shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年5月3日

○江戸時代に学ぶこと

 日本中が大型連休と騒いで海外や国内旅行などに出かけ、各地で交通渋滞が起きているようですが、殆どの人は「何で休みなの?」とも思わず、ただただ「連休休み」だけが独り歩きしているようです。私のようなサンデー毎日な人間でも、勤めている妻が休みで嬉しそうなので、おこぼれにあやかって何か得したような気分になるのですから、無理からぬことです。今日は憲法記念日です。各地で憲法擁護と憲法改正の旗印を掲げて集会が持たれているようですが、反対、賛成と言いたい放題言論の自由が謳歌できるのも平和の証かも知れません。

 日本は敗戦以来60年余りもある意味で平和な時代が続いています。それは憲法に戦争放棄が謳われているからだという主張も、私たち凡人には納得できる話です。しかし一方で国際社会の在り様が60年前と大きく違い、今の憲法で国際貢献活動ができないから、憲法を変えなければならないという理論も筋の通った話です。総論はどちらも正しいのですから「まあええようにやってくれ」と、「他岸の火事」を決め込む冷めた国民が多いのも平和な証拠なのです。でも今の平和は憲法によって守られているという意識も持たないと法治国家の国民とはいえないのです。

 色々あっても今の社会が平和だと思えるのは、戦争をしていない、食べるものに事欠かない、住む所がある、働く仕事がある、年金が支給される、医療や教育や福祉などある意味の行政サービスが充実している、言論が自由である、防災防犯が行き届いて安心であるなどなど、戦争や飢餓で苦しんでいる地球上の他の国々を思うと、まるでこの世の楽園のような気もするのです。

 昨日、ある友人とテレビの時代劇の話をしました。暴れん坊将軍や水戸黄門など親父が好きで見ている250年余りも続いた江戸時代は、一見華やかな江戸文化が花開いたと言われていますが、それは江戸の町での話で、まるで北朝鮮のように将軍様や殿様が絶対的権力を持って君臨し、庶民の暮しは貧富の差が激しく、身売りや売春など食うことにさえ事欠く士農工商の時代でした。特に田舎と呼ばれる地方では貧富の差が激しく、ついぞ最近と思われる親父が若かった時代までその食うにも事欠く貧乏な暮しはずっと続いていたのです。私さえ覚えている戦後の厳しい時代を思い返せば、これまた現代がいかに平和であるか想像できるのです。

 老中松平定信は本を読む限り偉い人で、大規模な飢饉や洪水・災害に備えて江戸中期に「町民の生活の安定を第一」に寛政の改革と呼ばれる行政改革に着手し様々な制度を確立しています。中でも七分積金令と町会所の設立は今も専門家の間で高い評価を受けています。

 江戸の町は住民による自治が行き渡っていた都市だといわれています。治安の維持、道路、水道の維持管理、町火消しなどに関することが町内毎に実施されていたのです。これらの経費、いわば町の行政予算は町入用と呼ばれ、地主が負担していました。定信はこの町入用の節減・節約を奨励し、節減した額の70パーセントを毎年積み立てることを命じたのです。これが七分積金令です。江戸中の町入用の年間節減額はおよそ3万両、その70パーセントですから2万両ものお金が毎年非常時の備えとして積み立てられたのです。

 その資金の管理運用に当ったのが町会所で飢餓や災害時に備えて籾米の備蓄までしたというから驚きです。この資金は幕末まで運用され東京の近代化に大きく貢献したのですが、新東京銀行に400億円もの追加融資を行ない批判に晒された石原都知事の政策と比較してみると、改革といいながら定信は質素倹約、石原都知事はばら撒きのような気がしないでもありません。

 今一度平和がゆえに平和とは何かを考える一日にしたいものです。

  「連休と 愚かに騒ぐ 国民に 今日は何の日? 聞いてみたいな」

  「つい昨日 食えぬ時代が あったのに 喉元過ぎて 暑さ忘れる」

  「食べれると 唯言うだけで どれ程の 価値があるのか 飢えを忘れじ」

  「倹約を するが最上 策なりて 今の時代も 同じ理論で」 

 



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