shin-1さんの日記

○1+1=6

 算数や数学だと1+1=は2なのですが、わが家では1+1=6なのです。つまり私と妻が昭和46年5月5日に結婚して4人の子どもが生まれたため、2人の親+4人の子どもで合計6人となったのでこんな計算が成り立つのです。結婚した時私は26歳、妻は一つ年下の25歳でした。私が23歳の時に描いた私の生活設計では26歳で結婚、相手は南予の人で2歳年下のK子さんという人と3つの条件を想定していましたが、自分の年齢は計画通り26歳だったのですが、年齢は1歳年下の繁子さんという人に落ち着きました。

 昭和46年は1971年ですから昨日5月5日は38回目の結婚記念日でした。朝布団の中で目が覚めると、同じ布団の横に寝ている妻が「お父さん、今日は5月5日だね。覚えてる」と唐突にいうのです。私はとぼけたふりをして、「今日は子どもの日で休みだ」と答えると、「それもそうだが、違う違う」というのです。結婚記念日は毎年こんな掛け合い漫才のような会話を続け、私からプレゼントを引き出そうとするのです。毎年決まったように「結婚記念日はお前だけでなく、私にとっても記念日なのでプレゼントは可笑しい」というのですが、少ないながら世話をかけたお礼にと、いつの頃からか始めたささやかなプレゼントの風習がいけなかったのです。毎年忘れたふりをする私にこうしてささやかながら強請るのです。私は毎年そんな妻への感謝というよりは、罪滅ぼしのつもりでプレゼントをし続けている素敵な亭主なのです。ところがこの日は毎年銀行や郵便局が休みで、私のささやかな小遣い帳用の通帳で小遣いが引き出せず、妻をいらだたせる結果になるのです。今年もそうなのです。実は私、金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしていて、「カードは恐ろしい」などと人の前ではお話しするのに、カードでお金を引き出したことがない、変わり者なのです。変わり者というよりは要はカードでお金を引き出した経験もなく、カードでお金を引き出す方法を知らないのです。まあ明日は連休明けなので、妻へのプレゼントを今年も渡してやろうと思っています。

 5月5日の子どもの日が結婚記念日というのも珍しいことですが、私は密かにこの日に結婚しようと、実は結婚する日まで23歳の時に決めていたのですからお目出度い話です。そして結婚したら女・男・男・男と一女三男の子宝に恵まれてるよう考え、名前まで既に考え、その通り子どもが生まれ、その通り名前を付けたのですから、私の計画の凄さに自分ながら驚いているのです。

 そんな1+1=2の結婚から1+1に子どもが4人生まれ6になったのですから、少子化の現代において偉い社会貢献をしたものです。しかし残念な事に長女は1+1=4、長男は1+1=3でしかなく、次男は1、三男も未だ1のままなのです。長女や長男はさて置き、次男の1と三男の1は親として気になるところですが、こればかりはどうにもならない頭痛の種のようです。

 昨日は長男家族が帰ってわが家は大賑わいでした。人見知りする孫が泣いた笑ったと大騒ぎです。妻は子どもの日だからと、まだ9ヶ月の孫にプレゼントを用意していました。「お前の子どもでもないのに子どもの日だから

プレゼントするのは可笑しい」と反論したのですが、子どもはみんな子どもだから」と、私に結婚記念日のプレゼントをもらおうと当てつけのような仕草です。

 それでも、息子の家族が来たからではなのでしょうが、昨日は何時になく食卓が賑やかで幸せに満ちていました。今のところ退職離婚の話もなく38回目の結婚記念日を夫婦そろって健康で迎えることが出来た事を幸せに思うのです。これも大蔵大臣である妻のお陰と感謝してプレゼントで誠意を表すくらいの太っ腹でないと、駄目亭主のレッテルは何時までたっても剥がれないのです。

  「駄目亭主 今年も迷う プレゼント 退職離婚 ないのに何で」

  「わが子でも ないのに孫に プレゼント 記念日だらけ 俺にも欲しい」

  「日本中 国旗掲げて 祝日と 祝ってくれる 我ら記念日」

  「十二年 後に金婚 迎えるか それまで夫婦 元気でいよう」

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shin-1さんの日記

○ライフプラン講座の講師

 このところ何回か新聞紙上に、ライフプラン講座の参加者募集の記事が出たため、少し雲隠れしそうな私の名前がまた表舞台に出始めました。リタイアしてからも講演要旨や表彰、人間牧場などの記事が何かと新聞紙上を賑わせている私ですが、今回は日銀松山支店に事務局がある愛媛県金融広報委員会という、れっきとしたお堅い所が入場無料で募集する講座なのです。

 既に何件か事務局でもないのに私の所へ電話が入り、新聞を読んだ、見たといって感想などを求められたり、「どんな事を話すの?」と予告を知りたがって問い合わせてくるのです。いずれも私の知人友人なので、「どうせ大したことない話ですから、期待しないで下さい」などと適当に答えて雲に巻いているのです。でも5月17日の開催日が近づくにつれて、はてさてどんな話しをしようかと思い悩むこの頃なのです。

 わが国の平均寿命は、男子が79歳(世界第2位)、女子が86歳(世界第1位)で、世界の長寿国として高齢期の長期化が進んでいます。この長期化する高齢化を充実したものにするためには、その人に合ったライフプランが重要だといわれていますが、残念ながら全ての人がライフプランを持ち合わせている訳ではなく、ただ結果的に生きてる人も結構多いのです。

 さて横文字でライフプランとは一体何をいうのでしょう。ライフは「生きる」だし、プランは「計画」ですから「生きるための計画」とでも訳せばいいのでしょうが、私流に考えれば生きるための計画は家計収支に関する「経済プラン」と体の健康管理に関する心と体の「健康プラン」、それに生きがいを持って生きる「生きがいプラン」の三つのバランスが必要だと思うのです。

 まず経済プランですが、現在わが国の高齢者世帯の所得の中で稼働所得、つまり働いて得る所得は2割弱にしか過ぎず、約8割強が公的年金であるという事実です。しかし昨今社会を騒がせている年金得別便のように日本の公的年金制度は職業により加入制度が異なることや年金制度そのものが複雑なため、私たちには理解しにくく、年金を元に経済プランを立てるといったところまでには至っていないのです。家庭の中における経済が殆ど妻の財布という実態も浮かび上がって、私のような男性は働き蜂として役目が終わると同時に、扶養者だった妻に扶養されて一生を終わる運命にある人も少なくないのです。公的年金に頼らないために計画的貯蓄や生命保険に加入して、自己防衛している人もいますが、中には公的年金を払わない人もあってその数次第に増えているようなので、益々公的年金は当てにならないと思った方が賢明かも知れません。しかし「払らっていないと貰えない」という年金の原則を知っておくことも大切なことなのです。60歳で定年を迎えてから20年以上も暮らしていかなければならない、日々の暮しに必要な家計収支を計画なしに暮らすことは海図を持たずに荒海を航海するようなものなのです。

 さて健康プランですが、「健康はお金で買えない」ということを肝に銘じるべきでしょう。最近サプリメントがブームになり、何もせず楽をして健康保持をしようという風潮が強くなってきました。美味しいものをたらふく食べたり飲んだりして、サプリメントで体調を整えることなど決して出来ないのです。健康は快眠・快食・快便といわれるように、栄養と運動と休養のバランス、それに心の健康が加わらなければ維持できないのです。いくら長生きしても寝たきりの長生きは自分も周りも辛いのです。やはり健康が一番のようです。

 もう一つ大切なことは心の健康とも深く関わってくる生きがいプランです。人間は一人では生きてゆけず、絶えず多くの人とともに群れて生きる動物なのです。生きがいは一人では中々成就できるものではありません。一生を貫く仕事を持っている人もいますが、殆どの人は定年後その仕事を失います。失った仕事に変わって持って欲しいのが人や社会のために役立つという「役立ち観」、それに日々の暮しが充実しているという実感の湧く趣味などが挙げられますが、それらはいずれも人それぞれに価値観が違うので一概には言えませんが、生き生きと生きれながら老いを生きれるようにしたいものです。

 私がいつも言っている「ニコニコ」、「ピンピン」「コロリンシャン」はどうやらライフプランの大切なキャッチフレーズのようです。まあ、こんな話しを経験を交えながら話しましょうか。

  「何話す 俺も行きたい 申し込む 電話で仲間 俺に注文」

  「金もなく 健康失せて 生きるなら 社会のゴミだ 死ぬ方がまし」

  「後何年 生きると思や ゾッとする 金と健康 それに?・・・・・」

  「ニコニコと ピンピン生きて コロリンシャン そんなに上手く 生きて行きたい」  

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shin-1さんの日記

○高知県の坂本龍馬に会いに行きました②

 高知といって思い出すのは四万十、足摺岬、日曜市、はりまや橋、よさこい踊り、カツオのタタキ、桂浜、室戸岬など沢山ありますが、やはり何といっても桂浜に建っている坂本龍馬の銅像でしょう。太平洋に向って立つ姿は見るものを圧倒するような姿で、この銅像の前に建つ度に自分にも何か出来そうな、そんな夢を抱かせてくれるのです。

 桂浜への道は案外混むので、そんな煩わしさが大嫌いな私は高知県へ来ることが度々あるにもかかわらずもう何年もこの地を訪れていません。しかし今回はゴールデンウィークの真っ只中で、混雑が予想されるにもかかわらず息子の誘いに乗ってシブシブ日曜市の場所からカーナビを入力して立ち寄ろうとしました。しかしながら案の定桂浜付近は大渋滞で、一寸刻みのノロノロ状態の大混雑で、僅か1キロの道を1時間もかかってしまいました。それでも大渋滞を予想していた息子はいたって平気で、「正月はもっと混む」と涼しげな表情です。妻は横の助手席でぐっすりお休み、私はイライラしながら息子に携帯で「混雑しているがどうする」と再三再四連絡を取り合うも、取り合ってくれないのです。それでも車は牛歩の如くあゆみを続け午後3時過ぎに少しお疲れモードで到着しました。

 それでも駐車場から龍馬の銅像まで、アイスクリンを食べながらの女性人と泣きべその孫を抱っこして歩きました。竜馬の銅像に「お久しぶり」と心の中で言葉を交わし、息子に龍馬とツーショットの記念写真を撮ってもらいました。少し逆光気味でしたが背筋を伸ばし平成の若松進一も捨てたものではないのです。

(この像の前に立って太平洋を望むとどこか大きな夢が湧いてくるようです。若い頃この像の前でアメリカ行きを誓ったお陰で建国200年のアメリカへ、青年の船にっぽん丸に乗って出かけることができました。)
 私たちは坂道を下りて桂浜の砂浜に出ました。昨日の桂浜は穏やかで真夏を思わせるような陽気でしたが、砂浜の海風は心地よく岬までゆっくり歩いて散歩しました。訪れている子どもたちは打ち寄せる波と戯れながら楽しそうに遊んでいました。

(桂浜の全景、白砂青松の砂浜も少しずつ侵食が進んでいて、砂防のための松の木が植えられていました)
(孫は長旅のお疲れで眠くなっているようです)

(桂浜水俗間の前にて)
(桂浜を見下ろす岬からの見返り風景です。モデルは見返り美人?のわが妻です)
(岬の突端にある小さな縁結びの神社)
(打ち寄せるうねりの波もどことなく「太平洋」って感じで、瀬戸内の海とはスケールが違う荒々しさです)

 三十分余りを砂浜で過ごしました。孫も疲れてスヤスヤと眠ってしまいました。息子夫婦は殊勝にも親父へのお土産を買うため土産物屋へ入って行きました。酒の好きな親父のイメージが定着しているのか、お酒を一本買ったようです。娘を含めると四人の子ども、親父にとっては内孫ですが、帰郷する度に、また何処かへ出かける度に親父への土産は欠かさないのです。これも妻の教育のお陰でしょうか。そこへ行くと年中旅に出ている私などは親父の土産など殆ど買って来ないのですからいい加減なものです。

 さすがに疲れたため、帰りは高速道路を利用するため。浦戸大橋を渡りましたが、桂浜方面への道は相変わらずの交通渋滞で橋を越えても長蛇の車の列が途切れることはありませんでした。私たちは国道を横切って高知インターまで走り、そこから高速道路に乗りました。今朝の一般国道の寂しさに比べ、高速道路は凄い交通量で驚きました。途中新宮のサービスエリアへ立ち寄りましたが、愛媛県ナンバーの顔見知りの方々に沢山で会いました。同じような場所に行ったようで、同じ交通渋滞に巻き込まれクタクタだとこぼしていました。

 今日は息子夫婦の親孝行の日らしく、昼食をご馳走になったので、高速道路を川内インターで降りて、夕食を私たちがご馳走する事にしました。砥部まで帰ってバイキングの店に立ち寄って酒も飲まない打ち上げです。お陰様で楽しい日帰りの小旅行が出来ました。

 孫も心なしか私に馴れて、笑いの一つも出るようになってきました。もう少し辛抱して孫と付き合い、顔を覚えてもらいたいものです。泣かないで下さい。

  「久しぶり 龍馬を訪ね 語りかけ 桂の浜で 決意を叫ぶ」

  「渋滞が 疲れ追い討ち 妻昼寝 私ノロノロ 茶飲み運転」

  「太平洋 見ているだけで 夢が湧く 少し遅いが まだまだ負けぬ」

  「この二日 妻をモデルの 撮影会 そんな気がする デジカメ片手」

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shin-1さんの日記

○高知へ坂本龍馬に会いに行きました①

 毎年新年元旦、高知県桂浜にある坂本龍馬の銅像とともに初日の出を迎えるほど坂本龍馬に憧れている長男から、数日前「連休に坂本龍馬に会いに行かないか」と誘われました。生きている人ならいざ知らず100年以上も前になくなっている歴史上の人物に「会いに行こう」とは仰々しいと思いつつも、息子同様坂本龍馬の生き方に強い関心を持って生きてきた私も、心情をくすぐられた感じで一も二もなく「行こう」という事になったのです。わが妻と息子の嫁には「高知の日曜市に行く」という口実を作って納得させ、同行する事になりました。

 息子夫婦には昨年8月31日に子供が生まれました。私たち夫婦にとっては孫なのですが、誕生以来8ヶ月が過ぎ、人の顔が分るようになってきました。しかしこの孫は人見知りが激しく、たまに会う私などは孫にとって毛嫌いの対象と思われるように、顔を見ただけで辺りかまわずワンワン泣き散らすのです。嫁の実家が経営している喫茶店の近くに住んでいて、実家の両親は毎日顔を合わせているため慣れて泣かないのだそうです。痩せても枯れても若松家の跡取りなので、これは困ると嫁も気を使ったのでしょうか、今月は初節句などの催しもあることから、5月を「孫の人見知り解消月間?」と定めているらしく、今回の家族小旅行と相なったようで、その出汁に坂本龍馬は使われたようです。

(前日から泊り込みで来ている孫家族)

 前日の夜から泊り込みでやって来た息子夫婦と相談し行きは国道33号線を通ってのんびり旅、そして車は2台用意すること、帰りは高速道路を使って帰ることなどを粗方決めて少し早めの6時半に出発する事にしました。高速道路時代なのでしょうか、早朝の33号線はいつも以上に空いていて、途中おむつ交換などに時々立ち寄っても3時間弱で耕地へ到着するのですから驚きました。沿線にはシイや樫の木の芽吹きの頃なので、山が黄金に輝いてそれは見事な景色でした。久しぶりの33号線沿線にはかつて訪ねた思い出の足跡が沢山あって、その都度横の助手席に座っている妻に話しをしてやるのですが、どちらかというと車に弱い妻はウトウトで余り真剣に私の話しを聞いていないようでした。

(途中で立ち寄った道の駅みかわ)

 カーナビがなくても高知の道は知り尽くしているのですが、私が先導をつとめ息子の車が後に続きました。今は携帯電話のお陰で迷うこともなくつかず離れずの車2台の旅となりました。

 高知市内は日曜市が開かれているとあってかなり混雑していました。高知城近くの駐車場はかなり混雑していていましたが、信号待ちの間に妻が空いた駐車場を見つけてくれたお陰でスムースに駐車できて、いよいよ街歩きです。

 全国的に見ても規模的に高知の朝一はナンバーワンだと思います。広い大通りにはこれでもかというように小さなお店が軒を連ねて、観光客もかなり多くて歩くのがやっとの賑わいでした。売っているものは旬の野菜や果物が殆どで、苗物、食べ物、飲み物が200~300円の格安で求められました。特にフルーツトマトが人気で一個100円以上もする小ぶりのトマトが沢山並んでいました。冷したトマトを買って食べてみましたが、トマトの常識を破るような美味しさなのです。

(曜市はかなり混雑していました)

 孫をベビーカーに乗せ、息子はビデオカメラを片手に歩きましたが、途中むづがる孫を抱っこして、夏を思わせるような陽気の中を汗だくで歩きました。

 妻と嫁の買い物につき合わされ、小さなビニール袋がどんどん増えて行きます。それをベビーカーに乗せて運ぶのですが、妻と嫁が別々に買っても同じようなものばかしで、呆れた口を塞ぎながら楽しく買い物を終えました。昼食は近くの食堂へ入りましたが、あいにくの満席で30分ほど待ってお目当てのカツオのタタキ、鯨の刺身、マグロのづけなどを堪能するほど食べました。普通は気になるニンニクのスライスも、みんなが食べるので気にならない様子でした。

(小さな花博覧会が開かれていました)

  「顔見知り する孫一緒 小旅行 少しは馴れて おついしょ笑い」

  「妻と嫁 同じようなる 物を買う 少し親子の 義理張り解けて」

  「今は何処 ひっきりなしに 携帯で 居場所言い合う 迷子にならず」

  「風誘う 木々の新緑 深呼吸 いつか訪ねた 山里走る」


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shin-1さんの日記

○鯉幟

 昨日外出先から帰ってみると、家の玄関横に何やら旗幟のようなものが立っているのです。直感的に息子が自分の長男である子どもの初節句に嫁の実家から贈られた幟であると気付きました。昨年の8月31日に生まれた孫希心は年が明けた今年が初節句です。私たちの地域では子どもの健やかな成長を願って嫁の出里から鯉幟が贈られる風習があるのです。勿論昔は親類筋からも鯉幟が贈られて、それは沢山の鯉幟が皐月の空に泳いでいました。それはあたかも一族反映の印のように、沢山の鯉幟をこれ見よがしに誇示し、競って立てたものでした。私の誕生は昭和19年10月3日、まさに戦争中でしたのでそんな悠長な時代ではなかったため、鯉幟の風習など封印されていました。故に私の長男息子が生まれた時はむしろ親の私より孫の誕生を心待ちにしていた親父が鯉幟を立てたくて、親類に幟竿の立派なのを2本も頼んで用意し、自宅の近く海沿いの浜に立派なものを立てて、近所の評判になったほどでした。勿論私もその事に満足していましたが、実はこのことで難儀をしたのは妻でした。親父も私も働きに出ていて、帰るのは夕方遅くです。したがってその幟や鯉幟を揚げたり降ろしたりするのはもっぱら妻の役目となっていたのです。嫁に来て三年目の妻にとって家での発言権など殆どないに等しい時代でしたから、鯉幟の揚げ下げに親父から厳しい注文がつき、その都度体力のない妻は難儀をしたものだと述懐するのです。

 息子はそんな母親の苦労など知る良しもなくスクスク成長し、自分の幼な頃のアルバムには鯉幟をバックにした勇壮な写真が残されているのを見て、自分の子どもにも是非と思ったのでしょう。やがて初節句の準備が始まりました。嫁の実家から打診があった時、長男は喜んで鯉幟をお願いしたようです。息子の考えでは自分たちの住んでいるマンションには当然鯉幟は立てることが出来ないため、実家であるわが家が選ばれた青写真のようでした。この計画に真っ先に反対したのが妻でした。長男の計画通りだと、鯉幟の揚げ降ろしは誰がするのかという所が欠落し、私と妻が想定されていました。妻は長男誕生の時の役目が自分である事を拒否しました。そりゃあそうです。サンデー毎日の夫である私さえ当てにならないと思われたのですから。

(私の顔を見ると泣いて構える孫希心君)

 結局鯉幟は急遽話し合いで断念し、内飾りの武者人形などに変更されました。出鼻を挫かれた長男は機嫌が悪かったようですが、人頼みの鯉幟の揚げ下げを指摘されてあえなく断念せざるを得なかったのです。それでも対抗するのが長男の心意気で、設計の仕事をしている息子はマンションの部屋の床から天井までの長さを計算し、幟を注文したようです。先日息子夫婦のマンションを訪ねましたが、立派な武者人形と幟が実家から贈られ飾られていました。

 昨日は連休で息子夫婦が泊まりに来ています。90歳になる親父に曾孫の幟を見せたいと、殊勝にものぼりを持って帰り実家の玄関に親父と一緒に立てたそうです。親父は大そう喜んでくれたと満足そうに話してくれました。私は親ながら失格です。お祝いの金一封は贈ったものの孫のために何の役にも立っていないのです。多分このことは息子の口から孫の成長にしたがって伝えられるかもしれないのです。仕方のない事実ですが、これから孫に愛情を注ぎ成長を助ける以外撚りを戻すことはできないようです。

 でも小さいながら孫の初節句を知らせる幟が立っている風景はいいものだとしみじみ思いました。どうやら息子夫婦も長男としての自覚が芽生えつつあるようです。

(長男のささやかな抵抗で作製した内幟)

  「軒先に はためく小さな 幟見て 三十年前 記憶新たに」

  「初節句 わが家の小さな ハプニング 妻の抵抗 当然ですね」

  「這えば立て 親の願いを 知らずでか 孫はニコニコ 成長続け」

  「長男の 自覚芽生えた 嬉しさを 妻と二人で 密か喜ぶ」

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shin-1さんの日記

○遍路しました

 「今日は久しぶりに今治に赴任している息子の所を訪問しよう」と、玉と二人で出かけました。ゴールデンウィーク真っ只中なので、どの道も混むだろうから、高速を使わずのんびり行こうと決め込んで双海~松山~旧北条~今治という海岸線の道を選びました。途中昨晩夜勤だった息子のマンションに忘れ物を届けに立ち寄りましたが、息子の夜勤が長引いたため、持参した時計を郵便受けに入れて欲しいと頼まれました。しかし初めて訪ねるマンションでは202号か203号か部屋の番号が分らず、後で分ったのですが結局は間違って隣の部屋の郵便受けに入れてしまう大失態をやらかしてしまいました。

 そんな寄り道をしたので道後~堀江へは白水台を経由する山越えの道を通り、国道196号に出たのです。その頃から息子の所に電話を入れ始めたのですが全く応答がなく、今日訪問することは分っているはずなのにと、私も妻も苛立ちを隠せませんでした。

(大西町星が浦公園での休憩、海が綺麗でした。勿論妻も?)

 このままだと手持ち無沙汰で、今日一日が何の意味も持たないため、時折見かける歩き遍路の人々に刺激されて密かに用意した遍路旅を急遽やる事にしました。

 実は私たち夫婦はもう10数年前から車による遍路を始めていますが、昨年やっと納経帳が全て終り、いよいよ高野山へお礼参りをしようと思ったのですが、少し遅れて始めた掛け軸納経が済んでいない事に気付き、暇を見つけてはフォローの遍路をしているのです。それでも偉いもので、昨晩調べて見ると今治・西条、松山、香川の一部を含めた20ヶ寺程になっているのです。そこで今日は今治・西条の遍路に挑戦しました。元より宗教心の少ない夫婦故、逆打ちなどへっちゃらで、今治の56番札所泰山寺、57番札所栄福寺、58番札所仙遊寺と順番にお参りしました。

(泰山寺の境内)
(瀬戸内海が一望できる仙遊寺からの眺望)
(仙遊寺の本堂にて。ご住職は留守でしたが、若い娘さん夫婦にお目にかかりました)

 途中仙遊寺への入り口付近で偶然にも同級生に出会いました。彼は私の友人小山田憲正さんが住職を務める仙遊寺の寺男として働いていて、仙遊寺を訪ねる度に出会っていましたが、最近はとんとご無沙汰していて、久しぶりの再会でした。彼はトラックに荷物を積んで移動中でしたので、そこそこのあいさつで分かれてしまいました。

 仙遊寺から朝倉を経て息子の住んでいる今治市湯の浦までは農面道路を走りました。その頃やっと息子と電話がつながり、どうやら緊急な会議は入って今日は私たちと会えないとの事でした。妻も私も落胆しましたが、このまま遍路を続ける事になって、カーナビを頼りに60番札所横峰寺を目指しました、湯の浦からは約小1時間かかる山寺でかなりの険しさです。それにしても人間の、特に私たち夫婦の記憶は曖昧なもので、何年か前納経帳にスタンプを押し梵字を書いてもらうため必ず訪れたはずの山道なのに、入山の時1800円の通行料を取られたことや、駐車場から約500メートル歩いて下ることなどすっかり忘れ、初めて訪れたような感じでした。忘れついでに、横峰寺の中ほどまで下った場所で、車の中へ掛け軸を忘れてしまった事に気付き、結局は私が汗だくで引き返す羽目になっえしまいました。

(入山料1800円を支払った横峰寺は石楠花が咲いていました)

(横峰寺の道すがら立ち寄った、分水で話題の黒瀬ダムは透き通っていました)
(ダムの堰堤で四国の山々を望む)

(前神寺では沢山の衣を着た集団に出会いました)

(吉祥寺の山門)
(宝寿寺の本堂)
(子安大師、香園寺)

 黒瀬ダムの風景、山ツツジや野フジの花の美しさ、新緑の四国山脈など、どれをとっても美しく右に左に変わる美しい風景に夫婦共々目と心を奪われました。

 その後64番札所前神寺、63番札所吉祥寺、62番札所宝寿寺、61番札所香園寺と今日一日で8ヶ寺もお参りすることが出来ました。少し向こうが見えてきた感じです。とんだハプニングで今日はいい遍路ができました。夕方5時頃息子から「今会議が終わった」と携帯が入りました。息子も明日だけ休みとかで、今日は休ませてやろうと、旧リンリンパークのお風呂に立ち寄り汗を流しました。帰路今度は長男夫婦から「今晩泊まりにゆくから」との電話が入り、慌てて帰路と相成りました。

  「会うはずの 息子いきなり 会議中 手持ち無沙汰で いきなり遍路」

  「この道は いつか来た道 だのに何故 記憶途切れて 初めて来たよな」

  「野山咲く 藤やツツジに 目奪われ 急なカーブも 恐る恐ると」

  「通行料 まるで高速 千八百円 仏のご意向 罰当たらぬように」 

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shin-1さんの日記

○江戸時代に学ぶこと

 日本中が大型連休と騒いで海外や国内旅行などに出かけ、各地で交通渋滞が起きているようですが、殆どの人は「何で休みなの?」とも思わず、ただただ「連休休み」だけが独り歩きしているようです。私のようなサンデー毎日な人間でも、勤めている妻が休みで嬉しそうなので、おこぼれにあやかって何か得したような気分になるのですから、無理からぬことです。今日は憲法記念日です。各地で憲法擁護と憲法改正の旗印を掲げて集会が持たれているようですが、反対、賛成と言いたい放題言論の自由が謳歌できるのも平和の証かも知れません。

 日本は敗戦以来60年余りもある意味で平和な時代が続いています。それは憲法に戦争放棄が謳われているからだという主張も、私たち凡人には納得できる話です。しかし一方で国際社会の在り様が60年前と大きく違い、今の憲法で国際貢献活動ができないから、憲法を変えなければならないという理論も筋の通った話です。総論はどちらも正しいのですから「まあええようにやってくれ」と、「他岸の火事」を決め込む冷めた国民が多いのも平和な証拠なのです。でも今の平和は憲法によって守られているという意識も持たないと法治国家の国民とはいえないのです。

 色々あっても今の社会が平和だと思えるのは、戦争をしていない、食べるものに事欠かない、住む所がある、働く仕事がある、年金が支給される、医療や教育や福祉などある意味の行政サービスが充実している、言論が自由である、防災防犯が行き届いて安心であるなどなど、戦争や飢餓で苦しんでいる地球上の他の国々を思うと、まるでこの世の楽園のような気もするのです。

 昨日、ある友人とテレビの時代劇の話をしました。暴れん坊将軍や水戸黄門など親父が好きで見ている250年余りも続いた江戸時代は、一見華やかな江戸文化が花開いたと言われていますが、それは江戸の町での話で、まるで北朝鮮のように将軍様や殿様が絶対的権力を持って君臨し、庶民の暮しは貧富の差が激しく、身売りや売春など食うことにさえ事欠く士農工商の時代でした。特に田舎と呼ばれる地方では貧富の差が激しく、ついぞ最近と思われる親父が若かった時代までその食うにも事欠く貧乏な暮しはずっと続いていたのです。私さえ覚えている戦後の厳しい時代を思い返せば、これまた現代がいかに平和であるか想像できるのです。

 老中松平定信は本を読む限り偉い人で、大規模な飢饉や洪水・災害に備えて江戸中期に「町民の生活の安定を第一」に寛政の改革と呼ばれる行政改革に着手し様々な制度を確立しています。中でも七分積金令と町会所の設立は今も専門家の間で高い評価を受けています。

 江戸の町は住民による自治が行き渡っていた都市だといわれています。治安の維持、道路、水道の維持管理、町火消しなどに関することが町内毎に実施されていたのです。これらの経費、いわば町の行政予算は町入用と呼ばれ、地主が負担していました。定信はこの町入用の節減・節約を奨励し、節減した額の70パーセントを毎年積み立てることを命じたのです。これが七分積金令です。江戸中の町入用の年間節減額はおよそ3万両、その70パーセントですから2万両ものお金が毎年非常時の備えとして積み立てられたのです。

 その資金の管理運用に当ったのが町会所で飢餓や災害時に備えて籾米の備蓄までしたというから驚きです。この資金は幕末まで運用され東京の近代化に大きく貢献したのですが、新東京銀行に400億円もの追加融資を行ない批判に晒された石原都知事の政策と比較してみると、改革といいながら定信は質素倹約、石原都知事はばら撒きのような気がしないでもありません。

 今一度平和がゆえに平和とは何かを考える一日にしたいものです。

  「連休と 愚かに騒ぐ 国民に 今日は何の日? 聞いてみたいな」

  「つい昨日 食えぬ時代が あったのに 喉元過ぎて 暑さ忘れる」

  「食べれると 唯言うだけで どれ程の 価値があるのか 飢えを忘れじ」

  「倹約を するが最上 策なりて 今の時代も 同じ理論で」 

 



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shin-1さんの日記

○名残惜しい春の夕日

 「夕日は何時の夕日が一番美しいいですか」とか、「何処から見る夕日が綺麗ですか」と、夕日に狂ったように見える私によく質問されるのですが何とも答えようがなく、「あなたが見る時が一番、あなたの見る場所が一番」と答えにもならぬ回答で質問した人を煙に巻いています。

 暑くもなく寒くもない丁度良い季節がやって来ました。夕日を鑑賞するにはもってこいの季節です。明日から始まる連休も、外国や国内旅行を楽しむ人は多いと思われますが、花や旧所名跡を巡るのも一向なら、夕日や朝日など時間の移ろいを感じるのも一向だと思われます。

 早いもので今年も4月の春は終わりました。デジカメの写真を整理しながら名残惜しくも春の夕日の写真を取り出して見ました。この写真は私の家の裏庭から撮影したものです。春から夏にかけては、太陽の通るコースは最も北寄りです。6月の末には山口県周防大島の旧東和町辺りに沈むのです。その時期にはこのように私の家から居ながらにして美しく海に沈む夕日が見えるのです。

 この日私は、久しぶりにわが家へやって来た孫尚樹を抱っこして夕暮れ迫る庭を散歩していました。運良くポケットにカメラを忍ばせていたので、来月1歳になる孫を抱きかかえたまま裏庭に上ってシャッターを押したのです。今のカメラは手ぶれも殆どなく写せるため、それなりに撮れていました。そのうち夕日が丸くしっかりしたため自称夕観所と名付けた東屋へ行き、孫を台座の上に置いて少しズームインしてみました。今まで気付かなかった電柱や電線がやたら視界に入って、残念ながらいい写真は取れませんでしたが、それでも「夕やけこやけ」の歌を孫に歌って聞かせながら夕日のお話をしてやりました。まだ赤ちゃんと呼ぶようなゼロ歳の孫故、夕日の美しさなど知る由もありません。でも赤ちゃんの顔を真赤な夕日が染めて幸せそうに見えました。

 薄暗くなり不安なのか孫がぐずり始めたので家へ入りましたが、偶然最後の一枚はまるでローソクか線香花火を逆さにしたように電柱に夕日が重なって写っていました。電柱や電線を景観ではまるで悪者のようにいいますが、こんな生かし方を考えたりするとまた違った趣きがあるようです。まあ電線や電柱は心で消せばいいのです。

 最近の子どもたちは夕日を見る機会が殆どないと多くの人が指摘します。それもそのはず夕日が沈む頃は塾へ行って猛勉強したり、テレビのマンガに夢中になっているのです。かけがえのない一瞬の輝きを鑑賞するくらいな心の余裕を持ちたいものです。子どもが夕日を見ないのではなく、親が夕日を見ないから子どもが夕日を見ないのです。せめて明日からの4連休の一回くらいは親子で夕日を見ては如何でしょうか。お金はかからないと思うのですが・・・・・。

  「写真でか 見れぬ四月の 夕日見る 名残惜しむも 既に過去形」

  「電柱に かかった夕日 これもまた 面白いねと 一人ニヤニヤ」

  「赤ちゃんの 顔に夕日の スポットが 当りて一層 赤く染まりて」

  「わが家から 夕日見えると 自慢する これから当分 一人楽しむ」 

  

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shin-1さんの日記

○余りの美しさに立ち寄り

 ブログを書くようになった最近は毎日デジカメを持ち歩いています。しかし残念な事に「アッ、面白い」と思ってデジカメの行方を捜すと車の中に置き忘れていたり、時には食事の食べ物に熱中し机の下に忘れたり、「こんなに忘れ丈がいいなんてあなたももう歳ね」と妻から呆れた声が聞えるのもしばしばなのです。でもデジカメは充電さえしておけば、フィルムがいる訳でもなく、また適当に消去や保存が出来る便利さから、これからも重宝したいと思っているのです。しかし写真を撮る場合注意しなければならないのは相手の了解です。写真に夢中になり過ぎると、シャッターチャンスを逃すまいと気持ちが焦り、被写体にだけ気持ちが集中して、迷惑を感じる人だっているのです。

 私のパソコンの写真フォルダーにはそういう訳ですからあっという間に枚数が溜り、時折整理をしたり、CDに移したりしないと、パソコンの容量が増え過ぎて立ち上がりが遅くなるのです。相変わらずパソコン操作の苦手な私は、パソコン不具合の対処法やそんな場合のパソコン操作法を、息子にマニュアル化してもらっていて、虎の巻のように①スイッチをオンにする、②マウスの右を2回クリックするなどと書かれたメモを頼りに操作し覚えるのです。まるで子どものようですがこれが結構重宝で、暇さえあればやっているため、どうにかメールが送れ、写真が送れたりするようになって、トラブルさえなければそれなりの活動が支障なく出来るようになっているのです。

 写真を整理していると先日妻と大洲方面に行った折、目に留まった美しいい庭の風景が出てきました。大洲市五郎のとある民家です。民家というよりは和風ながら西洋料理のお店なのです。妻は妹からこの店の料理や民家の行き届いた設えの話しを聞き友人を誘って食事に行き、感激して帰ったことがあるので、道すがらその話をしながら車を走らせていたのです。その家が視界に入った途端、庭の見事な彩が目に飛び込んできました。私は思わず運転していた妻に寄り道するよう頼み、鉄道トンネルを抜けて細い路地道へ入りました。

 駐車場に車を止め、歩いてその家に行きました。見るとご主人と思しき人が竹箒で庭の掃除をしていました。「すみません。余りにも見事なので立ち寄りました。ちょっと見せてくれませんか。ついでに写真も撮りたいのですが」と頼むと、ご主人はわざわざ掃除の手を休めて案内しながら説明をしてくれました。ご主人はもう盛りを過ぎたいいながら、裏庭の斜面を埋めた霧島ツツジや岸ツツジの見事さに妻と二人は見とれてしまいました。わが家も同じように裏庭は斜面なのに、何とみすぼらしいことかと、妻と話しました。

 家の入り口の庭も立派で、料理屋といいながら個人の民家だけに圧倒されてしまいました。

 手を休めて案内してもらったお礼をいい、その場所を後にしましたが、気配りと手入れを欠かさずやるからこそ、この時期に美しい花を咲かせるのだと感心しながら、草の生えたわが家の庭を思い出しながら対比し、そのギャップを感じた次第です。

 美しいものを見ると、心に美しいものに憧れるような今までにない新しい風が吹きはじめます。しかしそこで立ち止まると自分の変容は期待できません。その風をいかに実践に取り込むかです。私も及ばずながら庭の手入れをしようと心に決めました。出来るかどうかではなく出来ると信じること、そして後は実践です。十年後私の裏庭もあんな人のうらやむ姿にしたいと絵を描いてみました。さあ実践です。

  「道すがら 視界飛び込む 美しさ 立ち寄り眺め デジカメ撮って」

  「感性を 磨いて庭の 造作を まずは設計 何を植えるか」

  「和風美を 田舎の民家 さりげなく 霧島ツツジ 彩り添えて」

  「金かけず 手間暇かけて 庭つくる 心次第で 美しくなる」

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shin-1さんの日記

○庭のシノブの芽吹き

 夏の緑茂り、秋の紅葉と何度かブログで紹介してきた書斎の窓から見えるシノブですが、殺風景だった冬の季節が終り、やっと芽吹きの頃を迎えました。私の背丈ほどもある大きな石にまるで蜘蛛の巣のようにへばりつき、雨水だけで年中を生きているシダ類のシノブは、まさにその名に相応しく耐え忍ぶように生きているのです。

 へばりついた先端から綿帽子を被った新芽が伸びだしていますが、根とも枝とも思える古い部分からワラビのようなこれまた新芽が、数日前から顔をのぞかせ開き始めました。秋の落葉から約半年ぶりの変化です。これからどんどん葉芽を出して石の部分が見えなくなるほど覆い尽くして夏の涼しさを演出してくれるのです。

 最近ガーデニングでコケ玉がすっかり人気となって愛好者が増えてきましたが、この石つきシノブはまさに大型のコケ玉といってもいいようなボリュームなのです。家にいる時は無意識のうちに殆ど毎日眺める書斎からの風景ですが私は結構気に入っているのです。

(殺風景な庭石に生え始めたシノブの新芽)
(気がつけば石にへばりつくように寄生したシノブにこのような新芽が沢山伸びていました)

 このシノブの元々の出所は双海町の黒山という730mの山頂付近に自生していたものを一株持ち帰り、木炭に巻き付かせていたものが次第に増えてあちらこちらにおすそ分けされ、この石に根付かせるためには相当古老しました。まず切取ったシノブの穂先を魚網で固く縛っておきます。2~3年すると石のくぼみに根を張るようにくっついて屋泥義のように寄生し伸び始めるのです。シノブには色々な種類があるそうで、トキワシノブなどは年中青々とした葉っぱを茂らせていますが、わが家のシノブは落葉型で秋に紅葉し、まるで落ち葉のように元からポロリと落ちてしまうのです。その分季節感があって私としては好きな種類なのです。

 窓から何気なく見える日々の景色も、季節によって、また自分の日々の気分によって随分違って見えます。今頃は陽足もすっかり長くなって、時折開いたままの室内に吹き込む爽やかな風がとても気持ちよく、遠くで近くですっかり上手くなったウグイスの鳴き声が聞こえてきます。また最近まで咲いていたサザンカや椿に変わってさつきが咲き始め、もうすっかり初夏の装いです。
 早いもので今日から5月です。「このところ月日の経つのが早くなったように感じるのは歳のせいかしら」と妻が言うように私たちも知らず知らずのうちに初老の坂道を下ろうとしているようです。

  「何時の間に 石に生えたる ノキシノブ 新芽が伸びて 初夏の装い」

  「もう五月 月日経つのが 早いねと 一つ違いの 妻に同調」

  「行く春を 惜しむが如き 一輪の 残りし椿 今朝は地上に」

  「何を食べ 生きているのか 石の上 今年も新芽 伸ばして初夏を」

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