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○地域マネジメントスキル修得講座

 愛媛大学が社会人の学び直し講座として開設した、地域マネジメントスキル修得講座7月の学習会が二日間の日程でいよいよ始まりました。7月は私の担当で、しかも第一日目はわが人間牧場で行われるのです。受講生は遠く宇和島市日振島の人もいて、8時30分に下灘コミュニティセンターへ集合することはかなりきついと思いつつ、担当の後藤田先生から受講生に連絡が行き届き全員が時間通りに集まってくれました。

 普通だと下浜のトンネルからの近道を通るのですが、車を4~5台連ねての移動だけに奥西から池久保の道を選び、後ろの車に気をつけながら会場へ到着したのは9時10分前だったので、予定どうり9時から講義をスタートしました。昨年のように二日間とも人間牧場を想定して講義の内容を考えていましたが、明くる日は会場を大学に移すため、仕方なく内容の半分の後半の部分を先にすることにしました。

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 事務局や関係者を入れる25人ほどの参加でしたが、私流の「地域活性化論」を午前中3時間、昼食を挟んで午後3時間気を緩めず講義を行いました。今年の受講生の中には知人友人が何人もいましたが、皆さんと同じく座が帳場の座学に耐えてくれました。今日の人間牧場界隈は、下界の猛暑とは違い、少し涼しさを感じるような風が時折爽やかに吹いて、思ったより涼しさを感じることが出来てホッとしています。加えて蚊の襲来も殆どなく、蚊取り線香の世話にもならずに済みました。

 今日は事務局がビデオとスライドを用意してくれましたが、急遽レジメの順番を変えたため無視してしてしまい、少し反省していますが、明日は室内授業なので、p祖紺でスライドショーを見ながらお話したいと思っていますが、私のことゆえさて明日はどうなることやら・・・と、心配をしています。

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 数日前チロリン農園の西川さんから今晩は人間牧場へ泊めて欲しいとチロリン便りと共に手紙が届いていて、快く了承しました、結果的に西川さんと福島さん、脇田さんの3人だけの宿泊となったようですが、夕方内子町の山岡さんのご主人や子どもたちも施設見学に訪れ、あり合せの肴で一献傾けて交流をしていたようです。

 私は明日の準備もあるので早々に引き上げましたが、妻が言うように多少不自由な思いをしているに違いないのです。まあ何はともあれ一日目の研修講義は8時間に及ぶ長丁場ながら無事終わりました。あすはいよいよ市が得の7時間講義に挑戦しますが、私の思いが受講生に伝わることを祈っています。

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○年輪塾塾頭清水和繁さんと四方山話

 昨日の夜遅くに年輪塾塾頭の清水さんがわが家に立ち寄りました。清水さんは勤めの関係で松山市にに住んでいますが、週末になると土日の反対である日土と、言葉の上ではまるでお笑いのようなふるさとへ帰り、先祖伝来の田畑を守るために今流行の2地域居住をやっています。2地域居住といえば格好いいのですが、田舎の長男に生まれた宿命とでもいうべきか、耕作地を縮小しながら年老いた親に代わって荒らす訳にもいかず、必死に守っているのです。割り切って週末には海岸国道を通って日土に帰っていますが、そのエネルギーは相当なもので頭が下がる思いがするのです。日土はみかん産地なので耕作地5反といいながら急傾斜地が多く、除草、剪定、摘果、防除、収穫、貯蔵、選果、出荷、販売などなど、どれをとっても、みかんを金にすることはできないのです。気象予報士の資格を持つ彼は、農協関係に勤めているのでこだわった農業をしていますが、したたかにさりげなく生きている彼から学ぶことはとても多いのです。

 愛媛政策研究センターに研究員として出向して頃彼と知り合ったので、私の交友関係ではそんなに古い友人ではありませんが、人間牧場で開いている年輪塾や年輪塾ネットの元締めである塾頭に指名してからは、馬鹿殿様のたぐいの塾長である私の手足や頭脳となって、存分以上の働きをしてくれているのです。

 おそらく週末農業をしているので暇などないだろうと思うのですが、今年の春から始めた年輪塾のテーマである二宮尊徳を研究し尊徳翁夜話を読破したばかりでなく、夜話の解説テキストを作りネットで会員に配信しているのです。

 昨晩はその解説編とでもいうべきテキストが233話まで出来上がり、そのコピーと共に手に入りにくい黒岩一郎の新講二宮尊徳夜話をジュンク堂で購入して私にプレゼントしてくれました。

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(清水さんから贈られた年輪塾の「二宮翁夜話」巻の四、巻の五と新講二宮尊徳夜話)

 退職しても忙しく動き回っている私と、本業仕事をしながら週末になる農作業に励む彼とが出会うことは不可能なような気もするのですが、今の私が一番信頼を寄せ暇を見つけて出会うのは清水塾頭と松本小番頭なのです。昨晩は私の書斎で故障した携帯電光掲示板の修理をしたり、今後の年輪塾の進め方について意見を戦わせましたが、奥の深い論語や夜話に加え他愛のない世間話をお茶を飲みながら話し、月や星の行方を追うように闇の彼方へ消えて行きました。私が人間牧場で学生たちに講義をしているであろう日中は、朝早く起きて防除作業に汗を流すのでしょうが、精をつけろと私が骨切りをした鱧を少々差し上げました。

 田舎の長男に生まれる宿命を清水さんも私も背負っていますが、長男に生まれたことを宿命とせず運命に変えて生きています。宿命は変えられませんが運命は心の持ちようでいかようにも切り開けるのです。さあ今日も清水さんを見習って頑張るとしようか。今朝も朝4時に起きて3枚のはがきを書き、ブログを一本書き終え、10分読書をしました。平凡なことを習慣化して続ければ非凡になります。


  「長男に 生まれたゆえの 宿命を 運命変えて 今日も楽しく」

  「尊徳の 夜話の全てを データーに 直し配信 二三三話」

  「尊徳の 原話を書いた 本見つけ 塾長贈る 塾頭さすが」

  「塾長の 浅学見抜き 本贈る もっと勉強 言わんばかりに」

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○私も北欧フィンランドの暮らしをしてみたい

 北欧フィンランドでは短い夏を惜しむように日光浴をするのだそうです。うだる様な暑さの日本では考えられないような習慣でしょうが、休暇は湖畔や海辺の別荘で過ごすのが定番と聞けば、働き蜂の日本人には何とも羨ましく、「それはお金持ちのすることでしょう」と勘ぐりたくもなるのです。しかしフィンランドの人はごく普通の人でも電気や水道もない自然の中に小屋を立て、薪割りや魚釣りを楽しむようです。


 ここまで書くとごく普通の金持ちでもない私だって、人も来ないような不便な場所にまるで隠れ家のような小屋を立て、週末や休暇どころかサンデー毎日の空いた日には殆ど、小屋に出かけて草刈をしたりミツバチの世話をしながらリフレッシュしているのですから、あくせく働いている人から見れば何とも羨ましい三昧な暮らしなのです。でも私の場合は小屋を作り始めて6年目になりますが、まだ小屋での遊びを楽しむところまでは到達してなく、しかも小屋は来客や研修に使っているのですから、少し使う方法を考えなければならないようです。

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(ただ一人、背もたれ椅子にもたれて転寝を楽しむ「うーん幸せ」)

 今日も、明日から2日間愛媛大学農学部の学び直しスキルアップの研修会が2日間、人間牧場で行われるため掃除に出かけました。私は農学部の客員教授をしているので、二日間で15時間の集中講義をする予定です。本当は二日間とも人間牧場の予定でしたが、カリキュラムの都合で二日目は、大学の涼しい部屋での講義になっているようです。

 今日の人間牧場は風もなく穏やかでしたが、その分温度が高く掃除や周辺の草刈で大汗をかきました。この分だと座学を基本とする明日の講義は、学生にとってはかなりきついかも知れませんが、まあこれもいい経験だと思えば、思い出に残るのです。


 明日は旧友であるちろりん農園の西川さんが世話役で4~5人人間牧場へ泊めて欲しいと依頼がありました。西川さんはフィンランド人とよく似た暮らしをしていて、金をかけない遊び心も旺盛な人なので、大いに楽しむものと思います。私も仲間に加わりたいのですが、明くる日の講義があるため、人間牧場を西川さんに明け渡して帰らなければなりません。

 「晩飯や朝飯はどうするのだろう」と不安になってきました。まあ西川さんのことですから自給自足をすることでしょう。


  「夏短か フィンランドの 人のように 三昧暮らし したいけれども」

  「明日のため 額汗して 牧場掃除 ゴキブリ二匹 追い掛け回す」

  「背もたれに もたれ転寝 ウトウトと 自動シャッター しっかり写る」

  「明日は又 人が沢山 集まりて 自慢の喋り 朝から晩まで」 

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○時間は等しいが短くも長くも自由になる

 毎日毎日24時間という時間があっという間に過ぎ去って過去になり、私たち人間は今もこれからも老いに向かって着実に進んでいます。誰にも止められないこの時間的スピードも、時には長く、時には短く感じたりするのは何故でしょう。その答えは自分のこれまでの人生の中にあるようです。

 人間誰しも好きなことや嫌いなことがあります。例えば研修会で聞く90分の講演も、講師の話術がいいと短く感じますが、下手糞な話や義務で参加して聞く興味のない話はとても長く感じて、時には居眠りをして住まうことがあるのです。これは相手任せによる時間の長短感覚なのですが、本当は自分の心のありようで受動から能動に心を変えれば、学びの時間的効果は高くなるのです。

 私は若い頃から積極的に生きようとする余りに人の話を聞く時、自分だったらこう考えると意識しつつメモを取っています。ゆえに人の話が終わって意見を求められると、既に自分の発表する心構えや意見がまとまっているので、誰よりも早く手を上げて意見が述べれるのです。みんなが躊躇している間の最初に意見を述べる、これは効果抜群で相手や聴衆に、「若松さんは中々いい意見を述べる」と意識付けできたのです。

 このやり方は後のコーディネーターや司会をする技術として大いに役立ってきましたが、「果たしてこれが良かったのか?」と考えれば、自分の意見をまとめることに集中し過ぎて、相手の意見を聞くことをおろそかにしてきたような気もするのです。私のこの生き方は40年もかけて訓練して出来た生き方なので早々は直せませんが、今は人の話しを理解しようとする方向に軸足を移して話を聞くようにしているのです。

 さてお金持ちにも貧乏人にも人間に等しく与えられた24時間を効果的に使うにはどうしたらいいか、これは人間誰もが考える時間の過ごし方ですが、もっと時間が欲しいと時間延長説を考えるよりも、時間短縮説の方がはるかに人生が充実するように思うのです。嫌々やると時間を長く感じ、充実していると時間を短く感じる人間の心理をとらえて、時間×エネルギー=仕事の成果で、時間を短く感じながら仕事量を増やせば、結果的には24時間が時には2倍も三倍もの仕事量や時間量となるのです。

 人間は毎日3分割法、つまり3分の1を寝る、3分の1を仕事、3分の1を自由時間として使って暮らしています。もし私のように寝る時間を前後2時間ずつ削ってエネルギーに変えて何かに使えば、これはもう凄い時間量の増加になるのです。私はこれまで12年間毎朝3時間自分の作ったシーサイド公園でボランティアで掃除をしました。3時間(エネルギー)×365日×12年間=13140時間もの時間を作り出したのです。またリタイア後の5年間毎朝1時間、毎晩1時間合計2時間をブログ書きに費やしてきました。2時間(エネルギー)×365日×5年間=3650時間、これも私の人生の時間的貯蓄なのです。掃除とブログだけでもこんなに短く感じる時間を蓄積できた時間の使い方を、これからもやっていこうと思っています。


  「短くも 長くも出来る 日々時間 いい事選び 習慣化する」

  「ちゃっかりと 妻の寝ている 朝と夜 毎日二時間 エネルギー使う」

  「凡人の 俺にも出来る 毎日の ちょっとしたこと コツコツ貯める」

  「一日が 充実すれば 人生も いいものなると 信じて生きる」 

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○蜂は夜どうしているのだろう

 家の裏山に巣箱を構え、その巣箱に蜂が分蜂してからは蜂のことが気がかりで、暇さえあれば裏山に上って蜂の観察を続けています。今までは人間牧場にしか巣箱を設置していなかったため、人間牧場へ行かないと蜂と面会できませんでしたが、今はその気になれば直ぐにでも見ることができるし、わが書斎の窓を開けば見えるのです。

 裏山の巣箱に蜂がキンリョウヘンという日本ランのお陰で自然分蜂し入居たのは、5月19日に巣箱を設置した明くる日でしたから5月20日だったと記憶しています。以来ミツバチは3ヶ月間、働き蜂と異名をとるほど人知れず働いて、せっせと巣を作り蜜を集めているのです。

 今月に入ってミツバチの様子が少しおかしいのです。それまでは巣箱の小さな出入り口出たり入ったりしていましたが、勿論その行動をする蜂も沢山いるものの、かなりの量のミツバチが入り口付近で中に入ることもなくたむろしているのです。巣が太り中が満杯になったので溢れたのならこれに越したことはありませんが、余りの暑さで中の気温が上がって外で涼んでいるとも考えられるのです。

 早速ミツバチの師匠である井上登さんにメールでご指導を仰ぎましたが、原因はよく分からないということでした。これ程入り口にたむろすると底板を抜いて掃除をする勇気もありませんが、今日あたり人間牧場から網頭巾を持ち帰って掃除と中の観察をしたいと思っています。

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(巣箱に入り口にたむろするミツバチの大群)


 今朝散歩がてらミツバチの巣箱を観察に行きました。ミツバチたちは夜何処で寝るのだろうと思いましたが、どうやら巣箱の外や中にとまって休むようで、今朝5時半の時点では写真のように殆どの蜂が羽を休めていたようです。そして朝日が差し込む頃になると蜂たちは一斉に活動を開始して蜜集めに飛び立つのです。

 ミツバチの飛ぶ速さは予想異常に早いようで、まるで投げたボールような速さで巣箱めがけて帰ったり飛び立つようです。夏のこの時期は蜜源となる花などそんなに多くないと思われるのに、一体何処を目指して飛んで行き、蜜を集めて帰ってくるのか、行動範囲は片道2kmだといわれていますが、これも定かではないのです。

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(隙間がないほど群がるミツバチ)

 昨日の朝NHKのテレビを見ていると、蜂蜜の効果が見直されているようです。それは今までの甘味としての利用にとどまらず、美容効果も抜群だというのです。蜂蜜と塩、蜂蜜と卵白などと組み合わせる化粧品や石鹸が飛ぶように売れているというのです。

 私は蜂蜜をパンにつける程度でしか食べていませんが、蜂蜜とレモンの相性や、料理に使うといいという話を聞いて益々蜂蜜の虜になってきました。私が人間牧場でミツバチを飼い始めたのは、人間牧場へやって来る子どもたちに大自然の素晴らしさを少しでも味わってもらおうという単純な発想から生まれたことなので、NHKで紹介されているようなことは考えていませんが、蜂蜜の効能は思ったより大きく、面白い展開になりそうです。


  「ミツバチが 巣箱の前に たむろする どんな相談 してるのだろう」

  「巣箱下 掃除したいが この中に 両手突っ込む 勇気などなし」

  「蜂蜜は 栄養美容 特効と 聞いてよっしゃと 腕をまくりぬ」

  「蜂蜜を 採るか採らずか 迷ってる このまま来年 待つの一案」



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○家庭菜園でのトマトの実験

 毎日35度を越える猛暑日が続いて、家庭菜園の野菜類が根を上げつつあります。笑い話のようですが野菜の根が上がるころになると野菜は品薄になり値が上がるのです。瑞々しい緑色のキューリも今ではしおれてしまって、取り残した黄色いキューリが2~3本無残な姿をさらけ出しているようです。

 そんな中で、親父が毎日水をやって育てているトマトとナスは今のところ順調に生育して、収穫したものは毎日食卓を賑わせているのです。

 畑の隅に何本か野生のトマトが芽を出していました。昨年収穫した後畑の隅に置き忘れたトマトから種が落ちてそれが芽吹いたものと思われます。草刈や耕運機での中興の際に勿体ないとばかりにそのまま放置していました。ゆえに水をやることも垣根を作ることもなく、地べたを張っているだけの、まさに野生のトマトなのです。

 一方トマトの摘芯をした折、摘芯をしたものを、これも無造作に畑の隅に挿し木をする実験をしてみました。これも5本ほど挿し木しましたが3本が生き残り野生のトマトと同様まったく世話もせずに放置していましたが、これも順調に成長し土の上を這いつくばって生きているのです。

 毎年のことながら水をやり続けて育てたトマトやナスは一度水をやるのを止めると、3日で枯れてしまいます。多分苦労して自分が動かなくても他所から水をくれるというDNAがいつの間にか育っているのです。一方野生や挿し木して育ったトマトはご主人様に見放され、自分で水分を取らねば誰も助けてくれないとこれまたDNAが働き、地中不覚へ根を伸ばして生きているに違いないのです。

 野菜は育ちの環境によってこのように随分違った一生を辿るのです。育つ環境には自分で育つ環境と育てる環境の二つがあることを、今年も畑のトマトから学びました。

 トマトを育てながら子育ての極意を考えてみました。私は4人の子宝に恵まれましたが、忙しさの余りに子育てなど殆ど妻に任せきりで、子どもと遊んだ経験も殆どないと子どもたちは述懐するのです。つまり私は子どもたちに水を与えなかったのです。しかし妻という土や太陽の恵み、それに適当な水分によってかろうじて普通の子どもに育ちました。戦後の貧しい時代だった故放置されて育った私ほどではありませんが、それでも心の優しい子どもは育ったのです。現代の子育てはむしろ水をやり過ぎ、肥料をやり過ぎ、垣根を作り過ぎ、期待を持ち過ぎて、根っこが張らずむしろ根腐れをおこしているようです。トマトの実験は子育てにも参考になりますね。

  「水やらず 育てたトマト 生き残る 感心しつつ 子育て同じ」

  「野菜たち 一雨欲しい 言っている 天気予報じゃ 雨はまだ先」

  「根が上がる ゆえに野菜の 値が上がる そろそろ秋の 準備をせねば」

  「水やらぬ 親父九十 生きている 見習いたいが 少しバテ気味」


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○葬儀事情と仲間との交流

 私には私と同年代に各地の役場で働いた同年代の仲間が沢山います。いずれも退職期を向かえたり、既に退職してそれぞれの道を歩んでいますが、同年代ということは私と同じように親がそれなりの年齢に達しているので、訃報がある度にその葬儀に出かけるのです。

 一昨日松野町の基教育長をしていた芝さんから旧明浜町に住む原田さんのお母さんの訃報と葬儀の知らせがありました。それぞれに連絡を取り合って今日の午後2時から西予市宇和町のセレモニーホールで行われる葬儀に参列しました。原田さんのお母さんは享年89歳だそうで、まあ平均寿命まで生きたのですから、それはそれとして天命を全うしたことになりますが、ご遺族の心境を思うとまだまだ長生きをして欲しかったようで、心中を察するのです。

 明浜町では葬儀に先立ち午前中にご遺体を荼毘に伏し、遺骨で葬式をする風習があるようで、私たちの地域とは随分違った葬式でした。葬式後は49日の法要が営まれ、たっての希望で私たちも参加することにしました。故人の遺影や位牌を飾った中ホールでお食事をご馳走になり、故人の積もる話を聞いたり、近況を報告したりしながら束の間の時間を過ごしました。

 お目出度やお悔やみでもないと顔を合わせることが少ないのは何も親族だけではなく、私たち友人にとっても同じことがいえるのです。

 若松「毎日暑いが、その後元気か」

 塩崎「元気なだけど、先日畑で摘果中に畑で転げて、頭を怪我して5針も病院で縫ってもらった」

 若松「お前はこの間もモノレールに挟まれて怪我したじゃあないか。お前も相当きょろまつじゃのう」

 塩崎「そうよそうよ、そのことよ。若いと思っていたが、やっぱり歳には勝てん」

 若松「仕事は順調か」

 塩崎「みかん畑を1町余り作っているが、今は摘果の最中で、先日もトラックに水槽を積んで横倒しないなって                

    ドアが傷んだわい」

 若松「よく照るが潅水はせんでもいいのか」

 塩崎「阿弥陀池があって、潅水の水には困らんけれど、水をやり始めるとずっと水をかけなければならんので

    まだはじめとらん」

 若松「お前も本物の百姓になったなあ」

 塩崎「百姓にはまだなっとらん。70姓くらいじゃあ」

 若松「まあ怪我せんように頑張れや」

 塩崎「ありがとう。また会おうな」

 こんな他愛のない会話で別れ、宇和から大洲まで無料区間の高速道路を通って海岸周りで帰ってきました。帰るとき受付で祭壇に飾っていたお花を一束ずついただきました。前もって荼毘に伏したためお花を使えなかったのです。葬式の花なので忌み嫌う人もいますが、私は原田さんのお母さんの冥福を祈るつもりでいただき、妻が玄関先に綺麗に活けてくれました。そしてこちらとは違う葬式事情を話してやりました。普通は受付で会葬お礼の挨拶状とお茶かハンカチなどの小物をお返しにいただきますが、ここでは成果いつ改善運動が行き届いていて、受付で挨拶状のみでした。受付と挨拶状の中にその地域の運動への取り組みについてメモが入っていました。公民館に勤めていた頃同じように生活改善運動に取り組んだこともあるので、嬉しい地域ぐるみの運動に大きな心からなう拍手を送りました。


  「葬祭の 簡素化運動 懐かしい かつて私も 先頭立って」

  「元気かい 何とか元気 そりゃあいい 葬式会場 会話弾みぬ」

  「ご遺体の ない葬式に 参列し どこか勝手の 違うを感ず」

  「他人事と 思えぬ葬儀 連チャンで 親父気がかり 今年の夏は」


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○夏はスイカで生きている

 「あなたは夏になるとスイカで生きている」と妻が言うほどスイカが大好きで、夏になると毎日スイカを食べまくっています。まるでキリギリスのようですが、冷蔵庫で冷やされたスイカを食べると何故か生き返ったような感じがするのです。私がスイカが好きなことを知っている妻は、珍しくて少し高い6月の終わりごろからスイカを買ってきて食べさせてくれます。お酒を飲まなくなった私へのせめてもの嗜好品と思って、「酒代だと思えば安いもの」とばかりに供給してくれるのです。

 母存命の何年か前までは自分の家庭菜園でスイカを作っていましたが、どうしても美味しいスイカが出来なかったり、ハクビシンに捕られたりするため作るのを断念しました。世の中不思議なもので自分の家でスイカを作っていないことを知った私や妻の友人たちが、夏になるとせっせとスイカを運んできてくれるのです。これも田舎に住んでいることの特権でしょうが、お陰様で毎日大きなスイカを存分に味わっています。

 一昨日外出先から帰ってみると、玄関に大きなスイカが二つ置いてありました。公民館の宮栄館長さんが届けてくれたようです。その前日支所の武田さんが届けてくれた大きな二個のスイカのうち一個は、帰省した息子に帰る時持ち逃げされたので、大助かりでした。

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 今年はスイカの産地である双海町東峰に異変が起りました。民主党のマニュフェストで公約に掲げた高速道路無料化の実験区間として松山~宇和までの高速道路が無料化されたこの2ヶ月で、並行路線の国道56号線は交通量が半減したのです。高速道路の交通量が全国一の2倍になったと喜ぶ南予地方ですが、その影でスイカの露天商季節限定で営む東峰の野課の皆さんにとっては、厳しい夏の暑さになったようです。

 お盆の8月15日には8キロに及ぶ激しい交通渋滞が続いた無料区間の伊予インターチェンジ付近と、ガラガラ空きの56号線犬寄せ峠付近が、一昨日のテレビで印象的な珍現象としてテレビニュースで紹介されていました。

 「お盆が過ぎればスイカが売れなくなる」と東峰の人たちが言うように、スイカのピークは過ぎました。最近はスイカにも異変が起きているようで、核家族化が進んで冷蔵庫に入りきらないような大きなスイカは売れないのだそうです。スーパーに行くと半分や4分の1、8分の1などに切り分けたスイカが店頭に並んで、お客はそれを買い求めているようです。時にはゴミの処分に困るのか、皮を取った赤い実だけのスイカさえ売られているのですから、世の中は変わったものです。カボチャもキャベツも半分や4分の1にしてラップにくるまれ売られているのです。人間の数が2分の1になった時代ですから、少量多品目は最早常識のテーマです。

 それでもわが家は大きなスイカを4分1に切り分けて冷蔵庫で冷やし、残暑を惜しむかのようにスイカで熱中症対策をしているのです。


  「知人から  届いたスイカ 朝昼晩 飯の替わりに 夏を楽しむ」

  「熱中症 これも流行の 病かも 二百人余の 命奪って」

  「渋滞の 高速道路 横に見て ガラガラ空きの 国道走る」

  「タダならば 走ろう安直 人多い 日本一の 愚かな路線」 

 

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○買ってもらった新型の水筒

 今年の夏は暑いと誰もが言います。それを裏付けるように各地で猛暑日が続いて、熱中症の人がかなり出ているようで、これまで水分補給など余り気にしていなかったのに、出かけたり草刈作業をする時は小まめに水分を補給するようになりました。今は何処ででもペットボトルに入ったお茶や水を買うことが出来るため、家で沸かして作った麦茶をわざわざ持っていかなくても済むのですが、昔人間である妻や私は勿体ないとばかりに、小さな魔法瓶に入れて持ち歩くのです。

 しかし、何年か前に買った魔法瓶は旧式のもので、蓋に注がなければ飲めない仕組みになっているため、今頃の子どもたちが吸い口から直接飲んでいる魔法瓶水筒が欲しいなあと思っていました。

 先日妻が欲しいと思っていた吸い口のある魔法瓶水筒を買ってきました。どうせ大安売りの魔法瓶水筒が目に留まってのことでしょうから、高いものではないと鷹を食っていました。先日双海町高野川から海岸沿いを伊予市森まで歩くイベントに参加した時この魔法瓶水筒を持参しましたが、氷を入れた冷たい麦茶に喉を潤わせて、熱中症になることもなく終わりました。

 昔は魔法瓶といえば高価なもので、中々手に入りませんでした。また折角買った魔法瓶も落下の衝撃で内部が割れて大目玉を食らったこともありましたが、今は簡単にしかも安価に手に入るようになりました。

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 ところで、ペットボトルのお茶は本当に記載どおりのものが入っているのでしょうか。いくら抽出方法が進んでいるからといっても、主原料となるお茶をあれほど色濃く出すには、相当の茶葉を使用しなければならないはずですが、どうも合点がいかないのです。また水も外国産のものや海の深層水まで様々なものが売られていますが、殺菌するのでしょうがお茶や水も、一ヶ月経っても腐らないのが不思議です。自宅で麦茶を沸かせば冷蔵庫に入れてもたかだか二日しか持たず腐ってしまいます。

 まあそんなに目くじらを立てることはないと思いますが、毎日口にするお茶や水だけに何か疑問を感じたら、安全と思うものに変えなければなりません。その点妻の作る麦茶は色といい香りといい、味といい夏の飲み物としては採光だと思い、今日もたっぷり飲みました。


  「孫の持つ あんな水筒 欲しいなあ 思う矢先に 手元へ届く」

  「何日も 腐らないお茶 不思議だな 疑り深く 何故なのだろう?」

  「妻作る 麦茶最高 味香り ビール飲まない 故に楽しむ」

  「いつまでも 冷えたまま飲む 魔法瓶 まるで魔法に かかったようだ」


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○今日の論語「勇者は懼れず」

 論語日めぐりカレンダーの今日の言葉は、「勇者不懼」で「勇者は懼れず」と読みます。読んで字の如く「勇気があれば懼れることはない」のです。しかし人間は何かに向かう時、中々勇気が出ずしり込みをしてためらうものなのです。私のような何処にでもいる平凡な人間でも、自分の65年間の人生を振り返ってみると、「もしあの時勇気を出して一歩前に踏み出していなかったらどうなっていただろう」と、勇気の存在に気付くのです。

 私にとって最大の勇気は何といっても「夕日」です。100人の中の自分以外99人までが反対した夕日をテーマにしたまちづくりは、勇気の塊のようなものでした。間もなく夕焼けプラットホームコンサートが9月4日に開かれますが、奇しくも25周年目を迎えるこのコンサートなどはその典型で、何の変哲もない無人駅のプラットホームを舞台にするコンサートの企画など、誰も相手にはしてくれませんでした。

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 いい企画だと自負して始めたものの、「夕日と同じ沈むようなマイナスイメージの町をつくってどうするのか」と反対する町長、「列車が出入りする危険なプラットホームを使ってもし事故でもあったらどうするのか」と使用することを渋るJR、「音楽がうるさくて寝れない」と拒否反応を示す近隣住民、「北島三郎や鳥羽一郎なら分かるがベートーベンなどして人は来るものか」という漁師さんなどなど、自分の前に立ちはだかる反対の壁は予想以上に厚かったのです。

 私の本当の目的は夕日よりもJR予讃線海岸周りの存続でした。内子・中山を通る山周りにその座を奪われ、やがて並行路線として消える運命にあった地元の弱者の足をどうしても守りたかったのです。結果的には夕日もそれなりに有名になり、海岸周りも残っていますが、四半世紀を越えた夕日によるまちづくりは、海岸国道の改良やシーサイド公園の整備によって町が生まれ変わりましたが、その後の市町村合併によって先行きが危ぶまれているようです。

 勇気がある行動をする人を勇者と呼びます。私は多少勇気ある行動をしたものの、本当の勇者だったかどうかは分かりませんが、斬新な発想と勇気ある行動があれば多かれ少なかれ誰でも勇者になれるのです。しかし斬新な発想も勇気ある行動も、口では簡単に言えますが容易には一歩を踏み出せないのが世の常です。失敗したら「それ見たことか」とののしられる周囲の人を意識してしまうのです。

 結局のところ自分というもう一人の内在する敵とどう戦うかです。100人の人と走って一番になるためには一緒に走る99人より速く走らなければなりません。しかし99人を意識すると、走る前からそのプレッシャーに押しつぶされてしまうのです。要は99人より千分の一秒でも早く走れば一番でゴールできるのですから、その勝算のシナリオを描いて訓練すればいいのです。

 「自分に勝つ」、これは99人に勝つことよりも難しいと思います。でも「勇者は自分を懼れず」とも解釈して、勇気ある一歩を踏み出したいものです。


  「勇者には なれないけれど 勇気なら 少しはあるぞ 一歩踏み出せ」

  「今だから 言えることだが あのころは 若さ見方の 勇気があった」

  「結局は 体に潜む 自分との 戦いなんだ 自分に勝てと」

  「夕日など 金になるかと 馬鹿にされ 寝ても冷めても 夕日狂いに」

 

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