shin-1さんの日記

○苦手な人を克服する方法はないものか

 先日講演の後、意見交換会がありました。普通は講演の概要をかいつまんで司会者がお礼のような形で述べ、「もう一度若松さんに盛大な拍手をお送り下さい」で終わるのですが、少し意見交換の時間を用意している時などは、フロアーの参加者に「何か意見はありませんか」と発言を求めるのです。上手い司会者だと会場の顔見知りの人に「○○さん如何でしょうか」と発言相手を指名したり、時にはサクラと呼ばれるお喋り上手な人に事前に「発言して欲しい」と頼んでおき、さも会場から自然に手が上がったような心憎い演出をする場合もあるのです。でもそんな演出をしなくても、なければないで切り上げるのが常識だと思うのですが、何か発言しなければ講師に悪いと思う司会者は発言のない会場の雰囲気を見て取って、司会者自らが質問する事だってあるのです。

 そんな場合私はちょっと助け舟を出すようにしています。「ご意見もないようです。時間が勿体ないので少しフォローさせて下さい」と前置きし、持参のハーモニカを木になるカバンから取り出して「夕やけこやけ」と「赤とんぼ」を吹くのです。これが案外参加者にはおまけと受け止められ好評で、演奏が終わると皆さんから期せずして拍手起こるのですが、間髪を入れず「皆さん拍手をしないで下さい。拍手をされると馬鹿な私はアンコールと勘違いするのです」というと、大爆笑が起こるのです。

 まあ普通90分の話が終わると、帰り支度を始めるような人は長く感じているものでしょうから、余り長く引っ張るのはご法度なのです。

 つい先日も例によって講演の後の質問時間があり、ある人が「若松さんは誰とでもお話が出来て羨ましいです。あなたには苦手な人はいませんか。若し苦手な人があればどうされますか。教えて下さい」と、講演テーマとは全く無関係な質問がありました。こんな場合は講演テーマにこじつけて話すのが講師の知恵なのでしょうが、この日この人は、二度三度私の答えに追い討ちをかけて質問を長引かせてしまいそうな雰囲気でした私は「詳しく聞きたいようですので、後でお話しましょう」と切ってしまいました。

 私は人見知りしない方なので、余り苦手な人はいませんが、私にだってこれまで苦手な人の一人や二人はいました。特に役場に勤めていた後半は夕日によるまちづくりを発想し推進したため、議会などと対立し怒号飛び交う議論を交わしました。しかし絶えず冷静に相手と誠心誠意対応したお陰で、雪解けの中で今を迎えています。

 「嫌いな人は相手も嫌い」「相手を好きになれば好いてくれる」、これが基本だと思い、苦手な人でも好きになるよう努力しました。まあ人間とは鏡のようなもので、自分がするようにしか鏡には映らないものなのです。鏡に映る姿は虚像で鏡のこちらは実物なのですが、心までも映るような気がするのです。

 「苦手な人を克服する方法はないか」と尋ねられたその答えは「嫌いな人を好きになること」のようです。そうはいいながら、やはり苦手な人はいるでしょう。その人の顔を見ただけで寒気がする人もいます。またそんな人にまで媚びを売ってまで生きて行くことは耐え難い人もいるでしょう。でも科学万能な時代に生きる私たち人間が、些細なことで相手を嫌いになって気まずい思いで生きていくより、みんなと仲良く生きていった方がどんなにか楽しいものです。「もっと人間を信じ人間を好きになろう」。

  「大嫌い 自分で思う その人も 嫌いなはずと あきらめ好きに」

  「講演の 後で質問 出たものの トンチンカンな 話に終始」

  「質問を する前サクラ 公言し 会場爆笑 これも一考」

  「質問が ないので吹くと ハーモニカ これが馬鹿受け 心に響きて」

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