shin-1さんの日記

○高島屋ふれあいギャラリーに展示されています

 松山五行歌会の見山あつこさんから、8月の歌会の講評が送られてきました。先輩で友人の玉井恭介さんの紹介で私も今年度から会員に加わり、メールで駄作拙句を毎月一句ずつ送っていますが、今月も忙しさにかまけて提出期日をすっかり忘れてしまい、優しい見山さんから督促のメールが入り、急いでこしらえ送ったという相変わらずの体たらくで、深山さんに迷惑をかけてしまいました。

 数日前玉井さんから、「第4回作品展に出品してみないか」とお誘いがあり、口車に乗って一句つくり、写真のデータとともにデーターとともに遅らせてもらいました。おっつけ玉井さんから電話が入り、イメージ写真に使う夕日の写真の色が出にくいので私が書きます」とのことでした。私の一句が玉井さんのブログに書かれて、汗顔の至りでしたが、玉井さんと見山さんから作品展の見学に来ないかとお誘いがあり、今日は孫たちのお守を兼ねて出かけて行きました。

若松進一ブログ
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 今日も30度を越す真夏日で外は暑く、会場となる伊予鉄高島屋は横浜中華街展の人気もあって、市駅前から西駐車場までは車の長い行列が出来て、駐車するのに30分もかかりました。同伴した二人の孫たちもエアコンの効いた車ながら多少イライラしているようでした。

 やがて高島屋7階のふれあいギャラリーに到着すると、見山さんはじめ何人かのスタッフが色々と作品の説明をしていただきました。孫たちは五行歌の展示には関心を示さず、小銭を握っておもちゃ売り場へ消えて行きました。2年生と3歳の孫なので迷子になりはしないか他所心配しあしたが、五行歌の作品を一通り見せてもらいました。どの作品も素晴らしく、五行歌の奥の深さや楽しさを感じさせるものばかりでした。

若松進一ブログ

 一際目に付くところに私の作品も壁に飾っていました。玉井さんが絵を書いてくれたお陰で私の作品は10倍以上の値打ちがついたように見えました。


 結婚してくれてありがとう

 子ども産んでくれてありがとう

 家計のやりくりありがとう

 そして親父の介護ありがとう

 何度でも言う妻よありがとう

             若松進一


 少し恥ずかしかったので、孫が木になることを理由に、挨拶もそこそこ引き上げました。

 五行歌は私のような凡人でも出来るし、やればとても面白いものです。また他の人の作品を読んだり交わる楽しさもあります。是非参加してみませんか。お問い合わせは下記の写真に書いてます。ズームアップしてみてください。

若松進一ブログ

  「半年も 経たぬ私の 作品が デパートギャラリー 壁にかかって」

  「俺にでも できる五行歌 しませんか 自由律句は 季語も気にせず」

  「友人が 書いた絵の方 褒めるべき わが歌駄作 汗顔しきり」

  「気負いなく 気軽話せる 五行歌の 美女連嬉し いつか逢いたい」

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shin-1さんの日記

○死に支度の時代

 「もしこのまま私が亡くなったら一体私の身の回りはどうなるのだろう」と、縁起でもないことを思いながら昨晩床に就いたためでしょうか、昨夜から今朝にかけて変わった夢を見ました。夢のことゆえ既に殆どは記憶の外に消えているのですが、亡くなった母が出てきたり、少年の頃に引き戻されたりする懐かしいものでした。ハッと思って目が覚めやわら起きて自分の書斎に入りました。

 思わず、自分の身の回りにうず高く積まれた新旧の雑誌や書類、それに様々な本に囲まれて、身辺整理も出来ぬままになっている姿を見て、「こりゃあいかん。もっと整理をせねば死んだ時恥ずかしい」と思いました。

 実はこのことには前から気がついていて、一年に何回かは部屋の掃除と称して、沢山の書類や雑誌をみかんのコンテナに選り分け、その都度家庭菜園の隅で焼却処分してきたのですが、いつの間にかそこにまた新しい紙類が蓄積してしまったのです。

 ある引越し引き受け会社のコマーシャルに、ゴミに囲まれた人が登場し、そのゴミの処分をわが社が引き受けるというのがあります。つまり身辺整理という新たなサービス業なのですが、聞くところによるとこのサービス業を利用する人はかなり多いらしいのです。引越しならいざ知らず身辺整理くらい自分でしたらいいのにと思いますが、世の中色々な仕事を考える人がいるものです。

 そんな矢先、間もなく始まる秋の彼岸を前にお墓の掃除を請け負う新たな商売が以外に好評だという話をテレビで見たし、テレビドラマでは死んだ人の遺品を整理する「遺品整理人」という聞きなれない主人公が登場するストーリーを、興味深く見ました。

 何年か前、宗教学者の山折哲雄さんが雑誌の取材で夕日のミュージアムに訪ねてきたことがあります。著名な方ですので、夕日にまつわる人間の習慣について色々意見を交えましたが、その山折哲雄さんが「死に支度の時代」という記事を書いているのを読みながら、はてさて私はどんな死に支度をしているのだろうと考えさせられました。遺書を書くことも、お墓を造ることも、最近時々聞くようになった生前葬も死に支度なのでしょうが、ポジティブに生きる私はこれまで死に支度など考えてもいませんでした。

 しかし、私以外の家族にとっては紙ごみとしか思えないような書斎の紙類を、何としても処分しなければならないと思うようになりました。早速今日あたりからこの膨大な紙類を捨てて身辺を整理しようと思っています。こんなことを考えるようになった俺も歳だなあと、間もなくやって来る66歳の誕生日を前に考えました。


  「もし俺が 死んだらこれら 紙ごみに なってしまうか 早く始末を」

  「人間は 人から見れば 他愛ない 物をお宝 思って残す」

  「死に支度 そろそろ思う そんな歳 なった自分に 苦笑しながら」

  「俺の糞 さえも流して 始末せぬ 何も出来ずに 死んで行くのか」

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