shin-1さんの日記

○家庭菜園でのトマトの実験

 毎日35度を越える猛暑日が続いて、家庭菜園の野菜類が根を上げつつあります。笑い話のようですが野菜の根が上がるころになると野菜は品薄になり値が上がるのです。瑞々しい緑色のキューリも今ではしおれてしまって、取り残した黄色いキューリが2~3本無残な姿をさらけ出しているようです。

 そんな中で、親父が毎日水をやって育てているトマトとナスは今のところ順調に生育して、収穫したものは毎日食卓を賑わせているのです。

 畑の隅に何本か野生のトマトが芽を出していました。昨年収穫した後畑の隅に置き忘れたトマトから種が落ちてそれが芽吹いたものと思われます。草刈や耕運機での中興の際に勿体ないとばかりにそのまま放置していました。ゆえに水をやることも垣根を作ることもなく、地べたを張っているだけの、まさに野生のトマトなのです。

 一方トマトの摘芯をした折、摘芯をしたものを、これも無造作に畑の隅に挿し木をする実験をしてみました。これも5本ほど挿し木しましたが3本が生き残り野生のトマトと同様まったく世話もせずに放置していましたが、これも順調に成長し土の上を這いつくばって生きているのです。

 毎年のことながら水をやり続けて育てたトマトやナスは一度水をやるのを止めると、3日で枯れてしまいます。多分苦労して自分が動かなくても他所から水をくれるというDNAがいつの間にか育っているのです。一方野生や挿し木して育ったトマトはご主人様に見放され、自分で水分を取らねば誰も助けてくれないとこれまたDNAが働き、地中不覚へ根を伸ばして生きているに違いないのです。

 野菜は育ちの環境によってこのように随分違った一生を辿るのです。育つ環境には自分で育つ環境と育てる環境の二つがあることを、今年も畑のトマトから学びました。

 トマトを育てながら子育ての極意を考えてみました。私は4人の子宝に恵まれましたが、忙しさの余りに子育てなど殆ど妻に任せきりで、子どもと遊んだ経験も殆どないと子どもたちは述懐するのです。つまり私は子どもたちに水を与えなかったのです。しかし妻という土や太陽の恵み、それに適当な水分によってかろうじて普通の子どもに育ちました。戦後の貧しい時代だった故放置されて育った私ほどではありませんが、それでも心の優しい子どもは育ったのです。現代の子育てはむしろ水をやり過ぎ、肥料をやり過ぎ、垣根を作り過ぎ、期待を持ち過ぎて、根っこが張らずむしろ根腐れをおこしているようです。トマトの実験は子育てにも参考になりますね。

  「水やらず 育てたトマト 生き残る 感心しつつ 子育て同じ」

  「野菜たち 一雨欲しい 言っている 天気予報じゃ 雨はまだ先」

  「根が上がる ゆえに野菜の 値が上がる そろそろ秋の 準備をせねば」

  「水やらぬ 親父九十 生きている 見習いたいが 少しバテ気味」


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