○人生の分岐点
これまで私は昭和・平成と二つの時代を64年間生きてきた
最初は不自由な物のない時代だったが今は自由で物のあり余る世の中となった
やろうとしても制約や不自由でやれなかった若いころに比べれば
今はやろうと思えばたいがいなことは何でもできるが
いかんせん気力と体力が減退し世の中は上手くいかないし上手く出来ていると思っている
これまで私は様々なことに挑戦し何がしかの成就と様々な失敗を繰り返してきた
最初は成就すると自分の力を過信して悦に入り失敗すると人や社会のせいにしたりしていた
やろうと思い立てば無鉄砲に何でもやった若いころに比べれば
今はできないことはないかも知れないが社会の目や家族のことが気なって
転ばぬ先の杖や石橋を叩いて渡る慎重さが一歩前へ踏み出す勇気を消している
これまで私はどれほどの人生の分岐点に立ち止まってどちらかの道を選んだことだろう
最初は半信半疑でも選んだ迷い道を藪から棒に一目散に走りぬけ
道の間違いに気づけば平気で引き返し何食わぬ顔でもう一つの別の道へと移り進んだ
今は迷い道を引き返す勇気もなく色々なことにまことしやかな折り合いを付けて進んでいる
人はそんな私を見て信念がないというか優柔不断といっているかも知れない
これまで私は分岐点に差し掛かった時正しい方向だと思っているのに諦めたことが何度かあった
諦めたことの殆どは宿命だと思っていた。男に生まれたこと、学歴がないこと、役職がないこと
財力がないことなどなど今考えれば大したことではないのにハンディだと勘違いをして諦めていた
今はそんなことは宿命ではなく運命と思って切り開いて行けるのにと残念がる
セルフイメージやスキルの高まらなかった自分を恥じている
これからも私は人生の分岐点に幾度となく差し掛かるであろう
その都度人の立てた道しるべを参考にしながら二者択一の道を進んで行く
人を信じるか人を疑うか自分を疑うか自分を信じるかの分岐点はやはり自分であろう
今は自分という物差しで人や社会をある意味で推し量れるようになったと信じている
私につながる息子や娘たちも私と同じように人生の分岐点をどちらかの道を選んで進んで行くことだろう
「でも・もしと 今来た道を 打ち消すが 後に戻れぬ 人生だから」
「諦めや 折り合い付けて 生きてきた これから先は 信じるままに」
「近道と 書いた看板 ご用心 落とし穴など あるかも知れぬ」
「引き返す こともできない 歳になり 助け呼んでも 見向きもされず」