○鯉幟
昨日外出先から帰ってみると、家の玄関横に何やら旗幟のようなものが立っているのです。直感的に息子が自分の長男である子どもの初節句に嫁の実家から贈られた幟であると気付きました。昨年の8月31日に生まれた孫希心は年が明けた今年が初節句です。私たちの地域では子どもの健やかな成長を願って嫁の出里から鯉幟が贈られる風習があるのです。勿論昔は親類筋からも鯉幟が贈られて、それは沢山の鯉幟が皐月の空に泳いでいました。それはあたかも一族反映の印のように、沢山の鯉幟をこれ見よがしに誇示し、競って立てたものでした。私の誕生は昭和19年10月3日、まさに戦争中でしたのでそんな悠長な時代ではなかったため、鯉幟の風習など封印されていました。故に私の長男息子が生まれた時はむしろ親の私より孫の誕生を心待ちにしていた親父が鯉幟を立てたくて、親類に幟竿の立派なのを2本も頼んで用意し、自宅の近く海沿いの浜に立派なものを立てて、近所の評判になったほどでした。勿論私もその事に満足していましたが、実はこのことで難儀をしたのは妻でした。親父も私も働きに出ていて、帰るのは夕方遅くです。したがってその幟や鯉幟を揚げたり降ろしたりするのはもっぱら妻の役目となっていたのです。嫁に来て三年目の妻にとって家での発言権など殆どないに等しい時代でしたから、鯉幟の揚げ下げに親父から厳しい注文がつき、その都度体力のない妻は難儀をしたものだと述懐するのです。
息子はそんな母親の苦労など知る良しもなくスクスク成長し、自分の幼な頃のアルバムには鯉幟をバックにした勇壮な写真が残されているのを見て、自分の子どもにも是非と思ったのでしょう。やがて初節句の準備が始まりました。嫁の実家から打診があった時、長男は喜んで鯉幟をお願いしたようです。息子の考えでは自分たちの住んでいるマンションには当然鯉幟は立てることが出来ないため、実家であるわが家が選ばれた青写真のようでした。この計画に真っ先に反対したのが妻でした。長男の計画通りだと、鯉幟の揚げ降ろしは誰がするのかという所が欠落し、私と妻が想定されていました。妻は長男誕生の時の役目が自分である事を拒否しました。そりゃあそうです。サンデー毎日の夫である私さえ当てにならないと思われたのですから。
結局鯉幟は急遽話し合いで断念し、内飾りの武者人形などに変更されました。出鼻を挫かれた長男は機嫌が悪かったようですが、人頼みの鯉幟の揚げ下げを指摘されてあえなく断念せざるを得なかったのです。それでも対抗するのが長男の心意気で、設計の仕事をしている息子はマンションの部屋の床から天井までの長さを計算し、幟を注文したようです。先日息子夫婦のマンションを訪ねましたが、立派な武者人形と幟が実家から贈られ飾られていました。
昨日は連休で息子夫婦が泊まりに来ています。90歳になる親父に曾孫の幟を見せたいと、殊勝にものぼりを持って帰り実家の玄関に親父と一緒に立てたそうです。親父は大そう喜んでくれたと満足そうに話してくれました。私は親ながら失格です。お祝いの金一封は贈ったものの孫のために何の役にも立っていないのです。多分このことは息子の口から孫の成長にしたがって伝えられるかもしれないのです。仕方のない事実ですが、これから孫に愛情を注ぎ成長を助ける以外撚りを戻すことはできないようです。
でも小さいながら孫の初節句を知らせる幟が立っている風景はいいものだとしみじみ思いました。どうやら息子夫婦も長男としての自覚が芽生えつつあるようです。
「軒先に はためく小さな 幟見て 三十年前 記憶新たに」
「初節句 わが家の小さな ハプニング 妻の抵抗 当然ですね」
「這えば立て 親の願いを 知らずでか 孫はニコニコ 成長続け」
「長男の 自覚芽生えた 嬉しさを 妻と二人で 密か喜ぶ」