和19年生まれですが、私が26歳で役場に就職したころは、東京へ出張なんて仕事は皆無に近かったのです。それがどうでしょう。今は私のようにリタイアした人間でも一ヶ月に一度くらい東京へ行き、東京で仕事や会議をするのです。しかも上手く行くと一便の飛行機で行き、最終便の飛行機で帰る日帰り旅だって出来るほど東京が時間的に近くなったのです。松山も東京も距離的には今も昔も変わりませんが、人間の英知が時間的な短縮をしたのです。私が仮に長生きして親父の年齢まで生きた36年後にわが息子がこれと同じような感想記事を書くかもしれませんが、時代の便利さにはただただ驚くばかりです。

 今日は月に一度の生協の理事会に出席しました。相変わらず若さ溢れる女性の理事さんの黄色い声を聞いて、元気をいただきましたが、議事の関係で少し遅れて昼食弁当を食べました。何時もながら美味しい弁当に舌鼓を打ちながら、ふと20数年前研修旅行に行った時のことを思い出しました。

 ある人が、「若松さん、弁当の食べ方で生まれた時代が分るよ」と耳打ちしてくれました。私は100人もの婦人会のおばちゃんと一日ハイキングをし、その引率をしたのです。弁当は婦人会が一括購入した幕の内弁当でどれも同じです。早速お昼になってみんな木陰で弁当を食べました。多分その頃はまだプラスチックの容器でなく折り詰めだったような気がします。みんな一斉に弁当を広げましたが、古い時代に生まれた人はみんな折のフタに付着したご飯粒から先に食べるのです。ところが若い人は折箱のフタには目もくれずさっさと食べ始めるのです。「勿体ない」「ご飯粒を粗末にしたら目が不自由になる」とは、亡き母の教えですが、それは日本人の教えでもあったのです。

 今日昼食弁当を食べながら隣の席に座った女性に「あなたは美味しいものから食べる?、それとも美味しいものは後から食べる?」と聞くと、「はい私は美味しいものから食べます」というのです。多分私たち年代の物のない時代を経験した人間は「美味しいものは後口」型が多いのではないでしょうか。今の若者は美味しいものから順番に食べます。そして入らなくなったら食べずに残しゴミとして捨てるのです。

 私は今日、美味しい弁当を紙類を除けば全て平らげ完食しました。私たちへの教えは「物を残すな勿体ない」だったのです。最近食の安全性が問題になり、ここまでやるかと思われるほど消費期限の切れたものはどんどん捨てられゴミになって行くのです。「勿体ない」と思うのは私たち年配の戯言でしょうが、アフリカや中東の飢餓で苦しむ人たちのことを思うと、消費国日本の傲慢さが窺い知れるのです。

 僅かに40パーセントの自給率でしかない日本の将来が心配です。今一度日本人一人一人が食について考え、改めるべきを改めないと大変な事にあるような気がするのです。「勿体ない」「物を残すな」と教えられた古き時代に育ったこと、それを教える親がいたことに感謝する今日この頃です。

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shin-1さんの日記

○変なお客さん

 役場に在職中同僚から、「若松さん、あなたを訪ねてくる人は変わった人が多いですね」とよくいわれました。それもそのはず、頭にバンダナを巻いたり、顔中髭面のまるで熊みたいな人だったりするのですから、見た目には「変わった人」と写るのは当然かも知れません。じゃあ一昨年から頻繁に私の所へやって来る兼頭さんはどうでしょう。まるでおぼっちゃんのような色白の男前で、ましては本人は絶対口にしないのですが、友人である山梨県清里の舩木さんからの紹介だと、「東京大学経済学部」を卒業し、難関の松下政経塾をこの春卒塾している超エリートなのに、身だしなみもきっちりして、見た目にはすごく好感の持てる人ながら、目指す方向や考えは相当変わり者とお見受けできるのです。このように、普通の人が普通な目で見ると前者は変わり者、後者は普通の人なのですから、人は見た目だけではないと思うのです。

 そんな中、考えも講堂も変わっていると思われる一人の公務員から電話がかかってきました。えひめ地域政策研究センター主任研究員を介した講演依頼です。その時はそんなに変わった人だとは伺っていませんでしたが、先日届いた講演依頼文章で変わった人だと思い、昨日同僚と人間牧場を訪ねてきた格好を見て「変わり者」の烙印を押さざるを得なくなりました。

(左は協働のまちづくり課主任主事の松浦宏幸さん、右が守屋基範さんです)

 手紙に添えて送られて来たその人の名刺には「NPO法人かさおか島づくり海社 営業部長 守屋基範」と書かれていました。(私)うーん面白い。

 手紙の文面冒頭に「私は市役所の職員で守屋基範と申します。役所に入ってもう25年近くになるでしょうか?。現在44歳です。主に地域振興の仕事をしています。考えるより動くことをモットーにしています」。(私)うーん普通じゃん。

 さらに続いた手紙に「平成13年から笠岡諸島の島おこし海援隊という本当に名前負けしそうな部署を作って、3人希望制で島へ飛び込みました。3年間ぐらいは無我夢中の毎日でしたが、現在8年目となり異動という字が目の前にちらつく中で島おこしに没頭しています」。(私)ええっ、嘘、試薬のノ職員なのか。それにしてもそんな課を作って手を挙げて島おこしをやるなんて、相当変わっているなあ

 まあこんな具合で彼との出会いはある日突然始まりました。しかし、その後に続いた手紙の文面を見て彼が本物でありやる気のある人間であることを確信しました。

 「平成14年に組織した島づくり海社を中心に島民と協働して事業をすすめ、平成18年9月にNPO法人を取得しています。現在、市から離島振興委託料ということでその島づくり海社を運営するための事務局長の給料分の委託料をもらって組織づくりを進めています。

 私は自称この島づくり海社の営業部長ということで企画、事業の実施、営業等を行っています。私は市から給料を貰って島づくり活動を主体的に行っています。島づくり海社は今よくいう「新たな公」ということで私の立場を理由付けながら、毎日現場で過疎高齢化の波を浴びながら、頑張っています。」-後略ー

 まあこんな訳で、人間牧場への顔見せと相なったのです。しかも私が講演に出かける今週の土曜日を3日後に控えた昨日です。私は忙しいと言ったのですが、「ちょっとでも時間を」ということでやって来ました。私はこの日梅雨の晴れ間を選んで人間牧場の梅採り作業中だったので、着替える暇もなく作業着、しかも夜来の雨で濡れネズミのような格好で出会いました。何のことはありません。相手は失礼ながらもっとひどい格好(まるで海水浴に行くような素足にサンダル履きでしたから)で安心しました。

 でも今の時代こんな公務員がいるなんて、にとても嬉しいことです。見栄や格好、それに対面を気にして上ばかりを見て仕事もしない公務員が多いのにです。私はむしろ守屋さんのファンになりたいような気持ちになりました。私だってかつては課長以外まったく部下のいない日本で一番小さな課の課長だったのですから、ちょぼちょぼです。そうだ今週の土曜日は思い切って彼のために働こうと思いました。

  「濡れネズミ サンダル素足の 客迎え お互い心 許して話す」

  「俺だって 課長一人の 課を作り 孤軍奮闘 そんな時代が」

  「本物に 出会ったような 直感が 背筋を走る 車見送る」

  「兼頭に 次ぐよな変わり 者出会い 日本も広い 面白人あり」

  


 

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shin-1さんの日記

○梅の収穫は痛い痛い

 昨年のスケジュール表を見てみると、5月27日と28日の両日、人間牧場の梅採りをしたことが記録されています。梅雨に入ると「ああもうそんな時期か」と思いつつ、忙しいスケジュールの合間と、雨の合間を見計って「梅の収穫日」を設定するのです。今年は芋つるの伸びが思わしくないほど少し季節が遅れ気味に推移しているようなので、一週間遅れの今日を吉日とばかりに梅採りの日に設定しました。

 昨日の雨も上がって天気はまずまずなのですが、無風状態の曇りのため雨の雫が梅の木にやたらとついていて、雨具でもつけなければ、まるで雨降りの中で作業するのと同じようにずぶ濡れになるのです。それでも今日を逃せば時機を逸してしまうので、思い切って決行しました。

 朝8時に家を出て人間牧場につくと直ぐに地下足袋を履き梅採り作業にかかりました。ところが作業を始めると、採り篭も採り袋も持ってくるのを忘れてしまい、さてどうするか思案しました。倉庫に入りそこには空いた肥料袋が置かれていて、それを裏返しにして折込み、穴を2ヶ所開けてビニールの紐を通して、にわか即席の採り袋が出来上がりました。この袋が実は軽くて意外と長持ちし重宝でした。

 今年は昨年200キロも収穫した豊作と違い、わが梅林は裏年です。11本ある梅の木の中には殆ど実をつけていない休眠状態の木もあって、果して自家用に使うほどあるかどうか心配しましたが、終わってみればキャリーに4個、つまり80キロ近くの収穫です。今年も例年通り綺麗な梅が採れました。

 しかしです。体力を使う梅の収穫は予想以上に難儀で、特に梅ノ木のいたるところに刺が出ていて、あちらチクリこちらチクリと体中に突き刺さるのです。我が家の梅林は残念ながら肥培管理が行き届かず、剪定作業もろくにしていないので、木に登るのも一苦労です。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われるように、切らない梅はそのうち樹勢が衰えてくるだろうと予測をし、今年から収穫の難しい高い枝は切り詰めながら収穫しました。それでも今日は体中傷だらけで、梅採り作業を終えて家に帰り風呂に入って汗を流すと、あちこちがヒリヒリして痛いことこの上ないのです。妻に薬を塗ってもらいましたが、驚いた様子でした。

 さてこの梅の処理は明日しなければなりません。妻がこのところ風邪気味なので、「お父さん今年は梅の処理はお願いね」と軽く逃げられたため、私がしなければならなくなりそうです。梅酒の瓶も足らないようなので買い求めなければなりません。砂糖も塩も買わなければならないし、臨時的出費がかさみそうですが昨年同様梅酒ならぬ梅ジュースをしっかり漬け込んで、人間牧場用の飲み物を作っておきたいと思っています。

 農家の喜びが分るような気がするといえば少し大げさですが、梅の実を収穫し収穫の喜びが沸いてきました。丹精込めたほどの世話はしていませんが、夏の草刈りなど私にしてみれば十分な世話をしての収穫ですから喜びも一入です。明日は生協の理事会に出席したついでに瓶や砂糖、塩などを買い求め、夜なべにでも処理をする覚悟です。

  「風邪引いた ことを理由に 梅の処理 俺に任せて 妻は見物」

  「塩加減 砂糖加減が 決め手だと 妻の指導で 梅を処理す」

  「収穫は どこか嬉しい 農業を 実感しつつ 作業勢出す」

  「昨年の 四割程度 ありました これで十分 一年乗り切る」 


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shin-1さんの日記

○あじさいキャラバン

 昨日は愛媛県と広島県の境に位置する上島町弓削島で、内閣府主催による「あじさいキャラバン」という、一風変わった行事があり、私も「地域再生伝道師」という変な肩書きで出席を依頼され出かけて行きました。5月末日をもってこの航路のフェリーが廃止され不便なこともあって、午前10時30分今治港発の高速船に乗らなければ間に合わないため、家を出たのは7時30分でした。あいにく梅雨の雨がシトシト降る中、双海~松山~北条~今治を結ぶ海岸国道を走りました。海人を自認すある私としてはやはり海が恋しいのでしょう。

 港の船着場にはこの会に出席するであろう県庁や市役所の人も何人かいて、顔見知りの人たちと談笑しながら船に乗り込みました。弓削島までは丁度1時間、読書をするには最適な時間でしたが、昨晩遅くまで原稿を書いていて多少寝不足だったためか、はたまた船の揺れが快適だったのかついウトウトし、途中寄港の岩城島でふと目が覚め、間違って降りようとするハプニングにまで見舞われました。

 今年に入って「希望の島へ」というフォーラムと、弓削商船高等専門学校へ講演に訪れるなど、3度目の来島ということもあって、すっかり馴染みの顔が多くなり、島移住の兼頭君一家や元役場職員村上律子さんご夫妻など、多くの仲間がいて楽しみの多い来島です。前もって電話連絡していたため、昼食時間だったため、前回もご馳走になった島名物のお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいました。

 さて、「上の写真は一体誰でしょう」?、とまるでクイズのようですが、訪れたお好み焼き屋さんで、写真を撮りましたが、カメラのセットが発光禁止になっていたのに気付かずに撮ったものです。お店の前の路地だけが写って3人の顔がまるでシルエットなのです。この回答写真はこの文章の末尾にて公開しますので今しばらく待ってください。

 「地域活性化応援隊in愛媛」という会議は予定通り13時30分から始まりました。内閣府事務局と愛媛県の人が分厚い立派な資料を基に事業の経緯や進め方について説明がありましたが、一般参加者には少し難しく感じるような説明だったようです。


 続いて伝道師であるふるさと回帰総合政策研究所代表取締役の玉田樹さんと私が一人50分の持ち時間でショートな話しをしました。玉田さんはスライド+言葉で、私はスライドなし言葉でそれぞれお話をさせてもらいました。会場には馴染みの顔も沢山いるので私はアドリブな話です。だって、2時間も話しを聞かされた後の、しかも終りの時間が気になる時間帯ですから、どんな立派な話をしても眠り薬になるのですから・・・・・・。

 会議が終わると別室で商談会ならぬ相談会です。それぞれのテーマに合わせてブースが三つ用意され、私は地域活性化ブースに行くよう指示がありました。そこで岩城島でブルーレモンファームという農業会社を営む古川泰弘さんと出会いました。古川さんとは希望の島フォーラム以来二度目の出会いですが、短い時間ながらこれまでの経過やこれからの夢など色々な話しをしました。古川さんは凄いパワーの持ち主で縁もゆかりもない岩城島に移り住み、様々な逆境を乗り越えて逞しく生きています。どこか引かれる魅力ある若者でした。兼頭さんといいいい若者が希望を持って生きていることは素晴らしいことで、まさに希望の島のようでした。

 私は子どもに好かれるタイプなのか、恐る恐る抱っこした、生後1歳3ヶ月という兼頭君の一人息子玄(はじめ)君とすっかり仲良しになり、分かれるのが辛くなるほど仲良しになりました。久しぶりに会った奥さんも息子さんもすっかり島の暮しに溶け込んでいるようで、一安心です。

 そうそう冒頭の写真の正解は次の写真で、兼頭君のご家族写真でした。

             

  「俺の顔 安心するのか 抱っこして 笑顔嬉しや そこらを散歩」

  「島人は どこか優しい 人ばかり 住みたい気持ち 分るようです」

  「人前で 話するのは 難しい 奥の深さを 感じて壇上」

  「出番来た お疲れモードの 会場で さてさて私 眠らさないよう」
       
 

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shin-1さんの日記

○婚活ってどういう意味?

 歳をとったのか、あるいはリタイアして社会の情勢に疎くなったのか、はたまた若い人とコミュニケーションがとれなくなったのか、最近分らない言葉に出会うことが多くなりました。昨日は大学の授業日でした。雨が強く降りだし印刷物を沢山持って大学の構内を歩いていると、見覚えのある女性に会いました。その女性は真赤なパラソルを私に差しかけ、まるで相合傘のようにして建物の中へ連れて行ってくれたのです。聞けば彼女はこの春務めていた会社を辞めて大学へ入り直したらしく、今は大学生だと胸を張っていました。それから立ち話のような格好で30分ほどお話をしましたが、「婚活」も上手く行かなくって」というのです。就職先を探す「就活」なら分るけど、「婚活って何」と訪ねたら、「まあ常に時代の最先端を行ってる若松さんでも知らないことがあるのね」と持ち上げられたような気もするが随分馬鹿にされてしまいました。知ったかぶりで「それって結婚相手を探すことでしょう」というと、「さすが若松さん」と再びの持ち上げです。

 彼女の話だと「婚活」が今密かなブームを呼んでいるのだそうです。私たちが若い時代には青年団などの活動が活発で、男女交際の機会も多かったのですが、今の若者の殆どは大学に進学しふるさとを離れるため、男女の出会いの場は大学での学生どうしになっているようです。そんなこともあってか婚期は大幅に遅れて晩婚となり、結婚しない人の数も相当数に上っているようです。

 でも若い人に結婚願望がない訳ではなく、ここにきて特に女性の結婚願望に復活の兆しがあって、お相手探しのイベントなどをすると積極的なのはむしろ女性の方で、男性を集めるのには苦労するそうですが、女性はいつでも直ぐに集まるそうで、激しい競争に晒され戸惑いを隠せないようです。

 多分それは女性が持っている女性特有の嫉妬心と優越感のせいだと思われるのです。女性は友人や友だちの存在がとかく気になるそうです。あの人より若く見せたい、あの人より美しくありたい、あの人より幸せな結婚がしたいと絶えずどこかの誰かを意識して生きているのです。

 先日の同級会でも女性は「誰々が来るのだった出席しない」とか、着飾りも常に同級生を対象に意識していることが言動に表れているのです。

 その点男は気楽なもので、頭が剥げたとか白髪になったとか、他愛のない話に終始し、酒を飲めばさらに人のことなんか忘れて妻の悪口を言い合い、賑やかに時を過ごすのです。

 妻が時々子どものことを気にして話します。4人の子どものうち2人までは結婚したのですが、次男と三男は適齢期だのに未だに未婚です。私は差して気ににもしないのですが、妻は気になるらしく「婚活」をした方がいいと子どもの顔を見る度に言っているようです。そうです。「婚活」は何も若い人だけのものでなく、親たる人間にとっても大切な仕事のようなのです。

 私も息子のために「婚活」をするよう妻に勧められますが、私は自分の子どもゆえにそんなことをする気持ちは毛頭ないといい、妻から叱責をかっているのです。嘆かわしいったらありゃしない。

  「婚活に 乗り気の女性 多そうだ 息子そろそろ 妻も婚活」

  「再婚を 目当て婚活 あるという 信じられない 今の私にゃ」

  「後二人 片付けないと わが責任 果たせませんと 二言目には」

  「結婚は 人生墓場 聞いていた いいえ天国 今の自分は」


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shin-1さんの日記

○家の庭でホタルが飛んだ

 昨日は大学の講義日に加え生協の会議があって午後から忙しく過ごしました。梅雨に入っているため昼前からシトシト降りの雨が降る中でしたが、車での移動のため普通だとさして苦にもならないはずなのに、昨日だけはちょっと気が重かったようです。それというのも昨日からガソリンが値上げされて、新聞だと宇和島ではリッター181円とこれえまでの最高値が報じられていて、車のガソリンメーターが底をつきかけていたからです。それでも背に腹は変えれれず仕方がないと割り切ってスタンドへ入りましたが、ここは175円で入れてくれました。それでも6千円を越えて支払うと、油代の高さに悲鳴を上げるのは当然のことなのです。このところ原油の値上げを反映してか、相次いで物価が高騰し政府の場当たり的な無策が見えてくるようです。昨日は官房長官が米の減反政策の見直しを記者会見で話し、農林水産省の次官は減反政策を堅持すると全く逆の発言です。遠くヨーロッパに外遊している総理は、食糧危機の原因は農作物を原料にバイオエネルギーを作ろうとすることが食糧不足を招くので、政策転換をしようと発言していました。どれも正しい発言ですがどれも場渡り的な一貫性のない発言で、日本もいよいよ政治的末期症状だと、素人ながら思ったものです。

 会議が終わって家に帰りました。車を車庫の中に入れてライトを消し庭を歩いていると、目の前を何やら一筋の光が光りながらスーと通り過ぎました。「おっ、ホタルだ」と直感し暗闇に馴れていない自分の目で、必死にその光の行方を追いました。ホタルはまるで訳の分らない文字を書くように、またオーケストラの指揮者が緩やかにタクトを振るように幻想的な光を発しながら飛んでいました。そして「もうそんな時期になったのか」と、改めて梅雨の季節を思いました。普通だと玄関に入り妻を連れ出して一緒に見ようと誘うのですが、妻はこのところ風邪気味なので自分ひとりだけの鑑賞となりました。

 「ほたるこい」というわらべ歌があります。♭ほうほう ほたるこい あっちの水はにがいぞ こっちの水はあまいぞ ほうほう ほたるこい♯と小声で歌いながらホタルのことを思いました。

 まちづくりに深く関わった関係で、翠小学校を中心にしたホタルの保護活動に深く関わりました。お陰で絶滅したかと思われたホタルが、地域の人の手によって見事に復活し、今では県内有数のホタル保護地になり、環境庁のふるさと生きものの里百選に選定され、ホタルを介したグリーンツーリズム活動に発展しているのです。ホタルにまつわる話は書ききれないし、これまでにもブログに書いているのでここでは書きませんが、今もホタルは自分にとって分らないことだらけの小動物のようです。

 ホタルは寿命を終えるに当って命のリレーをするため卵を産み、その卵は孵化して幼虫となり川の中でカワニナを食べながら過ごします。やがて桜が散った雨の日にゲンジボタルの幼虫は一斉に上陸を始めるのです。その時既に発光していて、それは神秘的な光景なのです。私も何度か見ましたが不思議な世界なのです。上陸した幼虫はその夜のうちに土に潜り、さなぎとなるための土まゆをつくり、約40日後土まゆの中でさなぎとなって外に出て羽化し成虫になるのです。

 昨晩見たホタルは人知れずそのメカニズムを経て私の前に姿を現したのですから凄いものです。ホタルは平均だとメス15.5日、オス13.9日という短い運命であることも余り知られていないため、身勝手な人たちは捕まえて持ち帰りますが、絶対に手で触らないようにして欲しいものです。

 そのホタルは近くの草むらに止ってもなお光を発し続けていました。昨晩は何か得したような気分になり家野中に入りました。

  「目の前を ホタル飛び交い ビックリし 小雨濡れつつ 鑑賞ふける」

  「このホタル 光るまでには 相当の 苦労を経たか いとおしくなり」

  「明日の夜 翠の里の ホタル見に 行こうと妻を 誘って床に」

  「ホタルさえ 女長生き 妻だって 俺より長生き きっとするぞと」


 

 

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shin-1さんの日記

○のんびり温泉気分

 昨日は6月の第一日曜日なので、私の住んでいる灘町地区の一斉清掃がありました。自分の家の周辺の組内の人が一戸に一人出て周辺の側溝などを掃除するのです。年に一度なので周辺の側溝にはゴミや土砂が溜っており、側溝の蓋を外して中の汚物を取り出すのです。近所は他の地区に比べ比較的若い人が多いので、年配の私などは昔のように進んで重労働をしなくても、少し邪魔者扱いのような感じで手伝いました。田舎なので周辺にはまだ田んぼがあちらこちらにあって、側溝も農業用と生活用が共用しているよな物もあるのです。最近は近所づきあいも両隣以外は殆どなく、このような時でないと顔を合わせたり声をかけることもないので、積もる話に花が咲きました。

 一昨年までは区長をしていた関係で灘町区全体の面倒を見なければならず、消毒液の手配や車の借り上げ、ゴミや土砂の運搬など多くの仕事をしていましたが、その仕事もなくなって元に戻ったため、こうして地元の付き合いが出来るのも有り難いことなのです。下水側溝に消毒液を撒いたりしましたが、早朝午前7時からの作業だったため、8時30分にはすべての作業が終り解散しました。

 前日妹の娘が結婚披露宴を挙げたこともあって、姉夫婦、妹夫婦、そして和歌山の弟夫婦で温泉に行く計画を妹が立てていましたが、和歌山の弟夫婦は所用で帰ったため、6人で伊方の亀ヶ池温泉へ骨休めに行く事になりました。夕方会議出席が予定されているため、それまでは日頃疎遠な兄弟でのんびり日帰り温泉小旅行です。昨日は梅雨に入っているのにまずまずの天気で暑いくらいでしたが、それでも佐田岬半島の潮風メロディーラインに吹く風は心地よく、途中の特産品即売所などに車を止めて買い物をしながらのんびり旅です。

 私たちの町から伊方町亀ヶ池までは長いトンネルが貫通したお陰で僅か1時間です。もう10時には到着していました。受付で見慣れた懐かしい顔にお会いしました。一人は元瀬戸町長の井上善一さんご夫婦です。もう一人は元伊方町長の中元清吉さんです。いずれもライオンズクラブの記念行事で韓国の方を招いてのイベントとかで、お客さんを案内しておられました。それぞれ在任中はお世話になった方々なので懐かしくお話をさせてもらいました。井上さんも中元さんも、勿論私も既に過去の人なのですが、かつてはお互いにまちづくりに熱い思いを持っていただけに、こうして元気な姿を見ると嬉しくなるのです。

 温泉は最近出来たため新しくて清潔で温泉の質も上々で、女性たちは岩盤浴を楽しんでいるようでしたが、私はサウナや塩サウナを楽しみのんびりとリラックスすることができました。温泉の後は食事会で、酒は飲めないものの美味しい海の幸を満喫し、思い出話に花を咲かせました。姉夫婦は老域、妹夫婦は商売とそれぞれの伴侶とともに人生を楽しんでいるようです。私たちも前期高齢者の仲間入りを目前に控えお手本と鳴なべき姉夫婦を見習って穏やかな老後の暮しを楽しみたいと思いました。

 リタイアしたといいながら毎日「何でこんなに忙しいのだろう」と妻も自分も思うほど、むしろ現役時代と違った忙しさの中で暮らしていると、目の前の自然や社会に疎くなっている事に気がつくのです。これからは少しずつ荷物を軽くして心豊かに生きて行きたいものです。それにしても昨日はのんびりゆっくりリラックスしていい一日でした。

  「温泉に 浸りのんびり 久しぶり 我に帰りて 五月を思う」

  「兄弟が 一緒温泉 行くなんて 積もる話に 花を咲かせて」

  「偶然に 出会う馴染みと 立ち話 それぞれ生きて それぞれ語る」

  「どうかしら 親父に土産 買う算段 妻の相談 嬉しいもんだ」

  

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shin-1さんの日記

○ペットは最早家族の一員です

 先日隣町の友人宅へお邪魔しました。その家に入るなり驚きました。見たこともないような大きな犬がいきなり玄関へお出迎えに出たのです。私がとっさに身構えると相手の犬も本能的に身構えて睨みつけられ、一声「ワン」と吠えられてしまいました。相次いで出てきた友人が「これっ」と叱って中に入り、私がご主人様の友人であることを告げられ事なきを得ました。

 聞けばこの友人宅では犬を家の中で囲い飼いしているそうなのです。この友人は私と相次いで結婚したため、もう四十年近くも経っているというのに子宝に恵まれず、夫婦揃って色々な治療を受けましたがついに子どもを産むことは出来なかったのです。察するに子どものいない寂しさを紛らわそうというのでしょうか、犬を飼い始めてもう二十数年だそうで、今の犬は二代目なのです。最初は毛の長いスピッツ系を飼っていましたが、その犬が死んだため、悲しさの余り「もう動物は絶対飼わない」と泣きながら話していたことを覚えています。でもその心だ犬の思い出を忘れることができなかったのでしょうが、今度はいかにも頑丈そうなブルドック系の犬なのです。その顔を見ているとまるでしわくちゃで思わず噴出しそうになってしまうのです。

 この夫婦は前回のスピッツ系の時はやれ犬の美容院へ連れて行くとか、病気になったら動物病院へ連れて行くとか、死んだ時もペット霊園に敷地を買って手厚く葬るなど、とても動物とは思えない人間並みの特別待遇で、私を感心させたものでした。

 今回のペットは前のスピッツ系とは似て非なるブルドッグ系のものですが、これがまた大事にされて、一緒の布団に寝てみたり、風呂に入れてみたりと、私の目から見ると尋常ではなく異常なのです。ご飯だって人間が食べてもいいような高いドックフードを食べて「お犬様」のように大切に育てられているのです。たかが犬なのに馬鹿馬鹿しいと心で笑っている自分を、「子どもがいない寂しさを紛らわせるには仕方がないのかな」なんて同情はするのですが、やはり私には理解できない行動なのです。友人の家の玄関へ入ると、動物特有の匂いを感じます。最近はパブリーズなどという消臭剤があって匂い消しされているようですが、それでもかすかに匂うのです。

 先日この犬が風邪をひいたそうです。友人はこの犬を動物病院へ連れて行き、点滴までしたというから驚きです。二人で3日間県外の伯父さんが亡くなって葬儀に出かけた時は病院の宿泊部門に預けて出かけたらしく、まあ携帯電話の画面にもしっかりと写真でインプットされお犬様は存在感を示しているのです。

 気がつけばそんな家庭をよく見かけるようになりました。犬と人間の暮しを同質化させて暮らしている人が多くなって、小動物が本来持っている人なつっこい性格に愛情を感じながら、動物とお話しし日々暮らしているのです。人間の言葉が犬や猫に分るのだろうかとふと思うことがありますが、長年飼っていると分るらしく、よくいうことを聞いているようですし、犬の鳴き声を日本語に訳すことだって出来るのですから、この友人は二ヶ国語ならぬ動物と人間の二匹語を話しているのです。人間と同じように服を着せられ、人間と同じように病院や美容院に行く時代となりました。私は江戸時代五代将軍徳川綱吉が「生類哀れみの令」を出したことを思い出しました。その当時と時代背景は違いますが、社会が成熟すると人間の考えも変わるものだと思いました。

  「子どもなく 犬と同居の 友人は 二匹語話し 互い慰め」

  「ペットだと 言うのに破格の 扱いで 死ねば戒名 貰って霊園」

  「病院と 美容院にも 出かけます かなりの出費 それでも愛を」

  「ほら見てよ まるでわが子と 同じよに 携帯写真 自慢したがる」


 

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shin-1さんの日記

○限界集落を考えるまちづくり講演会

 「5月31日の夕方講演をして欲しい」と、久万高原町に住む商工会課長の旧友渡辺浩二さんから電話があり、姪の結婚披露宴がスケジュールに入っているもののバッティングもしないようなので引き受けました。私の車は妻が兄弟姉妹たちを結婚披露宴に運ぶため取り上げられ、変わって姉からミッションタイプの軽乗用車を借りて、三坂峠を登って行きました。最近は砥部町から久万高原町を経て高知に通じる国道33号線は、高速道路を利用するため殆ど通らず、久々の三坂峠越えとなりました。

 初夏のことゆえ太陽はまだ西の空に高いものの夕闇迫る九十九折れの道を、妻の注意事項である「気をつけてね」を反芻するように制限速度でゆっくりと登って行きました。結婚披露宴を早くにおいとましたため、時間的な余裕もあってラッシュ時だというのに松山から1時間もかからず6時過ぎに到着しました。最近よくやる旅の途中のプラスワンとして、笛が滝公園と五神太鼓の三島神社を選びました。笛が滝公園は若い頃キャンプに来た記憶があるからです。

 10数年ぶりの笛が滝は運動公園として整備され、近所の人が数人ゆっくり散歩を楽しんでいました。池に突き出たウッドデッキの休憩施設は残念ながら老朽化が進んで立ち入り禁止になっていましたが、木を使ったトイレなどの諸施設は木のまちづくりを推奨しているだけあって、これでもかと言わんばかりに整備されていました。


 国道を横切り三島神社へ行きました。夕闇迫る三島神社の境内は幻想的で、今にも五神太鼓の荒々しい姿が出てきそうな雰囲気でした。社殿は県指定の文化財らしく立派なもので、境内の二本の杉の大木にも圧倒されました。高台にある神社から見える久万の町並みは、早苗を吹き抜ける風とともに初夏の風を感じさせてくれました。宿場町として栄えた旧街道沿いに久万小学校のモダンな木造建築が見え、思わず足を止めてカメラに収めました。


 会場となる産業文化会館に到着したのは開会の20分前でした。既に沢山の人が集まっていましたが、顔馴染みの玉水町長さんも聴講するため見えられていて、商工会の事務所で平岡会長さんとともに談笑させてもらいました。

 総会を兼ねているため会場は満席でした。この日のテーマは「限界集落とその対策」というテーマなのですが、私はあいにく見なかったものの、この日テレビで久万高原町の旧柳谷が限界集落をテーマにドキュメンタリー番組として放送されていたこともあって、関心が高く反応は上々でした。田舎の厳しい現実を見つめながらどう生きるか、どう行動するかについてお話しました。

 これから日本の田舎は益々厳しくなって行きます。「どうする田舎」です。

 ①自然本願⇒このまま自然消滅するのを待つ

 ②自力本願⇒自分たちの力で努力する

 ③他力本願⇒行政の力を借りる


 ①不燃人⇒何も感じない・何もしない・何も出来ない

 ②可燃人⇒少し感じるよう努力する・少し行動する

 ③自燃人⇒自ら感じる・自ら動く・自ら相手に働きかける


 ①一人で動く

 ②この指とまれで動く

 ③組織を作って動く

 ④人の力を借りて動く


 これからの地域づくりは金と口を出す株式会社でコミュニティビジネスを興すことです。

 ①不動産屋事業

 ②村の便利屋事業

 ③ものづくり・もの売り・もの儲け事業

 ④観光交流事業

 ⑤安心安全事業

 ⑥伝統文化教育事業


  「限界と 言われる田舎 再生は 自燃人なる 気概を持って」

  「この四、五年 何故か田舎の 灯が消えて 日本もついに ガンに侵され」

  「ギブアップ したくはないが 歳とって みんなこのまま 沈没するか」

  「強がりを いってはみるが 俺だって 口は元気だ 体動かず」 

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shin-1さんの日記

○三つの落差

 忙しかった5月のスケジュールを締めくくるように昨日は、ご前中2ヶ月前に亡くなった伯父の49日目の納骨法要、午後は姪の結婚式、夜は久万高原町で「限界集落を話すまちづくり講演会と、これまた過密なスケジュールに翻弄された一日となりました。法要、結婚、限界集落とテーマはそれぞれ違うのですが、この三つはそれぞれ法要=高齢化と人の死、結婚式=若者の世相、まちづくり講演会=限界集落という、ある部分世相を反映した問題であるだけにその落差が大き過ぎて、夜も中々寝付かれませんでした。

 ①伯父の法要

 十二人兄弟の次男に生まれた伯父は先々月、85歳の天寿を全うして亡くなりました。80歳頃までは元気で夫婦仲よく息子夫婦と同居して穏やかな老後を過ごしていましたが、五年前頃から痴呆が出始め、認知症となりました。長男である私の親父は90歳ですが今もなお矍鑠としているのを見ると、同じ兄弟でも人生には随分差があることを感じさせてくれました。親父は親父を含めると男の兄弟が4人です、あとの3人は順番を間違えて既に亡く、一番高齢の親父だけが残っています。8人の女性の姉妹は2人が徴用先の大阪空襲で亡くなっているものの6人は夫婦元気に暮らしていて、ここにも女性が長生きするジンクスが生きているようです。

 昨日は生存している女性の姉妹は全員集まりましたが、夫は2人体調気を遣って欠席となりました。しかしみんなが認めるようにみんな高齢になって、夜電話がかると「もしや姉妹が終いでは」とドキリとするそうです。昨日の法要は11時から始まり、近くの墓地へ納骨に行き、昼食を兼ねた食事会が自宅で催されましたが、どの姉妹も「足や腰の不調を訴え、リビングの座椅子利用と相成りました。激しい高齢化社会です。話題は体の不調や病気のこと、年金暮らしなので年金問題や後期高齢者制度のこと、自分の家の内情や隣近所の噂話などなど、積もる他愛のない話には事欠かず、耳が遠くなったのか大きな声で話に花が咲きました。同席した私の従兄弟たちもええ年齢となり、それぞれリタイアしたりし始めていて、親と同じような話題に花を咲かせていました。

 そういえばこの2ヶ月で葬儀への出席は10件を超えました。ここにも高齢化社会の様々な問題がありました。

 ②姪の結婚披露宴

 昨日の結婚式の会場は松山全日空ホテルです。537組も結婚披露宴の司会をした実績を持つ私としては、結婚式への出席はダントツに多いのですが、自分の年齢に相応しているのでしょうか、結婚式への出席はこの5年間で3組に留まっています。つまり今日は久々の結婚披露宴なのです。実は姪は既に半年前ハワイの教会で結婚式を挙げていて、半年後だというのにこの頃になって披露宴です。仲人もない人前結婚とかで堅苦しさは全然ないのですが、友人たちが深く関わってまるで学芸会を見ているような面白さです。内容はバラエティ番組に登場している人の物真似100パーセントに近いような感じがしました。これも世相なのでしょう。

 昔のような家と家の結婚という古めかしくも重い空気は完全に払拭され、若い人たち中心で事が運んで行きましたが、さすがに花束贈呈だけはシュンとセンチメンタルになりました。それにしても少子化です。結婚式はこのホテルでも激減したと支配人から聞きました。今や結婚式場は斜陽化産業、葬祭式場は隆盛産業といわれ、総裁業者は度々展示説明会を開いて会員獲得に乗り出すなど激しい顧客獲得競争に躍起です。

 私はこれから最低2組の結婚式に出席できる権利を有しています。未婚の息子が2人いるからです。でもそれは淡い夢に終わる事だってあるのです。婚期は年齢が高くなり、未婚だって随分増えました。若い人たちの結婚に対する考えの変化は即日本の家庭事情でもあるようです。

 ③限界集落をテーマにしたまちづくり講演会

 この話は別立てで考えをメモしておきましょう。

  「宗教も 宗派変われば しきたりも まるで演歌か 見紛うほどに」

  「早四十九 時の流れの 速いこと 俺も坂道 下るが如し」

  「茶番劇 見ているような 披露宴 これが世相か 首をかしげて」

  「限界の 人が限界 考える 限界だろう 思いつ話す」

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