shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年5月20日

○ご馳走を食べ過ぎるとろくなことがない

 やはり私は貧乏性に生まれているのでしょうか。はたまた63歳になって初老の域に達しつつあるのでしょうか。一昨日の日曜日、孫の誕生日と初節句のお祝いを大岩という中華料理店で開催しましたが、その時の料理がおご馳走過ぎたため、食べ過ぎと酒が飲めないためウーロン茶を飲み過ぎたため、何処となく腹の調子がおかしくなって、一昨日の夜は腹が張って中々寝付けない夜を過ごしました。

 私の食生活はいたって質素で、肉は殆どといっていいくらい食べません。胆のう摘出手術をした8年前からは油濃いものは余り欲しくないのです。それでも妻は痩せた体を元に戻そうとまるで肉の嫌いな子どもに肉を小さく刻み知らず知らずのうちに食べさせるような仕草で野菜と交ぜて料理をしてくれるのですが、肉をよって出すほどなおです。ですからむしろもっと油分を取った方がいいのかもしれません。

 昨日は大学の講義日なので少し早めに出かけて息子と娘の所に立ち寄りました。息子嫁から「お父さんが来るのだったらお昼ご飯を一緒に食べよう」と提案の電話があったので、お言葉に甘えてご相伴に預かることにしました。息子の家では訪ねてもお茶を入れてもらい飲む程度で、これまで殆ど食べたことはないのです。親父が昼に来るというので息子も近くの職場から昼食に帰り、息子、嫁、孫、それに私の4人での食事となりました。

 お昼のことゆえ、ましてや前日のお馳走のこともあるので料理は巻き寿司に冷しうどんといたってシンプルでした。息子の家族は長男の自覚でしょうか一ヶ月に一度くらいの割合でわが家へ帰って私たち夫婦と食卓を囲んだり泊まったりします。そんなこともあってか料理の味付けは妻の味と大差はなく、美味しくいただきました。

 それにしても息子の家で嫁の料理を食べるのは、うちまで気兼ねがないと思うのですが、意外と緊張するものです。わが家では大皿に盛って好きなものを好きなだけ鳥皿で食べるのですが、息子の家では同じようなことをしていても、やはり量が段違いに少なく、どことなく遠慮がちになるようです。ふと嫁がわが家に来た時のことを思い浮かべました。私たちは何気なく振舞っていたつもりでしたが、気さくな嫁のことゆえ嫁の気がねや気苦労など見落としていたようにも思うのです。立場が変れば味方や振る舞いが変わるのは当たり前ですが、昼食をご馳走になっていい事に気がつきました。

 食べるものとてろくにない少年の頃を思うと、今は毎日が盆と正月、そしてお祭りのようなおご馳走に囲まれて暮らしています。意の向くままに食べると太らないのが不思議なくらいカロリーが高く、栄養価も申し分ありません。辺りを見渡すと昔は殆ど見なかった肥満体の人が街中に溢れています。栄養が行き届かなくて病気になった昔に比べ、今は栄養が行き届き過ぎて成人病になるのですから世の中は変ったものです。

 人間が生きる上で必要な「食」を私たちは随分疎かにして生きているように思います。豊かな社会だからこそ食に対する正しい考えを身につけなければ、長生きはおろか、豊かな人生はないのです。

  「昼ごはん 嫁の手料理 舌鼓 少し気がねの 箸を進めて」

  「居場所変え 嫁の気がねが 分るよう 今日は学びの 食をいただく」

  「ご馳走は 俺の腹には 合わぬはず 貧乏性だな 腹が可笑しい」

  「この人は 何で飯喰う キョトンとし 俺を見つめる 孫の目注視」