shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年5月24日

○夕日が雲を押し上げる

 このところの好天で全国的には25度を越える夏日になって、いよいよ夏近しの感じがします。そういえば後一週間で衣替えの季節なのですから、当たり前といえば当たり前なのです。テレビの天気予報だとお天気が崩れるといっていて、今日は夕日が見れないとばかり思っていました。今日は妻の仕事が遅くなるといっていたので、妻から頼まれた甘夏柑を菜園の横の果樹園で5~6個摘み取りました。すると曇っていた西の空が急に明るくなって夕日が差し始めたのです。急いで部屋の中に入ってカメラを取り出し裏庭に登りました。

 夏の頃にはわが家から毎日海に沈む夕日が見えるのです。残念ながらその景色は今一で、人家や無造作な電柱が立ち並び、昔のように長い鉄橋を走る銀河鉄道も今はもう古きよき時代の思い出となり見ることが出来ないのです。それでもわが家から夕日が見えるのですから良しとしなければなりません。

 雲と雲の切れ間から僅かな時間海を真赤に染めて夕日が顔を出しました。ラッキーと思ってシャッターチャンスを待っていると、下を通る近所の子どもが「若松のおじちゃん。そこで何をしているの」と目ざとく見つけて手を口にメガホンのようにして大声で叫ぶのです。「おじちゃんは夕日を見ている」とやり返すと、「おじちゃん、そっちへ行ってもいい」との反応です。私は「ここは危ないから駄目だよ」と答えました。微笑ましい夕闇迫る頃の会話でした。

 夕日はほんの数分でまた雲間に隠れてしまいました。ポケットの携帯電話が鳴ってデジタル時計を見ると丁度午後7時でした。知らず知らずのうちに猫の目ほど夕日のしずむ時間が長くなり、まだ6月の下旬の夏至までは遅くなってゆくのです。

 何度となく同じような場所から同じような夕日の光景を見続けていますが、デジタルカメラを持ち合わせていなかったつい最近までは、目と頃に焼き付けるだけで、記憶にさえも蘇えることは殆どなかったのですが、こうしてデジカメで撮り画像処理してデーター化していると、どこか安心感があって、時々データーを開いて見るのです。

 再び先ほどの近所の子どもが、下の道路から大きな声で、「若松のおじちゃん、今日の夕日はどうだった」と叫びました。わたしは「とても綺麗だったよ」と答えたら、「若松のおじちゃんの撮った夕日の写真頂戴」とえらい注文をつけられました。私は春分頃に撮影した自慢の夕日(シーサイド公園の恋人岬に沈む美しい夕日)をプリントアウトしました。明日はあの近所の子どもにハガキを書こうと思っています。小さなことですが小学校二年生のあの子への公開恋文です。

  「諦めて いたのに夕日 顔を出し 俺の顔立て 再び輝く」

  「近所の子 写真をくれと 大声で 早速夕日 あしらいハガキ」 

  「午後七時 真赤な夕日 落ちてゆく 夏の夕やけ 明日は雨か」

  「金色の 道が出来たり 海の上 昔は不思議 感じたものだ」