○年寄りのぐち
私の従兄、つまり私の母親の姉の子どもに芳雄という名前の80歳がらみの人がいます。私はその人のことを子どもの頃から「芳兄ちゃん」と親しみをこめて呼んでいますが、先日「年寄りのぐち」という40ページ足らずの本を出したというのでいただきました。私と同じく学歴もない人ですが、双海町の商工会長をしたり、教育委員長をしたり、まちづくり30人委員会の会長をしたりして活躍をしてきました。最近は輸入住宅を手掛ける息子に社長業を譲り、後方支援に回っていますが、学びの意欲は旺盛でいつも頭が下がる思いがしています。独学で学んだのでしょうが、字の汚い私などはいつも羨ましくなるくらい墨字もきれいで、今回出した本の題字も自分で書いているのです。
彼は昭和3年生まれの彼は若くして交通事故で父親を亡くしたため、5男5女の10人兄弟を母親と一緒になって育てながら、下灘で小さな製材業を営んできました。木材不況の中どうにか生き伸びてきたのは、チャレンジした焼杉材が殊の外売れて、傾きかけていた製材業を軌道に乗せれたからです。商売といい社会活動といい、その生き方に従兄ながら深い共感を覚えるのです。
何年かに一冊ささやかな本を出しているようですが、私はこの本を出す勇気に惜しみない拍手を送るのです。
「あとがき」にこんな言葉が書かれていました。
人間は等しく年齢を重ねてゆく。若い頃には突っ走った自分も年齢と共に気分も変わった様な気がする。例えば暑中見舞いや賀状等にも人生観が変わったと思う節々が現れて来て人様の優しい一声が胸を熱くするこの頃である。
平成十六年夏 避けられぬ老いなら今を楽しもう ひと工夫すれば一味違う道がある
平成十七年夏 くすぶり続けて生きるより 燃やし続けて生きる道を歩きたい
平成十八年春 手を伸ばせば届くところに 声をかければ聞こえるところに友がいる
だから今年も楽しく生きられる
平成十八年夏 聞くよりは見る方がいい 座って居るより行く方がいい
行動しよう楽しみが増す
平成十九年春 始まりと思うのも自分 もう終わりだと思うのも自分
私はまだまだと思って頑張ります
平成二十年夏 一笑一若 一怒一老とか言われます
今夏は肩の力を少しぬいて さわやかに過ごします
平成二十一年春 八十路を過ぎた人生 仕方なく生きるより
毎日毎日を夢中で生きようと思います
この後に八十余年の歳月の中、自らの体験や先人から受けた教訓を糧として一生懸命生きて居られる事に誇りを持っているし感謝している。
私にもいただいたであろう年賀状や暑中見舞いに書いていた言葉を、私は何気なく読んでいましたが、こうして書きつづった文章を見ると、改めて芳兄ちゃんの人生哲学の凄さに驚くのです。
私も先日そのお返しに「夕日徒然草」という自著本を贈りました。私の文章などまとまっているように見えても、芳兄ちゃんの文章には勝てるはずもないのです。私も少し目線を変えて今後も努力しながら進化したいと思っています。
「理論より 論理の道を 極め人 心にずしり 一言堪え」
「俺などは まだまだ修業 足りないと 従兄生きざま 坂の上雲」
「年寄りの ぐちといいつつ 愚痴でなし 尊い教え 俺にぴったり」
「いただいた 一冊の本 一気読み 俺は今まで 何をしてたか」