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○初心に帰って読書に親しむ

今日は午前中私の家へ、農文協(農山漁村文化協会)という出版会社の人が訪ねてきました。何日か前に電話が入り、アポをとっての訪問なので、私も所用を済ませて待っていたら、10時頃家に電話が入り、「今中学校付近にまで来ているが、家はどの辺でしょうか」と聞かれました。「引き返して北風鮮魚の前のカーブミラーを左に入って下さい」と言って電話を切ったものの、迎えに出なければと思い傘を差して県道まで出ましたが、彼は既に通り過ぎていて、高橋マートで「若松進一さんのお家は」と聞いたようです。いつものことながらカーナビをセットして来る来訪者は、奥まった所にある私の家を探すのは中々一苦労のようでした。


 役場を退職した私に出版会社の人が一体何の用事があるというのか、色々考えてみましたが、多分本を買って欲しいのだろうと推測しました。普通だと外の東屋に腰掛けて話をするのですが、今日はあいにく外は雨だし霧雨が降り込んで濡れてはいけないと思い、私設公民館「煙会所」に上がってもらい、火のない囲炉裏を囲んで色々な話を聞かれるままに1時間余り話しました。若い彼は私の話を一生懸命メモしながら聞いていましたが、午前中という約束だったので昼前に引き上げて行きました。

 最後は私の予想していた通り、出版物の売込みをしました。全21巻の「地域の再生」という本と、全25巻の「宮本常一とあるいた唱和の日本」という本でした。見本本を見せながら是非購入して欲しいと言いましたが、全巻7万円もするような本を、おいそれと右から左へ買い求めるような余裕は、今の私にはないのです。

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 かつて役場に勤めていたころ、出版会社のぎょうせいや第一法規の営業マンが私の所へ足繁く通い、私に本をよく勧めました。金もないのに給料日に妻に内緒で天引きして買った沢山の本を、暇を見つけて読んだため、今の自分があることは承知していますが、目が薄く、記憶が薄れた今の私に全20巻以上の書物は少し重過ぎるし、読書欲も昔のようにはないのです。

 「検討します」と言ってお茶を濁しましたが、一方では宮本常一に関する本は欲しいとも思いました。そのうち金でもできたら購入して人間牧場の蔵書にしたいと思いました。

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 宮本常一は「あるく・みる・きく」と言っていますが、私はそれに「よむ」を加えています。よむには「読む」「詠む」もあります。また「時代をよむ」「空気をよむ」ことだってあるのですが、発展途上の私には衰えつつあるといいながら、進化のためにはまだまだ読書が必要であることは間違いありません。この機会に初心に帰ってもう一度読書について考え直したいと思いました。読書が進化の基底であることは、年輪塾の第1号塾生浜田さんから学ばせてもらったことなのです。


  「セールマン それとはなしに 本買って 言わんばかりに その気にさせる」

  「七万も するよな本を 誰が買う 年金暮らし 俺にはとても」

  「幾度なく 宮本の本 読んだけど 凡人ゆえに 記憶残らず」

  「これ以上 本が増えたら 困るかも 本に囲まれ 暮らさにゃならぬ」

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○山口県日帰りの旅②

 さて今回の山口県日帰りの旅の目的は、飲食業生活衛生同業組合の中国・四国ブロック役職員等講習会の講師として講演を依頼されたためです。そもそものご縁は山口県飲食業生活衛生同業組合の理事長を務めておられる永田憲男さんと、下松市市民顕彰制定50周年の記念講演に招かれ、その中心メンバーだった永田さんが私の話を聞かれて、中四国ブロックの研修会に是非とお声がかかったのです。

 正直言って飲食業などに対して何の見識もない私なのでお断りを使用かとも思いましたが、永田理事長さんの熱意にほだされお引き受けしたのです。ゆえに今回の講演は多少不安を持って望みました。ましてや組合の佐原専務さんとのメールや電話による打ち合わせを聞く度に、また送られてきた依頼文書を見る度に少し憂鬱になっていました。

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(壇上居並ぶ開会式、その後役員さんたちも前席について講演を聞き、会場は満員でした)

 それでも元来ポジティブな性格なので開き直り、遅まきながら4~5日前から作戦を練り始めました。私の持っている私のプロモーションビデオ(3分)上映して始めようと思いましたが、残念ながら機材が揃わないとか、一時間あまりの短い時間なので講演中心にした方が良いのではとの折り合いがついて、結局は私を紹介した「いのちの田圃」の「心の扉」という記事をPDFファイルで送り、プリントコピーして参加者に配布するだけでお茶を濁してしまいました。

 私の帰りの新幹線の時刻を考えると16時35分には講演を終わらなければならないため、研修会を進行する佐原専務さんも気がきではないようで、「5分前」「お時間です」のメモを持って講演する私の顔色を伺っていましたが、そこは百戦錬磨な私のことゆえきっちりと16時35分の時間通りに終了しました。


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 ~前略~、飲食業界は、バブル経済崩壊後不況の長いトンネルに入ったきり、20年この方出口の見えない状況が続いています。失われた10年から先行き不明の10年が続き、漂白の時代に入ったようです。このような時こそ若松さんの気合の入った行動力がものをいうものだと存じます。飲食業は水物と揶揄され、景気という波に翻弄され続けてまいりました。また業としては専門知識もなく、さしたる設備もかけず即席に開業できる気軽さが零細企業からな脱却が図りきれない所以とも、同業組合の組織強化に繋がらない所以でもあると思います。

 起業し、高度成長経済の時流に乗り、誠実に事業展開してきたが客が来なくなって初めて地域の中の「店」を意識し、連携、連盟、協働、協同、協力の意味を知り、地域連携の正業を理解するわけですが、それからの行動のあり方が分からない、そこでまちづくりのプロに飲食業の地域協同についてのご指導をお願いする理由です。

 ~中略~講習会の演題は「飲食業と地域共生(食によるまちづくり)」、-受動喫煙防止強化、米トレーサビリティ法の施行に合わせて-とさせていただきました。内容についてはご一任いたします。~後略~。


 佐原専務さんからの植えのような手紙をいただいたものですから、私は「新しい発想で生きる」という副題を持って望みました。中四国から集まった方々はいわば飲食業界のプロの皆さんなので、素人の私がいちいち飲食について話しても何の役にも立たないのです。地域づくりという視点から食に対してアプローチを試みましたが100人を越える参加者の反応は上々で、会場は大いに盛り上がりました。多分「こんな話だったら来るんじゃなかった」と思う人はいなかったのでは?、と一人思いながら講演をお終わらせてもらいました。お招きいただいた永田理事長さんや佐原専務さんに感謝しながら・・・。


  「余りにも 違う世界の 私が 居並ぶ食の プロに説教」

  「よくもまあ そんなところで 話す気に 呆れて妻は 俺を心配」

  「呼ばれたら 刑務所以外 何処へでも 度胸座りて 努めを終わる」

  「山頭火 だったら何と 詠むだろう 分け入り見えぬ 世界を話す」

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shin-1さんの日記

○一週間に二回山口県日帰りの旅①

 いくら山口県が愛媛県の隣の県だからといって、一週間に二回も日帰りの旅をするなんて、何が何でも無茶だと、妻にさえ呆れさせることをやってしまいました。今日は広島経由にして往復新幹線を使いました。時間的には幾分短縮できたのでしょうが、広島の宇品港から広島駅までは電車で片道1時間もかかりました。ゆえに新幹線を使っても、三津浜~柳井の防予汽船利用の場合とそんなに変わらないようです。結局は高速船や新幹線利用の金額が高いため骨折り損のくたびれ儲けのような変な感じがしています。

 夜遅く自宅に帰りパソコンの前に座ってここまで書くと、23時を過ぎていることに気がつき、妻が疲れた身体を気遣って、夕食や風呂に入るよう進めてくれているので、この続きは明日の朝書くことにします。おやすみなさい。

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 今朝早くに目が覚めて続きを書いています。夕食の門限を8時、遅くとも9時と決めているのに、このところ出張や夜の会議が続いて、夕食を遅く取っているため少し変な感じがするので、今後は出来るだけ戒めたいと思っています。

 さて昨日も私にとっては忙しい一日でした。久しぶりに松山観光港から船に乗って瀬戸内海を渡りました。昨日は午前中天気はすこぶるよいものの季節風である北東の風が吹いて、船が少し揺れました。それでも平清盛が造ったという音戸の瀬戸を越えて、途中寄港した大和ミュージアムのある呉港辺りは波もなく穏やかで、何人かの人がデッキに出て、陸のくじらと呼ばれる潜水艦の屋外展示を見ながら、係留している海上自衛隊の本物の潜水艦と比較しながら、物珍しそうに比較していました。

 広島の街も宇品港界隈は高速道路の高架橋が幾つも出来て、訪ねる度にまるで未来都市のような発展ぶりを見せています。広島市では秋葉市長の提案するオリンピック誘致が真剣に議論されているようで、連日新聞やテレビでその様子が取り上げられているようです。正解最初の被爆地広島で平和の祭典といわれるオリンピックが開かれれば、核廃絶運動の大きな盛り上が李となるだろうことを思うと、誘致のハードルは高いものの、是非実現して欲しいと個人的には思っています。

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 広島から新幹線に乗って目的地の新山口を目指しましたが、車窓にはたわわに実った稲の黄金色とあぜ道に咲く真っ赤な彼岸花のコントラストが実に見事でした。新山口の新幹線口には自由律詩で有名な山頭火の銅像が建っています。俳句王国愛媛と縁の深い山頭火の銅像は秋のどことなく感じる物悲しい雰囲気にぴったりで、列車の待ち時間を利用して駅舎を出て写真に収めました。

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 湯田温泉までは島根県益田行きの鈍行列車で僅か15分です。相手の指定する交通機関を一便ずつ早めて乗ったため、湯田温泉駅へ向かいに来るはずの人は来るべきもなく、駅の構内にある湯田温泉界隈の地図を頼りに、会場となっているホテルニュータナカを目指して歩きました。ホテルの直ぐ近くの足湯に少し足を浸して山頭火になったような気分で一句詠み、湯田温泉の大通り面したホテルの正面玄関から中に入りました。

 通された3階の講師控え室は立派なもので、早速担当する事務局の女性職員と簡単な打ち合わせをして、出番を待ちました。公園は時間余りの短い時間なので持参したDVDも利用せず、一気に早口で喋り役目を終えましたが、会場の雰囲気も上々で、気持ちよく会場を後にして、事務局女性職員が同乗して新山口駅までわざわざ送っていただきました。

  「山頭火 なった気分で 放浪す 足湯浸かりて 旅の疲れを」

  「稲黄金 真っ赤な色の 彼岸花 秋は深まり 車窓を走る」

  「あの米を 喰ってみたいと ふと思う 卑しい心 頭持ち上げ」

  「芳しき 匂い漂う 高校生 前席座り 心ときめく」

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○アイデアと経営理念で成功を

 昨晩は伊予商工会議所3階で開かれた伊予市青色申告会の研修会に招かれ出かけて行きました。与えられた演題は「アイデアと経営理念で成功を」という、かなり難しいものでした。物事を成功させるにはイマジネーション(目標をイメージする想像力)とセルフイメージ(自分自身が持っている、自分がこういう人間だという自己像)の二つが必要ですが、成功レベルに持って行くには、イマジネーション×セルフイメージ=成功レベルという計算式が成り立つようです。

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 人はあれもしたいこれもしたいと、色々なことを考えるものです。その中で斬新なものをアイデアというのでしょうが、アイデアは一朝一夕に出るものではなく、長い時間をかけて積み上げたものが微妙に絡み合い生まれてくるのです。さて私の場合アイデア原点は何かと問われたら次のことが頭に浮かんでくるようです。

 ①生まれた頃から海を見て育った風の人の運命(海の向うに何がるのかという探究心)

 ②漁師7年の生産活動(海から陸を見る・海抜0mからの視点・海のメカニズム)

 ③青年活動で得た4つの道具(仲間・主張・ふるさと・感動する心)

 ④二つの大きな旅で得た価値観の変化(実習船愛媛丸での遠洋航海・第10回総理府派遣青年の船)

 ⑤病気を機に就職した役場での公人としての使命(教育委員会・産業課・企画調整室・教育長)

 ⑥夕日を金にするまちづくり活動(夕焼けコンサート~シーサイド公園整備までの20年間)

 ⑦家庭を開くことの意味(私設公民館「煙会所」・海の資料館「海舟館」・「夕観所」)

 ⑧21世紀えひめニューフロンティアグループ20年の軌跡(空からふるさとを見る運動~無人島・丸木舟)

 ⑨全国行脚と教鞭(年間120日の講演活動・愛媛大学での地域活性化論)

 ⑩退職後の人間牧場での活動(ふるさとへの恩返し・家庭人として・85歳まで生きる人間力)

 ざっと拾い出してもこのくらいのアイデアの源を持っていますが、これらを発想し行動を起こし成果を得ることは並大抵のことではできないのです。多くの仲間やスタッフが加わり、「夢はドリームではなくターゲットである」という私の持論に基づいてそれなりの成果を収めてきたのです。

 アイデア(ひらめき)をいい企画にする方法は次のようなことが考えられるようです。

 ①アンテナを高くして心の扉を開く

 ②潜在能力に気付き顕在能力に変える

 ③日ごろから問題意識を常に持ち続ける

 ④始めの一歩が大事(始める活動・高める活動・続ける活動・やめる活動)

 ⑤行動する仲間を集める

 ⑥イメージを売るCI戦略

 ⑦物語をつくる

 ⑧情報の加工

 ⑨マンネリ化の防止

 ⑩記録して記憶させる

 昨晩は思いつくままに、まあこんなことを話しましたが、沢山の熱心な人に聞いていただいて、2時間があっという間に終わってしまいました。

  「アイデアの 泉は何か 問われたら あり過ぎ困る 今も湧き出る」

  「失敗も 指折り足らぬ ほどあった 乗り越えたゆえ 成果収める」

  「アイデアは いくらあっても 価値はない 成果残さば 一歩踏み出せ」

  「あれしたい これもしたいと 夢が沸く 身の丈ほどの ささやか想い」

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○人間牧場の芋畑に案山子が立ちました

 実りの秋を迎えましたが、この頃になると何故か自然界の動物たちも実りの秋を感じるのか、各地から鳥獣の被害が報告されるようになりました。その際たるものはイノシシで、西条市千町の棚田で米や蕎麦を作っている友人の高橋さんも、折角丹精込めて作った稲も大被害あったと、メールに書き込みがありました。農作物を作った経験のある人なら、私と同じように同情するし、ましてや過去に鳥獣被害になった人なら、深い悲しみや悔しさに胸を痛めるのです。

 わが人間牧場の芋畑も5年前に作り始めた時、イノシシによる全滅の被害に合いました。私も参加した子どもたちも相当なショックを受けましたが、その後は網で芋畑を囲うなどしたお陰で、大した被害に遭うこともなく今日を迎えていました。ところが先日網で囲った入り口の網がこじ開けられ、イノシシが3分の1を食べてしまったのです。そしてつい最近はハクビシンと思われる動物が侵入し、以前の被害と合わせると約2分の1にもなってしまったのです。

 このままだと、10月16日に予定されている収穫祭の開催も危ぶまれることから、二つの方法を考えました。まずひとつはこれ以上被害を出さないための自衛手段として教育委員会の赤石主事さんが、大栄地区の徳永さんに掛け合って案山子を2体借り受けて設置することにしました。先日赤石さんから送られてきたメールに添付された案山子の写真は、案山子にビニールの合羽を着せた何ともユーモラスなものでした。折角借りた案山子が濡れては大変と赤石さんの苦肉の策のようです。

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 イノシシが入った入り口付近でまるで人が立っているような雰囲気です。またもう1体はハクビシンが木によじ登って進入したであろう杉の木の根元に置かれたようです。この2体の案山子がこれから約3週間、24時間体制で眠ることもなく監視をしてくれるのです。

 案山子の効果が期待できるようなら、来年は面白い案山子を作ってコンテストでもしたらどうかと、ワクワクしたアイデアが浮かんできました。

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 さてもう一つの対策は、イノシシに食べられた分の芋を確保しなければなりません。これはわが家の家庭菜園で作っているサツマイモをすこし早めに掘って、当日人間牧場へ運ぶという作戦です。すでに下見や打ち合わせも終り、何とか収穫祭は開けそうです。

 あとは綴じtの楽しいプログラムをどう組み立てるかがポイントになりそうです。いつの時代も世の中何とかなるものです。

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(わが家の家庭菜園の芋畑)

  「イノシシに 芋を半分 食べられた 今度は案山子 脅しが効くか」

  「秋来れば イノシシさんも 芋狙う 人間様と 同じ考え」

  「余りつる 勿体ないと 菜園に 植えたお陰で 収穫できそう」

  「イノシシと 毎年知恵を 競い合う どちらが勝つか 分からぬけれど」

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○ミョウガを食べ過ぎるとものを忘れるって本当かな?

 人間の好みは年齢によって変わるものだとしみじみ思います。子どもの頃はトコロ天や蕎麦など自宅で作っていたためか、美味しいと思ったことは一度もありませんでした。ところがこの年齢になるといつの間にかトコロ天も蕎麦も大好物となっているのです。特にトコロ天は海沿いに面した町でトコロ天の原材料となる天草が沢山採れることから、退職後の最近は自ら海岸に出て天草を確保しているため、妻がしょっちゅう作ってくれるため、海草は身体に良いという神話を間に受けて、せっせと食べているのです。自分が採ってきて乾燥保存しているヒジキやワカメとともに天草もわが家では大事な食料品の地位を築きつつあるようです。

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 昨日は久しぶりの雨でした。昨日は締め切り間近な原稿が2本ほどあったので、わが書斎でシトシトと降る戸外の雨を見ながら原稿書きに熱中しました。お陰で静かな環境の中で2本とも原稿を書き上げ、インターネットのメールで写真とともに送付し、少し肩の荷がおりたような感じがしました。

 原稿を書く途中気分転換のつもりで裏庭の直ぐ裏にある林の中へ、長靴を履いて入りました。何年か前に数株植えたミョウガの茎がかなり増えていました。根元を見るとミョウガの芽に白い花がいっぱい咲いていました。秋ミョウガというのでしょうか、そこら辺に沢山あるものですから、少し嬉しくなって夢中でボールにいっぱい取りました。外の水場で花柄を取り除き綺麗に水洗いをして台所に持ち込むと妻が、「まあ綺麗なミョウガ美味しそう」というものですから悦に入って再度はやしに分け入り、見境もなく発泡スチロールのトロ箱に殆どいっぱい取りました。はてさてこのミョウガをどうしようか思案した挙句、とりあえず近所に住む姉や叔母宅へおすそ分けしてあげ、大層喜ばれました。

 残りのミョウガは梅酢漬けにしようと相談がまとまりました。妻はミョウガに計量器で塩を計って漬物用のポリバケツに入れ、重石を乗せました。今朝見るとミョウガは塩漬けにされて漬物と同じように漬け汁が上がっていました。多分今日は妻が仕事から帰れば梅酢に本漬けされるのでしょうが、仕上がりが楽しみです。

 私たちが子どもの頃は、ミョウガなど苦くてとても口に出来ない嫌いな食べ物でした。今はミョウガを刻みそこへヒシオ味噌とチリメンジャコを入れると、飛び切り上等な美味しい一品となるのです。新米の美味しい季節ですが、これがまた熱々のご飯によく合うのです。

 子どもの頃祖母から聞いた民話には、ミョウガの話が出てきました。ある旅籠に金持ちらしき羽ぶりの良さそうな旦那が泊まりました。旅籠の老夫婦は滅多に来ない金持ちの泊り客を歓待しました。ご馳走や酒で上機嫌になった泊り客に、どれ程食べてどれ程飲んだか忘れさせるために、ミョウガを沢山食べさせたのです。やがて朝が来ました。老夫婦も昨晩ミョウガを沢山食べたため、泊り客は金を払うのを忘れ、老夫婦も金を貰うのを忘れてしまったという、何とも長閑なお話です。

 私も昨夜は双海中学校の学校評議委員会があって、帰宅ご遅い夕食となりました。妻はミョウガとチリメンジャコを味噌で和えて食卓に出してくれました。美味しかったのは良かったのですが、妻の顔も妻の名前もすっかり忘れてしまっただろうと思いきや、「お父さん、先日の買い物のお釣りはどうなったの」と、要らぬことまで思い出していました。どうやらミョウガを食べると物忘れをするということわざは当てにならないようでした。


  「裏山に ミョウガの花が 満開に 近所裾分け 美味しい夕餉」

  「昔から ミョウガ食べると もの忘れ すると戒め 本当か?か」

  「ミョウガ食べ 忘れることを テストする 何のことない ごまかしバレる」

  「二三日 すればミョウガの 梅酢漬け 食卓上る 楽しみ増える」 

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○秋の草花

 各地から秋の便りが届くようになりました。例年なら9月中旬には咲いているはずの彼岸花が、今年は10日も遅れて咲き始め、わが家の裏山にも真っ赤な花が今を盛りと咲いて、秋風に揺れています。彼岸花を見る度に自然の神秘や、絵にも描けないような幾何学的な美しさに感心するのです。

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中学生の頃、国語の授業で万葉集のことを習いました。山上憶良という歌人が、「秋の野に 咲きたる花を指折り(おゆびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」と詠んでいます。「萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花

また藤袴 朝顔の花(ききょう)」これを秋の七草というのですが、私たちの暮らしに馴染みの深いものは、萩とススキくらいで、花を見てこれがどの花と名前を言い当てる人はそんなにはいないようです。

そこで、秋の七草を写真を見て言い当てられるか自分自身をテストしてみました。

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 ①のススキ、②の萩、③の桔梗、④のクズ、⑤の撫子までは分かるのですが、⑥の藤袴と⑦の女郎花(オミナエシ)は自信がありませんでした。また④のクズの花は通称カズラの花であったり、①の地元で茅と呼ぶススキが秋の七草だったり、⑦のオミナエシが女郎花と漢字で書かれたりしていると、もう頭がこんがらがってしまうのです。食用になる春の七草に比べ、万葉集にも詠まれるほど有名な草花なのに、何故か私たち庶民の暮らしには今一馴染みが少ないようですが、秋の七草は今が旬です。名月とともに大いに季節の詫び寂を味わいましょう。勿論食欲の秋ともどもに・・・・・。


  「花の名も 言い当てられぬ 無骨にて 風流愛でる こともできずに」

  「七草と 言えば月見を 思い出す 花より団子 そろそろ芋炊き」

  「葛餅が 大好物の 妻などは 葛の花など 知らぬ存ぜぬ」

  「暑さ過ぎ 秋も次第に 深まりて 頭を垂れた ススキ風揺れ」

 

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○孫の運動会見学

 昨年は孫の朋樹がピカピカの一年生だったので、両親も私たち夫婦も入学準備、入学式、運動会などなど、全てが初めてとあって浮き足立っていました。誘われましたがあいにくの出張だった私を尻目に、妻は弁当を作って運動会の見学にも出かけました。帰るなり「来年は一緒に行こう」と予約までされていたのです。

 予約などすっかり忘れていましたが、今年も運動会シーズンとなり、連日各地で運動会が行われていて、誘われるまま昨日は孫が通う湯月小学校の運動会に出かけました。妻は相変わらず少し早く起きて弁当を作っていましたが、帰りが遅くなるといけないので親父の夕食を作っていたため、8時出発の予定が10分ほど遅れてしまいました。

 そのため伊予インターチェンジから松山インターまで高速道路を走りました。孫の運動会へ行くのに高速道路を走るとは何とも世の中は変わったものですが、お陰様で随分早くついて学校正門へ尽いたのは9時前でした。既に運動場のテントの下は満員でした。この人混みの中で娘たちを探すのは容易ではないと思いきや、私の携帯電話に娘から、「○○のテントの下にいる」と連絡が入り、ここでも文明の利器の力で難なく座席を確保しました。娘は朝7時の開門と同時に場所取りをしたそうですが、既にいい席は埋まっていて、テントの下といいながら午前中は殆ど日当たりのいい場所で虫干し状態でした。

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 私の住んでいる田舎と違い、各学年が4クラスもあるような学校なので、マーカーで印をつけた出番は4回くらいでしたが、孫の姿を遠目で認識したのは2回くらいでした。同じような背丈で同じような格好をしている子どもたちの中から孫を見つけるのは容易なことではありませんでした。それでも娘はビデオを、娘婿はデジカメを使ってそれぞれ、子どもの躍動を捉えていたようです。

 プログラムの関係で11時40分からお昼休みとなり、暑さを逃れて用意されていた体育館の中で弁当を広げました。娘も妻と同じように朝早く起きて作ったという弁当を、妻も孫のために作った弁当をそれぞれ広げて、運動会のもう一つの楽しみを楽しみました。小学校2年生になった孫の食欲は旺盛で、おにぎりを沢山食べてくれました。3歳の孫尚樹は運動場を歩き回ったためか、眠くなって多少ぐずっていましたが、午後の部が始まる頃には元気を取り戻していました。

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 運動会見学の私と妻の役割は、孫のお守です。おしっこだの、やれおやつや喉が渇いたなどという孫の言い分を聞き入れ右往左往しましたが、お陰で気分転換になったようです。運動会もリレーやマスゲームなどで盛り上がりましたが、午後2時30分には全て終了し、近くのマンションへ引き上げてお茶をいただき。運動会見学は終わりました。私たち夫婦は勧められるままに近くの温泉へ出かけて汗を流し、夫婦二人で軽い夕食を済ませて午後6時前自宅へ帰りました。カーラジオから引き継いだ大相撲テレビ中継で、白鳳の4場所連続全勝優勝と62連勝が大きく映し出されていました。一年収めの九州場所では、前人未踏と思われた双葉山の69連勝に挑戦する夢を引き継いでいて、野球賭博問題でゴタゴタした大相撲もやっと、国技としての体面を保ったように見えました。

  「秋晴れの 空にはためく 万国旗 孫の学校 運動会見る」

  「どの顔も 孫に似ていて 探すのに 苦労しつつも 背伸びして見ゆ」

  「じいちゃんは 孫のお守に 徹してね トイレのこのこ 散歩ウロウロ」

  「こける子が 一人もいない 運動会 余程訓練 してるのだろう」

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○人に会うことや会議予定を忘れるなんて・・・。

 「仕事を辞めたのに何でそんなに忙しいの?」と人に聞かれるほど、私の予定表は相変わらず予定が知らず知らずのうちに詰まって、まあ忙しい毎日です。最近は物忘れがよくなったというべきか、時々ポカを引き起こすことだってあるのです。

 私への講演依頼や会議参加の要請は、事務所を持っていないので主に自宅と携帯、それにメールで入ってきますが、携帯の場合は車で移動中だったり、時には人間牧場で草刈をしていたりしている時に電話がかかるのです。その都度草刈機のエンジンを止めて通話するのですが、移動中の車での携帯は違反だし危険なので出れません。特にズボンのポケットに忍ばせて草刈をしていると、エンジン音が高いため電話の呼び出し音は聞こえず、マナーモードにしていても気付かないのです。

 昨日のポカは1ヶ月前に草刈り途中に入った電話で、出会う約束をしたのですが、運悪くメモが手元になかったためすっかり忘れてしまっていたのです。いきなり「お約束の時間なのでシーサイド公園に来ています。若松さんは今どちらでしょうか」、「えっ、あなたは誰、そんな約束してたっけ?」と、大変失礼なことをしてしまったのです。相手は県外からのお客様でした。幸い私が自宅にいたから対応できたものの、妻には「人と会う約束を忘れるなんて、あなたも歳だ」といわれるし、昨日の午前中はまるで厄日のような日でした。

 昨日は夕方第三回地域教育実践交流集会の今年3回目の実行委員会がることを、実行委員をしている松本さんからの携帯電話で思い出しました。残念ながらこの会議も予定表への記入ミスだったのです。この時間に人に会う約束をしていましたが、気心知れた相手なので急遽偏狭をしてもらって、松本さんと待ち合わせ、私の車で愛媛大学構内の放送大学4階会議室へ出かけました。

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 ところで今年で第3回目を迎えた地域教育実践交流集会は、11月13日~14日の2日間、国立大洲青少年交流の家で開催されます。第1回から愛媛大学の讃岐先生たちと世話人をさせてもらっているのですが、今年の初めに11月14日の予定が入っていて、どうしても変更することが出来ず、昨日も事務局の仙波さんにはお茶を濁していましたが、多分11月13日だけの参加となってしまうのです。

 稲産にこのことを告げるとブーイングやバッシングが起りそうなので伏せてはいますが、いずれ早いうちに真情を吐露しなければと、昨日の実行委員会へ出席しても気の重い会議となりました。

 これまで役場に35年間勤め、その間青年団や公民館、21世紀えひめニューフロンティアグループ、えひめ地域づくり研究会議、PTA活動など超多忙な並行路線をこのようなミスマッチをしながらも、何とか切り抜けてきましたが、またしてもやっかいなことになったものです。

 これからは今までのような超多忙はなくなるでしょうが、相手に失礼しないように、調整をしたいと思っています。

  「約束を すっかり忘れ ドタバタと 昨日は厄日 妻に叱られ」

  「ああ俺も 忘れる歳か 納得し 断わり入れて 反省しきり」

  「まだ一つ 悩みの種が あるのだが 紋々悩み 打ち明けもせず」

  「草刈りの 途中で電話 安受けし メモする忘れ 赤恥さらす」 

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○私たち人間は生き過ぎているのか

 先日新聞を読んでいたら、東京工業大学本川達雄教授の書いた「ゾウの時間・ネズミの時間」という本の紹介文が載っていました。面白そうなので各駅停車の鈍行列車の中でなるほどと頷きながら、弁当を食べた箸袋の切れ端にメモしました。旅の途中だったものですから、メモしたことすら忘れていましたが、今朝愛用の木になるカバンを整理していると箸袋が出てきました。

 「動物の寿命」と書いたメモには、色々な哺乳動物の寿命を心周期(心臓が一回ドキンと打つ時間)で割ると15億という数字が出てくるのだそうです。つまり哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つようです。

 ところが動物の心周期はまちまちで、ハツカネズミは心臓が一回打つのに0.1秒、大きなインドゾウだと3秒もかかるのです。人間の一分当たりの心拍数は50から70ですから計算上は1秒ちょっとでしょうか。この数字で動物の寿命を計算するとハツカネズミは長く生きても2~3年で、インドゾウになると70年は生きられるのです。さてこの計算式で人間の寿命を単純計算すると26.3歳だと読んで驚きました。アフリカのような発展途上国ならいざ知らず、日本人の寿命は雄に0歳を超えるというのに・・・とこの計算を疑いましたが、この記事には後があるようでした。人間の本当の寿命は26.3歳なのに、人間の長い間の知恵によって煮炊きをする技術を覚えたり、入れ歯が普及したり、安定した食糧供給や安全な生活空間、医療の発達などによってzy妙が伸びただけのことだそうです。

 人間が地球上で生活をするようになった頃の人間の寿命は26.3歳だったと推測されます。縄文人の寿命は31歳前後だったようで、15歳から16歳くらいで本能の赴くままに子どもを産んである程度の子育てをして、次の世代にバトンタッチしていたようです。人間、特に日本人は子どもを産み育てるのに20年もかかるのですから、縄文人から比べると過保護すぎるのです。はてさて私の寿命が26.3年だとい説が正しければ、私の寿命はとっくに終わっていて、65歳の私は生き過ぎのようで、いつ死んでもおかしくないのです。

 ある別の説によると人間の寿命は心拍数で20億回だそうで、これを一分あたりの心拍数で割ると、一分間に50回の人は75年、70回で55年という計算が成り立つのです。

 激しい運動をして一分間に70回以上心拍数を数える人よりは、のんびりゆっくり50回程度の心拍数を維持する方が長生きするという考えも成り立つのです。短気は短命、長寿の秘訣はのんびりゆっくりかも知れません。私たち現代人はとっくに寿命を通り越しているのですから、せめてこれからの老後は面白おかしく、加えて次に続く人たちのために役立って死ぬことも考えなければならないようです。

 世の中には面白い考えで人間や他の動物の寿命をカウントする人がいるもので、大いに感心しました。


  「生き過ぎと 計算上は 思えども 折角生きる もっと有意義」

  「のんびりと 過ごした方が 得策と 分かったからにゃ のんびり寿命」

  「世の中にゃ 偉い考え する人が 沢山おりて 色々学ぶ」

  「人間は ゾウより短い 寿命だと 聞いて納得 ゾウに見習う」 

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