○妻の体を揉んでやりました
昨晩、少し疲れたという妻の体の指圧をしてやりました
指圧といっても何の知識もなく、ただ揉んだり手で力を入れたりするだけのサービスです
このところ遠のいているぎっくり腰の時、2~3日続けて通った整体院で整体師が
うつ伏せになった私の体を、まるで実験台のような細長い台の上に乗せ
右手の肩口から背中、腰、足、腰、背中、左手の肩口と順番に巡り
痛い腰を我慢して仰向けにさせられて再び今度は左手の肩口から
同じような順番を辿り揉みほぐして行くのです
一定のリズムで最初は優しくしかしだんだんと強くなる整体師の力を
体中に感じながらツボに入ると、時には気持ちよく
時には苦痛で体全身に衝撃が走り、苦痛で冷や汗をかきながらも
整体師の軽快な世間話にうなずきつつ「どうですか」の問いかけに
「気持ちいいです」とか、「少し痛いです」と言葉で反応し
それでも手を緩めない時は体を硬直させて反応し
約20分の揉みほぐしを経て、最後はボキボキと荒治療で終わるのです
私はまるで整体師になったような錯覚で
整体師が私にやったと同じような真似ごとで、妻の体を手と肘で
うつ伏せにさせた右肩口から背中、腰、足と揉みほぐして行きました
妻はその都度、「気持ちいい」とか「痛い」とか文句を言いながら反応し
お互い目線はテレビのドラマを見ながら進むのです
15分余りを長く感じる私と、短く感じる妻との会話のやり取りが続き
「はい千円」と冗談を言いながら終わるのです
「ああ気持ち良かった」と首を回して感謝する妻に
「ああ疲れた」と恩着せがましい言葉をかけて指圧は無事終わりました
昔なら妻も私も体を触れば「こそばゆい」かったり「ムラムラ」したでしょうが
お互いその敏感さも失せて、今は肩こりや体のだるさからの解放のみで
加齢とともにお互いがいたわり合う老夫婦へと変身しているのです
そういえば妻には苦労をかけたと、手や肘から伝わる妻の体の
硬さを感じながら懺悔するような気持になるのです
結婚して40年、思えば縁もゆかりもないこの女性と
ほんとに長い間苦労を共にしてきました
時は喧嘩をしたり、時には同調したりしながらとにかく二人三脚で
歩いたり立ち止まったり、時には走っありしながらここまで
どうにかたどり着いたのです
ふと気がつくと4人の子どもは古巣を去って
いつの間にか私たち夫婦と歳老いた親父の三人だけとなりました
もう若くはないし少し楽をしようとお互い言いつつも
それでも根っからの貧乏性は直らず
やれ節約第一、やれ健康第一、やれ勿体ないと言葉を交わして生きてます
ああ人生とは一体何ぞやと、先に逝った友の死の度に
自分たちの暮らしを反省して生きているのです
これから先も、とにかく健康第一と確認しながら
更けゆく夜を過ごしている月並みな夫婦です
「疲れたと 言う妻寝かせ 整体師 真似しつ体 揉みほぐしやる」
「手と肘を 通し伝わる 妻苦労 感謝しつつも 目はテレビ向き」
「昔なら 変な気起こす ことあった 今は鈍感 何の変化も」
「気がつけば 腰痛体操 お陰かな ぎっくり腰に しばらくならず」