人間牧場

〇白い雲黒い雲
 今朝地方祭のため学校が休みの孫奏心は子ども神輿を担ぐため、朝6時の宮出しに間に合うよう出かけて行きました。家を出る時まだ小雨が降っていたので、「おじいちゃん今日の天気はどう?」と聞かれました。パソコンで雨雲の行方を見ると雨雲も消えかかり、西の空が明るくなっているようなので、「次第に晴れて来るから大丈夫、ほら白い雲だから」と言うと、「どうして?」と聞き返されました。

「雨が降りそうな時空を見上げて雲の様子を見れば、経験的にどんな雨が降るか予想がつく」と説明してやりました。「白っぽい灰色の雲が空一面を覆っている時は細かい雨がシトシト長く降り続き、黒っぽい黙々とした雲の時はザーッと勢いよく降って短時間で上がる」という話をしてやると、「時間がないので詳しい話は後で」とはぐらかされました。

 ふと「また後で」と言っていたので、帰ったら聞かれるかも知れないと思いました。つまり「黒い雲は強い雨、白い雲は弱い雨」なのです。黒い積乱雲には上昇気流があり、大粒の水滴や霰が急速に作られ、水滴が一気に落下し始め、バケツをひっくり返したような雨になる訳です。

 若い頃水産高校の実習船愛媛丸で航海していた時、ワッチに立ち舵ラッチを持って操船しました。天然シャワーと言われるスコールで体を洗おうとスコールの行方を注視して、船は進みましたが、その時船長さんが雲や雨の成り立ちを詳しく教えてくれました。今もその教えが体に沁みついて時々雲の行方を見ています。

 

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人間牧場

〇7本足のタコ
 昔からタコの足は8本と聞かされていました。私は水産高校漁業科出身なので、時々見たこともないような珍しい魚が獲れたら、漁師さんが「これ何という魚?」と聞きに来たことが何回かありました。「漁師のあんたが知らないのに私が知るはずがない」とはぐらかしますが、持っている魚類図鑑を調べてやんわり答えるようにしています。

今年の夏、子どもが泳いでいてタコを獲ったが足の数を数えた所、足が7本しかないので不思議がってお母さんと一緒に私の所へ聞きに来ました。そこで水産高校在学時代に魚類に詳しい先生から聞いていたタコの話をしてあげました。するとその子どもは熱心にメモをして夏休みの自由研究にしたようでした。

①タコは分類上貝やナメクジと同じ軟体動物であること、②タコの所属する頭足類は軟体動物の中でも見かけによらず知能が高く超エリートであること、③寿命は僅か1年~1年半で、若し20年~30年生きられたら相当な知恵者になるかも知れないこと、④狭い水槽に閉じ込めたりするとストレスが溜まって病気になったり精神錯乱を起こして自分の足を食べたりすること。

⑤タコの目は脊椎動物に近い構造をしていて、図形識別能力を調べたところ、形状だけでなく大小、向き、明暗まで識別する、ネズミやハトより優れた学習能力があること、⑥8本足に並んだ吸盤は味覚の受容器であり、甘み、辛み、苦みを識別する能力は人間のおよそ100倍であることだと話してやりました。

「進ちゃんって何でも知っていてまるでタコみたい」とお世辞を言ってくれました。どうやらタコの足が1本足りない謎が解けたようでした。その晩その子とお母さんが茹でたというタコの足を3本お礼に持って来てくれました。「7-3=4、4∔3=7」などと足し算引き算ならぬ、タコ算をして楽しく遊んで帰りました。大笑いの一日でした。

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人間牧場

〇ホダ木の並べ替え
 もう20年も前から、友だちのクヌギ山の原木を切り出して、わが家の裏山と人間牧場へクヌギの木にシイタケの植菌をしてシイタケ栽培をしています。お陰様でこの20年間は春と秋にシイタケが生え、自分の家で食べるシイタケは自給できています。

 しかしシイタケの原木は生え始めてから5年くらいで原木が腐り、その後はボロボロになって腐葉土化するので、安定自給のためには2~3年に一回はクヌギの木を確保して、シイタケ菌を植菌せねばなりませんが、山に出掛けクヌギの木をチェンソーで切り、適当な長さに小切りしてトラックに積んで持ち帰り、穴を開けて植菌するのはこれが中々の重労働なのです。

 年齢や体力枯らして、そろそろ限界かなと思っていますが、今日は家の裏山に置いている植菌して4年目のホダ木置き場周辺に草が生えたので、ホダ木を動かして草を刈りホダ木を綺麗に並べ替えました。シイタケは気温が15度くらいに下がらないと生えて来ないし、適当な湿気も必要なのです。昨日の雨と今日の気温低下で条件は整いつつあります。シイタケが生えるのを楽しみにしています。

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人間牧場

蜂蜜の採蜜作業
 昨日の雨も上がり、一雨毎に気温が下がり始め、今日は久しぶりに「平年並み」の気温に戻り、秋らしい一日となりました。毎日仕事にボランティア活動に私以上に忙しく過ごしている同居の長男息子も日曜日とあって家にいて、すっかり遅れていた養蜂の採蜜作業をしていました。

 元々は私が、昨年亡くなった旧野村町山奥の井上登さんの指導や協力を得て始めた養蜂ですが、興味を持ち始めた息子にごく自然的に受け継いでもらい、時には親子であれこれ蜜蜂談義に加わっていますが、私が経験がものを言うように手を出し口を出すより、インターネットで得た息子の知識の方がはるかに高いレベルなので、見て見ぬふりをしています。

 専用の防虫ネットを被り、ドングリの家の入口に置いている巣箱をひっくり返して、飛び交う蜜蜂をものともせず、巣箱の中から巣を取り出し専用のポリ容器に入れていました。息子はバッテリー式の強風が出るブロアーで蜜蜂を追い払いながら作業を進めるため、蜜蜂の犠牲も少なく、うまくやってると感心して見ていました。

 何日かすると採集した巣から蜜が垂れて甘くておいしい蜂蜜が採れ、瓶詰などにして家族や兄弟・知人お裾分けする予定です。私も今ではお裾分けの対象者です。私は蜂蜜を余り食べませんが、妻は何かにつけて蜂蜜を食べたり料理に使ったりしているようで、今から楽しみにしています。

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人間牧場

〇気力の低下は老化現象なのか
 先日同じ年齢の友人から、「最近気力が落ちたように思う。これも老化現象の一種だろうか?」と尋ねられました。聞けば周りの人からは「余り無理をするな」と注意を受け、その次に来る「もう歳だから」という言葉に甘えて、無理どころかあれこれやらずに過ごしていると、その内だんだん気力が低下して、紋々の日々を過ごしているとのことでした。

 「ところで進ちゃんはいつも元気そうに見えるが、気力の低下を感じないのか?」と聞き返されました。かく言う私も家族や周りの人から「余り無理をするな」と有難い忠告を受けています。しかし多少無理をしないと老化の一途を辿ると思い、「無理をしない程度の無理」をあれこれやっています。その基本は二宮金次郎の教え「積小為大」で、小さなことの積み重ねです。

 老化の原因は3つの生物学的要因が絡んでいます。1つ目は加齢によって思考や記憶をつかさどる脳の中の前頭葉が萎縮し、感情コントロールや変化への適応が難しくなるようです。2つ目は精神を安定させる神経性物質である、幸せホルモンと呼ばれる、「セロトニン」の分泌が歳をとるごとに減って意欲が沸きづらくなるようです。3つ目は男性ホルモンの分泌量が減ることで、意欲の低下だけでなく人付き合いも億劫になりがちになります。

 つまり、ただ漠然と生きるより、加齢に伴う生物学的要因と戦う姿勢が必要なのです。私のモットーにして毎日続けている小さな実践を積み重ねる積小為大はいい行いのようです。私の話に耳を傾けていた友人から、「さすが進ちゃん、素晴らしい話を聞いた。私もこれからでも遅くないので、やる気を起こさせるような小さな実践を積み重ねたい」と固い握手をして別れました。

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人間牧場

〇帽子の忘れ物
 「あんたのご主人のしんちゃんが、わが家へ帽子を忘れて帰ったようよ」と、わが妻の同級生から電話が架かってきたようです。最近忘れ物が多いのはやはり歳のせいだと諦めていますが、今年になってこれで3度目です。帰ってから「はて?私の被っていた帽子は何処へ置いたのだろう」とまだ思い出すのですから、完全な認知症ではないと勝手に思っていますが3度とも帽子は無事手元に戻りました。

 今日は松山市上野町の生涯学習センターへ、間近に迫った愛媛県公民館研究大会の鼎談に使うパワーポイント資料を届けに出かけました。買い物がしたいという妻同伴で出かけました。肝心の事務局長さんはあいにく中四国大会に参加していて留守だったので、顔見知りの女性職員に渡し帰路につきましたが、若嫁が勤める実家経営の(かじん)という喫茶店に立ち寄りお茶をしていると、妻が水出しコーヒーとコーヒー豆を買いました。

 どうやら妻は帽子を忘れた伊方町瀬戸三机の同級生の家まで、帽子を取りに行くのだと張り切っていました。午後3時に松山を出発すると片道2時間はかかります。この日は午後7時から双海地域事務所で会議がある予定なので、何が何でもそれは無茶だと思いましたが、妻は既にお出掛けモードに入っていました。それから延々往復4時間、私が車を運転し、忘れ物の帽子を受け取って何と18時40分にわが家へ帰って来たのですから驚きです。

 途中長浜高校前の「まことや」というパン屋に立ち寄り、パンを買ったり、よく知っているご主人と立ち話会話を交わしました。妻の強引さに押し切られましたが、「今日の不始末は出来るだけ早く片付ける」を地で行くように片付きました。会議にも無事間に合い、明日は植え残っていた極早生タマネギの植え付けを、雨が降る前までに片付けられそうです。

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人間牧場

〇1回会っただけでも100回会ったような人
 私は若い頃から地域づくり活動やボランティア活動に参加してきました。そのため多くの様々な人と今も関わっています。中には100回会っても1回しか会ったことのないような馴染みの薄い人もいますが、たった一回程度の出会いでも100回会ったような人もいるのですから人の印象は不思議です。

 そんな中、8月に親友宇田さんに連れられて、広島県からわが家へ10人ほどの人が視察にやって来ました。途中砥部町の坂村真民記念館に立ち寄ったため、大幅に到着時間が遅れ、予定していた煙会所や海舟館、JR下灘駅、シーサイド公園は立ち寄ることはできましたが、肝心の人間牧場は時間が足りないため出かけることが出来ず、宿泊先の松山市内へ向かって帰られました。

 その折8月29日~30日に広島市内での講演を頼まれましたが、運悪く台風が接近しお流れになってしまいました。普通だとこれで終わりのはずが9月5日~6日の両日再度講演を頼まれ妻を伴って広島まで出かけましたが、変更予定が急遽決まったため都合がつかず参加できなかったり、顔見世程度で帰られた人もいました。その中に松本さんという女性がいました。双海町へは来たものの広島での講演会はスケジュールが立て込んでいてチョイ顔見世程度でした。

 ところが、先日10月3日の私の誕生日に、大谷翔平さんの特大ホームランと思えるような祝電を私に送ってくれたのです。そして私のFacebookを読んで私が夕日徒然草を出版しているのを目敏く見つけ、電話で「その本が読みたいので送ってください」と依頼があり、私は早速レターパックに詰め込んで差し上げるつもりで送りました。最近ハガキや封書の配達は遅くても、レターパック便は早く、あくる日届いたようで、お礼の電話が架かり、今日は書き留め返信で達筆でステキなお手紙と芳志が届きました。

 いやはや「驚き桃の木山椒の木」です。私もお礼の電話を入れお話をしました。思うに松本さんという女性と出会ったのは双海と広島での短い時間の2回だけですが、もう100回も出会ったような濃密さで、忘れられない人になりました。「人は人によりて人となる」ようです。既に天国に召されましたがあの有名な永六輔さんとも1回しか出会わなかったのに、毎月1枚の夕日のハガキを5年間出し続けた結果、わが町でタダで講演をしてもらい、忘れ得ぬ人となりました。松本さんも私にとっては忘れないより、忘れてはいけない人になりました。また会いたい人です。

 

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人間牧場

〇同級生の女性から電話が架かり長~い電話
 昨日の夜、中学時代の同級生女性Nさんから電話が架かってきました。Nさんは昔あった富貴小学校の出身で、中学校からは一番遠い集落に住んでいたため、毎日が遠足のような学校まで往復歩いて通学していました。私は中学校から男子だけの宇和島水産高校漁業科に進学するため故郷を離れていたので、そんなに交流はありませんでいたが、嫁ぎ先が産まれ育ったところに近い大洲市田処だったし、柳沢公民館の事務職をされていたころ出会いを重ねました。

 ご主人も良く知っている方でしたが、脳梗塞を患い何年か前に他界され、今は100歳になる姑さんと2人で暮らしています。息子さんが看護師で海外の被災地に派遣されてりして、目覚ましい活躍をされていました。そんなこんなで、気になりながらも朝が峠の県道が西日本を襲った災害で土砂崩れが発生し、今も不通になっているゆえ、もう何年も出会っていないのです。

 男女の差こそあれ田舎の同級生なので積る話も多く、30分も長電話をしました。お互い今年80歳傘寿を迎えたので、体調のこと、将来のこと、昔の懐かしい思い出や、他の同級生の近況など話は尽きませんでした。近所に住む人と私が友人でもあるので、近いうちに出会おうと約束をして電話を切りました。同級生とはいつまで経ってもいいものです。

 

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人間牧場

〇自分で編み出した腰痛克服体操
 5~6年前までは、人間牧場や家の裏山の草刈りをしたり大きな荷物を運んだりすると、決まったようにぎっくり腰になって、行きつけの整体院へ、もみほぐしや治療を受けに2~3日通って治していました。

 ところがその馴染みの整骨院のご主人がガンで亡くなったことを知り、どうすればいいのか迷いましたが、風呂に入って両足を揃えて膝を左・右・左・右と100回折り曲げて風呂底に着け、その後足を縮めたり延ばしたりを10回、その後風呂桶の端に座り足を風呂桶に着けて20回腹筋を繰り返し終わりです。

 この運動のお陰かどうか分かりませんが、やり始めてから5~6年はぎっくり腰にもならず、元気に暮らしています。お陰様で腹にくびれが出来、下腹も出ず中年太りを回避しているのです。最近足首落としと屈伸運動を加えて、足腰の衰えに対応していますが、1日1万歩のウォーキングを加えると中々の運動量で、ほんの10日ほど前80歳になりましたが、元気に暮らせています。

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人間牧場

〇お父さんが死んだ時のために
 「お父さんが死んだら葬儀に使う遺影や、列席者に観てもらう動画を準備しておかないと」と縁起でもないことを長男息子が私にいました。勿論冗談だと思いますが、この度80歳傘寿を迎え、「加齢と病気と死」という3重苦を意識して生きて行かざるを得ない私は内心「ドキリ」としました。

 散髪をする度に男前の自画像を撮り続けている私には、沢山の自画像があるので遺影に使う写真は、恐らく喪主となるであろう長男息子の好みで選んでくれるだろうと鷹を食っていますが、動画には自信がないのです。幸い青年の船の班長として建国200年のアメリカへ行った時の映画を友人がVTR画像に収めてるのが一本あるので、と思っていたら、いつの間にか身の回りからVTRを再生する機械がなくなり、このVTRテープ使えないことが分かりました。

 早速その映画の所在を確認したところ愛媛県視聴覚ライブラリーにあることを突き止めました。先日から青年の船の仲間が集まる機会が何度か持たれ、借りてきたフイルムを写し懐かしく拝聴しました。そのフイルムを持ち帰った仲間がお礼にとそのフィルムを予備も含めた2本のCDにしてくれました。息子に頼んで再生して見ましたが、多少色落ち劣化はしているものの、私の葬儀用に耐えうる代物のようです。

 思わぬところで終活が出来たと喜んでいます。私的には今年の誕生日に多くの方々から祝意をいただき、その度に「100歳まで生きる予定である」ことを公言していますが、少し安心、少し不安な私自身の80年代の幕開けでした。

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