○九州ぶらり見て歩き・長崎県大村市編
私の記憶が正しければ、昨年長崎へやって来たのは10月20日でした。その時の会場は中央公民館でした。一年前だというのに人間の記憶、いや私の記憶は曖昧で、位置関係をはっきり覚えていないのです。それというのもあの日は日帰りで、諫早から大村に着くと直ぐに私の講演が始まり、講演が終わるととんぼ帰りのような形で大村を後にしているからです。今回は諫早を通り越して長崎へ行き、佐世保行きの列車に乗って大村駅へ着いたのです。この日は長崎県教育委員会の松尾さんが私の相手をしてくれて、3時間も早く着いたため、そこら辺を案内してもらいました。大村市はかつては宿場町、城下町として栄えている地域なので、すべてを見ることは出来ませんでしたが、会場となった長崎県教育センター周辺には玖島城と別名呼ばれている城址公園があって、これが中々のものなのです。
松尾さんはかつてこの教育センターで5年間も勤務していたことがあるらしく、城址公園は殆ど毎日散歩コースにしていたらしくとても詳しいのです。
私たちはまず旧梶山御殿跡へ向かいました。門にも奥ゆかしさが垣間見えましたが、この施設は現在教育委員会が管理していて、教育活動に利用しているようです。
(平屋の数奇屋造りも立派です。向こうに見えるのが長崎県教育センターの建物です)
肥前大村藩は2万7千石の城下町で、中世から江戸時代を経て明治維新に至るまで、絶えることなく大村地方を治めてきた大名です。特に18代領主大村純忠は1563年に洗礼を受けて日本最初のキリシタン大名となり、大友宗麟、有馬晴信とともに天正遣欧少年使節をローマに派遣したことでも有名です。西洋と交流の少なかった戦国時代の中にあって、ローマという未知の世界に挑みヨーロッパの進んだ技術や知識を持ち帰り、日本の文化に多くの貢献をしているのです。
(池は潮が引き込まれていて干満があるそうです。池の中には鯉とボラが仲良く泳いでいました)
私たちは裏側から回ったため、少し違った角度から城址公園を散策しました。本丸講演の中には国の天然記念物に指定されている大村桜がありました。また公園内には大小2千本の桜があって、全国桜百選に選ばれている近郷に聞こえた桜の名所なのです。
公園の入口にはランドマークとなる常夜灯風の看板が立っていて、観光ボランティアの人が机を並べてもう間もなく裂き始める菖蒲の宣伝をしていました。園内には30万本の菖蒲が植えられていてそれは見事だそうです。菖蒲園には肥後系の花がボツボツ咲き始めていましたが、やがて江戸系が咲く頃には多くの花見客が訪れるようです。
(常夜灯風の看板)
(菖蒲園)
(肥後系の菖蒲が咲き始めていました。来月初旬が見頃のようです)
園内にはそこここにお城の石垣や庭がうまく配置され、楽しく散策できました。
(潮水が流れる珍しい園内の滝)
(これも珍しい石だけでできた城門)
(櫓が海とうまくマッチしていました)
(天守閣にも似た櫓はやはり風格がありました)
(これも珍しい昔の船の修理場、いわばドックで、大村藩お船蔵跡)
(大村競艇開催日とあってこの日は賑やかなモーターボートの音が周囲にこだましていました。夕方は周囲の道路はかなり混雑していたようです)
(市役所付近から見た大村の朝日。私は朝5時から、前日松尾さんに連れられて歩いた場所を約1時間余りをかけて一周散歩しました。携帯電話の万歩計は1万歩を超えていました)
(早朝に訪ねた小島にかかる木製の橋、何ともノスタルジックな龍神社がありました)
知らない場所を二度歩いたお陰で随分色々な物を発見しました。歴史や観光に興味のある私にとってはとてもいい散策でした。普通であればこの光景も今という一瞬は過去になるのですから、記憶の彼方に忘れ去られてしまいます。でもこうして覚えているうちに写真と文章でメモしておくと、いつでもパソコンと心のポケットから引き出すことが出来るのです。
「二度目だが 一度目よりも 感動が 水先案内 友人感謝」
「桜なく 菖蒲も早し 公園に 人影まばら それでも値打ち」
「昨夕は 落ちる夕日に 感謝して 今日は朝日に 元気を感謝」
「慣れるとは 不思議なものよ 爆音も 今は昼寝の 子守唄だな」