shin-1さんの日記

○「山奥組」ってどこの組?

 「お父さん、明日はどこへ行くの」と決まったように妻は寝る前私に聞きます。そして明くる日の朝も「お父さん、今日は何時に出るの」と聞くのです。その都度私は「今日は野村町の山奥組へ行く」と、具体的に場所と集会名と、概要について話してやるのです。土地勘のない妻にとって私の話はチンプンカンプンで、「野村町は分るけどどこと合併して何という名前になったの」と聞き返します。県内ならすらすらいえるのですが、これが県外となると地図を広げて説明しないと、説明する本人さえも心もとないのです。

 「山奥組って何をする団体なの?」と、山奥組の人に失礼な質問が返ってきました。私は少々ふざけて「山奥組とは山の奥の方のイノシシが出るような場所に住んでいる人たちのまちおこしグループだ」と話したら、夜遅く帰るものですから「お父さんイノシシが出るなんて大丈夫?」と真顔で話すのです。「馬鹿じゃないか、そんな所じゃないわい」と正気に戻って話すのですが、はてさて「山奥組」とは誰が名づけたのかは知りませんが偉い大そうな名前です。でもネームバリューはあるようです。

 さて、山奥組とはいかなるものか、結成以来4年目を迎え事務所まで持っている旧野村町のまちおこしグループなのです。会員は130人余りもいて四つの部会を持っています。

 送られて来た山奥組通信によると、

 第一部会(環境・生物資源)では、野村の自然遺産である巨樹・巨木35種類91本を記載した「野村の巨樹」を発刊したり、「十文田の森の植物」も刊行、リンドウの里作りにも取り組んでいるのだそうです。

 第二部会(地域農業・農産加工)では、野村の清流米の定期購入、特産品の開発、健康食品にも力を入れているようです。

 第三部会(伝統・伝承技術)では、昔盛んだった竹細工の教室を開いて興味関心を広げようとしています。

 第四部会(交流・人材育成)では、小松山荘を拠点に都市と農山村の交流を進めているようです。

 限界集落が増えて、ほおっておいたら自然消滅しそうな地域を何とか活性化したいと願う人たちの理論や理屈ではない活動に頭が下がる思いがしました。

 私はこれまで何度も野村町へは行っていますので、荻野会長さんはじめ多くの方々と顔見知りで、講演もさることながらその後の懇親会でも膝付き合せ、額を寄せて様々な話しをさせてもらいました。

 いやあ皆さん元気です。「俺所へ泊まりに来い」「今度はいつ来る」と早速交流の話が持ち上がりました。海のない町と海のある町という異質な文化を持っていて、「今度は人間牧場で会おう」と再会を約束して別れました。

 この日二人の珍しい人に会いました。一人は愛媛県内水面会長の那須熊市さんです。もう相当前に貯蓄推進の会で知り合った人ですが、今も元気に活躍しています。また松山大学准教授の甲斐朋香さんとは初めての対面でしたが、山奥組に何故参加しているのかも興味があるのです。世の中は面白いとしみじみ思いました。残念ながら従兄弟の通夜があって中座しなければならず、後ろ髪を引かれる思いで、夜の雨道を引き返しました。

  「限界も 歳も山奥 糞食らえ 俺ら生きてる 山奥万歳」

  「そのうちに みんな歳とり みんな死ぬ 生きてる間 花を咲かそう」

  「こりゃあ何だ 机の上に お茶ペット 都会を真似た 会議意義あり」

  「会長の お礼の言葉 気に入った 俺流生きる 俺流話す」

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shin-1さんの日記

○松山の景色は素晴らしい

 このところ長崎への旅が長くて、スケジュール表に書きとめているブログ用のメモをブログに書くことが出来ず、少しイライラしていました。しかし未熟ながら長崎の旅物語も写真も一応整理がついたので、最近の様子を振り返りながらメモしておきたいと思います。

 先週の日曜日、松山市PTA連合会の招きでPTA正副会長研修に出かけました。会場は南堀端にあるリジェール松山です。案内の文章をいただいた時、「えっ、リジェール松山って何処だっけ」と一瞬頭の中の回路が回り始めました。私たちというより私は古い時代の人間なので「農協会館」といえば分るのですが、リジェールといわれると「?」となるのです。道後にある「郵便貯金会館」だって今はメルパルク、伊予市の厚生年金会館も厚生省の払い下げを受ける前から愛称で呼ばれ、その愛称も買収で似たような名前になって訳が分らなくなってしまいました。ひと頃「○○会館」などの名前が古臭くて利用者に悪いイメージを与えるからと、公募による愛称募集をした時代がありました。店舗改装などの際にすればいいのですが、中身も変わらないのに名前だけ変えた所は、結局余計利用者に敬遠されて閑古鳥が鳴いている所だってあるのですから、名は体を現すので気をつけなければなりません。

 郵便貯金会館も農協会館も一時は結婚式場として名を成し、私も結婚披露宴司会537組という実績の何回かは司会のステージに経ちましたが、年を経てそんな勇気も活力も減退して、今は研修会のステージに上がっているのです。

 さて、リジェール松山ですが、今回の研修に招かれ改めてその眺望の素晴らしさを再認識しました。8階ホールの東側は全面総ガラス張りで、その窓いっぱいに松山のシンボルといえる城山がまるで一服の絵のように見えるのです。時あたかも新緑の季節で、城山の木々の緑が眼に鮮やかに飛び込んでくるのです。

(南堀端側から見た城山)
(天守閣の遠望、樫類の淡い緑が何ともいえない目の覚めるような色合いです)

  松山が生んだ俳人正岡子規は「春や昔十五万石の城下かな」とか、「松山や秋より高き天守閣」と名句を残していますが、非凡な人間だったらこの景色を見れば一句浮かぶほどの景色で、私は講演が終わって懇親会が始まる前に持ち歩いているカメラでパチリ撮らせてもらいました。

 松山市民はこの素晴らしい景色を当たり前の景色として捉えているのでしょうが、せめて日常の景色でも愛でるような心のゆとりを持ちたいものです。

 さて研修会ですか、「たくましい子どもを育てるために」と題して90分お話をさせてもらいました。特に強調したかった親の生き方で、親が変われば子どもが変わるとばかりに、父親の出番についても少し踏み込みました。丸三書店の井門社長さんや、松山市教育長さんなど馴染みの顔々が会場に見え隠れして、何とも恥かしい講演となりましたが、沢山の知人友人と旧交を温めることが出来ました。感謝します。

  「窓越しに 城山全て 初夏の色 何とも贅沢 景色肴に」

  「PTA 遠くなったな あの頃は ワイワイいいつ 血気盛んに」

  「さて何を 思う間もなく はい終わり 何を言ったか 分らずままに」

  「壁越しに 噂話が 筒抜けだ 今日は良かった 俺も良かった」 

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