shin-1さんの日記

○儲けなくてもいい農業は楽しいが・・・・

 最近世の中が不景気なったせいか、農業を志す人が急に増えてきました。まだ6月も11日しか経っていないのに、私の元へは「人間牧場」という名前に憧れて既に6人もの若者が人間牧場にやって来ました。若者たちは都会の窮屈な暮らしや勤めに嫌気がさしたり、自然の中で自由な田舎暮らしがしたいというのですが、「じゃあ農業は楽しいか」というと、そんな柔いことで素人が飯が食えるほど甘いものではないのです。ましてや他の仕事が上手くいかないから農業でもなんて甘い考えを聞くたびに、「お前たちは農業をなめとるのか」と激怒したい気持になるのです。

 私は人間牧場を訪ねて来る若者に必ず、「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食わなければならない農業は厳しい」と言ってやります。それでしっぽを巻いて帰る人は所詮遊びであり、それでもその厳しさに挑戦しようとする人は、農業への道を極めた人が私の周りには沢山いるので紹介しているのです。

若松進一ブログ
(ビフォー・3日前まではこんなに立派に成育していました)

 一昨日、私の町では夏に向かう洗礼とでもいうのでしょうか、前線を伴った低気圧が通って海の水を噴き上げるようなヤマゼと呼ぶ南風が吹き荒れました。家の横の家庭菜園ではせっかく順調に育っていたカボチャが根元から吹き飛ばされ、トウモロコシも根こそぎ横倒しになってしまったのです。訪ねてきた若者に私設公民館煙会所でひとしきり話をした後、その光景を見せました。「自然は大きなホスピタリティ」だというけれど、悪さをして立ち去る意地の悪い自然だってあるというほんの一例でしたが、彼はその光景を眺めながら何を感じたのでしょうか。

 昨日は私が大学の講義日で留守だったため、親父はたった一人で一日かけてそのトウモロコシの畑に出て、倒れたトウモロコシを一畝一畝起こすために、支柱を立ててたっぷり汗をかいたようです。

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(アフター・突風で横倒しとなったトウモロコシ畑も親父の苦労で修復しました)

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(トウモロコシの修復作業をする親父)
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(一畝ごとに支柱を立てて竹の横棒を入れて起こしました)

 お陰さまでトウモロコシは何とか修復できたように見えますが、風で受けたダメージは今後の作柄に影響が出ないかと心配するのです。それでもこのトウモロコシで飯を食っている訳でもないので、例え作柄は半減して収穫量が少なくても、食べたりおすそ分けする量が減るだけだからいいのですが、これを金にするとなると大変で、自然の猛威の前に立ち尽くすことでしょう。

 農業で飯を喰っている人であれば、当然予測された今回のヤマゼ風のため事前対策として根寄せをしたり、暴風垣をして予防するのでしょうが、飯を食っていない私は荒れるにまかせて風を悪者にして言い訳をする程度なのです。野菜ができたら儲けもの、できなければ運が悪かったで済む世界はいいですが、苦労が水の泡となった農業は立ち上がれないのです。

 今は農家の人も高齢化して農業で飯を食う人が減ってきました。雨が降らなくて田植えができないと嘆いている話を何人もから聞きましたが、田植えができなければ共済で何がしかの保証してくれる今の制度や、年金をもらって暮らす人々には、昔のような切実感がないことも事実で、遊び半分の私たちと似通っていますが、子どもを育てて農業で暮らしを立てる人のことを思うと、厳しさを感じるのです。


  「根こそぎに トウモロコシを 倒し去る 風のいたずら 何と見るらん」

  「一日を かけてせっせと 修復す 親父の姿 骨折り損か」

  「農業に 救い求める 人あるが そんなに柔い ものではないと」

  「病と虫 野獣までもが 狙ってる トウモロコシの 出来る心配」

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shin-1さんの日記

○同郷のよしみ

 「あなたのふるさとはどこですか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるでしょう。私は一も二もなく「愛媛県双海町」と答えますが、人にはそれぞれ過去の事情があって、自分のふるさとを中々言えない人もいるようです。先日親友でも先輩でもある考える村村長を自称する玉井さんのブログを読んでいたら、そのことが克明に描かれていて納得しながら読みました。

 私たちが育った時代は田舎の暮らしが貧乏だったため、都会に出て一旗揚げたいという向都離村の志向が強く、多くの人が一獲千金の夢を持って都会を目指したのです。夢をつかんだ成金の人はふるさとに錦を飾りましたが、それはほんの一握りの人で、殆どの人は慣れない都会の複雑な社会に翻弄されながら生きてきたに違いないのです。中には夢破れて素性を隠して生きてきた人もいるようです。

 いわゆる成功した人にも色々な人がいて、ふるのために役に立ちたいという愛郷心の強い人は「ふるさと納税」など何かにつけてふるさとを支援してくれますが、逆に「自分のふるさとなんか糞くらえ」とばかりに、無視する人も沢山いるのです。

 一昨日私の所へ一本の電話がかかってきました。今治市菊間町にある日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の取締役事業所長の佐々木克敏さんからでした。佐々木さんはお父さんが旧国鉄の保線区に勤務していたこともあって、お父さんの転勤で双海町上灘で過ごしたのです。双海町で生まれた訳でもないのですからそんなに双海町への愛郷心も義理立てをする必要もないのですが、同郷というだけでひょんなことから私と知り合い、太陽石油に勤務していた頃には講演を依頼されたり、石油関係の全国大会が本町会館であった折にも、並いる石油関係の著名人の前で記念講演までさせてもらいました。

 そんな間柄ですから、石油備蓄の事業所長になってからも何かと交流し、政府のお役人を人間牧場まで案内して交友を温めていたものですから、今治や尾道へ行く道すがら備蓄基地の看板を見る度に佐々木さんのことを思い出して通過していました。

若松進一ブログ
(間もなく退任される予定の日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の佐々木所長さん)

 佐々木さんは少し体調を崩したため、今月でその大任を勇退されるそうで、その挨拶方々の出会いとなったのです。昨日は愛媛大学法文学部の授業が入っていたため、授業の終わった12時過ぎに大学の正面玄関で落ち合い、全日空ホテルで昼食をご一緒しました。ふるさと双海町を離れて40数年間石油関係一筋に生きてこられた仕事人としてのご努力を讃えながら色々なお話をしました。

 下野してもいつまでも付き合いたい人だと思っていますが、私の自著本を3セットもお買い上げいただき、お礼の言葉もありません。この上は早く体調を回復して、余生を趣味の釣りでも楽しみながらのんびりと健康に過ごしてほしいと願っています。そして願わくば人間牧場へもお越しいただいて色々な話がしたいと思いました。

 「同郷」という素敵な響きを持ったこの言葉は、私と佐々木さんをつなぐ赤い糸かも知れないのです。


  「同郷の よしみ甘えて お付き合い これから先も 同郷変わらず」

  「それぞれの 人にそれぞれ 苦労あり だから人生 楽しからずや」

  「そういえば 臆目もなしに 頼まれて 並いる著名 前に大ぼら」

  「今月で 退任終わり 野に下る 体調整え 余生楽しく」 

 

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