shin-1さんの日記

○人の縁の不思議を感じました

 人の縁とは不思議なものです。1ヶ月も前西予市役所を退職した薬師寺智彦さんから、宇和町のふれいセンターで人権教育の話をして欲しいと照会依頼がありました。いつもは「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」と洒落ていますが、同和教育や人権教育は中々難しいだけにやんわりお断りしかけましたが、旧友のたっての頼みを断わることもできず受けてしまいました。

 数年前といってももう10数年前の話です。シーサイド公園で海開きの準備をしていると海岸が何やら騒々しいいのです。人が溺れた。人工呼吸、救急車などの言葉が渚で乱れ飛び、一応公園の全責任を負っていたじきでもあったのでことの重大さを知りました。友だちと海に飛び込んだ若い男性が心臓麻痺を起こし仮死状態になったのです。その後はパニック状態の中で救急車搬送、警察への連絡、一緒に泳いでいた友達からの事情聴取、心臓麻痺を起こした親への連絡と、矢継ぎ早の仕事がどんどん舞い込んで、私も大汗をかきながら対応に追われました。

 結果的には心臓麻痺を起こした宇和町出身のこの若者は病院へ搬送する救急車の中で息を引き取り帰らぬ人となりましたが、若者の両親を探し当て連絡に奔走してくれたのが薬師寺さんでした。その後葬式や見舞い、仏事、一周忌に寄付をいただいたことなどなど、相手のご両親と私の個人的な付き合いが始まりました。

 その後お父さんは病魔に襲われ長い闘病生活の末今年の3月息子さんの後を追うように天国へ旅立たれたのです。偶然とでも言おうかその人の弟さんのお嫁さんがふれあいセンターに勤めていて、今回の講演の窓口になっていたのです。

 その方と電話で講演の打ち合わせをする中でお父さんが亡くなったことを知りました。昨日はいい機会だと思い、少し早めに出て三好さんのお宅へお邪魔して亡くなったお父さんの仏前にお参りし、線香を手向けて色々な思い出話をさせてもらいました。お盆が近いこともあって初盆を迎えた白い灯籠が座敷に印象的に飾られ涙を誘いました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 奥さんは暑い最中なのにわざわざ会場まで足を運ばれ、薬師寺さんとともに私の講演を聞いていただきました。時代の歯車はどこかで狂い、どこかで噛み合うものだと縁の不思議を感じながら、超満員の参加者を前に90分の講演をさせてもらいましたが、会場には百人一首カルタの第一人者の和気先生や町並み保存で知り合った若い大氣さんも吟舞の一員として参加していて、嬉しい再会を果たしました。

 この日外は猛暑日、そして時折スコールのような雨が降るあいにくの天気でしたが心はポカポカで、センター館長さんの温かい心にも助けられいい思いの一日を過ごさせてもらいました。

 ふれあいセンターまつりらしく入り口には七夕飾りが飾られ、入り口ロビーでは小さなフリーマーケットも開かれていました。


  「縁不思議 まるで芋づる 次々と まるでドラマを 見ているようだ」

  「逝きし人 白い灯篭 走馬灯 初盆悲し 涙を誘う」

  「人権の 話頼まれ 断わるが 断わり切れず 意の向くままに」

  「ああ今日も 人のご縁を いただいて 感謝しながら 心熱くし」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○図書館の中で読書をする二宮金次郎

 一昨日、金融広報委員会からの依頼で松山市立新玉小学校へ、金融教育の進め方について金融広報アドバイザーとして、若い弁護士の森さんと共に出かけました。森さんも今年から私とな滋養に記入広報アドバイザーをしていて、前半輪私が1時間、後段森さんが1時間の予定でお話しするのです。相手は全て物分りのいい学校の先生なので、事前に配られている金融広報委員会発行のテキストを一読されているものと想像し、私は出来るだけ平易なことをお話しました。森さんは弁護士なので青少年のお金に絡んだ事件や事案を元に放されていましたが、はてさて金融教育について飲み込めたかどうか多少不安な気持ちが残りました。

若松進一ブログ

 学校はただ今夏休み中で、子どものいない学校は散閑としていて、新玉小学校の隅にあるまるで公園のような素晴らしい森の木陰では、児童クラブの子どもたちがセミを追いかけたりサッカーボールを蹴ったりしながら遊んでいる様子が窓越しに見えました。

 猛暑日だったこともあって、研修会の会場は冷房の効いたパソコン教室が使われましたが、私も森さんもパソコンは使わず話をしたため、机の上に並んだ文明の力も手持ち無沙汰のようでした。私たちのような古い人間には想像もつかないようなこんな立派な道具を使って子どもたちは小学生の頃から勉強するのかと、感心しながらある部分は羨ましく、ある部分は詰め込み教育を気にしながら2時間余りを快適に過ごしました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

若松進一ブログ
 研修会の席で質素倹約を旨としながら生きた二宮金次郎の話をしました。話の中に出てくる二宮金次郎の銅像について先生たちに聞いたところ、この学校にも二宮金次郎の銅像があることを知りましたが、やはり二宮金次郎が「何の本を読んでいるか?」の質問には答えられなかったようです。

 驚いたことにこの学校の二宮金次郎の銅像は虹の図書館という別棟の部屋の中にあるそうなので、後学のために見せていただきました。察するに学校改築の折屋外から一時避難移動したまま、図書室の隅に置かれたのだろうと推測する銅像は痛みもなく、図書室の一員として本を読み続けているようでした。

 忘れられたゆえに図書室という最も環境の良い図書室で、子どもたちと一緒に日々読書にふける二宮金次郎の銅像は、本に書かれた中国の古書大学の一節も身近に判読が出来て、これはこれとして素晴らしいと思いましたが、ご多聞にもれず大学の一節は残念ながら先生も子どもたちも、教育の範ちゅうにはなかったようなので、手持ちの文章をコピーして置いて帰りました。

 最近ものやお金が豊かになったせいか、親の金銭教育感覚が鈍り、ものやお金を与えることが子どもの幸せだと勘違いしている人が多いようです。子どもの時代に家庭で親がしっかりと金銭感覚を見につけさせていないために、様々な問題が起っています。基本的には子どもの金銭教育は家庭教育の範ちゅうなのですが、学校教育でお金の使い方をフォローしなければならないところに、現代の悩みの深さを感じるのです。

 二宮金次郎の銅像からの学びはある意味金銭教育の最もいい教材だと思っていますが、はてさて現代の学校の先生たちに伝わったかどうか・・・・。


  「金次郎 図書館住まい 面白い ただの置物 ならぬようにと」

  「先生に 教えることは 難しい 子どもの方が 教え易いな」

  「パソコンが 置かれた部屋で 使わずに あえて黒板 使い説明」

  「夏休み 学校らしさ 感じつつ 児童クラブの 子らを窓越し」

 

[ この記事をシェアする ]