shin-1さんの日記

○人に会うことや会議予定を忘れるなんて・・・。

 「仕事を辞めたのに何でそんなに忙しいの?」と人に聞かれるほど、私の予定表は相変わらず予定が知らず知らずのうちに詰まって、まあ忙しい毎日です。最近は物忘れがよくなったというべきか、時々ポカを引き起こすことだってあるのです。

 私への講演依頼や会議参加の要請は、事務所を持っていないので主に自宅と携帯、それにメールで入ってきますが、携帯の場合は車で移動中だったり、時には人間牧場で草刈をしていたりしている時に電話がかかるのです。その都度草刈機のエンジンを止めて通話するのですが、移動中の車での携帯は違反だし危険なので出れません。特にズボンのポケットに忍ばせて草刈をしていると、エンジン音が高いため電話の呼び出し音は聞こえず、マナーモードにしていても気付かないのです。

 昨日のポカは1ヶ月前に草刈り途中に入った電話で、出会う約束をしたのですが、運悪くメモが手元になかったためすっかり忘れてしまっていたのです。いきなり「お約束の時間なのでシーサイド公園に来ています。若松さんは今どちらでしょうか」、「えっ、あなたは誰、そんな約束してたっけ?」と、大変失礼なことをしてしまったのです。相手は県外からのお客様でした。幸い私が自宅にいたから対応できたものの、妻には「人と会う約束を忘れるなんて、あなたも歳だ」といわれるし、昨日の午前中はまるで厄日のような日でした。

 昨日は夕方第三回地域教育実践交流集会の今年3回目の実行委員会がることを、実行委員をしている松本さんからの携帯電話で思い出しました。残念ながらこの会議も予定表への記入ミスだったのです。この時間に人に会う約束をしていましたが、気心知れた相手なので急遽偏狭をしてもらって、松本さんと待ち合わせ、私の車で愛媛大学構内の放送大学4階会議室へ出かけました。

若松進一ブログ
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 ところで今年で第3回目を迎えた地域教育実践交流集会は、11月13日~14日の2日間、国立大洲青少年交流の家で開催されます。第1回から愛媛大学の讃岐先生たちと世話人をさせてもらっているのですが、今年の初めに11月14日の予定が入っていて、どうしても変更することが出来ず、昨日も事務局の仙波さんにはお茶を濁していましたが、多分11月13日だけの参加となってしまうのです。

 稲産にこのことを告げるとブーイングやバッシングが起りそうなので伏せてはいますが、いずれ早いうちに真情を吐露しなければと、昨日の実行委員会へ出席しても気の重い会議となりました。

 これまで役場に35年間勤め、その間青年団や公民館、21世紀えひめニューフロンティアグループ、えひめ地域づくり研究会議、PTA活動など超多忙な並行路線をこのようなミスマッチをしながらも、何とか切り抜けてきましたが、またしてもやっかいなことになったものです。

 これからは今までのような超多忙はなくなるでしょうが、相手に失礼しないように、調整をしたいと思っています。

  「約束を すっかり忘れ ドタバタと 昨日は厄日 妻に叱られ」

  「ああ俺も 忘れる歳か 納得し 断わり入れて 反省しきり」

  「まだ一つ 悩みの種が あるのだが 紋々悩み 打ち明けもせず」

  「草刈りの 途中で電話 安受けし メモする忘れ 赤恥さらす」 

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shin-1さんの日記

○私たち人間は生き過ぎているのか

 先日新聞を読んでいたら、東京工業大学本川達雄教授の書いた「ゾウの時間・ネズミの時間」という本の紹介文が載っていました。面白そうなので各駅停車の鈍行列車の中でなるほどと頷きながら、弁当を食べた箸袋の切れ端にメモしました。旅の途中だったものですから、メモしたことすら忘れていましたが、今朝愛用の木になるカバンを整理していると箸袋が出てきました。

 「動物の寿命」と書いたメモには、色々な哺乳動物の寿命を心周期(心臓が一回ドキンと打つ時間)で割ると15億という数字が出てくるのだそうです。つまり哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つようです。

 ところが動物の心周期はまちまちで、ハツカネズミは心臓が一回打つのに0.1秒、大きなインドゾウだと3秒もかかるのです。人間の一分当たりの心拍数は50から70ですから計算上は1秒ちょっとでしょうか。この数字で動物の寿命を計算するとハツカネズミは長く生きても2~3年で、インドゾウになると70年は生きられるのです。さてこの計算式で人間の寿命を単純計算すると26.3歳だと読んで驚きました。アフリカのような発展途上国ならいざ知らず、日本人の寿命は雄に0歳を超えるというのに・・・とこの計算を疑いましたが、この記事には後があるようでした。人間の本当の寿命は26.3歳なのに、人間の長い間の知恵によって煮炊きをする技術を覚えたり、入れ歯が普及したり、安定した食糧供給や安全な生活空間、医療の発達などによってzy妙が伸びただけのことだそうです。

 人間が地球上で生活をするようになった頃の人間の寿命は26.3歳だったと推測されます。縄文人の寿命は31歳前後だったようで、15歳から16歳くらいで本能の赴くままに子どもを産んである程度の子育てをして、次の世代にバトンタッチしていたようです。人間、特に日本人は子どもを産み育てるのに20年もかかるのですから、縄文人から比べると過保護すぎるのです。はてさて私の寿命が26.3年だとい説が正しければ、私の寿命はとっくに終わっていて、65歳の私は生き過ぎのようで、いつ死んでもおかしくないのです。

 ある別の説によると人間の寿命は心拍数で20億回だそうで、これを一分あたりの心拍数で割ると、一分間に50回の人は75年、70回で55年という計算が成り立つのです。

 激しい運動をして一分間に70回以上心拍数を数える人よりは、のんびりゆっくり50回程度の心拍数を維持する方が長生きするという考えも成り立つのです。短気は短命、長寿の秘訣はのんびりゆっくりかも知れません。私たち現代人はとっくに寿命を通り越しているのですから、せめてこれからの老後は面白おかしく、加えて次に続く人たちのために役立って死ぬことも考えなければならないようです。

 世の中には面白い考えで人間や他の動物の寿命をカウントする人がいるもので、大いに感心しました。


  「生き過ぎと 計算上は 思えども 折角生きる もっと有意義」

  「のんびりと 過ごした方が 得策と 分かったからにゃ のんびり寿命」

  「世の中にゃ 偉い考え する人が 沢山おりて 色々学ぶ」

  「人間は ゾウより短い 寿命だと 聞いて納得 ゾウに見習う」 

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