shin-1さんの日記

○今日の論語「勇者は懼れず」

 論語日めぐりカレンダーの今日の言葉は、「勇者不懼」で「勇者は懼れず」と読みます。読んで字の如く「勇気があれば懼れることはない」のです。しかし人間は何かに向かう時、中々勇気が出ずしり込みをしてためらうものなのです。私のような何処にでもいる平凡な人間でも、自分の65年間の人生を振り返ってみると、「もしあの時勇気を出して一歩前に踏み出していなかったらどうなっていただろう」と、勇気の存在に気付くのです。

 私にとって最大の勇気は何といっても「夕日」です。100人の中の自分以外99人までが反対した夕日をテーマにしたまちづくりは、勇気の塊のようなものでした。間もなく夕焼けプラットホームコンサートが9月4日に開かれますが、奇しくも25周年目を迎えるこのコンサートなどはその典型で、何の変哲もない無人駅のプラットホームを舞台にするコンサートの企画など、誰も相手にはしてくれませんでした。

若松進一ブログ

 いい企画だと自負して始めたものの、「夕日と同じ沈むようなマイナスイメージの町をつくってどうするのか」と反対する町長、「列車が出入りする危険なプラットホームを使ってもし事故でもあったらどうするのか」と使用することを渋るJR、「音楽がうるさくて寝れない」と拒否反応を示す近隣住民、「北島三郎や鳥羽一郎なら分かるがベートーベンなどして人は来るものか」という漁師さんなどなど、自分の前に立ちはだかる反対の壁は予想以上に厚かったのです。

 私の本当の目的は夕日よりもJR予讃線海岸周りの存続でした。内子・中山を通る山周りにその座を奪われ、やがて並行路線として消える運命にあった地元の弱者の足をどうしても守りたかったのです。結果的には夕日もそれなりに有名になり、海岸周りも残っていますが、四半世紀を越えた夕日によるまちづくりは、海岸国道の改良やシーサイド公園の整備によって町が生まれ変わりましたが、その後の市町村合併によって先行きが危ぶまれているようです。

 勇気がある行動をする人を勇者と呼びます。私は多少勇気ある行動をしたものの、本当の勇者だったかどうかは分かりませんが、斬新な発想と勇気ある行動があれば多かれ少なかれ誰でも勇者になれるのです。しかし斬新な発想も勇気ある行動も、口では簡単に言えますが容易には一歩を踏み出せないのが世の常です。失敗したら「それ見たことか」とののしられる周囲の人を意識してしまうのです。

 結局のところ自分というもう一人の内在する敵とどう戦うかです。100人の人と走って一番になるためには一緒に走る99人より速く走らなければなりません。しかし99人を意識すると、走る前からそのプレッシャーに押しつぶされてしまうのです。要は99人より千分の一秒でも早く走れば一番でゴールできるのですから、その勝算のシナリオを描いて訓練すればいいのです。

 「自分に勝つ」、これは99人に勝つことよりも難しいと思います。でも「勇者は自分を懼れず」とも解釈して、勇気ある一歩を踏み出したいものです。


  「勇者には なれないけれど 勇気なら 少しはあるぞ 一歩踏み出せ」

  「今だから 言えることだが あのころは 若さ見方の 勇気があった」

  「結局は 体に潜む 自分との 戦いなんだ 自分に勝てと」

  「夕日など 金になるかと 馬鹿にされ 寝ても冷めても 夕日狂いに」

 

[ この記事をシェアする ]