○お喋りは難しい
私は若いころには人様の前でお話しするのが苦手で、人様の前に出てかしこまると顔が赤くなったり心臓がドキドキし、心に思っていることの半分も話しすることができないあがり症でした。頭痛のタネとなっていたこのことを解消しようと思えば思うほど上手くゆかず、「俺は駄目なんだ」と諦めかけていたのです。そんな折双海町青年団長の選挙があり、私も他の二人とともに推されて立候補の演説をすることになったのです。私は原稿用紙3枚にに自分の考えを書き、うんこ部屋で一生懸命中暗記しました。そして臨んだ演説会で上がってしまい、物の見事に覚えていた原稿を忘れて大恥をかいたのです。でも私の応援弁士が良かったため私は80パーセントの得票を得て当選し憧れの青年団長になりました。以後私の頭を悩ませたのは会合の度にしなければならない挨拶でした。先輩の青年団長に挨拶が上手くなるコツを相談したところ、「原稿を書いて覚えたら忘れてはいけないことが先に立って上達しない。今日はこれを話しようと項目だけを3つ~5つ考えて、後はアドリブで話したら上手くなる」とアドバイスを受けたのです。結果は予想以上の効果を生み、下手糞ながら次第に上達の階段を上り始めました。そしてNHK青年の主張の県代表になるという幸運にも恵まれて、お話しすることが苦痛でなくなり、見事にコンプレックスを克服出来たのです。
今思えば古き良き懐かしい思い出ですが、そのことが今の自分を支え講演などで日本全国を旅しているのですから人生は面白いものです。
話をすることが苦手な人にとって、人様の前に出てお話をすることぐらい苦痛なものはありません。だって人さまはそのことでその人の値打ちを決めるのですから、これは大変なプレッシャーなのです。そんな人もかつての私と同じように、「どうしたら話が上手くなれるか」考えていて、時々私にそのことの伝授を聞きたがりますが、要は私がこれまで経験してきたことを何回となく繰り返す、つまり場数を踏んで練習すること以外妙薬はないと説明しています。
私たちが人様に対して話す場合の要素は大きく分けて3つです。①自分の立場は何か、②誰を相手に話すのか、③どんな場面かです。
まず一番大切なのは自分の立場をわきまえ自覚しなければなりません。自分は主催者なのか来賓なのか、司会者なのか、助言者なのかなどなど、自分の認識を誤るととんでもない話になってしまうのです。続いて話す相手は誰かを考えて話します。地元のお年寄りに学者のような話をしても馬の耳に念仏、馬耳東風、さっぱり意思が伝わりません。また相手が子どの時は特に注意が必要で、こちらは理解してるつもりで話しても言っている言葉が理解できないのです。
さて肝心なのは場面です。例えば祝辞と弔辞というのがあります。祝辞は縮辞、弔辞は長辞といわれるように、祝辞は短いほど好まれます。場所によっては短か過ぎるのも足元を見られますが、沢山の来賓がいる場合などはかえって短い人に好感が寄せられるものです。弔辞はそういう訳にはいきません。むしろ少し長めに方が共感を呼び起こさせるのです。私も何度か祝辞と弔辞をやりましたが、そういう視点に立って話したお陰で少しだけお株が上がりました。
今ではこの3つを会得したお陰で、人様の前に上がっても上がらなくなりました。嘘だと思うならやってみてください。
「人様の 前に上がって 上がらない 人という字を 書いて飲めとは」
「失敗を 繰り返すこと 以外なし 私も失敗 山ほどやった」
「今度こそ 今度こその 根性が 上手い近道 思ってやった」
「この歳に なっても未だ 上手くない 奥儀極める まだまだ先だ」