shin-1さんの日記

○久しぶりの宇和島①(宇和島城)

 私にとって宇和島は第二のふるさとです。というのも16歳から18歳までの勇猛果敢な高校時代の3年間を、この宇和島で過ごしているのです。時は高度成長の始まる昭和36年ころですから、戦後復興を遂げた宇和島の町が南予の中心都市として最も賑やかな時代だったのかも知れません。もう半世紀にも及ぶ45年も前の出来事だし、年齢的にも過去を覚えている限界に近いことや、その後の発展で記憶の殆どを消し去っているから、久しぶりに訪ねてもそこここに見覚えがある程度なのです。

 でも終着駅ながら始発駅である宇和島駅の線路と、城山に聳える宇和島城だけは変わることなく宇和島のシンボルとして根を張るようにどっしりと構えています。お城のある街はどことなく落ち着いていて、ふもとの枡形町に住んでいた頃が懐かしく思い出されます。

 昨日はまちづくり団体交流全国大会が今年の秋、この宇和島を中心に南予辺りで11月に開催されるため、その実行委員会が催されたのです。中予でありながら分科会の一つを受け持つ伊予市双海町から参加の高野喜由ほたる保存会長さんと伊予市役所主幹米湊誠二さんを伴って、夜の懇親会を見越し、酒を飲まない私の車で出かけました。途中顔見知りである吉田のうどん坊で昼食を取り、宇和島へ12時過ぎに入りました。腹ごなしに宇和島城へ登ろうということになり、「上り立ち門」に車を止め登り始めました。城山の木立は爽やかで、なだらかな中にも急峻な石段を登ると、お昼の散歩を楽しむ人が結構いて、あいさつを交わしながらの登城です。

(上り立ち門)

 やがてお城が見えてきましたが、何時も変わらぬ威風堂々とした姿です。

(初夏の空に清々しく建つ宇和島城)

 私は宇和島に3年間もいながら、また講演などで足繁く通ったりしながら、まだお城の中へ入ったことがないのです。この日は場内拝観が出来るとあって200円の拝観料を払い見学をしました。

(宇和島城の普請の際に作られた模型骨格展示)
(殆どが松材で出来ている城の内部の立派な梁は普請の度の比較が出来ました)
(一階から二階に上がる急な階段)

 格子の窓から手を差し出し、城山の眼下に広がる市街地をカメラに収めました。そこここに懐かしい建物が見えました。

 
(東側、北宇和島方面)
(北側、宇和島湾を望む)
(西側、来村方面)
(南側、丸穂方面)

(宇和島城と石垣)
(お城の前で記念写真を撮りました)

 

 宇和島は「伊達十万石の城下町」と呼ばれ、藤堂高虎創建、天守閣は二代宗利が再建した三重三階総塗籠式、層塔型といわれて、国の重要文化財に指定されています。万延元年と昭和35年に大修理が行われているため、殆ど痛みもなく往時の姿を今もなお伝えています。

 この日は予期せぬお城の見学ができてラッキーな一日でした。

  「久しぶり 訪ねし街の 城山に 上りて天守 拝観嬉し」

  「格子戸に 手を差し出して 遠望を 写真収めつ 記憶たどりぬ」

  「町並みも 人の暮しも 変わったが 城山だけは 今も昔も」

  「終着の 駅は始発の 駅になる 集団就職 ここが始まり」

   

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