○あっ、タヌキだ!。それともハクビシン?
夏の太陽が西に落ち、少し外が暗くなった昨日の夕方7時半過ぎです。書斎で原稿を書いていた自分の目の前の庭を、悠然と歩く一匹の動物が窓越しに目に止まりました。この一週間朝な夕な、時には昼間も何の警戒心もなく自分の目の前を通り過ぎるのです。その都度カメラを用意するのですが、カメラの準備ができた時には時すでに遅しで、シャッターチャンスを逃していました。今回も急いでカメラを用意したものの諦め半分でしたが、今回は何の変哲もない写真ながら、何とか後ろ姿と振り返りざまの2枚の写真の撮影に成功したのです。
写真を写しながらタヌキの姿を妻にも見せようと、夕食準備で忙しそうな妻を大きな声で呼び寄せました。妻には最近タヌキがうろちょろしている話をしていたので、興味があるのか急いで書斎にやってきて、二人で窓越しながらタヌキの姿をしばらくの間見ていましたが、やがてタヌキも私たちのことを察知して水場の傍で振り返り、少しの間私たちを見ていましたが、やがてタヌキは裏の林の中へ消えて行きました。
一昨年もわが家では同じようにタヌキ騒動がありました。毎夜出没するその時のタヌキはやんちゃで、私の書斎の前の窓越しにさも「今晩は」と言わんばかりに近づいて盛んに愛嬌を振りまいて、すっかりわが家の話題を独占し、孫たちはわざわざタヌキを見にやってきて、夜遅くまで大騒ぎをした経験があるのです。
その時は写真もバッチリ撮れてブログでも紹介したため各方面からメールが届きました。ある人は「自然が身の周りにいっぱいあって羨ましい」とか、「お孫さんと一緒で野生のタヌキを見れるなんて幸せですね」といった言葉が寄せられましたが、意地の悪い仲間からは「タヌキが出るなんて相当田舎だねえ」などとふざけられました。
その後もタヌキは何度となく出没しましたが、いつの頃からか姿を見せなくなり、ある日のこと近くで死んでいるのを発見しましたが、畑の隅に懇ろに弔いかまぼこの板に墓標を書いた記憶があるのです。
わが家は田舎だし家の裏山が家に迫っているため、イタチなども平気でうろちょろするし、時には目の覚めるような瑠璃色をしたオスのキジが歩いたりします。その度に自然がいっぱいのいい所に住んでいると一人ほくそ笑むのです。
私たちの身の回りは、高齢化と第一次産業の不振で、里山が荒れだしました。高度成長期には耕して天に至ると形容されたみかん畑も耕作放棄地が目立つようになって、入らずの森のように野生化した所も増えてきました。杉やヒノキを植林した所さえもその世話が人手不足や高い労賃で投資効果がないと判断されままならないのです。今後もその傾向は進むものと思われますが、動物にとっては住みかが増えたことになるようです。でも人間と野生動物の距離は食べ物という点では近づきつつあります。今回のタヌキ騒動も多分タヌキは人間様の食べ物をあさりに人里へ下りてきたのかも知れません。いずれにしても少しずつ環境が変化していることは間違いないようです。
はてさてわが家に出没する動物はタヌキでしょうか?、それともハクビシンでしょうか?。
「わが庭に タヌキ一匹 出没す だます意図なし 仲間と思い」
「田舎だね そんな言葉が 聞かれそう いいとこだよと 自慢してやる」
「おじいちゃん タヌキ見学 行くからね 孫の弾んだ 電話の向こう」
「動物は 足が速くて カメラなど 用意する間に 山の中入る」