shin-1さんの日記

○私は調理人になれるか?

 「男子厨房に入らず」なん言葉の生きている古い時代に育った私は、時代遅れと自分で自任しつつもこれまで、殆どその言葉通りの人生を過ごしてきました。無人島へ子どもたちを連れて行った頃は、野外で子どもたちとご飯を炊くこともできたのに、家ではご飯を炊いたこともないのです。このままだと親父のように一人身(そんなことはないと思うが)になったとき、暮らしてゆけないと妻からも子どもたちからも言われていますが、当の本人はいたって平気な顔をしているのです。

 それでも海外派遣でニュージーランドを訪れホームスティをした際、ニュージーランドの男性が食事の後の片付けをしている姿を見て、肩づけだけでも(本当に片付けだけで自分の食べたお皿や茶碗を流し台まで運ぶだけで洗いものはしない)と思ってあれ以来実行していますが、それでも偉い進歩だと妻も子どもたちも心境の変化に驚いたり感心したりしています。

 私の町は漁師町なので、親類や友人から時々魚をいただきます。仕事に出ている妻の手助けを少しくらいはしようと、殊勝にも最近は魚の下ごしらえなど男の力が欲しい作業は時々ですが私がしているのです。

 今日は人間牧場へ山奥組の井上登さんがやってきて、養蜂箱の点検をしてもらうというので出かけました。行くとき金時豆が沢山出来たので叔母の家に届けました。叔母は大層喜んでくれて帰りに立ち寄るよう言われました。立ち寄ったところ南蛮漬けや手作りのじゃこ天などとともに、大きなチヌを2匹いただきました。

若松進一ブログ

 昼休みを終えて勤めに出かける妻を見送り私は早速出刃包丁を取り出し、屋外調理場で調理人まがいの三枚におろす作業に取り組みました。流し台のシンク内で丁寧に鱗を取り、頭を落として内臓とエラを取り出しました。魚の鮮度は内臓とエラから進むので、これで一応OKです。後は三枚におろして行きます。自分で言うのもおこがましいのですが手慣れた手つきは玄人はだしで、よくテレビで魚を処理できなくて泣きべそをかいている有名人女性よりはよっぽど包丁さばきはよいのです。

 これまで自分の料理する姿を写真に収めたことがないので、証拠写真になるようカメラに小さな三脚を立てて自動シャッターにしてパチリ一枚写真を撮りました。カメラを意識した自作自演の目と顔は真剣そのもので、いい一枚となりました。

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 20分ほどで料理は終わりました。頭は半分に割り、骨もアラ煮用に小切りし、身の部分は腹を切り落とし刺身用にしました。素早くタッパーに入れてラップをかけ冷蔵庫へ入れました。流し台やまな板を水洗いし、汚物を処理し、使った包丁を砥石で研ぎ新聞紙にくるんで収納し、一連の作業を終わりました。

 「やればできるじゃん」、妻の言葉が返ってきそうです。私は元々魚の料理は上手い方なのですが、自分で上手いというと、褒め殺しにあって次々と仕事が舞い込んできそうなので、自慢はこの程度にとどめておきますが、調理師免許でも取りたいようなそんな気持ちなのです。

 さて今晩はチヌの刺身とアラ煮、それにチヌのカマ焼きくらいが食卓に並ぶことでしょうが、今日は少し軽めの農作業を人間牧場でしたので、もうひと踏ん張り家庭菜園で農作業をやって、たっぷり汗をかいて食事を美味しくいただきたいものです。

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  「デジカメを 持ち出し料理 する姿 自作自演に 緊張しきり」

  「今晩の 食卓メニュー 思いつつ 魚の姿 次第進んで」

  「チヌの眼が 恨めしそうに 俺見てる ごめんなさいと 言いつ包丁」

  「お父さん 料理してくれ ありがとう 一番嬉し 言葉返って」

  「

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shin-1さんの日記

○お喋りは難しい

 私は若いころには人様の前でお話しするのが苦手で、人様の前に出てかしこまると顔が赤くなったり心臓がドキドキし、心に思っていることの半分も話しすることができないあがり症でした。頭痛のタネとなっていたこのことを解消しようと思えば思うほど上手くゆかず、「俺は駄目なんだ」と諦めかけていたのです。そんな折双海町青年団長の選挙があり、私も他の二人とともに推されて立候補の演説をすることになったのです。私は原稿用紙3枚にに自分の考えを書き、うんこ部屋で一生懸命中暗記しました。そして臨んだ演説会で上がってしまい、物の見事に覚えていた原稿を忘れて大恥をかいたのです。でも私の応援弁士が良かったため私は80パーセントの得票を得て当選し憧れの青年団長になりました。以後私の頭を悩ませたのは会合の度にしなければならない挨拶でした。先輩の青年団長に挨拶が上手くなるコツを相談したところ、「原稿を書いて覚えたら忘れてはいけないことが先に立って上達しない。今日はこれを話しようと項目だけを3つ~5つ考えて、後はアドリブで話したら上手くなる」とアドバイスを受けたのです。結果は予想以上の効果を生み、下手糞ながら次第に上達の階段を上り始めました。そしてNHK青年の主張の県代表になるという幸運にも恵まれて、お話しすることが苦痛でなくなり、見事にコンプレックスを克服出来たのです。

 今思えば古き良き懐かしい思い出ですが、そのことが今の自分を支え講演などで日本全国を旅しているのですから人生は面白いものです。

 話をすることが苦手な人にとって、人様の前に出てお話をすることぐらい苦痛なものはありません。だって人さまはそのことでその人の値打ちを決めるのですから、これは大変なプレッシャーなのです。そんな人もかつての私と同じように、「どうしたら話が上手くなれるか」考えていて、時々私にそのことの伝授を聞きたがりますが、要は私がこれまで経験してきたことを何回となく繰り返す、つまり場数を踏んで練習すること以外妙薬はないと説明しています。

 私たちが人様に対して話す場合の要素は大きく分けて3つです。①自分の立場は何か、②誰を相手に話すのか、③どんな場面かです。

 まず一番大切なのは自分の立場をわきまえ自覚しなければなりません。自分は主催者なのか来賓なのか、司会者なのか、助言者なのかなどなど、自分の認識を誤るととんでもない話になってしまうのです。続いて話す相手は誰かを考えて話します。地元のお年寄りに学者のような話をしても馬の耳に念仏、馬耳東風、さっぱり意思が伝わりません。また相手が子どの時は特に注意が必要で、こちらは理解してるつもりで話しても言っている言葉が理解できないのです。

 さて肝心なのは場面です。例えば祝辞と弔辞というのがあります。祝辞は縮辞、弔辞は長辞といわれるように、祝辞は短いほど好まれます。場所によっては短か過ぎるのも足元を見られますが、沢山の来賓がいる場合などはかえって短い人に好感が寄せられるものです。弔辞はそういう訳にはいきません。むしろ少し長めに方が共感を呼び起こさせるのです。私も何度か祝辞と弔辞をやりましたが、そういう視点に立って話したお陰で少しだけお株が上がりました。

 今ではこの3つを会得したお陰で、人様の前に上がっても上がらなくなりました。嘘だと思うならやってみてください。

  

  「人様の 前に上がって 上がらない 人という字を 書いて飲めとは」

  「失敗を 繰り返すこと 以外なし 私も失敗 山ほどやった」

  「今度こそ 今度こその 根性が 上手い近道 思ってやった」

  「この歳に なっても未だ 上手くない 奥儀極める まだまだ先だ」

 

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