shin-1さんの日記

○何処からともなくハーモニカの音色が

 昨日は夕食後妻と二人で散歩を楽しみました。激しかった夕立も上がり、まるで水を打ったような涼しさの中を、お定まりのコースである上灘中学校、特老夕なぎ荘、高村電気の道を往復しましたが、山の端から綺麗な真ん丸い満月が出てそれはロマンチックでした。夜の散歩には懐中電灯を持って出かけるのですが、昨晩は懐中電灯の明かりをつけずに、月明かりの道を歩きました。二日続きの夕立ですっかり秋らしくなって、あちこちから虫の鳴き声が賑やかに聞こえていました。

 自宅の近くまで帰ると、何処からともなく涼やかなハーモニカの音色が聞こえてきました。よく見ると隣に住んでいる叔父が庭の駐車場に涼み台を出し、傍に座っている叔母に聞かせるようにハーモニカを吹いていました。叔父は今年72歳になりますが、何年か前に軽い脳卒中を患いましたが、いまは回復して洋傘の製造販売をやっています。最近古布を使って洋傘にすることが新聞やテレビで取り上げられたため、連日頼む人が訪れ大賑わいのようで、叔母も病気を忘れさせる出来事として歓迎しているようです。


 聞けば肺活量を増やすためにハーモニカを始めたそうで和音、つまり流行歌を吹くAmハーモニカを手に入れていました。ハーモニカについては一歩前行くと自認する私は、立ち話のような形でハーモニカの話に花を咲かせました。叔父はまだ初歩的と見受けましたが、朗々と吹くハーモニカは折りしも出た満月の月にとてもマッチしていました。叔父は名前が福計、叔母は笑子です。夫婦合わせれば福笑いとなる珍名の持ち主なのです。もう家はなくなりましたがその隣に入福寅男・鶴子夫妻がいて、わが家が目出度目出度の若松様ですから、まさに珍名組内でした。

 ハーモニカの音色は時に物悲しく時に郷愁を覚えます。肺活量が増えるかどうは疑問ですが、音楽に親しむことによって感性を磨くことは出来るような気がします。私も時々しか吹きませんがハーモニカの音色は心に染みるのです。でも音楽が大の苦手だった私は今でも妻と親父しかいない家だのに、通知表2の後ろめたさもあってどこか気恥ずかしいのです。そんなことを言いつつ講演先では求めに応じて下手なハーモニカを吹きまくっているのです。いつか隣の叔父とハーモニカの競演をして見たいと思っています。その時叔父はもっともっと上手くなっているかも知れません。そうだ私も叔父に負けないように練習をしないと・・・・。

  「月が出る 何処からともなく ハーモニカ 音色誘われ 散歩の途中」

  「ハーモニカ 忘れし過去を 思い出す 廃れた歌の  記憶辿りて」

  「童謡も 今の子らには チンプンカン それ何言われ 戸惑い隠す」

  「ハーモニカ 聞きつつ歌を 口ずさむ 小柳ルミ子 瀬戸の花嫁」 

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shin-1さんの日記

○スコールの思い出

 連日猛暑日が続き、一雨欲しいなあと思っていた矢先の一昨日と昨日、思いもかけず激しい夕立が降りました。時ならぬ雨で一昨日は折角予定されていたわが灘町地区の盆踊りが、出鼻をくじかれたように午後7時から振り出したため中止になり、慰労会の準備はしていたので慰労会だけは賑やかにやったようです。

 そして昨日は妻から頼まれてメガネのピンが抜けているのを近所の時計屋に修理に行っていて、一転にわかにかき曇って急に雨が降り出し、あいにく単車でお使いに出かけていたので、面白半分に土砂降りの中を単車を走らせて帰り、ずぶ濡れになってしまいました。

 でも全身ずぶ濡れになるなんて久しぶりのことなので、涼しさが欲しい夕凪の頃でもあったし、少年の頃の童心に返ったような心地よさで、外扉から浴室へ入りシャワーを浴びてさっぱりしました。

 ふと母校である宇和島水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へマグロを獲りに出かけて頃のことを思い出しました。赤道を越えると常夏の地域で、進めど毎日島など見えず、鏡のように凪いだまるでお盆の中を船はただひたすら、延縄操業準備の作業屋研修などをしながら南を向けて走るのです。実習生の私たちも二人一組になってワッチと称する見張りや操船をブリッジでしなければならないのです。


 当時の練習船にはエンジンの冷却水を引き込んだ海水風呂しかなかったので、雨水にしろ真水はとても貴重な天の恵みなのです。スコール域が船の行く手に見え始めると意識的に進路を遊び心で少し変え、スコールの中へ船を入れるのです。実習生も船員も思わぬプレゼントに大はしゃぎしてスコールシャワーを楽しみました。

 しかしわがままのスコールは足早に去ったり、時には石鹸をつけてスコールを待てども進路を変えられて、全身に塗りつけた石鹸を落とすのに一苦労した懐かしい思い出もあるのです。もう半世紀も前の出来事なのに、夕立に遭うと懐かしい青春の日々が思い出されるのです。

 余談ですが延縄の操業が始まると不眠不休でマグロやサメと戦い、合羽ズボンの中は丸で蒸し風呂のように汗だくとなり、そのため生徒たちはみんなインキンタムシに悩まされるのです。かゆくて仕方がないので指導教官から貰ったヨーチンをオチンチンに塗りつけ、その痛さに悲鳴を上げながらウチワでお互い扇ぎ合いをしたものです。また教官がオチンチンに包帯を巻いてくれるのですが、いつの間にかすっかりしぼんで包帯が何度も抜け落ち、男しか乗っていない練習船ゆえの恥も外聞もない小さな騒動は、仲間と会えば必ず下ネタとしてスコールの思い出は語られるのです。


  「オチンチン 包帯巻いた ヨーチンも 今はすっかり 笑い話に」

  「石鹸を 塗ってスコール 待ったけど コースが外れ 肌がヒリヒリ」

  「突然に 夕立降って 雨の中 ずぶ濡れ単車 ときっめきながら」

  「雨降って 笠がなければ 濡れてゆく 詩人灰谷 思い出しつつ」

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